神様の試練 後編

船同士の衝突事故が起きてから2時間が経過した。

 駆けつけた駐屯兵たちや、地元の漁師たちによる必死の救助作業によって、

乗客や水夫の多くは命からがら、海から陸に上がることが出来た。

 しかし、彼らの体力は完全につきかけており、衰弱が激しい。一刻も早く体力を回復してやらなければ、中には衰弱死してしまう者も出てくるかもしれない。




「大図書館司書長のラヴィアです! 簡単な状況を教えてください!」

「これは司書長殿……! 駐屯軍総司令のドラベスクスだ、助力感謝する」


 セネカに連れられて現場に急行してきたラヴィアは、まず駐屯軍の臨時指揮所があるテントに足を運んだ。臨時指揮所と云っても、その作りはあまりにも急ごしらえで、ボロボロの天幕の布を天井代わりにし、申し訳程度に机が置かれているだけ。普通の天幕はすべて救護者たちの収容に使われている。



「状況は良くない。軍は必死の救助活動を試みているが、この悪天候で遭難者があちらこちらに散らばってしまっているのだ。しかし、それ以上に看護する人員が圧倒的に不足している! その上兵士たちにも負傷者が出始めている! 神殿にいる高司祭様にも応援を頼もうと思ったが……どうやら混乱する信者たちをなだめるために手いっぱいらしい」

「なるほど、把握しました。我々大図書館は看護に専念しますから、私に衛生兵の指揮件の委譲をお願いします」

「いいだろう。立場で云えば本来は総督付きの官僚である司書長殿が上だ。すまないが後方は任せたぞ」

「お任せください」




 先刻より雨は少し弱まったが、それでもまだ土砂降りと云っていい雨量が人々の体力を奪う。

 駐屯軍の兵士たちは必死にテントを建設し、水揚げされた救助者たちが次々と運ばれてくる。時折強い風が吹き、地盤が不十分な海岸付近に建てられたテントの中には、飛ばされてしまうものもあった。


 それでも、人々は挫けることはなかった。



「雨に負けるな! 風に負けるな! 我らは誇り高き共和国の民だ! 共和国万歳レス・プブリカ!!」

共和国万歳レス・プブリカ!!』


 兵士たちは、弱りそうになるたびに「レス・プブリカ」と叫ぶ。

 封建制の王国が乱立する世界で、ただ一つ共和制によって成り立つこの国は、国民の愛国心が非常に高い。彼らは「レス・プブリカ」という言葉を聞いただけで奮い立ち、勇気を取り戻すのだ。


 しかし、空元気はそう長く続くものではない。

 ラヴィアは彼らの負担を少しでも軽くすべく、セネカと共に救護所の指揮に向かった。



「司書長のラヴィアです! 衛生兵の責任者の方はいますか!」

「はいっ! わたくしが隊長です! 巫女様、どうか傷病人の方々をお助け下さい!」


 衛生兵の隊長は、まだ30歳にもならない若い女性だった。あまりの被害の大きさに大わらわの彼女にとって、ラヴィアの応援はまさに地獄に仏だ。


「私たちの到着までよく頑張ってくれました。今大図書館の方々がこちらに向かってきています。もう少しの辛抱ですよ」

「は、はいっ!」

「まずはお湯を大量に沸かしてください。鍋がなければ兵士の方々に頼んで、近隣の民家からお借りしてきてください。それと、色がついている布を二種類……できれば三種類、どなたか用意していただけませんか」

「ラヴィア、私は何をすればいい?」

「セネカさんは大図書館の方々をこの場所まで誘導してきてください。この場所を中心に救護活動を行います」



 その後、ラヴィアの指示によってお湯が大量に沸かされ、布も用意された。

 お湯を大量に用意したのは、単純に用途が多いからであり、医療器具やタオルなどの消毒や、怪我人を清めるのにも使う。色つき布の様とは後程判明する。



 ラヴィアが到着してから5分くらいすると、大図書館からの救援が次々と駆け付けた。まず到着したのが、プリシラ配下の召使たちだ。プリシラ自身も、布を満載した馬車に乗ってやってくる。


「まぁ、典型的な地獄絵図ですこと」

「言っている場合ではありませんよ、プリシラさん。あちらのテントが人手不足です。それと、お湯が全く足りません。用意をお願いします」

「まかせてちょうだい」


 到着するや否や、彼らは迷わず行動を開始した。さすがはこういったサポートのプロフェッショナル達だけあって、召使たちはアイコンタクトや身振り手振りだけで、あっという間に分担を決めると、一斉に仕事に取り掛かった。

