失われた聖典
「ああ……ラヴィアさん、ようやく……会えました」
「こちらこそ、その……ユリナさんに会えてとてもうれしいです……よ?」
「本当ですか!! では早速、ベッドの中で二人きりでお話しましょう♪」
「お仕事の依頼はこの場でのみ承っています」
なんとかユリナを落ち着かせたラヴィアは、押し倒された身体をゆっくり起こして身なりを整えると、改めて彼女に向き直る。
まさかサビヌスを使ってこちらを油断させて、厳かな雰囲気という守りを崩してくるとは思っていなかったが、これ以上彼女のペースに振り回されぬよう、何とか踏みとどまった。
「あら、残念ですわ…………くすっ、ですがラヴィアさんの驚く顔を間近で見ることができて、私はとても幸せです」
「もう……この人は本当に、寿命が縮みますからあまりやらないでください。やるとしても、私が私室にいるときくらいにしてくださいね」
「はぁい♪ ふふふ……」
やれやれとあきれたように首を振るラヴィアだったが、その顔はどうやら満更でもなさそうだ。
その上、ユリナの頭をその手であやすように撫でてあげる。
なでられたユリナは再びうっとりした表情で、その身体をラヴィアに預け…………
「あっ」
数秒後、ラヴィアは周囲から矢のような視線が自身に突き刺さるのを感じた。
どうやら恋人の雰囲気にまたしても飲まれて、すっかりわれを忘れていたようだ。
「へぇ、ラヴィアもそんな顔できるんだな。お前もやっぱり人間だな!」
サビヌス司書…………ラヴィアの計算をすべて狂わせた張本人は、まるで高みの見物とばかりにニヤついた笑顔でこの惨事を楽しんでいた。
「……………」
ラヴィアは何か言いたそうな顔をしたが「お客様」がいる前で、これ以上身内のノリで過ごすわけにも行かない。自分の胸に顔をうずめるユリナをゆっくりと放し、倒れてしまった自分の椅子を起こして、それに腰掛けることでようやく体勢を立て直した。
そして、それを察してか「お客様」が「こほん」とわざとらしく咳をし、ラヴィアの前に立った。
「……もう、よろしいでしょうか?」
「ええ、見苦しいところをお見せしました」
(この方が大図書館の長…………そしてユリナさんの婚約者)
司教は改めて真正面からラヴィアの人となりを見定めた。
とはえ、司教職ともあろう人物ともなれば、じっくりと全身を嘗め回すような下品な見方はしない。
服装、所作、見た目の年齢、手入れの行き届き、隠された不敵さ、その他もろもろの情報をわずか1秒で把握する。大勢の人口を抱え、常にその頂点に立とうと日々鎬を削る一流の人間たちは、それを当然のごとくやってのけるのだから恐ろしい。
「初にお目にかかります。私は……ヘクサポリス世界神殿で司教を務めております、エルマリナと申します」
司教――――エルマリナは、自己紹介とともに軽く会釈する。
「司書長のラヴィエヌスです。私のことはラヴィアと呼んでいただいてかまいません。遠路はるばる大図書館へようこそ。お疲れではありませんか? 今お茶とお菓子をご用意いたしますよ」
「それには及びません。生憎、今は一分一秒が惜しいのです。すぐに本題に移らせていただきたいと思いますので、恐れ入りますがお人払いを……」
「人払い?」
ラヴィアは一瞬首をかしげた。
目の前の人物……エルマリナ司教はなぜかあまり余裕がなさそうな様子だ。それこそ、早くしないと世界が滅亡してしまうとでも言いたそうな。
「エルマリナさん。聞いた話では、アルカナポリスに到着したのがつい先ほどだというではありませんか。宿舎の手配もお済で無いようですし……大図書館は逃げませんから、少し休まれてはいかがです?」
「いいえ、私に休んでいる暇など無いのです! それに、今回の任務は神殿の上部から任せられた極秘事項ですので、関係者以外の人間に聞かれたくないのです」
「なるほど……」
異常な雰囲気を察したのはラヴィアだけではなかった。周りに控えるプリシラやその部下たち……それにサビヌス司書も
(なんだこいつ……いくらなんでも焦り過ぎじゃないか? この大図書館にそんなに慌てて来る用事なんてあるのか?)
彼らは一様に、エルマリナのことを不審な目で見つめていた。
「そこまで言うのでしたら仕方ありません。召使いの方々は退去して通常の業務に戻ってください」
『畏まりました』
「そしてサビヌスさん……あなたも業務にお戻りなさい」
「な、何でだよ! 俺は司書だぜ、俺だって偉いじゃねぇか!」
「元々あなたはお呼び出ないからですよ。それにあなたは口が軽いですからね」
「うっ…………わ、わかったよ。トホホ……」
結局根負けしたラヴィアは、控えていた使用人たちと、おまけにサビヌス司書まで部屋から退去させる。
部屋に残ったのはラヴィアとプリシラ司書、それにエルマリナ司教とユリナの4名のみとなった。
全員が去った後、エルマリナ司教は念入りに扉の外を確認し、ついでに窓を開いて誰もいないことを徹底的に確認すると、いよいよ本題に移った。
「ご協力感謝いたします。さて、私が受けた極秘任務とは…………この大図書館の「地下」に所蔵されていると言われております『失われた聖典』の捜索です」
「失われた聖典……ですか。それはまた大層なものを…………」
「その上、用があるのがまさか「地下書庫」ですなんて」
エルマリナ司教が明かした極秘任務を聞き、ラヴィアとプリシラの顔が険しくなる。
なるほど、たしかにおいそれと人には言えない内容だ。
それも、大図書館と世界神殿の双方にとって、外部に漏らすことができない最重要機密である。
「司書長様はご存知かと思いますが、近年西方諸国において『宗教革命』が各地を席巻し、世界神殿にもその波が押し寄せてきております」
「ええ、知っていますとも。長い年月をかけて編まれた現在の聖典は、いくつもの大きな流派に分流し、たびたび教義の違いが問題となっていました。成程、世界神殿は私が知らない間によほど切羽詰まった事態になっているようですね」
この世界の宗教……というより共和国レス・プブリカは多神教を是としており、もともと多民族国家だったころの名残で、地域によって主審を除く神様の優劣が大いに異なっている。昔は世界神殿が、一つの正統狭義と呼ばれる体系を作り上げて、他の流派を傍流とすることで抑えてきていたのだが…………
ややこしくなるため、詳しい話は端折るが、現在世界神殿では正統教義自体がいくつもの流派に分裂してしまい、どの流派が正統なのかで揉めているらしい。
おまけに、一神教を是とする西方の諸国では現在宗教改革の嵐が吹き荒れているらしく、その余波がこの国の宗教にも影響を及ぼしているというのである。
「よって、世界神殿では一日も早くこの状況を打開すべく……」
「大神殿に所蔵されている聖典の発掘を行うわけですか。話は大方理解しました。しかし……地下書庫に潜らなくてはならないとは……困りましたね」
「…………? 司書長様は地下倉庫は苦手なのでしょうか?」
困ったぞという顔をするラヴィアをみて、エルマリナは若干怪訝な顔をする。
書庫に入るのになぜそこまで不安がらなくてはならないのか…………
「…………地下書庫は、私ですら一度入れば命の保証はないところですから」
『ええっ!?』
ラヴィアの言葉を聞いたエルマリナとユリナは、一瞬肝をつぶした。
果たして、ラヴィアの言葉の意味とは…………?
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