神様の試練 前編
天馬の月11日目――――――
この日、数年に一度と云われる大規模な海難事故が発生した。
アルカナポリス周辺地域で降り続く豪雨と強風により海が荒れる中、港から出航し西に向かう船と、アルカナポリスの港をめざし、東に向かう船が接触。アルカナポリスに向かう予定の船が、もう一方の船の側面にぶつかって、船体をへし折ってしまったのだ。
西に向かう船は聖都ヘクサポリスで開催されている、全国の神官の集まりに参加する予定の人々で、東に向かう船は、交代のためにアルカナポリスに戻ってくる一団だったのである。
彼らは必死に治療術を使い、体力の回復に努めていたが、限界は近い。
事故から30分後に、体力が残っていた水夫の一人が、奇跡的にアルカナポリスから2キロ離れた地点にある砂浜に流れ着く。
彼は最後の体力を振り絞り、近くにあった漁師の家にたどり着き、扉を強く叩いて助けを乞うた。
「な、なんだぁ……? ちょっと待って、今あけるから……」
「うう……た、助けてくれ…………船がっ」
漁師は、ボロボロになって力尽きた水夫の話を聞いて大いに驚いた。彼は水夫を自分のベッドに寝かせて、母親に看護を頼むと、大雨の中を一目散に走った。
「えらいこっちゃ、遭難事故だ!! 船が沈んだぞぉ!!」
アルカナポリスの城門までの道のりは、朝から降り続いた雨でぬかるんでおり、漁師は途中で何度も泥の中で転んでしまう。それでも彼は立ち止らず、全身泥だらけになりながらも、何とか城門にたどり着いた。
「兵隊さん!! 大変だ、一大事だ!!」
「ど、どうしたんだ? 泥だらけじゃないか!?」
「うちの近くの海で船が難破して、遭難者が海岸に打ち上げられたんだ……!!」
「な、なんだと!?」
アルカナポリスの城壁の最西端にある城門にたどり着いた泥だらけの漁師は、
詰め所にいた兵士たちに、息も絶え絶えに事の次第を話した。
これまた大いに驚いた衛兵たちは、隊長の指揮のもと二手に分かれて行動を開始する。
一組目は、周囲からとにかく浮く物や、人が運べそうな台車を集め、急いで被害があった現場に向かい、もう一組は他の衛兵の詰め所や、都市駐留軍の兵舎、それに大神殿まで事件を知らせる伝令を走らせた。
――――神官たちを乗せた大型帆船が、アルカナポリス近海で衝突する――――
衛兵たちによってもたらされた急報は、たちまちアルカナポリス全体に伝わった。
「おお…………神々よ、息子をお助け下さい……」
神に祈る者あり。
「若い衆を呼べ、俺たちも助けに向かうぞ!」
いても立ってもいられず、救助に向かう者あり。
「どうすればいいんだ…………もうおしまいだ」
頭を抱えて震える者あり。
市民たちが不安一色に染まる中、到達に最も時間がかかるアルカナ大図書館に、大神殿からの急使が駆け込んできたのは、事件が発生してから1時間後のことであった。
××××××××××××××××××××××××××××××
「失礼します司書長!!」
館長室の扉が、蹴破られたかのように乱暴に開かれる。
ラヴィアを呼ぶ声とともに入ってきたのは、司書のネルメルだ。
普段はよほどのことがない限り部屋に入りたがらない彼女が、何のためらいもなく入ってきたのだから、よほどのことがあるのだろう……そう思ったラヴィアだったが、果たしてその予想は的中する。
「南西沖で海難事故が発生しました! 死傷者が多数出た模様! 大神殿から救援要請が出ています!」
「わかりました。手段は問いませんので、5分以内に管理局員を一人残らず跪きの間に集合させてください。私もすぐに向かいます」
「了解ですっ!」
ラヴィアの指示を受け取ったネルメルは、即座にその場から踵を返して走り出す。当然図書館内は走ることを禁止されているが、緊急事態なのでそのようなことは言っていられない。
「師匠」
「大図書館のことは、小生がすべて担うわ。ラヴィアは余計なことを考えずに、急いで救援に向かいなさい」
「かしこまりました」
緊急事態となれば、怠け者の土着神様も何もしないわけにはいかない。
