エピローグ:ファントムバスターズ 帰還
アルカナポリス、大神殿―――――――――
この日の夜、神殿で最も偉い人物…………高司祭ダウンは、光を発する杖を片手に大神殿の地下にある一室を訪れていた。
―――――――大神殿地下書庫
高司祭以上の人間…………つまりダウン高司祭以外の人間は入室を許可されていないこの書庫は、なくしたら困る宝典や、一般人に見せるといろいろと都合がよろしくない記録などをまとめて保管している場所であり、大図書館の人間すら立ち入りを拒むことができる聖域である。
高司祭ダウンは、週に一度ほどはこの地下書庫に立ち入って、何やら本の入れ替えを行っているのだが、詳しいことは誰も知らない。
「いよいよ地下の空気が身体にこたえる季節になりましたねぇ。ですが、そろそろ急がねば」
旧都ニーチュより北方では、気の早い冬将軍が雪を降らせていると聞く。アルカナポリスはその特殊な地形上、冬になると一気に気温が下がり、毎朝のように霧や霙みぞれが都市を包むので、早めの対策が必要になるのだが…………ダウンがめずらしく慌てているのには、別の理由があった。
「『アレ』がもしユリナさんに見つかってしまったら、私は身の破滅ですからねぇ。私も歳ですし、いつ冥府からお迎えが来るか分かったものではありません。少しでも多く『焚書』を行わなければ……」
周囲にだれもいないことを確認し、地下書庫のカギを開ける。
扉を開けばそこは、窓のない石造りの部屋に所狭しと本棚が並ぶ。大図書館の本棚のようにびっしり埋まってはおらず、ところどころスカスカでまだ大量の本が入る余地がありそうだ。
ダウンはゆっくりと音をたてないように鉄製の扉を閉め、内側から鍵をかけると、術杖の明かりを頼りに一歩一歩部屋の奥へと歩みを進める。やがて彼は、一番奥にある二本の柱に挟まれた大きめの本棚の前で歩みを止める。
彼の前にある棚は…………ほかの本棚とは比べ物にならないくらい、見つかると取り返しがつかない秘密の書物が収められている。ダウンは左手に持っていた術杖を柱に立てかけて固定すると、さっそく本棚の中の本の確認作業に移った。
「これは…………まだ捨てるには惜しい。これは………………思い入れはありますが、もはや潮時でしょう。そしてこれは…………ううむ」
いつになく真剣な表情で、本を選り分けるダウン。
だが、その最中に彼は、どこからかジリジリと聞きなれない音がするのに気が付いた。
「…………? 虫でしょうか?」
術杖であたりを照らすも、この部屋は大図書館と同じく防虫防腐の術がかかっているので、虫の一匹も見当たらない。だが、たしかにジリジリという音ははっきり聞こえる。しかもその音の発生源は…………本を選別している本棚の後ろ当たりのような気がする。
「まあいいでしょう…………」
この部屋の上のフロアは化粧室だ。もしかしたら水が流れる音かもしれない、そう結論付けたダウンは音のことを気にしないことにして(それでも気には障るが)手元の本を残すか捨てるか吟味を再開した。
やがてすぐに、奇妙な音は止まった。
チーンというベルのような音が聞こえた。
本棚が高速で上にスライドした。
その向こうから数人の人影が現れた。
「―――――――――――は?」
目の前で起こったことの意味が分からず呆然とするダウン高司祭。
人影の一人が、すぐに彼のことに気が付いたようだ。
「あらあら、高司祭様ではありませんか! ユリナ、ただいま戻りました♪」
本棚の向こうの空間から出てきたのはユリナ司祭―――――――だけではなかった。
「ごきげんよう高司祭様、夜分遅くに失礼いたします」
「おーいラヴィア、なんでここにダウン高司祭様がいるんだ? ここは大図書館じゃないのか?」
「私はてっきり侵入者かと思いましたよ。ユリナさんがいなければ、先制のマッハパンチをお見舞いしていたところです」
「な……な、な…………」
ラヴィア、セネカ、ネルメルと神殿関係者以外が次々と出てくるのに、開いた口が塞がらない。
その上さらに…………
「ここがお外? 地下と全然変わらないよ?」
「あーらお久しぶりね高司祭ちゃん、会わないうちに白髪が減・っ・た・かしら?」
エルマリナ司教に大図書館の土着神ヒュパティアまでいる。
