アテルラナ

「か………………はぁ…………」


 目玉と口を大きく広げ、水を失った魚のように苦しむアーシェラ。

 乗っ取られているとはいえ、ユリナが苦悶の表情をしているのを見たのは、この時が最初で最後だったと後にネルメルは語っていた。


 剣に貫かれた両者の身体からは血の一滴もこぼれない。ただ、アーシェラに乗っ取られたユリナの身体だけが、大きく痙攣してその場に崩れ落ちる。


「どう、観念したかしら?」

「ふざ……けるな、だれが……………悪魔の言うことなど…………」


 ヒュパティアが虫けらを見るような目でアーシェラを見下すものの、アーシェラはこの期に及んでも抵抗する意思はついえない。だが、ネルメルは油断することなく聖剣をアーシェラに突き立て、地面に縫い付けている。このせいでアーシェラは起き上がることも回復することもできない。圧倒的優位を保ったまま、ヒュパティアはとどめを刺すべくにじり寄る。


「ふふ、理不尽だと思わない? あなたが今まで築いた完璧な作戦は、こうして余裕で崩れ去った。まるで、あなたの考えなんか手に取るようにわかる…………矮小な考えなんか丸っとお見通しってね」


 アーシェラにとって、ヒュパティアの言葉は悔しいほどに的を射ていた。あらゆるものを犠牲にして、人間のことわりの外にある力を手に入れ、ありとあらゆることを想定して対策をすること数十年。完璧だと思っていた一連の計画はあっさりと詰みの状態にまで追い込まれてしまった。

 げに恐ろしきは大図書館の支配者…………。アーシェラが記憶していたなかで最も強かった己の師を、いとも簡単にねじ伏せた、想定不能の相手だ。


「なぜ? どうして? 大道芸人の手品は見たことがあるかしら。手品の9割くらいのネタは、分かれば実にしょうもないもの。けれども、人は簡単に騙される。なぜだかわかるかしら? それはね、人間は「思い込み」をしてしまう生き物だから」


 ヒュパティアの一方的な演説はさらに続く。


「ぶっちゃけ、小生にあなたが考えてることなんてさっぱりわかんない。この大図書館に、何か被害を与えに来ていることはわかるけど、本当の目的が何なのかそこまで考えるのも面倒なの。ならばどうする? 答えは単純にして明快、相手が考えることがわからなければ、相手の考えを絞らせればいいのよ」

「考えを…………絞らせる…………?」

「大図書館は、関係者であっても不明な点が多い。そんなところに単身乗り込んでいくのであれば、判明している情報を繋ぎ合わせてでも、一番確実な道を選ぶしかないの。小生はただ単純に、その確実な道に罠を置くだけ。それだけで、相手はいともあっさり引っかかってくれるって寸法なわけ」

「そ…………んな………」


 アーシェラの心はとっくの昔に折れているのに、ヒュパティアはわざわざ丁寧に欠片も残さず砕いていくつもりらしい。


「大図書館の地下書庫に侵入する連中が、なにを目的にしてどういう方法で成し遂げようとするか、小生にとっては知ったことではない。けれども、彼らは帰り道のことを考えると、結局一つの考えにたどり着く。そう、脱出の道具や術をしようするということ。そもそも地下4階に下りた時点で地下3階から地下2階へ降りる階段は失われ、知っている人じゃなきゃ自分の足では脱出不可能。破壊の魔術は掻き消え、火薬には火が付かない。となれば、必然的に取る方法は瞬間移動での脱出か、別の出口を探すかの二択。小生はただ、それだけに備えていればいいの。分の悪い勝負なんてものじゃない、小生にとっては文字通り茶番劇アテルラナでしかないのよね」


 自分のやったことは何もかもが無駄だった。いや、それどころか、師をはじめとする先祖代々の努力は、目の前の悪魔の壁に傷一つつけることすらできなかった。すべてを否定されたアーシェラは、せめて最期に乗っ取ったこの体を破壊してやろうかと思うも、もはやその力さえ残っていない。