 プリシラ自身と、受付係の職員は持ってきた旗を広げて、後続部隊の誘導を担っている。



「おーい!! ラヴィア、薬が来たぞ!」

「サビヌスさん、お待ちしていました!」


 猛スピードで臨時指揮所の前に突っ込んできた馬車は、サビヌスと研究員二人、それに回復薬を満載していた。

 薬品類もそろそろ備蓄が少なくなっており、薬の運搬は非常にありがたい。


 衛生兵たちは喜び勇んで、積み荷を降ろしてゆく。しかし、いざ箱の中身を確認してみると……


「ねぇ、これって…………」

「たしか……」


 箱を開けた衛生兵たちは困ったように顔を見合わせた。

 入っていたのは、丸っこい瓶に入った黄色い薬品――『ラゴーナ』だったのだ。

 ポリオの作ったラゴーナの噂は、どうやら駐屯軍のところにも届いているようで、神殿から回復力が足りないとダメだしされるような欠陥品を、どう扱えばいいかわからなかった。


「ま、ないよりはましだろう。有難く使わせてもらいましょう」

「仕方ありません」


 そうは言いつつも、今は贅沢を言っていられる場合ではない。

 欠陥品でもいいから使っておこうと、箱から薬を取り出していく衛生兵たちだったが、それに待ったをかけた人物がいた。



「君たち、その薬は未完成品だ。そのまま使ってはいけない」

『え!?』


 彼らを止めたのは、なんと開発者であるポリオだった。

 あれだけ自信を持っていた自分の薬を未完成品と言い切ったのだから、周囲の人々は驚きを隠せない。



「おいおいポリオ、だったらどうしてこんなに持ってきたんだお前は」

「サビヌス様、確かに自分の作った回復薬は力不足……ですが、工夫すればその問題は解決できます。そのためにも…………カトー殿、ちょっといいか?」

「どうしたポリオ君」

「ここに金貨100枚ある。これで君の薬…………アゾットを一つ売ってもらいたい」

「なんだと!?」


 ポリオは、懐から金貨が100枚入った袋を、カトーに投げ渡した。

 だが、カトーは納得しない。


「待ちたまえポリオ君! 私が持っているアゾットはあと3本しかない。瀕死の患者すら蘇らせる貴重品、そうやすやすとは売れないな」

「…………私の部下の研究員がこう言った。ラゴーナはカトー殿が持っているような高価な回復薬を少し混ぜれば、程よい回復効果を期待できると。ましてや、アゾット程となれば……一滴あればラゴーナがたちまち中級以上の回復薬に化ける」

「そうか……! それならそうと早く言ってほしかったな! いいだろう、1本くらいくれてやる。それに、今は緊急時だ、代金もいらぬ」

「恩に着る…………!」



 ポリオは、手軽な場所にビーカーやフラスコを並べ、簡単な作業場を作る。どうやら、この場ですぐに調合してしまおうとしているのだろう。



「自分は調合に専念する。諸君は、飲料用のお湯と、できればオレンジやレモンなどの柑橘類を用意してほしい。代金自分が持つ、すぐに集めるのだ」



 もともとポリオは、平民出身であり、同時に何度か冒険者と同行してスカウト技能を習得している。そのため、限られた物資の中でやりくりするのは得意であり、また民間療法にも精通していた。


「ラヴィア様、手が空いている衛生兵の方にトライエイジをお願いします!」

「トライエイジはもう終わっています。重症者の方には赤いリボンを、状態異常の方には青いリボンをつけていますから、判別に用いてください」


 トライエイジ(トリアージとも)とは、傷病の種類によって患者を分ける行為の事だ。今回は、患者がどのような治療を必要としているか、判断するために用いている。重症者には特別な薬が必要になるため、正確な分量が求められる。



「我々もポリオ殿に負けてはおれぬぞ! 重症のリボンが付いている患者の数を把握するのだ、私は急いで薬を調合する!ポリオ殿、そなたの栽培している薬草を借りたい! ベースとなる薬草はあれが一番効率がいいのだ!」

