種明かし
まさかユリナが………!
動揺するセネカとネルメルだったが、次の瞬間には両名とも戦闘態勢に入った。
「よくも騙してくれたな、似非聖職者め…………」
セネカがドスの利いた低い声で、ユリナを睨みつける。
「司書長の恋人として取り入ったなんて、許せません!」
ネルメルは両拳に力を入れ、今にも怒りでユリナを撃ち抜かんばかりに身構える。
「あらあら、そのような顔をされても怖くも何ともありませんわ♪」
一方のユリナは余裕の表情を一切崩さず、防御の構えも見せない。まるで、二人の戦意など児戯だと言わんばかりの軽蔑の笑みさえ浮かべている。
ところが、肝心のラヴィアは全く動揺した様子はない。
自分の恋人が裏切り者だと判明したのに、まるで以前からわかっていたような、あきらめに近い顔をしている。いや、ラヴィアはわかっているのだ。――――――彼女が『本物ではない』ということを。
「セネカさんにネルメルさん、危険ですのであまり前に出ないように。下手に動けばユリナさんの命が危ない。そうでしょう、エルマリナさん?」
「あ~ら、やっぱりばれてたのね」
「あまり私を甘く見ないでいただきたいですね。昔からいろいろ勘違いされるとはいえ、実力を見抜けないと、いつか命取りになりますよ」
「そう…………」
ユリナの様子が変わった。
柔らかな物腰が急に刃物のように鋭利になり、温和な表情は一変して、ユリナが絶対に見せないような邪悪な笑みにとってかわった。体からは隠し切れないほどの「負」のオーラが滲み出て、見開いた瞳からは今にも眼球が飛び出さんばかり。
「ラヴィア! こいつ、まさか…………」
「司書長、私は聞いたことがあります! 西方には人の体を乗っ取る、邪術の使い手がいると……! さては今までエルマリナさんの体に取り付いていて、今度はユリナさんに……!」
「ふふふ、そのとおりよ小娘たち。聖職者の地位を得て、目的の物をずっと探していたが、ようやく手にする日が来た…………長かったわ」
エルマリナの正体…………それは、西方の呪術師に身体を乗っ取られた、一般の女性だった。
彼女が若くして圧倒的な術力を行使できたのも、すべては絶大な力を持つ呪術師がもたらしたもの。体を乗っ取られた女性の魂は、小さいうちに消し去られており、エルマリナの体は今や魂のない抜け殻の状態。いずれ彼女の体は生命活動を停止し、朽ち果てていくことだろう。そして、新たに体を乗っ取られたユリナは…………
「にしても、新しい体も『乗り心地』がいいわねぇ。ま、ちょっと肩がこるけど」
「…………ユリナさんの体を返しなさい、今すぐに。今なら悪いようにはしませんよ」
「あら、あなたの目線はずいぶん高いところにあるのね。今の状況を分かってないのかしら? 私はその気になれば、すぐにこっちに戻れるんだけど、あなたの恋人さんの体がどうなっても知らないわよ?」
「……………」
「こいつ………」
セネカは怒りをこらえるのに必死だった。確かにセネカは、自分はラヴィアの恋人だと公言してはばからないユリナのことを、あまり快く思ってはいない。しかしながら、ユリナはラヴィアの大事な人の一人であることは間違いないし、自身もまたユリナに助けてもらったことは一度や二度だけではない。
ユリナの体を平気で乗っ取り、あまつさえ人質にするような真似をして許せるわけがない。だが、下手に動けばユリナの魂が消される恐れがあるし、何より今の自分の体は筋肉痛でボロボロだ。
「もうわかってるでしょうけど、あなたたちを必死に急かしたのは、あなたたちを消耗させようとしたからよ。まあ、あんまり効果はなかったかもしれないけど、結果的に目的の達成が早まったからよしとするわ。さてと、それじゃあ最後のお仕事を頼もうかしら」
そういって呪術師エルマリナは、元の自分の体を人形を扱うように、片手だけを手に取って持ち上げた。
「『失われた法典』の保管場所と…………『聖剣ソル』の保管場所を案内しなさい」
「…………案内すれば、ユリナさんの体を返していただけるんですか?」
「ええ、考えてやるわ。ほら、さっさと案内しなさい。恋人さんの体返さないわよ」
ユリナの命がかかっている。
ラヴィアはこの要求をのまざるを得なかった。
××××××××××××××××××××××××××××××
宝物庫の中を、四人の人影がずるずると音を立てて歩く。