「ま、でも人生の最後に冒険ができて楽しかったでしょ? あなたは持ってる力だけは無駄に強いから、時間をかけて精神的ダメージを与えさせてもらったけど…………小生の所有物に手を出した罪は重いわ。殉教すらできないよう、永劫に罪を償わせてくれる。というわけでラヴィア、もういいわよ」

「やっとですか。こんな時に限っていつもより長いんですから………」


 ヒュパティアはようやくラヴィアに、不届き者の処刑命令を下した。ラヴィアは珍しく待ってましたとばかりに早足で、アーシェラに駆け寄る。そして、懐から模様のような文字がびっしりと書かれた、長方形の紙を取り出す。


「さんざん手を焼かせてくれましたが、ユリナさんの身体、返していただきます」


 そういってラヴィアがアーシェラの……ユリナの額に紙を押さえつける。すると、紙がまばゆい光を放ち、ユリナの体内からどす黒い何かを吸い上げてゆく。


「お゛……………あ゛あ゛あ゛ぁ゛……………ぁ゛」


 地の底から響くような呻き声。エルマリナの体を乗っ取っていた時はエルマリナの、ユリナの体を乗っ取ったときはユリナの…………乗っ取った身体の声しか出すことはなかった。今、アーシェラの魂が、一個人として最期の断末魔を響かせ、紙の中に吸収された。


 ラヴィアが手に持つ紙は、はるか東方の国の術士『陰陽師』が用いる「ふだ」と呼ばれる術道具。

 西方よりも霊体、魂魄体が多い東方ではこうした術道具がレス・プブリカより優れており、ラヴィアも対霊体においては何より重宝している。

 術札に収められてしまった魂魄はもはや自力で脱出することは不能で、場合によっては術主に操られるだけの存在に成り下がる。哀れアーシェラの魂魄は、二度と祖国の景色を見ることなく、天国に行くこともできず、魂の牢獄に永遠につながれてることになる。



「う………うぅん」


 アーシェラの魂が身体から出て行って間もなく、ユリナの口がパクパク開き、色っぽいため息があふれた。ラヴィアはユリナの体をゆっくりと抱き上げ、脈を図って体に異常がないかを確認した。


「ユリナさん、具合はどうですか」

「ラヴィア…………さん?」


 ユリナゆっくりと瞼を開けると、そこには悪魔のような仰々しい瞳はなく、いつも通りの穏やかで母性溢れる虹彩があった。ラヴィアは今まで張りつめていた緊張を解いて、笑顔になると、力いっぱいユリナを抱きしめた。


「ユリナさん、無事でよかった」

「あらあら……どうしたんですかラヴィアさん。怖い夢を見ましたか? 私がいるからもう大丈夫ですよ」


 ユリナもまた、ラヴィアの頭を自分のほうに引き寄せて、あやすように頭をなでる。今自分がどんな状況に置かれているのか全く分かっていないにもかかわらず、母性本能のあふれるままラヴィアを受け入れた。



「おいおい、どっちが被害者なんだかこれもうわからんなぁ」

「私がまだ剣を刺しっぱなしだってわかってるんですかね?」


 急にいい雰囲気になり始めたラヴィアとユリナを見て、呆れかえるセネカとネルメル。

 ユリナの無事を確認したネルメルはようやく剣をユリナの身体から抜いた。いや、抜いたというよりも、まるで初めから刺さっていなかったように、何の手ごたえもなく剣は鞘へと収まった。


「しかし、これが聖剣ソルの力か。さすがに神話の時代の武器は違うな」


 セネカが真剣の刃に手を当てようとしても、何もないかのようにすり抜けてしまう。当然痛みもなければ、傷もつかない。伝承では、勇者ソルはこの剣で不死者の大軍を蹴散らしたと言われるが、ひょっとしたら対不死者専用兵器なのかもしれない…………そう思っていたセネカだったが