大図書館の仕事は自分が一手に担うことにし、ラヴィアには全力を持って海難事故の救援に向かうよう指示した。
(幸い事故の起った海域は、アルカナポリスからあまり離れていないようですが、それでもここまで情報が伝達されるのに最低1時間以上はかかっているでしょう。さらにこちらから現地に赴くには、倍以上の時間が必要です。急がければ……)
このときのラヴィアの瞳は、いつもの暖かな優しさが消え、鋭く切れた剣のようになっていた。
――――司書長からの通達、管理局員一同、仕事の手を止め、受付前広間に集合せよ。繰り返す――――
ネルメルの声が、大図書館内に大音量で響き渡る。各所で作業中だった管理局員たちは、すぐさま事の重大さを察して仕事を中断し、いざ鎌倉とばかりに受付前広間……通称「跪きの間」に集まってゆく。
「フラーウス、あなたも早く来なさい! もたもたしてると、襟をつかんで引っ張ってくわよ!」
「あうぅ先輩……今行きますっ! い、一体何が始まるのです?」
「何かしらの大参事よ!」
入りたての新人であろうと、年老いた重鎮の職員であろうと、皆一様に廊下を駆け抜けてゆく。
その行動速度たるや、レス・プブリカの精鋭軍に勝るとも劣らず、3分待たずして全員がその場にそろってしまった。
「臨検員、集合完了ですっ!」
「写生、図書館付き術士も全員居るぜ」
「受付職員並びに召使も揃いましたわ」
「総務管理員もこれで全員だ!」
ネルメル、ブルータス、プリシラ、サビヌス――四人の司書全員が、管轄人員が揃ったことを報告すると、ラヴィアは受け付け台のわきにあった土着神様の祭壇にのぼり、それぞれに指示を出した。
「みなさん、先ほど大神殿から連絡がありました。古都南西の近海で大神殿の神官を乗せた船が、帰りの船と衝突して沈没したそうです。死傷者は多数にのぼり、おそらく今頃は駐屯兵の方々が必死の救助活動をしていることでしょう。現在神殿では神官がほとんど出払っていて、治療する人が足りないようです。私たちもすぐさま救助に向かいましょう」
『応!!』
「時間がありませんので、指示は一回しか言いません。聞き逃しがありませんように。まず、サビヌス司書と総務管理員の方々は大図書館内にある薬と携帯食料をひとつ残らず運び出してください。同時に、手の空いている研究棟の人々にお手伝いをお願いするように」
「おう、合点だ! みんな、行くぞ!」
まずはサビヌスのチームが物資の用意と人手の確保に向かう。
「次にネルメルさんと臨検員は、臨検に使っている運搬用の馬車を至急用意し、正門前に持ってきてください」
「はいっ! みんな、急ぐわよ!」
ネルメル率いる臨検員は、馬車の用意をし、手の空いたものは他のチームの分の雨具を用意し始めた。
「プリシラさんと召使の方々は布団や毛布、タオルの用意をお願いします。準備が出来た方から、一足先に大神殿に向かってください」
「わかったわ。事態は一刻を争うわ、駆け足よ」
プリシラと召使たちは臨時看護師となるべく布団やタオルなどの用意を行う。
「そしてブルータスさんをはじめとする写生員の方々は、大図書館内の術者を出来るだけ募り、救助活動に向かってください」
「まかせとけ。野郎ども、出撃だ!」
最後に、ブルータスら写生員がその他の手の空いている人員……特に術者の確保に向かった。
「では、後のことはみなさんにお任せして、私は現地の指揮に向かいましょう」
そしてラヴィアは、一足先に現地に向かうべく、自身の体に撥水の術をかけると、雨具も着こまずに駆け出していった。
大図書館では馬が何頭か保有されているが、それらはすべて馬車用の馬であり、全て物資を運ぶために使われる。そのため、司書長という立場のラヴィアでさえ、現場まで徒歩で向かわなければならない。
術を併用したとしても、人の走る速度には限界がある。ラヴィアは到着まで時間がかかることを覚悟したが……
「ラヴィア! 何をぐずぐずしている、迎えに来てやったぞ!」
「……っ、セネカさん! なぜここまで来たのですか、早く現場に!」
「いいから早くしろ! 救護する人員が全く足りないんだ! だからお前だけでも一足先に連れて行く、さっさと私につかまれ!」