ずるずると何かを引きずる音は、ユリナの体がエルマリナの体を片手で引っ張って引きずっているから。魂のない抜け殻になった司教の体は、痛みを感じることもなく、されるがままに運ばれていく。
ラヴィアは先頭に立って目的の物までの案内を務める。その3歩後ろから呪術師エルマリナが威圧感を伴って続き、ラヴィアが下手な真似をしないよう目を光らせている。
ネルメルとセネカはさらにその後ろから…………約20歩以上離れた距離を慎重に保ちながら、機会をうかがっている。
「『失われた法典』を求めてきた時点で薄々は気が付いていましたが…………」
「無駄だったでしょう? 権力って素敵よね。国を代表する司教が…………まさか敵国の術者だったなんて、だれが信じるものですか」
呪術師エルマリナは、今回の計画を100年以上にわたる長期的かつ周到な準備をもって臨んだだけあって、ラヴィアが対策を講じることはほとんど不可能に近かった。ここでエルマリナを殺せば、ある程度は弁明できてもラヴィアは何らかの形で責任を取らざるを得ないし、ユリナも永遠に戻ってこない。当然事前にエルマリナの地下書庫探索を拒むのは、世界神殿と大図書館の力の差の関係上現実的ではない。
それに、エルマリナの力はおそらくラヴィアと同等かそれ以上と予測される。下手な手を打てば、最悪の場合ラヴィアたち三人全員地下書庫でひっそりと死亡し、宝物がすべて奪われる事態にもなりかねない。
今のラヴィアに取れる最善の選択肢………それは、エルマリナの要求に従い宝物の被害を最小限に抑え、盗難の責任の所在を、長年エルマリナの正体を見抜けなかった世界神殿に転嫁するほかない。
まったくをもって腹立たしい…………だが、初めから手詰まりの状態にあったのは、不運であったとあきらめるしかあるまい。
だからなのか、ラヴィアは最後の抵抗とばかりに、エルマリナに対し言葉を投げかかる。
「その上、聖剣ソルまで…………いえ、あなたの目的はむしろ聖剣のほうなのでしょう。法典はあくまでおまけに過ぎない………違いますか?」
「違わないわ、そのとおりよ」
「なるほど……ようやく全貌が見えてきましたね。あなたは西方諸国の一つ『帝政セレジア』の回し者でしょう。聖剣ソルを『奪還した』と称することで、西方での正当性を高めたうえ、法典を持ち帰り「改ざん」することで、宗教対立でも優位に立とうという魂胆でしょう…………呆れて口がふさがりませんね」
詳しい話は端折るが、現在西方世界では一部共和国の領土を除いて、大きく分けて4勢力が争う構図になっている(実際はもっともっと複雑な構造なのだがここで話すことではない)。帝政セレジアは、その中でも比較的新興の国家であり、全体的な歴史もほかの列強に比べて浅い。そして、この歴史の浅いというどうにもできないコンプレックスが、逆にこの国を突き動かす原動力となっており、西方世界統一に向けて最も活発に動いている国でもある。
そんな帝政セレジアが独自の正当性を確保するためにたどり着いた結論は――――――大昔の統一王朝、すなはち『再誕の時代』で共和国の前身となった独立国家に奪われたままの聖剣を取り戻すことだった。
「聖剣は…………あるべきところに帰らなければならない。あれこそが、団結の象徴であり、力の源だ。このくそ忌々しい蛮族との混血国が分裂せずにいられるのも、ほかならぬ聖剣の加護があるからこそだ」
「…………それ、本気で言ってます?」
「当然だ。聖剣には、それだけの力があるのだ。勇者を誑かし、蛮族の穢れた力を宿した、恩知らずと卑怯者どもの集まり…………過ちはもうすぐ終わるのだ。世界はすぐに、あるべき姿に戻る!」
エルマリナがユリナの体を操りながら、邪悪な高笑いをしている。それがラヴィアにとって、非常に不愉快で苦痛であった。
(このような妄執に囚われた輩に、大切な人の体を奪われるとは…………こうせざるを得ないとわかっていても、不愉快極まりないですね)
敵はあえてラヴィアの気に障る言葉を放ってくる。ここで挑発に乗ったらすべてが台無しである。ラヴァはひたすら無表情で、目的地への誘導に努めた。
そして、宝物庫の入り口から5分ほど歩いたところに、一つ目の目的物はあった。
「へぇ、これが『失われた法典』…………ずいぶんきれいに飾ってあるじゃない。まるで、私にもっていってもらうのを待っていたかのようね」
