探検五人娘
「全員傾注ーっ! 私が隊長のセネカであるっ! 今回の探索において、隊長の私の命令は絶対だ、分かったかメ○ガキども!」
『
「声が小さい! 盛りのついた猫のほうがまだ気合が入ってるぞ!」
『
大図書館地下二階、閉架書庫スペースをさらにずっと奥に行った先にある、地下書庫入り口前。セネカは大声どころか私語すらも厳禁なはずの大図書館の中で、扉に背を向けてほかのメンバーに檄を飛ばしている。ラヴィアに先陣の栄誉を任された所為か、いつも以上に高いテンションが約一名を辟易させていた。
「地方の軍団長の癖にずいぶんと声と態度が大きいのですね。さすがは蛮勇で鳴らす東方人ですこと」
エルマリナ司教がセネカを見る目は、ガキ大将を鼻で笑う学問所の優等生のそれであった。
「ふん、人が折角探索に向けて激励しているというのに、中央のお貴族さまは無粋なものだ」
「残念ですが、私のような文明人には口汚い罵りにしか聞こえませんわ」
「生憎戦場というのは綺麗ごとだけで生きていけるような甘い場所ではないんでね」
「まあまあお二人とも、喧嘩をするとラヴィアさんが困ってしまいますよ。仲良くしましょ、ね?」
初対面でいきなり犬猿の仲となった二人だったが、間にユリアが割って入ったことで、何とか沈静化した。その柔らかい笑みとふわふわした雰囲気が、どうも見る人の闘争心を奪ってしまうようだ。
ラヴィアが困るというのが止めに入る理由なのも彼女らしい。
「…………司書長、本当にこのメンバーで大丈夫なのですか?」
「もっと日数に余裕があれば、それなりの人員はそろえられたのですが、大勢連れて行くのも非効率ですからね。考えに違いはあれど、三人ともやる気ですから、それで十分ではありませんか」
もっとも、やる気でどうこうなる場所じゃないですけどねとラヴィアがぼそっと呟く。
「エルマリナさんも、気に入らない気持ちは理解できますが、こういった荒事は軍人のセネカさんが適任ですから、目的を達するまでは力を合わせましょう」
「そうですわね、こんなところで時間を無駄にしても仕方ありませんし。では隊長さん、先頭と戦闘はお任せしますわね」
「貴様こそ、命令にはきちんと従えよ」
嫌悪な雰囲気を残したままだが、それでもかれらは大人――それも役職もちの人々である。言い争いもそこそこに、セネカを先頭に堂々と地下書庫の厚い扉を開け、未知の領域への一歩を踏み出した。
扉を開けたとき、一瞬空気が強く吸い込まれる。それと同時に、カラカラに乾いた……紙とインクのにおいが5人を包み込む。
扉を開けた先は人が二人並んで通れるほどの幅の階段が続いていて、その先にかすかにではあるが書架のフロアがある赤い絨毯が見える。階段を下りて、地下書庫の一番初めのフロアに降り立った5人だったが、明かりも窓もない空間には、闇以外の何も見えなかった。
早速、セネカはランタンに明かりをともそうとしたが……
「うん?」
湿気が殆ど感じられないにもかかわらず、ランタンに灯がともらない。というか、
「あの、セネカ様……大図書館の書架は火気厳禁ですので、術によって火がつかないようになっているんですよ……」
「そうだったのか!? もっと早く言ってくれ!」
早速出鼻をくじかれて愕然とするセネカ。そもそも彼女はあまり大図書館を利用しないので、そんなこと知る由もない。
「では私が光を…………あら?」
今度はエルマリナ司教が光だけを点す術を発動したところ、またしても予想外の事態が発生した。
なんと、今まで暗かった空間に次々に明かりが灯り、一気に明るくなっていったのだ。
「なんだ、壁に術式灯が埋め込んであるんじゃないか」
「で、ですが……私の術式は、あらら?」
しかし、エルマリナが術の発動を止めると、壁に埋め込まれた術式灯は力を失ってあっというまに消灯してしまい、再び暗闇以外何も見えなくなってしまう。