「何言ってんの。その剣が勇者ソルが使った剣なわけないじゃない。セネカちゃん、あなたは『原罪の書庫』で何を見てきたのかしら?」

「は?」

「え、どういうことですか館長!?」


 セネカはふと、現在の書庫で本を読んだ時に脳裏に映った光景を思い出してみた。

 勇者ソルが持っていた聖剣は、ネルメルが持つ剣よりも幅広で、おまけにこんなに透けて見えるほど刀身が薄くはなかった。しかしそれ以前に、ソルの記憶では、普通に聖剣で不死者の大軍を操る術者を「物理的に」刺し殺していたような気がする。


「この際だから、全部ネタばらししてあげるわ。セネカちゃんが今手に持つ「失われた法典」それは紛れもなく本物よ」

「なにっ!?」


 セネカが、なんとなく回収した「失われた法典」。彼女はてっきりこれもレプリカかと思っていたので、慌てて手に持ち直した。これを床に落としたらただでは済まない。


「でもね、ネルメルが手に持つ剣は本物の聖剣じゃないし………ましてや、この大図書館、ううん、レス・プブリカ国内には「聖剣ソル」なんて存在しない。そもそも勇者ソルは、聖剣を時の王朝に返還しているの。そのあとの行方は知らないけど、きっともう錆びて使い物にならなくなってるに違いないわ。けれども残念ながら、聖剣ソルが大図書館にあるっていう情報はいまだに信じられていること……そして、宝物庫を目指す連中は間違いなく聖剣ソルを奪還しようとしてる。ネルメルが持ってる剣は、そんな連中を返り討ちにするためのものなのよ」