「……………」
金色に輝く、人の背丈の半分ほどの高さの台座に、30㎝ほどの大きさの二体の銀製の女神像が置かれている。二体の女神像はお互いに片手ずつを相手に向かって伸ばして手を繋ぎ、そこに赤を基調とした豪華な装丁の本が一冊置かれている。表題には「101柱神制定の書」と書かれており、これが『失われた法典』の正式名称なのだろう。1000年も前の書物とは到底思えない、新品同様の美しさをいまだに保っており、第1保管庫の保管技術の高さがうかがえる。
「ふふふ。これであなたたちの神様は死んだも同然ね。あなたたちの信じてる神様なんて、所詮元々は片田舎のマイナーな存在だったんだから、目を覚ますのにはいい機会だと思うわ」
エルマリナの言っていることはあながち間違いではない。大昔の時点では、共和国の宗教の主神はまだほかの神と同等だとされており、現在の宗教界にとっては都合が悪い部分が多く含まれる。まあ、だからと言って、一朝一夕でどうこうなるものでもないのだが…………
「さあ、次はいよいよ聖剣のある場所に案内してもらおうかしら。この聖典は私が預かってるわ」
「…………あまり乱暴に扱わないでくださいね? 歴史的価値は計り知れないんですから」
「あらあら、この期に及んでほんの心配なんて、さすがは司書さんね」
「あと…………ユリナさんの体もです。少しでも傷をつけてごらんなさい。交渉は決裂とみなしますから」
「まあ怖い。聖職者のくせに、
「今の言葉は聞かなかったことにしましょう」
粛々とエルマリナの指示に従うラヴィアたちと対照的に、黙ってついてくるほかない後ろの二人の怒りは、そろそろ限界に近くなってきている。
「くそっ……くそっ……! こんな屈辱的なことがあってなるものかっ!」
「私は…………自分のふがいなさに泣いてしまいそうです! 栄えある大図書館の司書なのに、貴重な収蔵物が奪われるのを黙ってみているしかないなんて!」
「畜生っ! ラヴィアですら何もできないというのに…………!」
だが二人は堪えねばならない。もしかしたらラヴィアがひそかに次の手を考えているのかもしれないのだ、自分たちが怒りに任せて台無しにしてしまっては、すべてが水泡に帰す。
己の無力さを恨みながらも、二人は必死にラヴィアとエルマリナの後ろを、黙って続いていく。
やがて、4人は宝物庫の一番奥と思われる場所に到達した。そこにはステンドグラスがはめ込まれた、色鮮やかな引き戸があり、その上には金属製のプレートが打ち付けられている。
プレートには「聖剣を持つものは勇者のみ」という言葉が書かれていた。
「この部屋には先ほどの書庫と同じように、特別な結界が張ってあります。まずは私が先に入り、結界を解きますから、そのあとになってお入りください」
「いいえ結構。私もあなたの後ろをぴったり歩くわ。聖剣に何か小細工されてはたまりませんからね」
「そのようなつもりはないのですが…………むしろ、下手に動くと危ないですよ」
「いいから進みなさい。一人しか入れないということでもなければ、ぴったりついていくわ」
「そうですか…………では必ず中の注意書きをよく読んでくださいね。セネカさんとネルメルさんは、申し訳ないのですが、仕掛け解除までその場でお待ちください」
「わかりました司書長。無理しないでくださいね」
「何かあったらすぐに呼べよ。私の命くらいだったら、いつでも捨ててやる」
こうして、ラヴィアはエルマリナだけを連れて、聖剣の収納室に足を踏み入れた。
引き戸を開けるとそこは、やや遠くに見える台座に刺さった剣以外、まったく何もない真っ白な空間だった。床と天井の境目すらわからず、柱の一本もない静寂な空間…………だが、入ってすぐの床に、金色の文字で何か書いてある。
「……なになに? 聖剣をもとめし勇者よ。汝の勇気を示すため、決して剣から目をそらさぬよう?」
「書いてある通りです。絶対に何が起こっても、前を向いて剣から目を離さないように。さもなくば命はありません」
「ああ、わかったわ。やってやろうじゃないの」
ラヴィアはゆっくり歩き始めた。エルマリナもそれに続いて歩き始める。二人とも、剣から目を逸らさぬよう、常に前を向きながら…………
