恋人は襲撃者

「ここが、アルカナ大図書館…………」


 司教が、大図書館玄関の大広間――――通称『跪きの広場』――――に立ち入ったとき、例にもれずその雰囲気に圧倒され、その場に立ち尽くした。

 彼女が勤めている世界神殿にも、図書館のような資料室はあるし、神学書から実用書まで幅広く取り揃えていて規模も非常に大きい。だが、このアルカナ大図書館は世界神殿のそれとは比べ物にならない。

 なにしろ、建物の大きさ自体は世界神殿の三分の一ほどではあるが、その建物丸ごとすべて書物を保管しているのだから、そのスケールは圧倒的だ。


「本当に、同じ国にあるとは思えませんわ」


 世界神殿も、アルカナ大図書館も、おなじ共和国レス・プブリカの旗のもとに聳える建物であるにもかかわらず、司教にはまるで異国に来たように感じられた。

 そもそも普遍的な視点から見れば、宗教によって厳格に律せられている聖都ヘクサポリスこそほかの都市に比べて異質な存在なのだが、ここアルカナ大図書館はほかの都市はおろか、アルカナポリスという都市自体からも独立したような…………言ってしまえば、異世界のような感覚を覚える。


 ここは、知識が人間を支配する世界。

 貴族だろうと奴隷だろうと、真理の前にはみな平等の存在である。



「どうかなさいましたか司教様?」

「っう!?」


 突然司教の視界にあどけない顔と自己主張の激しい胸が飛び込んでくる。

 びっくりして悲鳴を上げそうになったが、無意識に口に手を当てて押さえ込んで、事なきを得た。


「いえ、すごい本の数だなと思いまして。恥ずかしながら、圧倒されます……」

「司教様もそう感じられますか。私も、はじめて来たときには同じように圧倒されたものです。ですが不思議なことに、何度も来ているとむしろ安心感を感じるものです」

「そのようなものでしょうか?」


 この神々の恩寵すら届かぬような世界に安心感を感じるというのはあまり想像できないなと彼女は思ったが、ユリナ司祭とともにあらためて受付のほうに足を伸ばしてみると、徐々に感じた威圧感が薄れていく気がする。


「……人は本に惑わされ、知識に振り回されるといいます。しかし、私は思うのです。本当の迷いは人の心にあるもので、ここにある書物たちはただ知識を記したものだけに過ぎないのです。本は別に私たちを食べるわけでも、押し売りをしようというわけでもないのですから」

「そう言われればそうですわね……私としたことが、まだまだ修行不足ですね」

「いえいえ、今の言葉は私が愛する人の受け売りですから」


 ユリナの深い思想に思わず感銘を受けた司教だったが、ここでふと新たな疑問がわいてきた。


「愛する人……ですか。そういえば今まで聞いていませんでしたが、ユリナさんには婚約者が居られるのだそうですね。この大図書館にお勤めなのですか?」

「はい♪ 何を隠そう、私の想い人……ラヴィアさんはこの図書館の司書長なんですよ!」

「なんですって!?」


 司教様、本日二度目のびっくり仰天だった。

 ユリナがあまりにも大図書館の事情に詳しく場慣れしているものだから、彼女の知人が大図書館にいるだろうということは容易に想像がついていた。ところがその相手が、よりによって大図書館の実質的な支配者であるとは思いにもよらなかったのである。


「さあ司教様、このようなところで立ち止まっているよりも、早く受付に向かいましょう!」

「ま、まってください! せめてもう少し詳しい事情を……!」


 だが、司教様の言葉もむなしく、まるで散歩中の犬を無理やり引っ張っていくようにユリナは受付に向かった……




××××××××××××××××××××××××××××××



 この日、ラヴィアの執務室は重く緊張した雰囲気に満たされていた。


 まるで裁判所の判事のように、一ミリの隙もない厳格な体勢で机に腰掛け、視線の先にある執務室の扉を瞬きせずに見つめるラヴィアとその横に車椅子に乗ったまま控える司書プリシラ。それと…………扉から執務机までのわずか5メートルのあいだを、道を作るかのように左右に男女の使用人が5人ずつ控えている。

 彼ら使用人たちは、扉から見て右側に男性、左側に女性が並んでいる。誰もが直立不動のまま、待機しており、ビシッと整ったさまは、教育が行き届いている中央の貴族たちの子飼いの従者たちにも引けをとらない。


「ラヴィアさん、受付から知らせがありました。件の聖職者の方と……ユリナさんが受付を済ませこちらにこられます」

「来ましたか。みなさん、気を引き締めましょう」

『かしこまりました』


 世界神殿の司教職が来館する…………表向きは要人歓迎のための配慮になるのだが、本当なら大図書館はたとえ相手が外国の王様だろうと、事前のアポなしでは等しく一般の来館者とみなし、わざわざ歓迎などはしない。

