科学者失格

フロド研究所の研究員二人が、試作品の回復薬を神殿から突っぱねられたという噂は、大図書館内に瞬く間に広がった。

 二人は普段から同じ研究所の中だけでなく、他の研究機関にも大きな顔をしていたので、周りの科学者たちは心の中で「ざまぁ」と喝采を上げていた。


「誰がとは言いませぬが、慢心はいけませんねぇ」

「神の啓示だとかなんとか言っていたのに、結局神様に見放されたのな」

「あいつらもしばらく大人しくなるじゃろうて」


 もちろん、フロド研究所内でも動揺が広がっている。

 カトーもポリオも今まで積み重ねてきた実績が大きかったので、失脚することはなかったものの、それぞれの派閥に所属する研究員たちは、これ以上何かあったら離反しかねない。

 そんな中でドッセンヌス所長が、今まで中立だった強みを生かして、動揺する研究所を纏め上げていた。


「カトー研究員も、ポリオ研究員も、今回の実地試験は誠に残念であった。だが、科学者たるもの一度や二度の失敗を恐れてはいけない。これからも引き続き、職務に励むように」



 神殿に拒否されるということは、すなはち神に拒否されるということである。

 この時代の人々にとって、神と宗教というのは生活や文化に密接にかかわっているため、恐らく読者の方々が思っている以上に、今回の実地実験の影響は大きい。

 カトーとポリオは、実績と地位があるので表向きの悪影響(降格や減給)はなかったが、もしこれが末端の研究者だったとしたら、しばらく研究機関内で干されることになるだろう。





「嫌な雨だな。まるで水が体にまとわりつくようだ…………今頃、土着神様もだいぶご機嫌斜めだろうな」


 この日、アルカナポリスはあいにくの雨模様だった。司書サビヌスは、雨漏りがないか確認するために、防水布で出来たケープを羽織り、図書館の外の見回りを行っている。

 湿気を極端に嫌がる土着神様ヒュパティアと、そのとばっちりを受ける巫女様ラヴィアのことを気にかけながら歩いていると、中庭の薬草園に人がいることに気が付いた。



「あれは……ポリオか? 頭を冷やしているのか、はたまた雨の中水やりをしているのか……とにかく、あのままだと風邪を引いちまうかもしれん。下手をすれば、自分の薬でも治せないほどのな」



 薬草園の中に立っていたのは、ポリオ研究員だった。サビヌスは若干失礼なことを言いつつも、風邪をひかれたら困ると思い、声をかけに行った。



「よう、ポリオ。そんなところで一人反省会か?」

「サビヌス様……ええ、自分は少し頭を冷やしていたところであります」

「おいおい、雨の中で突っ立ってたら頭より先に腹が冷えちまうぜ。ほれ、こっちの屋根のある場所にこい。撥水はっすいの術をかけてやるから」


 サビヌスは、やや強引にポリオを屋根のある場所へと引っ張り込むと、術で体についた水を乾かしてやる。


「まあなんだ、今回のことは残念だったな」

「…………分かってはいたのです。自分の作る回復薬は、回復量が若干足りないことは。ですが、実際に神殿に面と向かって言われてしまうと、まるで今までの自分を全否定されたように思えてくるのです」

「なるほどな、確かあんたがこの道を目指すきっかけは、神託があったからだって聞いているぜ。それなのに神様に嫌われちゃやりきれんわな」

「しかし、それでも自分は……傷薬すら満足に買えない者たちのために、少しでも力になりたかったのです!」


 ポリオは一瞬、天を仰ぐように深呼吸すると、懐から布袋に包まれた葉っぱを取り出して見せた。

 取り出した葉っぱは、どれもすでに枯れているが、それ以上壊れないように押し花のような形にしてある。


「従来の薬草は、育つのに5年はかかると言われています。しかし、自分は品種改良によって半年で成長する薬草を作り上げました。これによって生産性は大幅に向上し、薬草の価格は大きく下がりましたが…………回復量の低下も同時に齎してしまったのです」



 庶民の出であるポリオは、貧困層の人々がどのような経済状態にあるかを理解していた。それゆえに、彼は回復量よりも誰にでも手が届く価格にしようと躍起になっていたのである。


 その上で、彼に拍車をかけたもう一つの理由が、同じ研究員であるカトーの存在だった。カトーの高級回復薬は上級の冒険者や貴族たちなど、自分の研究をなかなか認めようとしない勢力から絶賛されていた。

