逃走迷路

―――――――師よ、わが最愛の人よ―――――――

―――――――私はようやく、あなたの願いを叶える事ができました。


―――――世界の象徴たる聖剣と、邪教を滅する真実の書は、今やわが手中にあり

     追手は地下深くで、己の先祖の行為を恥じていることでしょう

     この光景を、師はどこからかみておられるでしょうか


 ―――――――そう、目を開ければ、そこには栄光に続く道が




「?」


 目を開けたはずなのに、エルマリナの網膜には一面の暗闇しか映っていない。

 手を少しでも伸ばすと、何かカサカサしたものにあたり、一歩踏み出せば靴音は木床をたたくような音がする。


 とにかく今の状況を確認すべく、彼女は照明の術式を発動した。



「………………な」


 闇を振り払ったエルマリナは、目の前の景色を信じることができなかった。


「なんだこれはーーーーーっ!!!!」


 それもそのはず。彼女の目の前に広がっていたのは、人ひとりすれ違うのがやっとの幅しかない、本棚と積み重なった本の山による細い通路だった。断じて、ビーコンがあるはずの地下書庫の入り口ではない。

 今までの書庫や地下通路とは違い、天井は低く今にも頭をぶつけそうなほど。その上、迫り出した本棚やあちらこちらに無造作に積まれる本が、まるで空間を圧迫するかのような圧力を感じさせる。



「もしや私は……………嵌められたのか……!」


 エルマリナは、絶望のあまり、その場に膝から崩れ落ちた。



××××××××××××××××××××××××××××××



「さてラヴィア」


 ユリナの体を乗っ取ったエルマリナと、元エルマリナの体が消え去った後、セネカはまるで手のひらを反すように憮然とした態度になった。


「お前のことだ、どうせもう手は打ってあるんだろう?」

「おや、ばれましたか。私はセネカさんと違って、役者としてはまだまだのようですね」


 エルマリナの前では無様な姿を見せていたセネカだったが、それはどうやら演技だったらしい。確かにセネカには手が出せない状況ではあったが、セネカはラヴィアのことを心から信じている。このようなイレギュラーも確実に想定内だと……………そうでなくては、セネカはここまでラヴィアのことを尊敬していない。

 ラヴィアはふうと一つため息をつくと、懐から脱出用毛糸玉フーガースレッドを取り出して見せる。


「せっかく私が、親切に注意書きを読んであげたというのに、すっかり忘れてしまっていたようですね」


 地下書庫の入り口にあった、古代文字で書かれた案内書には、確かに書かれていた。


・盗掘、災害、腐敗などを防ぐためありとあらゆる術がかけられており、場合によっては術同士が作用しあって、思いにもよらない効果が起きることが予想される。


 ――――――――――と


「風の書庫を出た時、私はこのアイテムを不用意に使わないでほしいと言いましたが、あれは脅しでもなんでもなく、本当に危険だったからです。哀れ彼女は、今頃この地下書庫のどこかの空間に閉じ込められていることでしょう」

「するとあれか。お前はわざとエルマリナが脱出用毛糸玉フーガースレッドを使うように仕向けて、まんまと罠にはめたわけか。相変わらず恐ろしいな、お前が私の味方で本当によかったよ」


「司書長! それならそうと先に言ってくださいよ! 私が完全に道化じゃないですかっ!」

「ごめんなさいねネルメルさん。敵を騙すのには先ず味方からとも言いますし」


 一方、セネカと違って素でエルマリナのペースに乗せられていたネルメルは、悔しさで地団太を踏んだ。

 ラヴィアの直属であるはずの自分よりも、長い付き合いがあるとはいえ部外者であるセネカのほうが、ラヴィアの真意を理解していたというのだから、悔しがるのも当然だ。


「で、手を打っていたのはわかったが、私たちはこの先どうすりゃいいんだ? ユリナの体は乗っ取られたままだし…………追いかけるか?」

「それに重要な所蔵品と聖剣が奪われたままですし、取り返しに行かなくては!」




「そうね、茶番はもう終わりにしましょう」



 セネカとネルメルの背筋がピシッと凍る。

 いるはずのない…………しかしはっきり聞き覚えがある声が背後から聞こえた。


「いや、まさかとは思うが……」

「こんなところにいるなんて…………」

「あら、家主が家の中にいて何が悪いというのかしら」

『で、出たーーーーっ!!』


 いったいいつからそこにいたというのだろう?