どうして貴女がここにいる―――――――――そんな言葉すら出すことができず、まるで夢遊病者のような虚ろな目で、必死に現実を見るほかなかった。だが、ふと自分が今何を持っているか思い出したダウンは、慌てて手に持っている、赤い装丁の薄い本を自分の背後に回して隠した。
「み、皆さんなぜこのようなところに? 世界神殿からの依頼で法典の発掘をしているのでは?」
「ご安心ください高司祭様、目的の品はここにございます。ラヴィアさんをはじめとする皆様のおかげです」
「そうですか…………それはなによりですねぇ。なぜこのような場所から出てきたかは知りませんが、この際もう深く聞かないことにいたしましょう…………どうせ聞いても、私には到底理解できないでしょうから」
とにかく目の前の人々を、とっととこの部屋から追い出さなければ。ダウンはいつ己の所業がばれるか気が気ではない。
「さてさて皆様、夜分遅くまでご苦労様です。宿舎でしたらユリナ君の好きに使ってもらって構わないから、お客様をご案内しなさい」
「まあ、ありがとうございます! お部屋はたくさん空いてますのでご案内しますね! あ、ラヴィアさんは、私のお部屋に先に入っていてくださいな♪」
「おいこら変態聖職者! いい加減公私混同はやめろ! さもなくば私もお前の部屋に行くぞ!」
「じゃあ私もユリナお姉ちゃんの部屋に泊まる~」
「小生は一刻も早く大図書館に帰るわ。ネルメル、馬車を用意しなさい」
「無茶言わんでください!」
無駄に意識の高いこの集団相手に、下手に取り繕うのは藪から棒である。ダウンはあくまで、この書庫は何の変哲もない場所であるかのように、なんのやましい気持ちも持たないよう彼らを送り出す必要がある。幸い、この書庫の本の装丁はカモフラージュのため一般の神学書のカバーを被せてあるため、いくら相手が大図書館の館長だとしても、そうやすやすとは気づかれない………はず。
「悪かったわね高司祭ちゃん、立ち入り禁止の部屋なのに突然押しかけちゃって」
「(ばれていましたか!?)いえいえ……貴女様がどこから出てきてももはや不思議でも何でもありませんからねぇ。そのうちお手洗いからも出てくるのではないかと思っていたところですが」
「小生を幽霊呼ばわりとはいい度胸ね高司祭ちゃん」
「幽霊呼ばわりなんて滅相も…………といいますか、いい加減「ちゃん」付けはやめていただきたいのですがねぇ。私の悪人面の威厳が台無しですので」
内心、早く子の書庫から出て行ってほしいと思いながらも、微塵も顔に出さずいつも通りの毒舌と皮肉交じりの口調でヒュパティアをいなすダウン。彼の祈りはすぐに通じたらしく、地下書庫探検隊の面々はあふれ出る疲労も相まって、周囲の本には目もくれずぞろぞろと書庫を出て行った。………ただ、ヒュパティア一名を除いて。
「…………まだ何か御用ですか? 私もそろそろこの部屋を出るので施錠したいのですが」
「あらそう? じゃあ小生はこの本棚の向こうから帰るから」
そういってヒュパティアは、元来た本棚の奥の空間へ入って行ってしまった。
「あーそうそう高司祭ちゃん」
「なんです?」
「この秘密書庫にある本は小生が定期的に目録調査してるから、何も隠す必要はないわ。じゃ、お休み」
「え―――――――ぇ?」
そういってヒュパティアはシャッターのように降りてきた本棚の向こうに消えた。
そしてダウンは、衝撃の事実に持っていた本を床に落としてしまう。
その本には、全ページに裸体の女性や天使の挿絵が描かれていた……………
××××××××××××××××××××××××××××××
大図書館司書長ラヴィアと司教エルマリナ、それに司祭ユリナの三人が、大神殿の大広間に集まる信者たちの前で、壇上に立つ。ラヴィアの手には、地下書庫から約700年ぶりに発見された、国教の正当法典の原本があり、初めて見るその重厚な存在感に、詰めかけた観衆は喝さいの声をあげた。
「神の物は神に、人民の物は人民に。古より受け継がれてきた、主神イシュタルのお言葉が記されたこの法典は、本日より神のお膝元へ帰還します」
ラヴィアの言葉とともに、法典は一度ユリナの手に渡され、さらにユリナの手から両者より一段高い台に乗るエルマリナ司教の手に渡される。