 この布陣の本当の狙いは、その司教様にくっついてくるユリナ司祭のほうにあり、彼女が暴走しないよう公務中という雰囲気をしっかり作っておかなければならない。

 それほどまでに相手は危険人物なのだ。


(う~ん……本当にこれでいいのでしょうか? ただちょっと長い間会っていなかった恋人のために、ここまで物々しい歓迎をしなければならないなんて)


 もちろんラヴィアの心にも葛藤はある。

 ラヴィアにとってユリナはかけがえのない愛する人。本当なら、いつものように笑顔で迎えて、長い間会えなかった寂しさを癒すように抱きしめてあげたかった。そして、いっぱい甘えさせてあげたいし、なんなら一日デートに連れて行ってあげてもかまわない。

 だが、あいにく今は都合が悪い。司教職という要人をつれてきたからには、よほど重要な任務を帯びているだろう。だから、今ここでプライベートなやり取りをするわけにはいかない。

 それに…………


(それに……師匠がなんとおっしゃるか)


 一番怖いのが、師匠ヒュパティアの存在だ。

 何しろ彼女はユリナのことを「ラヴィアにたかる悪い虫」と思っているらしく。ことあるごとにユリナに対して「ラヴィアを嫁にはやれん!(原文ママ)」とのたまっている。

 それに対してユリナは、ヒュパティアに対してまったく恐怖感を抱いていない数少ない人間であり、どんなに脅されても一切意に介さない図太い神経の持ち主である。


 部外者に大図書館の恥をさらさないためにも、ラヴィアは不本意ながらもこうして厳重な「おもてなし」体勢をしいているのである。



 ――――コンコン



『!!』


 静寂な空間に響くノックの音。

 それだけで、この部屋の中にいる人間――ラヴィアを含む全員が、まるで臨戦態勢の猫のように体を強張らせた。

 そしてゆっくり開かれる扉。


 現れたのは…………









「ようラヴィアお疲れ」

「……サビヌスさんでしたか」


 その場にいたものはみな、思わずずっこけそうになった。

 軽いノリで入ってきたのは司書サビヌスだった。


「あ、どうしたお前ら……そんな残念なものを見る目で」

「サビヌスさん、あなたは少しは空気を読むことを覚えてください」

「……? ああ、なんだかしらんがスマン」


 周囲の使用人たちから若干呆れたような眼差しで見つめられているサビヌスだったが、当人は自分が何で呆れられているのかがいまいち理解できていないらしい。

 確かに、今日大図書館に世界神殿から要人が来るということは、一般の図書館職員はおろか、プリシラ以外の司書にすら伝えていないので、ラヴィアたちがなぜ使用人を集めて待機しているかが理解できないのは仕方がないが……


 それにしても非常にタイミングが悪い。


「それで? サビヌス司書、司書長にご用件でしたらちょっと後回しになさって」


 プリシラは、とりあえず今は忙しいからとサビヌスに退室を促す。

 もう司教は受付を済ませ、ユリナの案内でこちらに向かっているのだ。一刻も早く場の雰囲気を戻さなければならない。


「いや、それがな…………入っていいですよ~」


 サビヌスが扉の外に向かって合図を出した、コンマ数秒後――――


「ら~ヴぃ・あ・さ~ん♡!!」



 誰も止められなかった。

 周到な用意をしたにもかかわらず、止められなかった。

 サビヌスに緊張を崩された隙をついて、『それ』は一直線に突入する。


(ああ、今回も私の負けですね)


 ラヴィアの恋人にして天敵――――ユリナ司祭は、部屋に飛び込むなり、一瞬にして距離を詰め、まるで獲物を狩る肉食獣の如き瞬発力でラヴィアにとびかった。

 もはや逃げることはかなわないと悟ったラヴィアは、潔く己の敗北を認め、静かに目を閉じた。


 顔に、マシュマロのような柔らかいものが押し付けられた感触がした次の瞬間、頭部全体が何か温かいものに包まれた。しかし、勢いは止まらず、そのまま後ろの方に持って行かれる。



『し、司書長ぉーーっ!!!!』


 ユリナに思いきり抱きつかれ、椅子ごと後ろに転倒したラヴィア。

 ただ慌てふためく使用人たちと、びっくりして若干腰が抜けたプリシラ司書。

 さらに腹を抱えて大爆笑する司書サビヌス。

 なんてことない、大図書館の面白騒動ではあったが……


「これが…………大図書館の住人…………」


 ただ一人、司教様だけが完全に蚊帳の外に置かれ、ただ立ち尽くしていた。

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