久遠に深き彼方

 地下書庫探索開始からおよそ1時間。

 ラヴィアたち5人はようやく地下5階最奥、地下書庫のはるか下へと続く通路の前までやってきた。


 通路の入り口は、以外にも、何の変哲もない木製の扉があるだけで、左右の壁を本棚が埋め尽くす中、行き止まりにひっそりと佇んでいる。

 唯一、戸口にかけられている「この先、何人たりとも入るべからず」と書かれている札だけが、未知の世界への入り口であることを表していた。


「これが入り口? 思ったより小ぢんまりしてるな…………」

「まるでお祈りの部屋の入り口みたいですね」

「これでは、この先が危険地帯だと思う人は誰一人としていないでしょう」


 セネカ・ユリナ・エルマリナの三名は、地下書庫の入り口と比べて、あまりも粗末なそれを見て、若干拍子抜けしていた。

 ユリナの言うとおり、言われなければ個室の入り口としか思えず、この先に未知の領域が広がっている雰囲気が微塵も感じられない。

 一方で、ラヴィアとネルメルの二人は……


「本当に、入るんですね、司書長」

「私がお爺さんになるまでに、一度は入ってみたいと思っていましたが、こんなに早く訪れることになるとは」


 未知なる世界を前に、興奮を隠せない様子。

 まるで「オラわくわくしてきたぞ」と言わんばかりにファイティングポーズをとり、鼻息を荒くするネルメルと、平静を装いつつも若干と息が荒いせいで、なんだか色っぽく見えるラヴィア。二人は年に数回ほどしか足を運ばない、この地下書庫にあるこの扉の奥がずっと気になっていたのだが、ようやくその向うを見られる日が来たのだ。こんな厄介な用事がなければ、思う存分探索にのめり込みたいところだったろう。


「この先は、私たち二人も完全に未知のエリアです。この先のことについて知っているのは、師匠だけ。その師匠すらも、全貌を把握していないといいます」

「そんなわけで、私が案内できるのはここまでですよ!」

「…………やけに楽しそうですのね」

「だって、今の状況、今も昔も語り継がれる冒険英雄譚みたいじゃないですか!」

「私としては、入口のデザインがもう少しやる気を出してくれれば、そう思えてくるんだがな」


 興奮する司書組二人をよそに、探索隊長のセネカはとっとと先に進むことにした。

 何度見ても威圧感の無い木の扉。彼女にしてみれば、むしろその方が変に緊張しなくて進みやすい。


「それにしても冒険英雄譚ですか。言い得て妙ですね。私たちの人数もちょうどそんな感じですし」


 昔話に出てくる伝説の冒険者たちが、未知なる世界を仲間と協力して探索する。

 いまでこそ技術の発達で人類の未踏の地はだいぶ少なくなったが、共和国拡張期には一攫千金を夢見る冒険者たちが活躍した記録が、数多く残されていたりする。

 そして、その中でも偉大な功績を遺した冒険者は「勇者」と呼ばれ、人々の尊敬を集めたという。


「よーし! 今から私たちは冒険者だっ! そして私は勇者になる!」

「ほう冒険者か、おもしろい。では私は皆の盾となるパラディンだな」

「あらあら、ならば私は回復役の僧侶ですね。そのままですが」

「となれば私は術攻撃担当でしょうか。であれば、私は…………陰陽師でいきましょうか」

「なぜ一人だけ東方系…………」

「司教様は僧侶だと私と被ってしまいますから、呪術師コンジャラーとかどうでしょう?」

「ちょっとユリナさん! 司教の私がよりによって、なぜ呪術師コンジャラーなんですか! ああもう、遊んでいる場合ではありませんよみなさん!」

「まったく司教様は余裕がないな。もうちょっとユーモアも持ってはどうですかね。まあいい、いくぞ、ついてこい」

押忍隊長殿シィ・インペラトゥーレ!!』


 セネカを先頭に、5人は扉の中の暗い通路へと入っていく。

 通路は人がすれ違えるかどうかギリギリの幅で、石の床と壁が熱と光を奪うかのように、冷え切った完全な闇を作り出している。術式灯が埋め込まれていないらしく、ルクスの術を使っても、書庫のようにいっぺんに明るくなることはなかった。

 全員で慎重に通路を進むと、すぐに下の階に続く階段に差し掛かった。


「暗いぞ。足元に気をつけろ。一歩ずつ……慎重にな」


 下に続く階段は一段一段が高く、傾斜が急になっている。もし前につんのめってしまったら、一巻の終わりだ。その上、ずっと奥深くまで続くものだから、15分近くかかって下りきったころには、身長が低くて一段降りるのにも体力を消耗するネルメルと、普段ここまで動かないエルマリナは疲れ切ってしまった。