「ああもう…………いったい何が本当で何が偽物で、頭が痛くなってきた………」

「やっぱ私は勇者の血筋じゃないんですね………ちょっと残念です」

「言ったでしょう、手品のネタっていうのはわかっちゃえばしょうもないものなのよ。ま、でも二人ともよく頑張ってくれたわ。それに、あの子もね」


 ヒュパティアが後ろのほうを向くと、そこには天井から蝙蝠のようにぶら下がっている女の子の姿があった。


「やっと終わったのー?」

「エルか……相変わらずお前は存在自体が理不尽だな」


 セネカをはじめラヴィアやネルメルが、どうやってこの空間にこれたかはよく覚えていないが、少なくともエルを呼んだ覚えはない。


「っていうかエルちゃん、いつの間にいなくなってたと思ったら、いつの間にここに来てたの?」

「内緒っ♪ むしろなんでお姉ちゃんたちがここにこれたの? 出られなくなっても知らないよ?」

「そうだった! 今までうやむやになってましたけど、一体ここはどこなんですか館長!?」

「あー、ここ? あっちこっちに入らなくなった本の置き場所よ。レプリカの作りすぎとか、内容パクりすぎとか、そーゆー優先順位が低い本がひたすら押し込まれてるだけ」

「うへぇ、こここそまさしく本の墓場か……」

「あと言っておくけど、出口とかいう甘えたものはないから」

「出口が甘えとかどんだけですか」


 ネルメルもまた頭が痛くなってくるのを感じる。正直、このあたりの世界はとても自分が一生かかっても手におえるものではなさそうだ。


「それに出口がなければどうやって帰るんです?」


 そう、出られなくて困るのはセネカたちも同じだ。

 こんなところにいつまでもいては、気がくるってしまいそうだ。


「帰り道は小生が引っ張っていくから安心するといい」

「引っ張っていくって…………それと館長、これはどうしましょう?」


 「これ」というのは、途中でネルメルが回収してきた「エルマリナの体」のことだ。

 すでに宿主がおらずぐったりとしており、呼吸は弱弱しい。このまま放置すれば、いずれは身体機能が停止し、生命活動を停止することだろう。


「む、たしかに中身はとんでもない奴だったが、この体自体はなかなかの器だからな」


 呪術師アーシェラの魂は、わざわざ弱らせて捕まえなければならないほど強力ではあったが、その強力な魂を入れられるだけの体を、みすみす捨てるのは惜しい気がする。


「ふむ、このまま地上に持ち帰っても魂がなければ意味がないし、かといって別の身体から魂をはぎ取るわけにはいかない。ふむ…………」

「あの、土着神様。魂魄体だったらすぐそこにあるのでは?」


 セネカが指さしたのは…………エルだった。


「ああ、なるほど。セネカちゃん、あなた学がないくせに頭いいわね」

「学がないは余計!」


 こうして、元エルマリナの体の処遇は決まった。








 そんなやりとりをよそに、ラヴィアとユリナはまだお互い抱き合ったままだった。


「具合が悪いところはありませんか? 痛いところとかも」

「あらあら、私はどこもいたくありませんよ? ちょっとまだお眠ですけど」


 どうやらユリナには、今まで操られていた時の記憶が全くないようだ。



 ユリナがアーシェラに身体を乗っ取られたのは、ちょうどセネカがクラミッシュの力を借りて怪物と戦っていたとき。


「ユリナさん、のどは乾きませんか?」

「はい…………少々」


 ラヴィアの心配をしながら見守るユリナが汗だくなことに気が付いたアーシェラは、これ幸いとユリナに睡眠薬を盛ることにした。もっとも、ここまで強引な手段を用いるしかなかったのには訳があった。


(しかしこの娘、催眠洗脳が一切効かぬとは)


 アーシェラの最大の誤算は、よりにもよって催眠洗脳が効かないユリナを、パートナーに選んでしまったことだろう。

 そもそもアーシェラは、世界神殿でユリナと出会った際、今回の任務と引き換えに昇進を約束する契約を断っていたらユリナを洗脳してでも任務を強行する気でいた。だがユリナは、取引を断ったとはいえ任務に全面協力すると言ってきたので、その時には洗脳耐性があることがわからなかったのだ。

 わざわざ探索の準備時間を早め、少人数に絞るよう仕向けたのも、すべては敵ラヴィアに負担を強いて、なおかつ最後の作戦を確実に成功させるためだった…………。それに、ユリナがラヴィアの恋人だと聞いてからは、完全に人質にする気でいたというのに…………ここに来て詰めが甘かったようだ。


「どうぞユリナさん、アイスティーですけどいかがですか?」

「ありがとうございます」


 何の疑いもなく紅茶を飲みほしたユリナは、そのまま意識を失ってしまい、結果としてアーシェラに操られることとなった。



「まあ、私がそのようなことに?」

「信じられないかもしれませんが、エルマリナ司教は悪い人に乗っ取られていたんです」

「そうだったのですか…………私としたことが、ご迷惑をおかけしました。私がこのようなことにならなければ、ラヴィアさんに心配をかけることはありませんでしたのに」

「いえ、大丈夫ですよ。私もユリナさんを囮みたいに使ってしまって……一歩間違えばユリナさんの命が危なかったので、気が気ではありませんでした。謝るのは私のほうです」


 ラヴィアは、確実にアーシェラを葬るためとはいえ、恋人を囮にして負担をかけたことを心の底から申し訳ないと思っていた。このようなことをして嫌われても、文句は言えない。


「いいんですよラヴィアさん。私がラヴィアさんのお役に立てるのでしたら、とてもうれしいです」

「ごめんなさいユリナさん。お詫びに何でもしますから…………」

「ラヴィアさん……」


 二人の顔と顔が近くなる。

 そして…………ユリナの瞳の中に、ハートマークが浮かび上がったのを見たとき、ラヴィアは急に冷静になり、自分の言動を後悔した。


(………………あれ、今私、なんて言いましたっけ?)


「…………今、何でもすると、言ってくれましたね」

「あ、あれ…………そのようなこと、言いましたっけ?」

「ああ、ラヴィアさん…………今夜が楽しみですね♪」


 ユリナはラヴィアの手を強く握りしめ、自分の胸に沈みこませた。

 ラヴィアの受難は、まだ始まったばかり。


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