 いくら回復量が高くても、買えなければ意味がないという信念を持つポリオは、たちまちカトーと対立していき、研究思想がより先鋭化してしまったのである。


 その中で起きた先日の薬草畑の境界騒動は、今まで表に出ることのなかった二人の対立姿勢が表面化する事態となった。

 あれだけたくさんのスペースを部下たちから分けてもらったのは、薬草の生産向上のためにたくさん植える必要があったからなのだそうだ。当然、自分の派閥の研究員たちの研究はある程度犠牲になってしまうが、その分自分が頑張ることで、スペースを譲ってもらった者たちに成果で報いてやりたかったのだ。



「今思えばフィリス……あの子がいてくれてよかったですなぁ。あの子は純粋に、我々の研究に興味を持ってくれた。カトーの研究を手伝っていることもあれば、こちらも手伝ってくれたこともあるが、不思議と憎む気持ちはありませんでした。そんな彼女だからこそ、あんな小さな土地でも綺麗に咲く花を育てられるのかもしれませんな」


 ポリオの視線の先にあるのは、まだ一輪だけ残っているマンドラゴラの花。

 ひょっとしたら、自分は年を取るにつれて視野が狭くなってしまったのかもしれない。マンドラゴラが危険な植物だと思い込んでいた時と同じように……マンドラゴラを見つめるポリオはそんなことを思っているのだろう。



「…………ま、そう落ち込むなって。神殿の奴らはああいっていたが、お前らの研究を必要としている人はいなくなったわけじゃない。そこんところ、よく考えてみるんだな」



 サビヌスは、自分が羽織っているケープを、ポリオに無造作に被せると、自分は一人図書館の中に戻っていった。





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 同じころ、大図書館2階の一角にある写本室にて。



「ったく、嫌な雨だなぁぉぃ。大好物のリンゴが腐っちまうぜ」

「リンゴの心配よりも、まず本の心配をした方がよろしいのでは」

「わぁってるっての。だから今こうやって、防腐をしてんだろうが」


 現在写本室では、司書ブルータスをはじめとする写生たちが、新しく入ってきた本に術による防腐処理を施しているところだった。

 一応、大図書館の本棚にはそれぞれ強力な防虫防腐の術が施されているが、雨が続く日は念のため新しい本にも防腐処理をすることにしている。


 ブルータスも、大好物のリンゴを片手に持って齧りながら面倒くさそうに防腐処理をしていると、見慣れた人物が部屋に入ってきたことに気が付いた。


「ん~、あいつは……今絶賛スキャンダル中のノッポ野郎じゃねぇかよぅ。どれ、ちょっと挨拶してやっか」


 ブルータスは不気味な笑みを浮かべると、まるで軟体動物のようにユラリとその場から立ち上がった。



 さて、ブルータスが見たとおり、受付にやってきたのはカトー研究員だった。なにやら気分がすぐれない顔をしているが、健康面では問題はないようで、分厚い書籍を4冊抱えて写本の受付にやってきたのだ。


「すまんが、これのここのページと、これのこのページと、あとこれのここの写本を頼む」

「かしこまりました。少々お時間いただきます」


 研究に使う本を写すために頻繁にここに通っているカトーは、この日も慣れた感じで手続きを済ませる。写本が出来るまで、しばらく別の場所で待とうと思い部屋を出ようとしたところで…………



「えっへっへぇ~、どうしたんだねカトー君。カボチャお化けみたいにニタニタ笑う君はどこにいったんだい?」

「うわあああぁぁぁっ!!??」


 突然背後にブルータスが音もなく現われたため、カトーは飛び上がらんばかりに驚き、思わず大声を上げてしまう。あまりにも大きな悲鳴を上げたものだから、黙々と作業していた写生たちまで吃驚してしまい、ほぼ全員が一斉にカトーの方に注目してしまった。



「な、何をなさるのですかブルータス殿! 心臓が止まるかと思いましたぞ!」

「へっへ~、何言ってんだ。お前の薬があれば、心臓が止まったって回復できんじゃねぇの?」

「出来ませんよ! さすがに死者蘇生は薬では不可能ですっ!」

「そっかそっか、そりゃあ悪かったぜ」


 そんなやり取りをしながら、長い腕を蛇のように肩に絡ませてくるブルータス。

 カトー研究員も「ノッポ」と云われる位には長身なのだが、

それ以上に身長があるブルータスが並ぶと、なんだか絵的に気味が悪い。



「どれどれ、何を写そうとしてんだ? …………なぁんだ、薬草学の本かよ。てっきり君のことだから、気晴らしになるような本かと思ったんだけどなぁ」

「何を仰いますか。これは今云った気晴らしにしようと思ってる本なのですが」

「これが気晴らしだとぅ? 休む時くらい仕事のことを忘れたらどうだ?」


 カトーが写本を頼んだのは、あまりメジャーではないがしっかりまとめられた薬草学の本だった。しかも、写本を頼んだページは、マンドラゴラについて書かれている個所である。