 セネカとネルメルのほぼ真後ろに、土着神様ことヒュパティアが立っていた。

 音も気配もなく、背後に立っていたものだから、普段は気配にさとい二人は余計驚いてしまう。


「な……どうして土着神様がここに……」

「あーら、久しぶりね千人隊長キリアルケスさん。初夏の海難事故以来かしら」

「あのー館長、司書の私も、お姿を見るのは同じくらいぶりなんですがそれは」

「師匠…………私たちが相当苦労して進んだ道のりを「茶番」の一言で片づけられるのはちょっと……」

「なんとでも言いなさい。真の実力者というのは、価値ある行いにしか手を染めないものなのよ」


 そういってヒュパティアは、ユリナほどではないが無駄に大きい胸を張る。偉そうにロクでも無いことを言うのがまた忌々しい。けれども、結局はこの先は土着神様の手を借りないとどうにもならないわけであり、おとなしく指示に従うほかない。


「さあ、人の家に土足で入った挙句に泥棒をするような極悪人には、きっちりケジメをつけてあげなきゃね。まずラヴィアと、えーっと……千人隊長キリアルケスさんで宝箱が載ってる台座を持ち上げなさい」

「私の名前は『セネカ』ですって! 前も教えたはずなんですがっ!」


 ヒュパティアの指示通り、ラヴィアとセネカが聖剣の入っていた宝箱が乗っている台座を持ち上げてみると、台座の中は空洞になっており、中からもう一つの宝箱が出てきた。


「ネルメル、あなたが開けなさい」

「罠は……ないですよね? では開けます……」


 宝箱のふたをネルメルが恐る恐る開けると、中からは先ほどの聖剣と似ているが、ちょっと色やデザインが違う剣が出てきた。エルマリナが持って行ってしまった剣に比べると、なんだか若干輝きが足りないような気がするし、安っぽい雰囲気がある。


「なんですか、この剣? さっきの聖剣のレプリカですか?」

「レプリカも何も、そっちがモノホンよ」

「うっそでしょ!? いやだって、さっきの剣のほうが、よっぽど綺麗で強そうでしたよ!」


 ネルメルは剣を手に取ってぶんぶん振り回してみる。剣はまるで羽のように軽く、まるでおもちゃのようだ。


「その剣はね、その昔に盗難防止のためにあえて偽物のほうを美しく作ったの。本物のほうが存在感がないなんて、誰も信じないでしょう? 現に今までどんな刀剣鑑定家も、真偽を見抜くことができなかったわ」

「いや、でも、これはちょっと…………」

「ネルメルも信じられない? だったら証拠があるわ。えっと…………」

「セネカだ。いい加減覚えていただきたい」

「セネカちゃん、その剣を持ってみなさい。あ、間違っても手渡ししないように、一回台の上に置いてからね」

「ちゃんって…………」


 自分の扱いがあんまりだと不貞腐れるセネカ。

 渋々剣を持とうとした――――――――その時だった!


「うおっ! なんだこりゃっ! 重っ!」


 柄を両手で持ってもほんの数センチ浮き上がるだけだった。


「冗談じゃない! ネルメルは棒切れのみたいに振り回してたじゃないか! くそっ!」


 セネカはクラミッシュほどではないが、女性としてはかなりの怪力の持ち主であり、その気になれば両手剣を片手で振り回すこともできる。ところがどうだ、ネルメルが軽々振り回していた剣は、まるで神殿の柱のような重量すら感じるではないか。


「ラヴィア、お前はどうだ?」

「駄目ですね。びくともしません。念動力も効かないようです」


 当然、力のないラヴィアではピクリとも動かない。


「わかったかしら。これは今のところネルメルか私にしか持てない剣なの」

「ネルメルまさかお前が本当に勇者だったとは………」

「いやいやいや、そんなまさか! 私は勇者ソルの血なんて全然関係ない生まれだし!」


 もう一度ネルメルが持ってみると、やっぱりほとんど重さを感じないほど軽い。


「はへ~不思議~」

「しっかり持ってなさい。使い方は後で説明するから。それとラヴィア、例の物はちゃんと用意してあるでしょうね?」

「それについては抜かりなく」

「完璧ね。それじゃ、悪魔に引導を渡しに行くとしましょう」





××××××××××××××××××××××××××××××




 その頃エルマリナは―――――――


「ああくそっ! 一体全体何なんだここは!?」


 歩いても歩いても、果てしなく続く本棚の迷宮。まるで傾斜床を歩いているかのような三半規管の異常も感じる。また、視界確保のために使っている明かりの術式も、地下書庫と同じようにフロア全体に作用しているからか、術力の消費が重くなっている。