アルカナポリスの人々にとって、その存在を知らなかったとはいえ、古くから伝わる国宝を別の都市に移送することへの不満と困惑は少なくない。だが、ラヴィアの言葉にもあるように、元は神々の所有物だったものは、いずれ神々に返さなければならない。そしてこの日がまさにその時であり、歴史的瞬間を目の当たりにしたアルカナポリスの信者たちには、もはや法典の移送に異議を唱える者はいなかった。
「大いなる守護神にして、神々の長たる我らが主神イシュタル、並びに、知と豊穣をもって我らを養いし、神々の母たる女神イシスよ。司教エルマリナ、命のすべてをもって、返還を全うすることを誓う」
エルマリナが法典を大きく掲げると、観衆の熱狂は最高潮に達した。
『
群衆が万歳三唱を叫ぶ中、大図書館の司書たちは、やや壁際のあたりで黙って法典の行方を見つめていた。
「土着神様……いや、館長もよく本物の返還を許可したな。俺ぁ信じられんぜ」
ブルータス司書の言う通り、ヒュパティアが原本を大図書館の外に出したことは記録上初めてのことだ。
「あの方の考えることを想像するだけ無駄だ。そういう心配は、我らが巫女様に任せておけばいいさ」
「そもそも司書である私たちですら、存在を知りませんでしたからね」
不服というほどではないが、自分たちに何の相談もなくこういうことをされると、司書としての存在意義が若干揺らいでくるのも確かだ。サビヌス司書もプリシラ司書も、無理やり自分を納得させているとはいえ、どこか腑に落ちないものがある。
だが、四人の司書の中で、いつも一番うるさい……もとい口数の多いネルメルだけは、珍しく黙ったままどこか遠くを見つめていた。
「おーい、ネルメルぅ。口からよだれが出てるぜぃ」
「へぁっ!? よだれ!?」
慌てて口を拭うネルメルだったが、よだれなどついていなかった。
「また騙された…………」
「んあ?」
いつもなら、騙された直後に「ふざけんな」と突っかかってきそうなものだが、ネルメルは落ち込むだけで一切反撃してこない。これにはブルータスも調子が狂う。
「おいおい、疲れてんのかぇ?」
「疲れてる……? まぁ、そうかもね。寝たらまた、私は勇者になれるかしら」
「やべぇ、こいつ本格的に疲れてるみたいだ。サビヌス、私室まで送って行ってやれ」
「お、おうよ…………」
ネルメルは地下書庫探索から帰ってきてから、ずっとこの調子だった。
視線はどこか遠くを向き、まるでここではないどこかに自分を置いてきたような表情をしている。
(私はいったい……何?)
その問いだけが、彼女の頭をぐるぐる回って離れない。
「しっかし、ネルメルが具合が悪くなったのはまあいいとして、あれもやっぱ具合が悪くなったのかねぇ」
「ブルータスさん……司教様をあれ呼ばわりは失礼ですよ」
「けどよぅ、見ろよあの顔、まるで別人だぜぃ」
ブルータスが指し示すその先。法典を掲げるエルマリナ司教の、屈託のない満面の笑みがそこにある。
大図書館に来たときは、やたら周囲の人を見下し、尊大な態度だったのが、一変してまるで幼い子供のようだった。
その後、法典は金や白銀で彩られた聖なる箱に収められ、選抜された世界神殿の兵士四名が、箱の両側についた棒で担ぎ上げる。交代要員と合わせて兵士八名が、法典が収められた聖なる箱と共に大神殿の中央を、群衆の海の間にできた立橋をゆるりと歩く。人々は何度も万歳を叫びながら、大神殿を去り行く聖なる箱を見送った。
これから聖なる箱は、確実に移送するためあえて陸路を通り、数百名の護衛とともに3か月かけて、聖都ヘクサポリスまで向かうことになる。
「おうラヴィア、ご苦労さん」
「セネカさんこそ、お勤めお疲れ様です」
「セネカさんただいまー」
会場の警備の指揮を執っていたセネカのところに、ラヴィア、エルマリナ、ユリナの三人が戻ってきた。
「しかしエル…………なんというかこう、もう少し本物に近づける努力はしないのか?」
「だいじょーぶだいじょーぶ!」
もう読者の諸君はわかっているかもしれないが、中身アーシェラが消えた後、エルマリナの中に入っているのは…………地下書庫で出会った召喚霊のエルだった。世界神殿にどう言い訳するのかは定かではないが、地下書庫でエルマリナが命を落としたというより、はるかにましなのだろう。
「それよりセネカお姉ちゃん!」
「お姉ちゃんをつけるなとあれほど言っただろ。なんだ?」
