大図書館の闇 後編
アルカナ大図書館最奥、館長室にて――――
「ラヴィア。なぜ小生が、式神を飛ばしたのか、わかるわよね」
「………………はい」
あの後、セネカに断わって全力で大図書館まで戻ってきたラヴィア。
一緒に戻るつもりだっただけに、セネカはかなり不満そうだったが、例の紙を見せつけた瞬間、全てを察したように厩舎から馬を用意してきてくれた。
ラヴィアも心の中では、期待させただけに若干可哀そうだったかなと思いつつも、やはり優先順位は明らかに目の前の人物が一番なのでどうしようもない。
そして、ラヴィアを紙片一枚で恐怖のどん底に陥れた張本人――――ヒュパティアは、普段滅多に開けないカーテンを開き、ワザと夕焼けをバックにして、意味もなく緊張感を煽り立てている。
「とりあえず、師匠は何から何までご存じ……ということでよろしいでしょうか?」
「当然。明日から地下書庫に潜るのでしょう? しかも連れて行くのはほぼ部外者……ラヴィアが何を考えているか、一応わかってるつもりだけど、ちゃんと確認しておきたくてね」
「人員確保の目途がついてから、師匠にはきちんとお伝えする手筈だったのですから、急いで私を呼び戻す必要はなかったのでは?」
「甘い! ラヴィア、あなたはまだまだ甘いわ!」
「わあっ!?」
そう言った瞬間、自分の席にいたヒュパティアが、一瞬でラヴィアの目の前に現れ、彼の額に指をぐりぐりと押し付けてくる。さすがのラヴィアもこれには反応できず、飛び上がらんばかりに驚いた。
「ラヴィアちゃ~ん、あなたは確かに大図書館の司書長やってるけど、たまーに自分が一番偉いって錯覚しちゃう時があるんじゃないかしら?」
「あのですね…………師匠が館長としての役目をご自身で果たしていれば、私だってそこまででしゃばることはないのですが」
「お黙り(クラースス)! 危険な任務に赴くのにハーレム作っちゃうような不肖の弟子には、時々こうやって、自分の師匠が『どういう人』かってこと思い出させる必要があるの!」
「呆れて何も言い返せません」
まるでどこぞの黒髭海賊を彷彿とさせるような、理不尽というか我儘な理由で緊急招集されたと知ったラヴィアは、思わず全身の力が抜けかけた。確かにそういった意味では今回の緊急招集は身に染みたと言おうか……
「まあいいわ。弟子を弄るのもこれくらいにして、本題に移りましょ。ラヴィア、あなたたちは明日の朝にでも地下探索に行こうとしてるみたいだけど、ちゃんと準備できるのかしら?」
「完全に……とは参りませんが、最低限の用意でしたら今から大急ぎで取りかかって、徹夜すれば何とかなるでしょう」
「あらそう、流石はラヴィアね。その手際の良さは感心するわ」
何度も言うようだが、地下書庫探索……それも未知のエリアの探索となると、ハイキングに行くのとはわけが違う。最低でも数日、ひょっとしたら何週間も地上に戻ってこれない恐れもある。専用装備を整えるのも、すぐにできることではないし、分かる範囲の地下書庫の見取り図の用意もしなくてはならない。
何の準備もなしに探索を進めてしまったら…………
二度と日の目を見ることなく、迷宮で白骨化するほかないだろう。
「でもね、今のままだとラヴィア…………あなたは、負けるかもしれないわ」
「負ける……ですか?」
と、ここでヒュパティアから何やら意味深な言葉が飛び出す。
「ラヴィアだって薄々気が付いてるでしょ? 『彼女』のこと」
「………………」
「小生は、そう簡単に負けるとは思っていないけども、少しでも可能性があるなら、事前に対策しておかなきゃね。今回の探索の準備は、物資以外は全部小生に任せなさい」
「し、師匠! 本当ですか!」
「久々に大図書館に挑戦者が現れたようだし、好き勝手されるのは面白くないわ。最近はいろいろラヴィアに投げっぱなしにしてるけど、たまには師弟合同作戦も悪くないんじゃないかしら」
そう言ってヒュパティアは、その薔薇のように美しい顔に怜悧な笑みを浮かべた。
何事もないときにこの顔で悪そうな笑みを向けられると、ラヴィアですら全身が固まるくらい不気味に思えるのだが、今はなぜかその笑みが逆に、ラヴィアにとってとても頼もしく思えた。
しかし内心は……
(ラヴィアにたかる悪い虫ども、指をくわえてみているがいいわ! ラヴィアに一番必要とされるのは、他でもない、この小生なのだからなァ)
見苦しい嫉妬心が原動力とは口が裂けても言えない師匠であった。
「さて、なにはともあれ、本命の『聖典の原本』は地下25階…………750年前の収集品が保管されているエリアにあることは間違いないわ」
「750年前と言えば、共和国最初の受難と言われる『大破壊』があった頃ですね。蛮族から文化財を守るために、各地からあらゆる貴重な書物や宝物が大図書館に運び入れられ、今の大図書館がすべての原本を収集するきっかけとなった頃ですよね」