「ラヴィアさん、これはいったい?」
「ええ、面白そうなので黙っていましたが、地下書庫には「術変換」が組まれていますので、エルマリナさんが使おうとしてた術……おそらく普通の『ルクス(光術の最下級術式、ただ光を発するだけの術)』だと思われるのですが、この空間で発動すると、自然に術式灯点灯の術に変換されるんですよ」
「そ、そんな技術が存在していたなんて……知りませんでしたわ!」
「流石は大図書館、すばらしい技術です! この術が普及すれば、世の中がもっと便利になりそうですね!」
一方でユリナは前の二人とは違って、気味悪がることなく、素直に術に感動していた。
「まぁ、そうとも言い切れない面があるのが難しいところですが」
「あら……何か問題でも?」
「それはまた追々説明しましょう。さ、また明かりをつけますよ」
なにやらラヴィアには含むところがありそうだが、とりあえず探索を続けるために、改めて術式灯に明かりを点すことにした。
ラヴィアがわざとらしくパチンと指を鳴らすと、手前から奥にかけてずらっと光が灯る。暖色で照らされた書架は思いのほか広く、地下だというのに人の背丈の二倍はある高さの本棚が、向こう側の壁が見えなくなるまで続いている。どの本棚にも、書籍がぴっちり収められていて、天井を支える太い柱にも、本が収納されていた。
「ここ、大図書館地下書庫の中でも、地下三階から地下五階までは地上の書庫に入りきらなくなった書籍のうち、使用頻度が極端に少ないものを保管しています」
「このあたりは私の庭みたいなものですから、任せてくださいよ!」
そういって無い胸を張る小さな司書ネルメル。
「まず、ここから地下四階への階段ですが…………皆さん、後ろをご覧ください」
「後ろ? 後ろといえば」
「私たちが入ってきた入り口…………」
「あら?」
セネカ・エルマリナ・ユリナの三人が後ろを向くと、そこには自分たちが下りてきた階段が無く…………
「下り階段……ですって!?」
「ちょっとまて! 入り口は!? 私たちはどこから出ればいいんだ!?」
「あらあらまあまあ」
どうみても下に続いているようにしか見えない、傾斜の緩い階段がそこにあった。
そしてそれは、自分たちが入ってきた階段が失われたことも意味した。
あまりに不可解な現象の数々……少し前まで自信満々だったセネカとエルマリナの精神の柱に、早速いくつかの亀裂が生じ始めていた。…………一方でユリナは、そこまで怖がっていないようだった。よほど神経が図太いのだろう……。
「さ、いきましょう隊長殿!」
「あ……あぁ」
いつの間にか隊長よりも先頭を進み始めたネルメルが、ひょいひょいと階段を下りていく。ほかのメンバーも彼女の後に続いて、階段を下って行った。
こうして、あっという間に地下四階にたどり着いた一行だったが、そこには上階以上に広大な書架が広がっていた。見渡す限り整然と並ぶ本棚の列――――地下空間とは思えないほど天井が高く、見た限りでは建物三階建てくらいの高さがありそうだ。
明かりは相変わらず古いタイプの術式灯が、壁と天井からもたらしているが、配置間隔が広めだからなのか、全体的にやや光量が足りず、薄暗い。
「よくもまあこれほどの書籍を集めたものだ……」
「ここに在るだけで、世界神殿の中央図書館の蔵書を上回りそうですわね」
「お気に召しましたかお二人とも」
あまりに膨大な蔵書の数に圧倒される二人に、どうだと言わんばかりの顔を向けるネルメル。
実は、ここの階にある蔵書はもともとネルメルが収集してきたものの一部であり、言ってみればこれらは彼女のコレクションに値する品々だ。
「ところで、階段はまた後ろに行けば下りになっているのでしょうか?」
「いえ、さすがにここからは建物の構造上、そうはいきません。ネルメルさん、引き続き案内をお願いします」
「はいっ」
