消えゆく幻想
セネカが目覚めたとき、彼女の身体はラヴィアに抱きかかえられていた。
「目が覚めましたか? お早うございます」
「ラ……ラヴィア!? ぐっ…………!?」
セネカが慌てて起き上がろうとしたとき、体中に痛みが走った。
斬られたり殴られたりしたときの痛さ――――――ではなく、筋肉痛による痛みだ。
子供のころ死ぬほど訓練して、次の日に体中が痛んだことは何度もあったが、今の痛みは過去のそれの比ではないくらい、ほんのちょっとでも体を動かしただけで痛む。
「やはり痛みますか……さすがに体まで動かしていればそうなりますよね」
「……全部知っているようなしゃべり方はやめろ。私の身にいったい何が起こってか、説明しろ」
「ネルメルさんがすぐに戻ってくるでしょう、その時すべて一緒に説明します。まあ、簡単に言ってしまえば、セネカさんのご先祖様のお力を、少々お借りしました」
「私の祖先…………それってまさか!」
「戦神信仰部族の最強の戦士……クラミッシュその人です。セネカさんのお家は、今でも熱心なエスケンデレ信奉者ですよね。東方でエスケンデレを信奉する一族は大体クラミッシュさんの子孫なのです。セネカさんはその中でも、彼女の血が濃く表れているようです」
「なんだか複雑だな…………親にはうちは代々共和国の守護者として生きてきたと言われてきていたのに、ルーツはよりによって蛮族だったなんて」
「気にすることはありませんよ。共和国は長い歴史の中ですべてがまじりあってきたのですから」
蛮族の英雄クラミッシュは、例の軍団壊滅事件の後も、共和国軍相手に無双を繰り返し、さんざんに手を焼かせた。だが、責任を取って後退した後の総司令官は、クラミッシュ相手に戦うのは無駄であり無意味であることを悟っていた。
共和国はそれまでの方針を転換し、周辺部族に対し積極的な融和政策を打ち出した。
特にクラミッシュ相手に行った融和政策は正気の沙汰ではなかった。
「我々はあなたに降伏する。どうか我々の指導してほしい」
なんと、国を挙げての全面土下座! クラミッシュに対し、莫大な貢物を差し出し、自分たちも戦神を崇拝すると申し出たのだ。
クラミッシュは単純な性格だったので、1も2もなく二つの返事でこれを了承。さらにそれだけにとどまらず、共和国はクラミッシュにほかの戦神を信仰する部族に、エスケンデレの偉大さを思い知らしめてほしいと申し出、彼女はこれを了承。これ以降クラミッシュは、共和国の先陣を切って、数々の部族を鎮圧し、数多の人々に「英雄」と呼ばれ、最終的には東方有数の大貴族として好き放題しながら110歳でこの世を去った…………
共和国の恐ろしさ……それは莫大な国力と圧倒的に高度な文化で、相手のアイデンティティすら飲み込み自分の一部にしてしまうこと。一時期は、戦わずとも向こうから共和国の一部にしてほしいと願う国がたくさんあったくらいである。
「司書長! ただいま戻りました! 無事でしたか!?」
「おかえりなさいネルメル。あなたこそ無事でよかった。セネカさんは若干危ないところでしたが、いいタイミングで仕掛けを解除してくれましたね」
ここで、仕掛けを解除しに向かったネルメルが、ラヴィアたちの元に戻ってきた。
「若干危ない…………やはり、夢ではなかったのか?」
「隊長が危なかった!? じゃあやっぱり隊長があの化け物を!?」
「そう…………なのだろうか? いや、自分でも自信がないんだ」
「え? どういうことですか隊長?」
セネカが怪物を押しとどめていたと思っているネルメルは、改めてセネカの実力を見直したのだが、セネカの反応はなぜか歯切れが悪い。あれだけ強そうな化け物を相手できるだけでも十分自慢できると思うし、いつものセネカなら「どうだ」と言わんばかりに、硬そうな胸を反らしてドヤ顔しそうなものだが。
「そうですね。せっかくですからお二人に、この地下25階「共和国第一保管庫」の仕組みについて説明しましょう」
ラヴィアが話し始めると長くなるので、以下に説明しよう。
まず、地下25階の宝物庫は、外部の人間がうかつに手出しできないように、フロア全体に大規模な結界が施されている。その結界の効果は簡単に言ってしまえば「フロアすべてが幻に包まれる」というもの。
この結界内で起こることはすべて幻想で、怪我をしても実際には怪我はなく、炎を吐いても実際に燃えるものはない。その上で、結界内では「自分が思い込んでることがすべて現実になる」という奇妙な特性がある。自分は傷つかないと心から信じていれば、傷は直ちに塞がるし、魔術が使えると念じれば本当に使えるようになる。ただし思い込みの効果があるのは自分の体限定で、床を破壊すると思い込んでもできない。