「小生の記憶が正しければ、大図書館に聖典の原本が運び込まれたのも、その頃だったはず」
「が、それ以降世界神殿は聖典を引き上げることはなかった……と」
「世界神殿ったって、出来たのは640年前の話よ。彼らの手元にはもうすでに新しい聖典があったから、古いのなんて気にも留めなかったんでしょうよ」
補足すると、いまから約750年前、大破壊という名の蛮族大運動会が大陸北部で発生したことがあった。
圧倒的な数で文明を蹂躙する蛮族たちのせいで、共和国は国土の約40%を失い、かつて共和国(というかそもそも当時は共和制国家ではなかったが)の首都だった今の旧都ニーチュは陥落寸前にまでなった。
この大破壊が共和国に与えた影響は凄まじく、ニーチュ周辺の領土は取り戻したものの、荒れ果てた北部領土を奪還するだけの戦力を持てなかった共和国は、今の首都――――大都イシュタルを国の新たな中心地とし、以降はひたすら南と東へ勢力を拡大していくことになる。
一応アルカナポリスも、その時に有力な首都候補とされていたのだが、土地が狭くて拡張が難しい、東方文化の影響がやや強い、そしてなによりアルカナポリス総督 (つまりヒュパティア)が乗り気ではなかったため、首都になることはなかった。
「では師匠、私は一旦召使の方々に探索物資の用意を手配させてきます。それまでに、地下書庫の資料のご用意をお願いします」
「わかったわ。小生もブルータスをパシらせて用意しとくから」
(たまには自分で動いてください)
自分に任せておけと言っておきながら早速他人をパシらせるヒュパティアに、ラヴィアは若干失望したが、もういつものことなので口に出さず心にとどめておく。
とりあえず準備を進めるために、ラヴィアが踵を返して部屋を出ようとする――――が
「あ、そうだラヴィア、ついでにこれも用意しておきなさい」
「え? あ、はい」
ヒュパティアに呼び止められて振り返ると、ヒュパティアが先ほどの式神と同じものをラヴィアに飛ばしてきた。ラヴィアはそれを一読すると、何か思い当たることがあったのだろうか、少しだけ頷くと無言で扉を開け退室する。
「まさかとは思うけど、念には念を入れて……ね」
そう一言呟くと、ヒュパティアは再び瞬間移動して自身の机まで戻ると、机の上に置いてあった銀色の小さな呼び鈴を、チリンチリンと鳴らした。
「ぐっ…………この音はっ……!」
「ど、どうかなさいましたかブルータス様!」
「土着神からの呼び出しだ……ちくしょう、俺は執事じゃねぇんだぜぃ…………」
ベルの音色は、なぜか遠く離れた部屋にいたブルータス司書の脳内だけに響き渡った。
××××××××××××××××××××××××××××××
その日の夜、ラヴィアは自身の執務室で明日に向けての準備に追われていた。
いつも静かな大図書館は、夜になるとさらに静寂が増し、何もしないでいると、海が近いせいか、波が打ち付ける音まで聴こえてくる。
もっとも今のラヴィアには夜の景色を堪能する余裕はない。探索に関する資料の大半は土着神様ヒュパティアが用意してくれたが、それらすべてを纏めて、最適な探索計画を練るのは実際に現地に赴くラヴィアがしなければならないことである。
机の上には多数の書籍と書類が摩天楼を形成しており、その高さが同時にラヴィアの心の余裕のなさを示しているようである。
「んー、そろそろ日付が変わった頃でしょうか? まったく、これほど一日が長く感じたのはいつ以来でしょうね。こんな急な事態でなければ、地下探索も楽しめたのでしょうけど」
ラヴィア自身は地下書庫自体には特に苦手意識はない。むしろ、普段は手に取らない貴重な本が読みつくせないほどあるのだから、彼にとってはある意味天国だろう。まあ、それが逆に地下書庫の危険性を意味しているのだが……
術式灯ルクス・マギカが照らす中、ラヴィアは一度うんと背伸びをし、それから手近なところに置かれたカップに、保温ポット(この時代なので陶器製だが)から飲み物を注ぐ。その飲み物はどす黒い色をしているが、香ばしい匂いを放っている。
「ふぅ…………昼間はお茶の方がおいしく感じますけど、夜はやはりこれですね」
ラヴィアが飲んでいるのは眠気覚ましの珈琲(カフェー)。
一口飲むと、苦味と渋みが口いっぱいに広がっていく。
けれども、その苦味と渋みこそがこの飲み物の魅力でもある。
気のせいか、先ほどよりも眼が冴えるような気もするし、活力もわいてくる。
これを飲むと、まだまだ頑張れるという気になるから、不思議なものだ。
コンッ コンッ
「……? どなたですか?」
と、こんな夜遅くに執務室の扉がノックされた。このような時間に誰が訪ねてきたのだろう?