先ほどと同じように、今来た階段が下りになるのかと思ったユリナだったが、残念ながらここから先には近道は存在しないらしい。こうして五人は、こんどこそ書籍の支配する世界へ、その第一歩を踏み出していった。
「しかし、本当に本ばかりだな…………こんなにぎっしり並べられるほど、この世には本があるものなのか。なんだか逆に、空虚な気になるな」
歩きながらセネカは、ポツリとそう言った。
そのことばは、ネルメルの勘に若干触れたようで……
「セネカさ…………いえ隊長、それはいったいどういう意味ですか? この英知の山を見て、中身がないなどと!」
「だがなネルメル、私は時々同じことを思うんだ」
「同じこと?」
「ずいぶん前の話だが、私はかつて一度だけ……双方が万単位の兵力をそろえた戦場に立ったことがある。その時の私はまだ軍団長ではなく、一部隊の隊長でしかなかった。今でも鮮明に覚えている、平野に広がる地面を埋め尽くす敵と味方…………怖いと思うか?」
彼女の質問に対して、四人は若干考えたのち、まちまちに返答する。
「私は恐れることはありませんわ。信仰のご加護があれば、私の勇気となります……私がこの心を持ち続けている限り、恐れるものは何もありません」
そういったのはエルマリナ司教。なるほど彼女らしい素晴らしい心構えだが、先ほどの仕掛けでいちいち驚いていたことは、完全に棚に上げているようだ。
「私はちょっと怖いかもですねぇ。そんな圧倒的な殺意や悪意を向けられれば、生きた心地しないでしょうから」
一方、以外にもネルメルはネガティブな意見。臨検で何度も強盗まがいの行為を働き、どんな名士相手でも一歩も退かない…………そんな彼女も、根は一般市民と同じところにあるのだろう。
「そうですね、もしかしたら私も恐怖に打ち勝てないかもしれません。想像するだけなら何とも言えますが、ネルメルさんが言うように、人間だれしも修練なしには恐怖を克服するのは難しいでしょう」
ラヴィアもまた、ネガティブな意見。口だけなら何とも言える――――知識だけ得て、実際にできるつもりになった例は山ほどあるという。
そして最後にこの方……
「私はラヴィアさんがいれば、何も怖くはありません」
(この人は……)
一点の曇りもない笑顔で答えるユリナに、セネカとネルメルはげんなりしてしまう。
「こほん……まあ、大体そんなところだろう。私は当然恐怖なんてなかった……自慢かと思うかもしれないがちょっと違う。そもそも私には、目の前の敵の大軍が……人間に見えなかったんだ」
「人間に見えなかった?」
「そう、あれだけわらわらいると……なんでか知らないが、生き物とすらも思えなくてな。なんて言ったらいいんだろう…………演劇に出てくる、エキストラのような「風景の一部」としか思えなくてな」
「なるほど、セネカさんがおっしゃりたいこと、何となくわかった気がしますわ」
エルマリナ司教は、今の話で何となくセネカが感じていることを理解したようだ。
「攻撃開始のラッパが高らかに鳴り響き、横30列に轡を並べた私の部隊は、真っ先に敵の薄いか所に狙いをつけて飛び込んでいった。相手は数は多いが士気も練度の低い烏合の衆、私たちが馬を走らせるだけで、大半の敵兵が逃げていった…………法螺は吹いてないぞ、本当の話だからな」
「そんなこと聞いてませんわよ。その戦いなら私も耳にしたことがありますわ、共和国の大勝利だったのでしょう?」
「まあな。あまりにも敵が弱すぎて結局大した手柄にならなかったが、それでも私だけで20人はたたっ切った。後にも先にも一人であんなに大勢討ち取ったのはあの時だけだ」
普通なら、大手柄を立てた話として鼻高らかに言って聞かせるものだが、セネカの話はあまり嬉しそうではなく、むしろ淡々としていた。