「私がセネカさんに見せた本は、英雄クラミッシュを讃える叙事詩の一つでした。その上、現在の書庫で一度経験したかもしれませんが、地下書庫では書籍に影響を受けると、書籍の世界にのめりこんでしまうことがあるんです。これを利用して、セネカさんには一時的に無敵の英雄クラミッシュになっていただき、幻の怪物を抑えていただきました」
「まったく……自分の単純さに嫌気がさしてくるな……」
「で、ですがそのおかげで私たちは助かったんですから! よかったじゃないですか!」
「まあ、楽しかったと言えば楽しかったが……自分の実力じゃないというのが悔しいな」
さて、先ほどの怪物の正体だが、あれもまた結界が生み出した幻の一種である。
怪物は実体がなく、どれだけダメージを与えても絶対に倒れることがない、理不尽の塊である。
大昔…………それも共和国ができるよりももっと昔、神ですら殺すことができず、結局別の世界へ飛ばして無かったことにしたとされる化け物がモチーフで、おそらくよほど自分に自信があるものでないと相手することすら不可能だろう。
怪物を倒さなければならないと馬鹿正直に立ち向かう者は、いつ終わるとも知れない不毛な戦いに絶望し、やがて幻の中で死んでいく。幻の中で負った傷は現実で傷にはならないが、死は結果として残る。
セネカの体が筋肉痛で呻いているのは、現実でそれほどまでに激しく運動した証であり…………
「…………今まで気が付かなかったが、ずいぶんと骨がたくさん転がっているのだな」
「過去の侵入者たちでしょうか…………一歩間違えればこうなっていたんですね」
怪物が炎を吐いても、しっぽを振り回しても、本棚も床も全く傷まない。物に心はないので、自分が燃えていると思い込むことも、尻尾に叩かれて痛いと思い込むこともない。もちろん「触られている」とも思わないため、仕掛けが発動している状態では本棚の本を取ることができないし、ケースに入った宝物を取り出すこともできない。そこにはただ単に何か物が置いてあるだけ。
過去の侵入者たちは…………仕掛けもわからず、絶望しながら死んでいったのだろう。
「私たちはこうして夢から覚めました。これでようやく…………目的のものが手に入りますね」
「目的の物って、たしか『失われた聖典』でしたっけ? でも、私が走り回っていた時、本棚ばかりで宝物みたいなのはありませんでしたが?」
「む、そういえば司教とユリナはどこだ? 司教はともかく、ユリナは真っ先にラヴィアの無事を確認しに来そうなものだが」
セネカとネルメルはあたりを見回した、しかし二人の姿はない。
嫌な予感がした二人は、5人が荷物を置いた場所に戻ってみるが、やはり二人はいなかった。
「隊長、やはりこっちにもいません!」
「ちっ…………まさか戦闘に巻き込まれたか?」
「そうですか…………いませんか。どうやら、恐れていたことが現実になったようですね」
「おいラヴィア! ユリナがいなくなってどうしてそこまで平然としていられる!?」
エルマリナ司教とユリナ司祭が突然いなくなり慌てる二人に対し、ラヴィアはやや不機嫌そうな声で、呆れたように首を振っている。まるで、いたずらをしないと約束した子供が、舌の根も乾かないうちにいたずらを繰り返したときの親のように…………
「二人とも、宝物庫に向かいますので、気を緩めずついてきてください」
三人が向かった先は、いくつもの本棚を抜けた先…………ネルメルが2番目に火を消した祭壇のすぐ近くだった。そこには、ネルメルが見た時にはなかった扉があり、扉の上には堂々と「共和国宝物庫」と書かれている。金の装飾が施された巨大な扉は、すでに片方が開いていて、中にだれかが侵入した形跡がある。
セネカが意を決して引き戸に手をかけて開くと、そこには――――――
「あら、遅かったですね。ラヴィアさん?」
様々な物品が鎮座する黄金の広間の真ん中に、優雅に立っていたのは…………
踵まで届きそうな重量感のある桃色の髪の毛に、ただ一点後ろ髪に大きな青色のリボンをつけており、白地に青色の線が入った、比較的装飾の少ない――――しかしどことなく気品に満ち溢れた神官服の女性……
ユリナがそこにいた。
そして、その足元には――――青と白を基調にした司教職の法衣…………エルマリナが、眠るように倒れている。
あまりにも想像を超えた事態に、三人の体は、たちまち凍り付いた。
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