「地下25階の怪物をあそこまで追い詰めるなんて、セネカおね……さんって強いんだね! 私感動しちゃった! もしよかったらこの後手合わせしたいんだけどいいかな?」
「馬鹿言え…………私は忙しいんだ。この後聖なる箱の護衛しなきゃならないんだ。また今度な」
「はーい……」
(今この状態で戦えるかっての)
セネカは、いまだに全身筋肉痛に苦しんでいたが、そこはプロ、一切表情に出していない。
しかしながら、あの化け物を倒したのは自分の実力なのかどうか…………
「あらあらまあまあ、すっかりなつかれてしまってるみたいですねセネカさん。でもだめですよエルちゃん、私たちも三日後には船で世界神殿に戻らなければいけませんからね」
「お前もちゃん付けはあまり人前でやるなよ」
呆れるセネカ。幼児退行した司教と天然司祭をそのまま野放しにするのはなんだか危険な気もするが、もはやこれ以上彼女の知ったことではない。
「安心してくださいセネカさん。私も大都イシュタルまで一緒に乗っていきますので、責任をもってお預かりします」
「はぁっ!? お前まで船で行くのか!? ふざけんな、そろいもそろって楽しやがって! っていうかマジで!? お前が大図書館離れて平気なのか!?」
「もともと予定していたのが少々早まっただけです。お気になさらず」
「ちくしょう……! 大都で会ったら覚えてろよ!」
「ラヴィアさんと船旅…………なんて素敵でしょう♪ いっぱい想い出を作って、愛をはぐくみましょうね♪」
「貴様はラヴィアから離れろーーーーーーーーーー!!」
こうして、ラヴィアをはじめセネカ、エルマリナ、ユリナは数日以内にアルカナポリスを離れ、それぞれの道で目的地に向かうこととなった。
まるで、何かを必死に忘れようとするかのように…………
××××××××××××××××××××××××××××××
こんな噂がある。
関係者以外立ち入り禁止の大図書館地下3階。
そこには、お化けが棲むという。
土着神様が封印しているという地下のお化けは、
昔の図書館の人が無理やり奪ってきた本に怨念として宿り、
まれに生きた人間を呪わんと這い出してくるそうだ。
お化けに関する噂は山ほどある。
軍人なら大丈夫だろうと思っていたら、怪獣みたいなのに襲われた。
階段から10歩歩いたところで人が血を抜かれて倒れていた。
足元がぐにゃりとしたので絨毯を調べたらその下に床がなかった。
地下2階から3階まで降りる階段を歩いていたらお化けに襲われた。
「そんな危険なわけがない」といって無断侵入した人が巫女様に怒られて戻ってきた。
科学者の統計によると、地下3階でお化けに襲われる確率は150%。
(※一度襲われ、帰りに二匹目に襲われる確率が50%の意味)
大図書館での年間死者は平均4人。うち25%はお化けに襲われた人。
怖くなって地下2階に戻ったら、なぜか地下4階だった。
「ネルメル、ここで何をしているの?」
「その声………館長!?」
ここは地下書庫の地下7階、風の書庫前の大広間。
たった一人でここまでたどり着いた司書ネルメルの後ろから、ヒュパティアが現れた。
「仕事はどうしたの? はやく交易船から新しい本をかっぱぐ作業に戻りなさい」
「かっぱぐって…………私は強盗をしているわけじゃないっていうのは、館長が一番ご存じのはずなんですが。それより館長、なんで私がここにいるってわかったんですか?」
「そうね。ラヴィアを大都に行かせちゃったから、できることがあまりなくなったったの。どうせだから、あなたにもう一度夢を見せてあげようと思ってね」
夢を見せる。その言葉に、ネルメルはイラっと来た。
「夢はもう結構です! 私は、現実が知りたいんです! 私の……いや、私の一族は! 夢幻の存在でしかないんですか!?」
「………………」
ヒュパティアはネルメルの言葉にこたえず、風の書庫の扉を開く。
一瞬身構えたネルメルだったが、以前と違って突風は吹いてこなかった。
「来なさいネルメル。一か月は司書の仕事ができなくなることを覚悟すること、いいわね」
夢はいつか覚める。
その先に見える真実はいずこ。
古都大図書館のラヴィア司書長 南木 @sanbousoutyou-ju88
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