「私が討ち取った敵兵……彼らにも家族や友人がいる。だが、戦えば戦うほど、そうは思えなくなってきてな…………。要はそれと同じだ、これだけ本があると、逆にこれらはただこの地下書庫の風景を象かたどる一部としか思えないし、一冊一冊人が時間をかけて書き記したなんて……」
「なるほど……」
その時、ラヴィアの歩みが止まった。ラヴィアが止まったと同時に、彼の横を一緒に歩くユリナが殆ど同時に立ち止り、それに気が付いたほかの三人もすぐに足を止めた。
「どうしたラヴィア」
「いえ、セネカさんの言うことも一理あるなと思いまして」
「司書長?」
まさかラヴィアの口から、そのような言葉が出てくるとは予想できなかったのか、ネルメルはまるで詰るようにラヴィアの表情をうかがった。
だが、ラヴィアは涼しい顔で、自分の右手側にある本棚から適当な本を一冊を手に取ると、その場でぱらぱらとめくって見せた。
「私は司書長という立場上、日中は常に多忙ですが、それでも合間を縫って年間で3000冊以上は目を通しています」
「さ、さんぜん…………一日約10冊くらいのペースじゃないかそれ!」
驚くべき読書量。一般人ならそもそも一冊読むのに数日かけることもあるというのに、一日に10冊以上というのは正気の沙汰ではない。
「当然それだけ読むとなれば、必然的に速読となります。その上で、本はただ読むだけではなく、読んだ内容から何かを得られなければ意味がありません。それがたとえ学術書だろうと数学書だろうと私小説だろうと…………すべて糧となるのです。今手に取った書籍は34年前の共和国経済に関する学術論文の第4巻でした」
「っていうか司書長は今ので読んだことになるんですか? 私はただめくってるだけにしか見えませんでしたけど!」
「もちろん読んでますよ。内容をお教えしましょうか?」
だが、それ以上にすごいのは、ただめくってるだけにしか見えなかったのに、内容はきちんと理解しているようだった。しかも……
「さて3巻までにおいて共和国の東南方と西北の文化の違いが経済に及ぼす影響について述べたが、消耗品の需要の差が文化の違いだけでなく気候風土も考慮して(以下略)」
「一字一句!?」
「さすがラヴィアさんです!」
彼女たちは改めてラヴィアのすごさと恐ろしさを目の当たりにしたようだった。
「師匠に鍛えられてこの技術を身に着けましたが、やはり時には一文一文ゆっくり読みたいものですね。この本の作者さんに本を流し読みしたことが知られたら、さぞかし怒るかがっかりするでしょうね」
「ラヴィア……」
「司書長……」
誰の目にも触れられない、光の届かぬ地下書庫に所狭しと所蔵されている本の数々。
名も知れぬ作者たちの想いは、誰にも届かないのだろうか?
「こんな私でも、年間に発行される書籍や個人の発行物すべてに目を通すことは不可能です。おそらくは1%にも満たないでしょう。それだけの膨大な数の知識が、毎年この大図書館に詰め込まれるのです……当然場所に限りはありますから、古い本はいつかここに所蔵される定めなのです」
この時、セネカはようやっと心の中にあった、正体不明の感情の姿に気が付いた。
(そうか…………ここは、墓場だ。知識と言えど、いつかは陳腐化し、新たな知識にとって代わられる。それが完全に消滅しないために…………ここで死してなお生かされているわけだ)
一方、エルマリナ司教は別の考え方をしていた。
「大都イシュタル……
「ふふふ、皆さん考え込んでしまったようですね。ですが、エルマリナさん、急ぎの用ということをお忘れなく」
「はっ、そうでしたわっ!」
呆然とする二人をよそに、ラヴィアは本をもとにあったところにしまうと、ネルメルに再び先導するように指示をだして、先を急ぐことにした。
彼らの長い冒険は、まだ始まったばかりであった。
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