大図書館の正門前に、セネカ率いる軽騎兵隊が並んでいた。どうやら、駐屯軍が迎えに来てくれたようだ。
現場はただでさえ人が足りないだろうと思われるのに、わざわざ大図書館まで来たということは、おそらくよほど救護人員が不足しているのだろう。
セネカをはじめ、他の軽騎兵たちも現場へ走って向かおうとする大図書館の人々を、次々と馬に乗せてゆく。
「雨が降っていて苦しいだろうが……事態は一刻を争う。しっかりと私につかまっていてくれ」
「セネカさん…………ありがとうございます」
「ああ……。本当はこんな状況じゃなければよかったんだがな……」
今は、あこがれの人のぬくもりを感じている余裕はない。
ラヴィアとセネカは、降りしきる雨の中、猛スピードで坂道を駆け下りていった。
××××××××××××××××××××××××××××××
一方、場面は変わって研究棟へ向かうサビヌス。
彼はあの後、研究棟の住人達に協力を求めるべく、数人の部下を連れて走っていた。
「どうしたものかな…………あいつらは偏屈だからな、面倒なことにならなけりゃいいが」
奇人、変人、頑固者の巣窟である研究棟の住人を説得するのは困難だと予想しているサビヌス。
なにしろ、一度研究棟の一角でボヤ騒ぎがあったときも、全体的に非協力的であり、中には避難もせずにそのまま実験を行っていた科学者もいたくらいだ。
しかし、彼が渡り廊下にたどり着くと、そこには予想外の光景が広がっていた。
「サビヌス様! 我らを是非救護人員にお加えください!」
「ドッセンヌス!! それに……研究棟にいる奴全員か!?」
なんと、研究棟の入り口にはすでにフロド研究所の研究員をはじめとした研究棟の住人達が、各々物資と雨具を背負って出発する準備を整えていたのだ。
気難しい老科学者も……
エリート肌の女性研究員リケジョも……
自分勝手な探究者マッドも……
協力を求めるのが面倒と思われた人々が、自発的に救助に向かおうとしているのである。それを見たサビヌスは、歳で緩んだ涙腺を抑えきれなかった……。
「な、なんだお前ら……いつもは自分勝手にやってる連中が揃いも揃ってよぅ……。へへっ、雨でも降るんじゃねぇのか?」
「ご冗談を、雨ならすでに降っております」
「ああ、そうだったな。よし、お前ら! 今臨検員たちが玄関前に馬車を用意している! 準備出来た奴から正門前に向かえ!」
『はいっ!!』
「そしてお前たちは研究者どもの手伝いをしてやれ! あまり無理をさせるなよ!」
「かしこまりました!」
こうして、研究棟の住人達はサビヌスの部下たちに先導されながら、我先にと玄関に向かっていった。
そして、この二人も例外ではなかった。
「サビヌス様! こちらに先日神殿から返された薬や、店売り予定の品があります!」
「三本だけでしたら究極の薬をご用意できます! どうか我々に汚名返上の機会をお与えください!」
午前中まで意気消沈していた二人の研究者もまた、自分たちが用意できる範囲の大量の回復薬を持ってきていた。
「カトー……ポリオ……、わかった! お前ら二人は俺についてこい」
「かしこまりました!」
「それとサビヌス様、この子も一緒に!」
「サビヌス様…………お願い、院長先生さんを、助けて!」
「……っ、そうか! そういえばラヴィアがデゼルギウス院長も今日の船で聖都に向かうとか言っていたな! よし、フィリスは俺が背負っていく! 揺れると思うが我慢してくれよ!」
こうして、研究棟の住人達も総出で、雨のアルカナポリスへ繰り出していった。また、ブルータスら写生員たちの働きかけにより、大図書館にいた学者たちや、寮の自室で休んでいた図書館関係者たちを一人残らずかき集め、救助に向かわせた。
未曾有の大災害に、大図書館の人々全員が一致団結したのだ。
「……………………あれ、もしかして留守番は小生だけ?」
ただし、大図書館の地縛霊――もとい土着神様を除いて。
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