「隊長ぉ…………もう足が限界ですっ」

「す、すこし……待っていただけませんか? 足が……ガクガクしてしまって」

「セネカさん、私もこのあたりで休むべきだと思います。ちょうど広い部屋に来たことですし」

「そうだな。この先は未知の場所だ、万全の状態で臨んだ方がいいだろう」

「かしこまりました。お茶のご用意いたしますね♪」


 階段を下ったところには、ちょっとした広い空間があったので、5人はこのあたりでいったん体力を回復することにした。ユリナが床に敷くカーペットを用意して、携帯ポットから疲れが取れる蜂蜜茶をカップに注ぎ、ようやく人心地着いた。


「ああ~癒されますぅ~」

「香りがいいな。とてもリラックスできる」

「お気に召したようですね、ありがとうございます」


 蜂蜜茶は、ユリナがラヴィアに頼まれてつくってきたもの。蜂蜜と薬草を秘密の割合でブレンドすることで、香り高くそれでいて程よい甘さとなり、効率よく体に吸収されるようになっている。もとはと言えば、ラヴィアがユリナにふるまった客用のお茶だったのを、ユリナがもっと喜んでもらうために独自に研究開発したもので、それがいまではアルカナ大神殿の名物にもなっている。


「地下は寒いですからね。体を温めておきましょう。ふふ、ユリナさん、またお茶が一段とおいしくなりましたね」

「分かっていただけましたか! 実は世界神殿に行っている間にも、合間を縫ってもっとおいしくなるように頑張ったんですよ」

「……私も驚いています。こんなにおいしいお茶、飲んだことありません……これはまさしく『奇跡』です」


 ユリナの作ったお茶はラヴィアだけでなく、エルマリナ司教にも大好評のようだった。特にエルマリナ司教は『奇跡』とまで口にするほど、その効能を称賛した。


「私はラヴィアさんやエルマリナ様のように、本物の奇跡を起こす力はありません。ですから、こうして少しずつよりいいものを作ることで、今以上に喜んでもらえるようになれればと」

『……………』


 セネカとネルメルは、ユリナの屈託のない笑顔が眩しすぎてみていられなかった。

 そこでセネカは、ラヴィアに別の話題を切り出した。


「しかしラヴィア、ここも書庫なのか? 壁に本がたくさん並んでいるんだが」

「どうなのでしょう? 書いてある本の内容を見ないと、私にもわかりかねますね」


 広間のを見渡してみると、壁や床は大理石でできていて、いつ作られたかわからないほど古く見えるにもかかわらず、訪れる人の少なさからか汚れがほとんど見えない。

 そして壁には三段ほどの横長の窪みが作られていて、そこに古い装丁の書物がやや乱雑に並んでいる。書物があるということは、はたして、この空間も書庫の一部なのだろうか。ラヴィアもはじめて入った場所なので、色々気になるようだ。


「ええと……」


 ラヴィアは本棚になっているくぼみに近づくと、本の前で指差し確認のようなことをしてから、適当に一冊手に取ってみた。残る四人が固唾を呑んで見守る中、彼は見た目分厚く重そうな本を、パタンパタンとめくっていく。


「司書長! それってよく見たらパピルスじゃないですか!」

「なんだそれは? 漬物か?」

「隊長! それはピクルスであります!」

「まぁ、パピルスといえば大昔の紙ではありませんか」


 流石は大図書館で4人しかいない司書の一人であるネルメル。

 彼女は、ラヴィアが手に取った書物の、ゴワゴワした質感と、めくるときベリベリと糊を剥がすような音から、本の材質がパピルスだと見抜いたのだ。

 約一名、パピルスの存在自体知らないものもいたが、聖職者二人はそれなりの知識人だったので、パピルスという古代の紙についての知識はあった。しかし、さすがに実物を見るのは初めてのようである。


「で、ラヴィア、その本には何が書いてある?」

「…………地下書庫の案内書ですね」

『案内書!?』


 意外過ぎる内容に、ラヴィアを除く4人は思わず同調して声を上げてしまった。


「今三冊ほど目を通しましたが、どれもこれも地下書庫の特殊な環境や、注意点などが書き記されています」

「すっごーい! そんな便利なものがあったなんて! やりましたね司書長! これで未知のエリアも怖くありませんね!」

「ですが、果たしてこれを見て同じことが言えますか?」

「えっ?」


 右も左もわからない、未知の地下書庫の探索は困難を極めると予想される。だが、案内書というのが本当にあるのだとしたら、この不気味で薄暗い、地下書庫の探索も少しは楽になる。そうネルメルは期待していたのだが、ラヴィアから渡された「案内書」を開いた瞬間、その淡い期待はすぐに四散することとなった。


