不死の幻影

セネカを先頭に、階段を下って大広間に突入したラヴィアたち。

 何者かの咆哮を聞き、駆け付けた5人の目の前には、今までの書庫とは比べ物にならない広大な空間が広がっていた。柱の代わりに整然と並ぶ本棚に、魔術を通していないにもかかわらず部屋をくまなく照らす魔術光源。床は高級な紫色のじゅうたんが敷き詰められており、その雰囲気はさながら王侯貴族の居場所といった趣だ。


「ここが地下25階…………」

「通称『大図書館第1保管庫』。共和国に無くてはならない、貴重な品々を収める場所。足を踏み入れた人間は過去に両手で数える程度だそうです」

「そりゃそうでしょうね。誰が好き好んで、こんな無駄に険しい道のりを進むものですか」


 ラヴィアが言うとおり、いまだかつてこの保管庫に入って『帰ってきた人』はごくわずか。歴史に残るほどの名だたる盗賊も、共和国の重要文化物を奪い去ることはできなかった。

 ラヴィアたちですら、かなりのショートカットをしたにもかかわらず、ほぼ丸一日かけてようやくたどり着いた長い道のり…………それを超えてなお、最後の難関が待ち受けている。


「で…………最後の最後でアレですか」

「まあ、トカゲでしょうか? 見たこともない大きさですね」


 階段から降りた先…………数十メートル先のぽっかりと空いた空間に、見たこともない生物が鎮座している。


「あいつが…………大図書館に住むバケモノか!」

「なんという恐ろしい姿でしょう……」


 それは、大きさは人間より一回りほど大きく、体全体が漆黒の鱗と体毛のようなものに覆われており、顔から長く突き出た吻くちだけは骨が露出しているかのような、灰色い硬質の物質でできている。

 見た目はトカゲか、あるいはワニか…………四足の足でその場に立ち、縦長の瞳孔が特徴の鋭い目が、侵入者たちをじっと見つめている。


《GRRRRRRUUUUUUAA!!》


 怪物が唸り声を上げた!

 巨大な衝撃がフロア全体を揺らす!


「くっ! なんつう馬鹿でかい声だ!」

「あうあう…………耳がキーンって……」

「な、なんですのあれは!? まさかあれを倒さないと…………」

「そうですね。あれこそが大図書館地下書庫最大の怪物にして保管庫の守護者。無力化しなければ、探し物など不可能でしょう」

「ちっ…………てっきり相手は幽霊かなにかだと思っていたが、まさか魔獣が出てくるとはな」


 魔獣と言えばそれこそ強さはピンキリだが、野生で強力な個体となると、一国の軍隊を丸々動員して討伐できるかどうかというクラスもありうる。そして、目の前にいる魔獣は、明らかに普通の人間で相手できるレベルではない。それこそ、伝承に出てくる冒険者パーティが、命を賭して戦う存在だ。


 いったいどうしたものか――――――そんなことを悠長に話し合う間もなく


 瞬間―――!

 怪物が数十メートルの距離を一気に詰め、5人に襲いかかった!

 開かれる大きな口と、侵入者を粉みじんにせんと振るわれる鋭い剣爪


 わずか数秒で到達した必殺の一撃を食い止めたのは……………ラヴィアだった!


「はぁあっ!」


 飛びかかってきた怪物を、術で空中で押しとどめ、そのまま逆再生するかのように元いたところまで投げ飛ばした。


「ラヴィア!」

「セネカさん、あれは恐らく大昔に『討伐不可能』と言われた神殺しの魔獣―――――」

「神殺しだと!?」

「――――の模造種クローンですね」

「模造種…………オリジナルではないが、ほぼ同等の強さってわけか」

「いまの反撃の威力なら、大概の魔獣は瀕死になる威力のはずですが……見てください、痛そうにするそぶりすら見えません」


 ラヴィアの言うとおり、怪物はあれだけの距離を吹っ飛ばされた上に、体を強く床に打ち付けられたにもかかわらず、無傷でその場に立ちあがっている。次の攻撃が来るまで、それほど時間はかからないだろう。