「勝手に好きなだけ持っていけ、さっきの借りはこれでチャラだからな」

「ああ、いいともさ」



 カトーも、適当な場所を借りて簡易調合台を作り、薬の調合を開始した。

 特にカトーは学問所で医術も習っており、一時期は医者をやっていた経験もある。そのため病状に合わせて正確な薬を調合することに関しては、研究所内ではほかの追随を許さない。


 こうして、彼らの活躍により不足していた医薬品が一気に充実しはじめ、体力を失っていた傷病者たちは見る見るうちに力を取り戻していった。


 やがて臨検員が物資を大量に調達してくると、収容可能人数が一気に多くなり、傷病者たちの回復の速さも大幅に上昇し始めた。


「東にテントが新しく三つありますから、救助した人をそちらに運んでください!」

「毛布はこちらです! 体温を下げないように気を配って!」

「ある程度回復した人には温かいスープが用意してありますよー」


 大図書館の人々だけでなく、古都アルカナポリスに住む住人の有志たちや、回復して立ち上がれるようになった神官たちも、救護者に加わった。

 雨が降る中で、彼らの懸命な救助活動は何時間にも及んだ。




 その中で、ポリオとサビヌスは、フロド商店の当主が無事に救出されて、

テントに収容されると聞くと、急いで様子を見に向かった。



「ご当主様! 自分、ポリオが参りました!」

「久しぶりですなフロドのじーさん。司書のサビヌスを覚えてるか」


「久しぶりだなサビヌス君。それとポリオ君か……。やれやれ、運よく船のマストにつかまることが出来たから、溺れずにすんだよ」


 商店の当主であり、ポリオやカトーのパトロンであるフロドは、すでに80歳近い高齢である。彼は付き添いが何人もいたので、沈没する中でなんとか安全な場所を確保することが出来たらしい。幸い大きなけがもなく、兵士たちに救助されたときも意識ははっきりしていたそうだ。



「話は聞いている。君とカトー君は、研究課題の対立で仲間割れをしたそうだね」

「はっ……面目ありません」

「うむ、もし君たちが私が到着する前に反省の色が全く見られなかったら、残念ながら君たちを解雇しようかとも考えていた。だが、どうやら杞憂の様であったな」


 そう言ってフロドは、手元にあった薬湯を一口すする。

 ラゴーナにアゾットを一滴加え、それをさらに薬湯で割ってレモンを入れた薬湯は、回復力もさることながら、体を温める効果があり、それ以上の状態の悪化を止める効果もあった。


「ふふっ、やればできるではないか」

「恐れ入りましてございます」

「よかったなじーさん。お弟子さんたちは自分たちで対立を乗り越えたみたいだぜ」

「これもすべて司書長とサビヌス様のおかげです」

「あいつも俺も何もしちゃいないぜ」



 ポリオの心の中では、カトーへの蟠わだかまりがまだ完全に消えたわけではない。だが、すでに彼の研究に対して憎悪を抱くようなことはなくなった。

 回復薬に対する思想は違えど、カトーもまた人々の命を救わんと願う、科学者の一人なのだから。




 その一方で、カトーはフィリスと共に重症者がいる天幕へと足を運んでいた。

 フィリスの親代わりの人……デゼルギウス院長が、重傷を負って運ばれたと聞いていても経ってもいられなかったのだ。



「……院長先生! ……院長先生! どこにいるの!」

「デゼルギウス院長殿! こちらにいらっしゃると聞きました!」


 彼らが天幕に入ると、そこには重症患者が四人運ばれており、特に一番奥の患者の周りには多くの人が集まっていた。


「フィリスちゃん! 来てくれたのね!」

「お医者様ですか!? 院長先生が……ひどい症状により苦しんでおります!」


「あっ……あぐぅぅぅっ! ぐわっ……あぁっ!!」


 近づいてみると、そこには服のあちらこちらを血に染めたデゼルギウス院長が横たわっていた。腕には赤いリボンが巻かれ、包帯や薬瓶などすでに治療した跡がいくつか見受けられる。しかしながら、いまだに彼はあまりの痛みに耐えかねて、のた打ち回っていた。



「院長先生! フィリスが来たよ、しんじゃ嫌だよ!」

「待てフィリス! うかつに触るんじゃない、余計にひどくなるぞ!」

「ひぅっ……!?」

「これは…………全身の骨が複数個所で折れているようだ。確かデゼルギウス院長は、高齢で骨が弱かったと聞いている。恐らく沈没する際に海に投げ出されてしまったのだろう…………気が狂うような痛みを今すぐ和らげなければ」