司書たちは、明日探索に加わるネルメルをはじめ、全員すでに自室で寝ているはずだ。
扉を開けて入ってきたのは――――
「今晩は、ラヴィアさん。夜遅くに失礼いたします♪」
「ユリナさん……!」
大神殿でエルマリナ司教の世話係をしているはずのユリナが、扉からひょこっと姿を見せた。
普通ならこんな遅くに恋人が訪ねてきたら、男なら嬉しくて堪らないだろうが、ラヴィアにとっては相手が相手なので、すぐさま警戒態勢を取った。
「ラヴィアさんが徹夜で明日の準備をしてると思うと、気になってしまい、なかなか眠れなくて。お邪魔でしたらごめんなさい」
「それはいいのですが、司教様は?」
「エルマリナ様は船旅の疲れからか、ぐっすりお休みになられてますわ。お付の方々もいますので、朝までに戻ればさほど問題ないかと」
「そうですか。領分の問題とはいえ、言いだした本人が気持ちよく寝ているというのもなんだかあまりいい気分ではありませんね」
とりあえず、せっかく訪ねてきた恋人を無下にするわけにもいかないので、椅子に座るよう促し、まだ残っていた珈琲を客用のティーカップに注ぐ。
「お砂糖は何杯入れましょうか?」
「1杯お願いします。ああ、とてもいい香りがします」
「残念ですが、まだやることがたくさん残っていますので、今日は一緒に寝てあげられませんが…………」
「分かっています。お仕事を邪魔する気持ちはありませんので、ご安心ください♪ ですが、お仕事をしながらで構いませんので、少し聞いていただきたいお話がありまして」
「お話、ですか?」
やや真剣な顔で、ラヴィアを見つめるユリナ。
ラヴィアもできることなら彼女の話をゆっくりと聞いてあげたいが、何度も言うように明日の用意で手いっぱいで、今は聞き流すことくらいしかできない。
「ラヴィアさんは、なぜ私が司教様のお付に選ばれたか、疑問に思いませんでしたか?」
「確かに身分的にエルマリナさんは、まかりなりにも司教……それも世界神殿所属の方ですから(一地方の司祭でしかない)ユリナさんが、お付に選ばれたのはあまり前例のない事でしょう。それに、あれだけ大勢の神官を連れてきたのですから、ユリナさん以上の実力者が何名かいても、おかしくはないはずですね」
そう言えばと、ラヴィアは書類に目を通しながらふと考えてみる。
今回司教エルマリナがアルカナ大図書館を訪問したのは、失われた聖典の発掘という非常に重要な任務である。そして彼女が言うには、任務を決定したのは世界神殿の大司教や枢機卿たちであるという。
では、そんな重要任務にも拘らずなぜエルマリナの付添いは誰も彼もが身分がさほど高くない神官ばかりだったのか。ラヴィアはただ単にエルマリナ司教が身の回りの世話するだけの最低限の人数の身を連れてきたのだと思っていた。そして明日の地下書庫探索のパートナーにユリナを選んだのも、ユリナがアルカナ大神殿の中でも比較的実力者であり、今この時期にたまたま世界神殿で修業していたのが目に留まったからだと勝手に想像していた。
「…………私がエルマリナ様のお付に選ばれたのは、偶然ではありません。取引があったからです」
「取引き、ですか。もしかしてユリナさん、アルカナポリスに一時的に戻るために、エルマリナ司教になにか後ろめたい事でも?」
いくら故郷を半年も離れるのが寂しいからとはいえ、清廉潔白なユリナが、私事のために裏取引ような器用な真似をするものかとラヴィアは疑問に思ったが――――
「いえ、取引を持ちかけてきたのはエルマリナ様の方でした」
「司教様が?」
「はい、今回の任務に同行すれば、神学館(神官たちが修業する学校みたいなところ)での修業を三か月免除し、その上高司祭の位も授けられるとおっしゃられました」
「なんですって!?」
思わぬ話に、ラヴィアはあわや手元の書類を落としそうになった。
「ユリナさんは……その、その申し出を受けてここに……?」
「ご安心ください、ラヴィアさん。私は確かに今回の任務への付き添いを希望しましたが、修業の免除の件はお断りしました」