 と、言った傍から、怪物は口から一直線に炎を噴き上げた。対するラヴィアも、目に見えない風のバリアを張り、火炎放射を押しとどめる。


「ラヴィアさん!」

「ユリアさん、エルマリナさん、二人は安全な場所で回復の用意をしてください」

「わかりました、無理はしないでください」


 戦闘能力を持たない聖職者二人は、攻撃が届かない位置に避難する。


「ラヴィア、私も戦うぞ! とりあえず弱点とか分かれば教えろ!」

「残念ですが、あの魔獣は今のセネカさんの手におえる相手ではありません。無論私もです」

「なんだと! ふざけるな! 私では頼りにならないというのか! 戦えないのなら、何のための私だ!」

「そこで、私が持ってきたカバンの中に、緑の表層がされた本が一冊あります。それを読めばセネカさんでも魔獣の相手ができるようになるでしょう。私が攻撃を食い止める間に、準備を」

「そんな悠長なこと…………わかった、すぐに読み終えるから待ってろ」


 ラヴィアに諭されたセネカは、しぶしぶラヴィアの持ってきたカバンの中を漁り始める。


「司書長! 私は!」

「ネルメルさん、あなたにはやってほしいことがあるので、ちょっと『心の耳』を貸してください」

「へ?」


 そしてネルメルには、なぜか「心の耳テレパシー」で指示を出したラヴィア。

 ネルメルは一瞬難しそうな顔をしたが、すぐにやる気満々の顔つきで


「わかりました!」


 と一言残して、どこかへ走り去っていった。


「さて、昔の人も意地悪な仕掛けをしてくれたものですね。何の知識もなく相手にしたら、間違いなく命はないでしょうし。防衛機構とはいえ、敵味方の区別すらないのはいかがなものでしょうね」


 火炎放射を防ぎ切ったラヴィアは、どこか挑発するようなしぐさで怪物を相手する。


「来るなら来なさい。この細腕一つも折れないようでは魔獣失格でしょう?」


《HU_ZAKERUDAAAAHAAAA!!》


 目の前の怪物が、言語をしゃべった気がした。その声はどこまでも憎悪に満ちていて、生きとして生きるすべてを憎んでいるかのようだ。

 二つの金色の瞳は、射殺さんばかりにラヴィアを凝視している。だが、迂闊には仕掛けてこない。魔獣は学んだのだ――――目の前の相手に、愚直に正面からぶつかっても無意味だと。


(勘違いしてくれているようですね。私の力を測りかねているからでしょうか)


 しかし、ラヴィアとしてはある意味好都合で、ある意味不都合である。

 先ほどのラヴィアが張った強力な防御障壁バリアは受け止める攻撃の威力が高いほど術力を消耗する。確かにラヴィア程の使い手となれば、そうそう術力切れを起こすことはない。だが、それでも魔獣がぶつかったときの衝撃は、大型トラックが猛スピードで2台同時に突っ込んでくるのと同等の威力がある。何度も何度も真正面からぶつかってこられたら、そのうち破られてしまうだろう。そういう点では、相手が慎重になってくれるのは好都合に違いない。

 けれども、あまりに警戒させすぎると、魔獣のヘイトが別の方向に向くことも懸念される。

 特にネルメルの方に向かうのはなんとしても阻止せねばならない。


「ラヴィアさん…………非力な私をお許しください。術力の付与ならいくらでもできますから……どうかどうか、神よラヴィアさんをお守りください」

「それにしてもセネカさんは、本を読んで一体どうしようというのでしょう」


 物陰に隠れるよう指示されたユリナとエルマリナの二名は、ラヴィアと怪物の戦いをひやひやしながら見守っていた。両名も全く戦えないということはないが、魔獣との戦闘経験は皆無であり、下手に戦闘に立てば足手まといになりかねない。

 戦える司書ネルメルはどこかに行ってしまった。そして護衛としてきているはずのセネカは読書中。

 二人の不安は最高潮に達していた。


 ところが――――――


「うふふ…………ふふふ………! ふふふふはははははははは…………!」

『!?』


 本をめくっていたセネカが、突如、不気味な声で笑い始めた。

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