 この本に書かれているマンドラゴラの記述は、伝承のように叫んで人を殺すという内容ではなく、きちんと草や根に含まれている薬効について、正確に事細かく書かれていた。


「あ~、マンドラゴラってアレだろう、この前一悶着あった風評被害の塊のような植物だ」

「…………今回の件で、私は自分の視野の狭さを改めて思い知りました。質ばかり追求していて肝心の買い手のことまでは考えていなかったのです。そのことがショックで…………こうして、少し頭を冷やすために、知識の見聞を広げようと考えまして」



 一度は神殿から勝利判定をもらったカトーは、ポリオに比べれば精神状態は比較的落ち着いていたが、逆に回復薬の研究に関してはポリオよりも手詰まり感が強かった。

 ポリオの回復薬の欠点を直すのは簡単だ。失われた質を元に戻せば、今までの値段で満足していた人々からは悪いようにされないだろう。

しかし、カトーの回復薬はとにかく回復量が求められるので、値段を安くするために質を落としてしまうと、購買層の期待を大きく損なう可能性が高かった。おまけに、これ以上回復薬の性能を上げようにも、店売り可能な価格をとうに超えてしまっているため、どうにもならない。


 今は亡き親友とその妹の想いと、世の中のあらゆる怪我や病気を治したいという信念のもとに、自分に土地を譲ってでも従ってくれている、自分の派閥の研究員たち。

 彼らの想いが後ろ盾となり、ひたすらこの道を歩んできたカトーは、今まさに研究の岐路に立たされていた。



「まぁなんだ。こんなことを言うのは俺のがらじゃぁないが、このくらいで挫けるなよ。君のやったことは、まったくの無駄ってわけじゃねぇんだからな! おう、写本が出来たみたいだぜ。もってけよ」

「…………どうも、ご迷惑をおかけいたします」


 写本を受け取ったカトーは、小声でブルータスに礼を言うと、静かにその場を去った。

 その背中を、ブルータスは珍しく神妙な顔をして見送った。




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 前日の夜から降り続く雨は、いつまでたっても降り止む気配はなく、むしろどんどん強さを増していく。

 ザンザンと窓を叩く雨粒の音、時折響く雷の轟、そして風の叫び声…………

どれもが、図書館の静かな環境あざ笑うかのように、やかましいオーケストラを奏でていた。



「ラヴィア」

「はい、師匠。いかがされましたか」

「ただちに降ってる雨を止めなさい。やかましくて読書に集中できないわ」

「……私にできると思っているのですか?」

「為せば成るわ。成らぬは人の為さぬなりけりってね」

「師匠の気持ちもわかりますが、どうか我慢してください。私がこうして除湿の術をかけているのですから……」



 ヒュパティアは、雨の日が大嫌いだった。湿気が苦手……というのもあるが、雨や雷の音が静かな環境を壊すのも我慢ならないらしい。そのため、館長の部屋は他の部屋以上に厳重な防音が施されており、これでもかと湿気取の術が掛かっているのだが、それでもまだ気に入らないときは、こうやってわざわざラヴィアを部屋に常駐させて、除湿機代わりに使っている。



「それで、話は変わるけど……あの二人には裁決はまだ下していないの? きちんとしたオチをつけてとは言ったけど、いくらなんでも待たせすぎじゃないかしら?」

「ええ、実は先日フロド商店に手紙を出しまして、商店の当主の方に来ていただくことになったのですよ。予定では明日か明後日には、船でアルカナポリスにつく手はずになっていますので、こちらに来ていただいた暁には、研究員両名にご自身から説教をしていただいて、手打ちとすることにしています」

「ふぅん、なかなか手の込んだことをするのね。でもこの天気だと、もしかしたら到着が遅れる可能性があるかもね」

「こればかりは仕方ありません」



 ラヴィアは、窓ガラス越しに外の様子を覗いてみた。

 外はすでに大雨で、まるで嵐が来たかのようだった…………樹木は強風で傾き、視界は雨に完全にさえぎられている。

 この様子では、港から船が出港することはできないだろう。それよりも、今頃港では船が波にさらわれないように、あわてて係留を強化しているに違いない。


「そういえば…………」

「ん、どうかしたのラヴィア」

「先日高司祭様とお話しした時、聖都ヘクサポリスで行われている神官の集まりに向かう船が、向こうから戻ってくる船と入れ替わりで……確か今日出航する予定だと聞いた覚えがあります」

「どちらにしろ延期でしょうね。この荒れ模様だと、いくら内海とはいえ船を出すのは自殺行為に等しいわ」

「ええ、ですが……」



 ラヴィアは再び外に視線を戻す。

 雨が強くなったのはいつからだっただろうか?

 風も、ついさっきまではここまで強くなかったはずだ。



「出発がもし午前中だとしたら、少々面倒なことになりそうですね」

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