 フーガ―スレッドの再使用も試みたが、何度やっても元の位置に戻るだけ。瞬間移動術式も同様である。


「まずい、このままでは気が滅入ってしまう。少し休憩だ」


 エルマリナは、背負っていた元の自分の体を下ろし、本棚に背を預けて腰を下ろした。

 先の見えない不安は、次第に彼女の心を押しつぶそうとしてくる。それでも彼女が希望を捨てないのは、自分が今持っている成果物のおかげだ。すくなくとも、これさえ手放さなければ、彼女に負けはない。


「それにしても…………これだけの量の本が、一体どこから?」


 疑問に思ったエルマリナは、本棚から適当な本を一冊抜き出した。一瞬、これも先ほどのように幻かとも思ったが、手に持った感触も重さも、本物に間違いはないようだ。

 ただし、その中身はというと…………


「むぅ…………古代文字か……」


 地下書庫の入り口でわずかに書かれているのを見た古代文字が、全ページにわたってびっしりと刻まれている。彼女はこの世界のあらゆる言語を習得していたのだが、古代文字までは把握していない。結局、内容はわからずじまい。しかも、その本だけでなく、このあたりに収蔵されている書籍すべてが古代文字で記されるとわかり、さらにげんなりした。


「神よ……どうかお力をお貸しください。わが民族の栄光は、私の手にかかっているのです。どうか、その御手でお導きを…………」


 自らの信じる神に祈りを捧げ、精神を保とうとするエルマリナ。

 だが、奇跡的にその祈りが通じたのか、彼女は通路の先に、見覚えがあるものを見つけた。


「あ、あれは………」


 女の子だ。

 見た目はとても幼く、明るい金髪で、それをツインテールにまとめている。

 と、ここで女の子はエルマリナの視線に気がついたのか、通路の先を左のほうに走って行ってしまった。


(逃がすか―――――)


 エルマリナは、背負っていた自分の体をその場に置いたまま、女の子が見えた場所まで駆け抜けた。

 通路を左に曲がり、本棚と本の山の間を縫いながらひたすら全力で走る。歩いているのを見るたびに、下品だなと密かに侮蔑していた胸の巨果を大きく弾ませ、歩幅が制限されるほどしっかり作られたロングスカートを破らんばかりの勢いで、ひたすら少女の姿を追った。


「どっちだ……」


 やがて、通路が左右に分かれるところまでたどり着いたところで、左の通路に再び少女の姿を発見。まだ遠いが、確実に距離は縮まっている。

 その後も、計6回ほど通路を左折しながら距離を詰めていくエルマリナ。今まで走っていた通路と交差しないことに若干違和感を覚えながらも、ひたすら少女の後を追い、やがて…………


「お…………おおぉ……………」


 狭い通路がようやく終わり、3メートル四方ほどのやや広い空間に出た。その部屋の真ん中から上の階に向かって半周ほどのらせん階段が設けられており、少女は今まさにその階段を駆け上がっている。

 自分が出口に近づいているという実感がわいてきたエルマリナ。疲労の息がたちまち喜びの息に変わり、まるで塔の上に愛しの王子様が待っている、童話のお姫様のごとく、つまずきそうになりながら前のめりに階段を駆け上がった。

 階段を登り切った彼女の目の前にはまたしても広めの空間が広がる。


「はぁっ……はぁっ…………あの思念霊…………エルはいったいどこに………?」


 ところが…………フロアには少女の姿はどこにもなかった。そのかわり、部屋の真ん中にいったいの白骨化した遺体が横たわっている。エルマリナがその骸骨に恐る恐る近づいてみると、手になにか紙のようなものが握りしめられていた。嫌な予感がしたエルマリナは、震える手で、白骨が握りしめていた紙を開いてみた。





無念だ―――――ただひたすらに、無念だ―――――――。 私はついぞ目的を果たせなかった 異国の魔術師の罠にかかり、祖国の土を踏むことなく力尽きてしまうだろう ああ、悪魔の魔術師が恐ろしい目で私を見下している 足は歩むことを拒み 手ももはや筆を動かすのもままならぬ