前方から突然、短剣が飛んでくる。しかしラヴィアはよけようともせず、ひたすらまっすぐ歩く。飛んできた短剣は案の定ラヴィアに突き刺さることなく、何事もなかったようにすり抜けた。エルマリナもまた、すり抜けてきた短剣をよけずにまっすぐ歩く。短剣は、やはりエルマリナの体を素通りした。
「さっきの怪物に比べたら、なんてことない虚仮脅しね」
「まだ来ますよ。心してください」
その後も、短剣が飛んでくるだけでなく、巨岩や見るもおぞましい怪物が向かってきたりもしたが、仕掛けさえ分かっていれば恐れることはない。二人はあっという間に、剣が刺さった台座までたどり着く。だが、この部屋の結界はここからがめんどくさい。
「見えますでしょうか? 剣よりもさらに先に扉があるのが」
「ええ、微かですが見えますわ」
「真の目的地はあの扉の向こうです。目の前の台座の剣は、単なる幻にすぎません」
「じゃあとっとと向こうの扉に」
「お待ちなさい。最後まで私の話を聞くように。たしかに、目的地はあの扉ですが、剣から目を絶対に逸らさしてはいけないというルールはまだ続いています」
「…………てことは」
「こういうことです」
ラヴィアは、剣を見つめたまま体を横にして台座の脇を抜けると、なんと後ろ向きに歩き始めた。
「はぁ…………最後の最後まで面倒ね」
ばかばかしいと思いながらも、最後の最後でしくじるわけにいかないエルマリナは、ラヴィアと同じように目線を剣に向けたまま脇を抜けて、後ろ向きに扉へ歩き始める。台座から次の扉までの距離は相当長く、後ろ向きで何分も歩いても、たどり着く気配が感じられない。
振り向きたくなる衝動を抑えつつ、後ろ向きに歩くことおよそ10分。台座に刺さった剣が点になるほどの距離まで来て、ようやっと背後に壁の硬さを感じた。ラヴィアはそこから手探りでドアの位置を探りあて、ようやく部屋から脱出した。エルマリナもまたラヴィアと同じように、扉から出ようとした――――――が、その前に目の前の景色にひびが入ったかと思うと、ガラスのように粉々に砕け散ってしまった。
(さては罠か!?)
一瞬警戒したエルマリナだったが、それはすぐに杞憂であることが分かった。
真っ白な部屋の景色が割れると、目の前にはぽかんとこちらを見ているセネカとネルメルの姿があり、周囲は今までの保管庫と変わらない装飾の壁に囲まれている。どうやら、誰かが扉から外に出れば、結界が解除される仕組みになっていたらしい。
と、いうことは…………
(聖剣は……!)
彼女が慌てて振り向くと、そこには横長の大きな宝箱があった。
一応罠がないかどうか確認する術をかざしてみたが、罠どころか鍵もかかっていないことが判明。いざ二を開けると、果たしてそこには、長年探し求めたものの姿があった。
ツタのような装飾が施された焦げ茶色の鞘。柄にはやや黄色味かかった布が滑る度目としてまかれていて、一見すると普通の大剣のように見える。しかし、ひとたび鞘から抜けば、刀身は水晶のように透き通り、光を受けてほのかに輝いている。
これこそ、第三次大破壊から世界を救った英雄にして、共和国の前身の王国の母となった女性―――
『太陽の勇者 ソル』の宝具「聖剣ソル」なのだろう。
「ふふふ……………見つけた! やっと見つけたわ! ああ、聖剣よ! 野蛮な異国にとらわれし聖なる武器よ! いまようやく、故郷に帰る刻ときが来たのだ!」
エルマリナは、喜びのあまり聖剣の鞘を握りしめ、天にかざすかのように持ち上げた。
「はいはい、おめでとうございます。目的は達せられたのでしょう、早くユリナさんの体を返していただきましょうか」
「あら、まだいたのね。人がせっかく歴史的偉業の達成の喜びに浸っているというのに、野暮なお人ね」
ラヴィアがユリナの体の返還を要求すると、エルマリナは露骨に嫌な顔をしたが、すぐにその表情は邪悪な笑みに染まる。
「そういえばそんなこと言ったわね。でも残念、あれは嘘よ」
すると、エルマリナは懐からあるものを取り出した。
それはどこかで見たことがある、手のひらサイズの青い毛糸玉だった。
「まずい! あれは『フーガースレッド』!」
扉の外にいたネルメルは、慌ててエルマリナの持つ毛糸玉に手を伸ばそうとしたが…………
時すでに遅く、エルマリナはユリナの体を乗っ取ったまま、悠々と淡い光を放って消え去った。
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