 デゼルギウスは今でいう「骨粗鬆症」にかかっていて、全身の骨がもろくなっていた。

 それでも彼は、自分に治癒術をかけ続けたために奇跡的に助かったものの、途中で体力の限界がきてしまい、救助されたときにはすでに意識の有無すら危うかったらしい。



 そのため、カトーは全身の痛みを和らげるための薬の調合に取り掛かった。

 彼が取り出したのは、数種類の薬草の粉末と、ゼリー状の液体……それとデゼルギウス院長のカバンの中に入っていたマンドラゴラの根っこ。



「それは……以前フィリスちゃんが院長先生にプレゼントしたマンドラゴラでは」

「うむ。実はマンドラゴラの根には強力な鎮痛作用がある。ただし、それと同時に神経毒も含まれているため、特製の解毒剤を混ぜて中和する必要があるのだ」



 実はカトー、マンドラゴラの騒動があった後に、マンドラゴラの効能に興味を持ち、空いている時間に調べていたのである。それがまさか、すぐに生かせるとは本人も思っていなかったが。


 カトーはあっという間に薬の調合を済ませると、デゼルギウスの上体をゆっくりと起こし、気道に入らないように慎重に薬を飲ませた。

 するとどうだろう、デゼルギウスを苦しめていた全身の痛みが、たちまち引いていくではないか。痛みがなくなったデゼルギウスは、ようやく一安心できたのか、フィリスの頭を撫でながら瞼を閉じた。


「あ……院長先生」

「大丈夫だ、院長先生は疲れて寝ているだけだ。あとは薬が効いている間に、誰かに強力な治癒術をかけてもらうのが一番だ。残念ながら骨折を治せるような回復薬は、もう在庫がない。安静にして下され」

「おお! ありがとうございますお医者様!」

「…………いえ」


 取り巻きの神官たちに礼を言われ、若干照れくさくなったカトー。

 実は、いま作った複合薬は先ほどのポリオの発言を参考にして用意したものである。ポリオの作った回復薬ラゴーナは、回復量が低いものの、比較的身体に馴染みやすいという利点があり、それ単体で使うよりも他の薬と混ぜることで相乗効果を発揮することが分かった。


(ふん、また一つ借りが出来たな)


 カトーは変なところで律儀な人物であった。





××××××××××××××××××××××××××××××





「ネルメルさん! 足りない物資はないですか?」

「大丈夫です司書長! しかし、救助活動がいまだに難航しているようです、私も手伝いに行きましょうか!」

「いいえ……ネルメルさんたちまで向かっていってしまったら、また人手が足りなくなった時に困ります! それよりも、治療を受けていない方がいないかのチェックをお願いします!」


 雨の中で、休まず陣頭指揮を執り続けているラヴィア。

 一応体力はあるとはいえ、常に強風に晒されていてはつらいものがある。それでも、周囲の人々は彼の姿を見て自然にやる気が出るのだ、休んでなどいられない。



「巫女様も我々のために頑張ってくれている! 我々は何としてでも期待に応えるのだ!」

「私たちが終わらせなければ、巫女様も休むことが出来ない! 待っててください巫女様!」

「なに? もう力が出ないだと! 見よ、巫女様はこの風雨の中、身を削って指揮してくださっているのだ! 気合の不足など気合で補え!」



 人々の顔に、疲労の色が濃く見え始め、特に荒波に繰り出す救助隊の兵士たちは顔面蒼白であった。ラヴィアとしては、彼らにあまり無理をさせたくはなかったが、事態は一刻を争う。

 沖にはまだ50人前後の人が、流されてしまっているのだ。



「ラヴィア、無理をするな! お前が倒れたら全体の士気にかかわるぞ!」

「いいえ、私は退きません。彼らの命は、私の双肩にかかっているのですから」


 セネカがラヴィアを屋根のあるところに連れて行こうとするものの、ラヴィアは頑なに拒否し続ける。

 実は、ラヴィアは誰にも悟られないように、バイオリズム向上の精神術を彼が見える人々に向かって掛け続けている。そのため、見えないところに引っ込んでしまうと、術の効果が作用しなくなってしまうのだ。