 神よ  祖国よ   大命を目の前に 私は力尽きようとしている

 できれば  わが最愛の弟子   アーシェラ  このめで もういちど  






「うそ…………………師匠? あの日からずっと帰ってこなかった…………師匠? そんな、このようなところで…………こんなにも無念の言葉が……っ!」


 思わず白骨に縋り付いて泣きそうになるエルマリナ…………もとい、アーシェラ。

 彼女がこの世でだれよりも尊敬し、だれよりも愛した人は、数十年前に祖国を旅立ったままいつしか音信不通となり、消息を絶った。生きてはいないだろうとは思っていたが…………よもやこのような形で再開することになろうとは。




「かつて、共和国史上最も凶悪と呼ばれた盗賊がいた」


 通路の奥から、淡々とした声が聞こえる。


「本名、年齢、生年月日、出身地など一切不明。頭脳明晰、運動神経抜群、神出鬼没でその上、素顔であれば誰からも愛される性格だった。変装の達人で共和国各地に秘密基地を持ち様々な華麗かつ芸術的手段で高価な品を盗み出す。そんな、おとぎ話のような盗賊が、数十年前……この大図書館を訪れた」


 足音が近づいてくる。それも、前方からだけでなく、左右両方の通路の奥の暗闇から、乾いた靴音を響かせながら近づいてくる。


「彼の正体は、帝政セレジアが誇る特殊部隊の部隊長。共和国を内側から滅ぼそうとした工作員。彼は祖国から密命を受けていた。それは、かつて勇者ソルが使った聖剣の奪還。一般の市民では存在すら知らない、共和国の秘宝中の秘宝を奪うために、共和国人以外の人間が初めてこの地下書庫に挑んだ」


 アーシェラはすでに囲まれていた。

 前からは館長ヒュパティア、左からはラヴィアとセネカ、右からはネルメル。

 そして後ろを振り向けば、先ほどまであった階段がなくなっていて、本棚によって道が閉ざされている。


「それがこのざまってわけよ。それなのに、まだこの大図書館に挑戦しようだなんて馬鹿がいるだなんて、まったくお笑いね」

「―――――――――――――――――――っ!!」


 アーシェラは怒りのあまり、思わずヒュパティアに殴り倒したい衝動に駆られるも、一瞬で思いとどまる。自ら真正面に正々堂々と立つからには、完全な勝算があるからだろう。

 それと、先ほどから感じていた平衡感覚の乱れが、かなり顕著になってきていて、立とうとしてもめまいを起こしたかのように、視線が安定しない。


「ふふふ、かなりフラフラのようですね。すでに原因については心当たりがあるのではないですか? はどうしたのです? アレがないとそろそろあなたは、立っていられなくなると思いますが」


 ラヴィアの声が頭に響くたびに、アーシェラのめまいはひどくなる。

 めまいが起きる原因…………それは、乗っ取った身体と精神体がうまくシンクロしていないから。


「ユリナさんはね、司書長の得意な術が全く効かないくらい、催眠や洗脳の術式が効かないんだよね。乗っ取ったとき、後悔したでしょ? 睡眠薬が入ったお茶で体自体を眠らせて、その体を強引に操ってるみたいだけど、もうそろそろユリナさんの身体が目を覚ましちゃいそうだよね。もし起きちゃったら、あんたの魂は…………どうなるかな?」


 ネルメルが、アーシェラが持つのとそっくりの剣をふるいながら近づいてくる。


「くっ…………貴様ら、私のみならず、師匠をも………同じ手で絶望へと叩き落したのだな! なんという邪悪…………っ! なんという悪魔的っ! あなたたちだけは…………あなたたち大図書館だけは! 許さない!」


 アーシェラは、腰に差していた聖剣を抜いた。こうなればもはや、最悪血路を開いて逃げるのみ。

 師の亡骸から頭蓋骨だけ大切そうに懐に仕舞い、行くべき方向を見定めた。


(神よ――――――師匠よ――――――――私に力を貸してください!!)


 アーシェラは右の通路に向かって駆け出した。待ち構えるのは……同じ剣を抜いたネルメル。

 三つの通路のうち、得体のしれないヒュパティアやラヴィア、セネカの二人を相手するよりも、武器を持っているとはいえネルメル一人を相手にしたほうが勝算は高い。

 アーシェラの魂は剣術の心得もある。それに対しネルメルの剣の構えは基礎の域を出ていない。


「うおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「!!」


 重度のめまいといえど、アーシェラの剣は正確にネルメルの体をとらえていた。だが、交差するはずだった剣と剣は、ぶつかることなくお互いをすり抜け――――――――




「ぐわぁっ!!」


 ネルメルの剣がアーシェラの――――――――ユリナの体を貫いた。

 アーシェラの剣もまた、ネルメルの体をすり抜けていた。

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