「こ、これは…………」


 本を開いたままフリーズしたネルメル。

 いったい彼女に、何が起こったのか? セネカ、エルマリナ、ユリナの3人も気になって、ネルメルの小さな頭越しに内容を覗いて見た瞬間、全員の目が「点」になった。


「おい、何語だこれは? 読めんぞ」

「こんな文字、見たことがありませんわ…………」

「あらあら、まあまあ」 



 その本には、彼らが見たこともない奇妙な文字がずらりと並んでいた。

 共和国統一言語のような流麗で洗練された字体フォントと違い、ごちゃごちゃと適当に線やマークを描いただけのような…………まるで子供の字のようだ。

 脳筋に見えて共和国内の古い地方言語をすべて把握しているセネカも、西方の言語をすべて操れるネルメルとユリナも、初めて目にする語句であった。


「ラヴィアさん、東方の文字ですか、これは?」

「でも東方の文字って……もっとこう、カクカクしてませんでしたっけ?」


「やはりみなさん知らないようですね。これは…………『古代アルカナ文字』。はるか以前に失われた、古代文明で使われていた文字です」


 古代文字――――――

 共和国で少しでも教養がある人物なら、古都アルカナポリスがはるか遠い昔にあった古代文明の名前から名づけられたことは誰でも知っている。だが、その古代文明のことについて少しでも知っている人はほとんどいない…………まさに伝説上の存在。


「なるほど、こいつは………………この先、一筋縄ではいかんな」

「お化けがいると云う噂も、案外本当かもしれませんね司書長」

「……………それでも私たちは、進まなければ」


 セネカをはじめとしたメンバーは、改めて自分たちがヤバイ場所に来たことを再認識した。

 ここは神の恩寵すら届かぬ地の底であり、何が潜むかわからない暗闇の中にいる。


「司書長は古代語が読めるんですか」

「師匠から多少習いましたから」

「読めない私たちに代わって、その「案内書」とやらを読んでいただけませんか?」

「もちろんですとも」


 ラヴィアが読んだ限りでは、案内書にはざっくりいうと以下のことが書かれていた。


・ここから先の書庫は、代々の司書長が自分の代の研究や成果を、ある時期から運び込んで作られた。

・古代アルカナ文明の遺跡と、旧大図書館の構造物を地中に沈めてあるため、アルカナポリス全域以上の面積のフロアがこの先に存在する。

・盗掘、災害、腐敗などを防ぐためありとあらゆる術がかけられており、場合によっては術同士が作用しあって、思いにもよらない効果が起きることが予想される。

・火気厳禁。ほんの少しの火元も許されない。

・迂闊に本を棚から取らないこと。

・思念霊が出るかも。

・飲食は書架以外の場所で。

・立ち入り禁止と書かれた場所は絶対に入ってはいけない、絶対だ。


「…………案内書というより、注意書きですわね。もっとこう、どこに行けば何があるというのは書いてありませんの?」

「あるにはありますが、固有名詞が多すぎて私もよくわからないんです。それに、肝心の地図がありません。探索と推論で補わなければならない部分が多いですね」

「やっぱ出るんですね、お化け」

「あら、やはりこわいですか、ネルメルさん?」

「モノにもよりますけど…………生理的に気持ち悪いのは勘弁して頂きたいです」


 とりあえずラヴィアは、本の内容を簡単に手元のメモ帳に書き写し、今後の備えとする。

 その間に十分休憩したメンバーたちは、疲れがとれたのを確認しつつ、再びセネカを中心に集まった。


「よし、ここから先は今まで以上に警戒して進む。そのために警戒陣形を組むこととする! まず、私自身が一人で最前列に立つ。三歩分の間を開けてラヴィアは私の真後に位置し、両脇をネルメルとユリナが固める。そして司教様は最後列を進む。司教様のポジションが一番安全だが、少なくとも背後への気配りを忘れないように」