(ふふふ、私は本当に残酷ですね。命を救うためとはいえ、人々の心を操り、限界まで働かせているのですから……)



 しかし、同時に術を使いながらの作業は、精神力を大幅に奪うことも理解していた。これだけ大規模な術を使うとなれば、彼の精神力はあと10分前後が限界だろう。


 誰かに代わってもらえるのであれば、話は別なのだが…………







「はぁ…………数十年ぶりの『外』だというのに大雨だなんて、ツイてないわね」

「!!!???」



 ラヴィアの耳に、本来ならここで聞こえるはずがない声が聞こえてきた。

一瞬世界が止まったかのように思えたほど驚いたラヴィアだったが、聞こえるはずのない声だから幻聴に決まっていると思い、声を無視することにした。



「ほ・ん・と、ツイてないわねえぇぇっ」



 幻聴が近付いてくる。

 ラヴィアはまず食事を疑ったが、記憶に残っている限り、毒性のある食物を摂取してはいない。トマトはその昔、悪魔の植物と云われ、風評被害を受けていたが、それは完全なデマのはずだ。

 であれば、自分の疲れが予想より早く限界に達したのだと結論付ける。



「ちょっとー、さっきから偉大なるお師匠様がさりげなくぼやいてるのに、可愛い弟子はなぜ反応しないのかしら?」

「ああ、ビナイマ神様。今の私はどうかしているみたいです」

「東の神官たちの前で、西の仕事の神様に祈るとはいい度胸ね」

「ええ……ここにいるはずのない師匠の声が聞こえるのですから」

「それなら安心しなさい、小生は本物よ!」

「そんな莫迦ばかな…………」



 幻でなければ、奇跡である。



「司書長、天との増設が完了しまし―――――――ってぬわああぁぁぁぁぁっ!!?? 土着し、いえ館長!!??」


 報告に戻ってきたネルメルだったが、ソレをみて思わず度肝を抜かれた。



 大図書館から100年以上一歩も外に出ないと言われた、土着神様ことヒュパティアが、大雨の中に立っている!


 ラヴィアも、セネカも、ネルメルも……口をパクパクさせるだけで、それ以上の言葉が出なかった。それほどまでに、この人が外に出るということが珍しいのである。

 これならまだ、太陽が西から出方が現実的ではないかとさえ思うくらいに……



「よく頑張ったわねラヴィア。そろそろあなたが倒れる頃かと思って、わざわざやってきてあげたのよ」

「師匠……そんな、あれほど雨は嫌いだと言っていたのに……」

「仮にも小生は……古都アルカナポリスの総督よ。町が大災害に見舞われたとあれば、陣頭指揮を執るのは当然のこと」

「土着神様がこの町の総督だなんて、私初めて知ったんだが」


 なんと、ヒュパティアは館長と土着神だけではなく、この町の総督をも兼ねていたというのだ。一体どこまで凄いのか、底が知れない人物である……。


 長年この町で駐留軍の一員として活動しているセネカすらも、総督がきちんといたとは知らなかったのだ。

 なお現在、総督の業務のほとんどを駐留軍総司令官のドラベスクスに丸投げしてしまっているらしい。



「セネカだったかしら? ラヴィアの体力がそろそろ限界に近いわ、少し休ませてあげなさい」

「あ、ああ。わかった……」

「ラヴィア、小生がいない間良く頑張ってくれたわ。あとは師匠に任せておきなさい」

「…………」


 ラヴィアは無言でうなずくと、役割をヒュパティアに譲り渡し、

ネルメルとセネカに肩を抱えられながら天幕へと引き上げていった。


(ありがとうございます、師匠……)



 心の中で、ラヴィアは師匠ヒュパティアに深い感謝の念を捧げた。

 口に出して言わなかったのは、なんだか気恥ずかしかったからである。



「さあみんな! 土着神様の登場よ! 小生の前でぐずぐずしていると許さないわよ!」


「うおーっ! 土着神様だ! 土着神様が来てくれたぞ!」

「土着神様さえいれば、もう何も怖くないわ! 気を失うまで頑張りましょう!」

「土着神様万歳! 共和国万歳!」



 ヒュパティアの出現により、現場の指揮は今までになく高まった。

 まるで全体がよみがえるように、疲労が消え去り、士気は天を衝く勢い。



 永遠に続くと思われた救助作業は、事故から5時間たってようやく一息つくことが出来たのだった。

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