「ええっと、それはまたなぜ? 普通は5年以上かかる高司祭への昇格過程を免除するなんて、かなり破格の待遇だと思うのですが」
「…………ラヴィアさんは、私がアルカナポリスを離れるのをためらっていた時のことを、覚えていますでしょうか」
『ユリナさんは、私のことを魅力的だと言ってくれました。ですが、私は大図書館に入った頃は、どこにでもいる普通の男の子でした。その普通の男の子が今の私になれたのは、学問や術を必死に研鑽し、内面が磨かれたからだと信じています。ユリナさんは私から見て、とても魅力的な人だと思っています。しかし、ユリナさんがもっと修業を積めば、もっと魅力的な女性になれると信じています。私は……高司祭になったユリナさんが見たいのではなく、もっともっと、魅力的になったユリナさんが見たいのです』
「あの時のラヴィアさんの言葉は……今でも私の胸に深く刻まれています。私が高司祭を目指すのは、権威が欲しいからでも、お金が欲しいからでもなく、私自身を高めるため…………。それなのに修業の期間を勝手に短縮してしまっては、器だけ作って中身がないのと同じですから」
「ユリナさん……」
(たった三か月なのに、とても成長したようですね。いつか私も追い抜いてしまうかもしれませんね)
自分が諭した言葉を、ユリナが成長の糧としてくれた。たったそれだけでラヴィアにとってはとても嬉しかった。
「私は、この任務が終わったら、また世界神殿に戻ります。ですが、その間にラヴィアさんとは出来る限り一緒の時間を過ごしていたい。
触れ合っているかどうかは関係なく……こうして付きっきりでいるだけでも十分ですから」
「ふふふ、まだ甘えん坊なところは変わっていませんね。いいですよ、もしよかったら今日は私の部屋に泊まってもいいですから」
「いえ、ラヴィアさんが起きている限り、私も一緒に起きてますから! それに、手伝えることがあれば何でも!」
「さすがに手伝ってもらえそうなものはありませんが、一緒にお話しすることで眠気も覚めるでしょう」
こうしてラヴィアは、夜が明けるまでずーっと、ユリナと会話を交わしながら残っている仕事に取り組んでいった。ユリナも、出来る限りラヴィアの邪魔をしないように、ラヴィアが相槌を打つだけでも話せるような当たり障りのない会話――――世界神殿で修行中にあった出来事などを語って聞かせた。
現代でも、ラジオを聴きながら仕事に没頭する人が多いように、ラヴィアにとってユリナの語る内容は彼の脳をより活発化させた。
そして夜が明ける。
時刻は朝の5時ちょっと前ごろだろうか。
気が付けば、窓の外から小鳥の鳴き声が聞こえる。
「やれやれ、ようやく終わりましたね。これで準備は万全、やや『想定外』もありましたが、何が起きようと十分対処可能でしょう」
突貫で準備を終えたラヴィアは、開放感から思い切り深呼吸をすると、同時に執務室から見える自分の部屋の方に視線を移した。ここからではよく見えないが、かわいらしい寝息が聞こえる。
結局ユリナは、自身の疲れもあったのだろう、ラヴィアの仕事に最後まで付き合うことなく、椅子に腰かけたまま寝てしまったのだ。さすがにそのまま椅子で眠らせておくのは可哀そうなので、ラヴィアが途中で彼女を自分のベッドまで運んだのだ。
(朝起きたらきっとユリナさんは大慌てでしょうね♪)
目覚めたら、恋人のベッドの上で寝ていることに気が付き、恥ずかしさと申し訳なさが混じった顔で慌てるユリナの姿が、目に浮かぶようだ。
「とはいえ、私も……少し休みましょうか」
そしてラヴィアもまた、少しでも体調を回復するため、書類を片付けて机の上に突っ伏した。
あと30分したらいつも通り土着神様を起こしに行かなければならない。
しかし、そのような理不尽を呪うことなく、ラヴィアは短すぎる至福の時間を堪能した。
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