「いいのですか? 仮にとはいえ隊長のセネカさんが先頭に立つなんて」

「どうせ前衛に立てるのは私か、よくてネルメルだ。それなら、武器が使える私が前に出たほうがいい。心配するな、私がお前たちには指一本たりとも、触れさせはしないさ」


 そう言ってセネカは、ラヴィアの方を振り向きながらキザっぽく笑って見せる。普通の女性なら、陥落間違いなしの、とびきりのかっこよさだった。



××××××××××××××××××××××××××××××


 無限を思わせる、長く静寂な石畳の通路をひたすら歩むラヴィアたち。

 無数の分かれ道に、大小様々の部屋…………どこに何があるのか全く把握しないまま、ひたすら下の階への階段を求め、進みゆく。

 やっとのことで、下層への階段を見つけ、入口に勝るとも劣らない急で長い階段を下った先は、またしても無情な石畳の通路が、闇とともにそこに在る。


「…………予想以上に骨が折れそうだな、これは」

「ですが地下6階なんて、まだ玄関から一歩入った程度に過ぎません。私たちが目指すのは…………地下25階」

「うへぇ、いったいどれだけかかることやら……」

「急げば3日目の朝までに入って戻ってこれますよ、たぶん」


 分かってはいたが、気の遠くなる話である。

 徐々に募る不安……だが彼女らは進まなければならない。任務への責任、司書の意地、軍人の誇り、恋人への想い…………それらを胸に抱き、次のフロアへの一歩を踏み出した。


「ええと、このフロアには…………『風の書架』というエリアがあるそうです」


 ラヴィアが、案内書を移した手帳に目を落とし、このフロアに関する記述をメンバーに告げた。


「風の書架…………風と言えば四元素のひとつですし、四つあるうちの主要な書架の一つ……ということでしょうか? それとも風にまつわる書籍が収められているとか」

「残念ながら、書架の内容までは書かれていませんね。ですが、フロアを南北に分断するほどの大広間だということは判明しています」

「まあ、ひょっとしたら、強風が吹き荒れる書架なのかもしれませんね」

「そんな不便な図書館、誰が好き好んで使うものか。そもそも、本が傷むだろう」


 天然なユリナの発言に、さすがにそれはないだろとセネカが突っ込みを入れた。

 「風の書架=風が吹いてる書架」という発想は、さすがに普通は思っても口にはしないし、ここは仮にも図書館の一部であり、わざわざ本が痛むような保管はしないだろう。

 ラヴィアも、歩きながら案内書の写しを読んでみたところ、確かに先々のフロアに「火の書架」だったり「水の書架」「地の書架」なるものが存在しそうだと分かった。


 ひたすら通路を道なりに歩いたところ、5人は割とあっさりと、例の「風の書架」の目の前までたどり着いた。ひときわ天井が高くなったやや広い空間に、銀色の大きな扉が堂々と鎮座している。扉に取り付けられている古代文字のレリーフにも、ラヴィアによると「風の書架」と書かれていることが分かった。


「さて、ここが件くだんの「風の書架」のようですが…………」

「私の気のせいでしょうか? 扉の向こうから轟音が聞こえますわよ?」

「あっはっは、まっさかそんな~」

「馬鹿なことが……」

「あらあら」


 エルマリナの言うとおり、耳を澄まさなくても、大扉の向こうから唸るような音が絶え間なく響いてくる。そう…………それはまるで、家にいるときに聞こえてくる、家の外の台風の風音のような…………


 セネカ、ネルメル、エルマリナの三名は、自分の身体からじわじわと冷や汗が出るのを感じた。


「別の道を探すぞ!」

押忍隊長殿シィ・インペラトゥーレ!!』


 しかし、現実は非情だった。行ける範囲のエリアをくまなく探索してみたが、先に進めそうな通路はどこにも見当たらなかった。5人が散々探索して得た結論は「少なくとも扉の先に行かない限り下への階段はない」ということだけ。

 再び大扉の前に戻ってきた彼女たち…………扉の向こうからは、相変わらず凄まじい轟音が聞こえる。


「認めたくない現実だが、どうやらこの先に進むほか道はないらしい」

「私もできれば避けたかったところですが、やむをえませんね」


 いくら勇敢なセネカと言えども、明らかに危険と分かるエリアに突っ込んでいくほど愚かではない。一刻も早く任務を達成したい思いの強いエルマリナも、出来れば不用意なリスクは負いたくないと考えている。


「もう、こうなったら進むしかありません! 意を決して入りましょう!」

「あ、まてネルメル! 勝手な行動は――――」


 すると、何を思ったか、ネルメルは何の躊躇もなく大扉の取手に手を掛けた!

 ネルメルの独断専行に気が付いたセネカが慌てて止めに入るも、時すでに遅し――――

  見た目よりもはるかに軽く開いた大扉から「ドンッ」という重い音とともに、密集した綿が飛び出したかのような衝撃空気の塊が流れ出す!

 その威力は、5人の身体を軽々と、後ろに数メートル吹き飛ばすほどだった。

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