審判のとき

試作品の薬を神殿に預けて四日経ったこの日、ラヴィアは館長ヒュパティアの部屋で、彼女の研究を冊子にする作業をしていた。


「ねぇラヴィア」


 積み上げた本を読みながら、ヒュパティアは突然ラヴィアに作業とは関係ない話を振ってくる。


「『判事三貨の得』という話を知っているかしら」

「もちろん知っていますとも……250年ほど前に実在し、稀代の悪徳裁判官と呼ばれたマクシミヌスの逸話の一つだったと思います」



 ラヴィアの言うマクシミヌスという人物は、現代までその名が知れた悪徳裁判官で、法律を振りかざして義理人情を軽んじていたために、市民からの評判はすこぶる悪かったと言われている。


 彼の逸話は、今でも数多く書籍に残っているが、その中でも有名な逸話の一つが『判事三貨の得』という話だ。

 簡単に云ってしまうと、ある人が金貨アウレウス3枚を落としてしまい、それを拾った人が持ち主に届けたという事例が発生する。ふつうは、落した人が拾った人にお礼を言って、場合によっては謝礼を払って一件落着だったのだが、なぜかここで終わらない。

 その二人はお互いに気のいい人で、しかも強情だった。落した人は「自分の手元から勝手に離れた金はもう自分のじゃない」といって受け取らず、拾った人も「このまま貰ったなら、拾った金を自分の物にすると後ろ指差される。それはいやだ」といって意地でも返そうとする。

 結局そのまま言い争っていたのでは埒らちが明かないので、裁判所に申し出ることにしたのだが、運の悪いことにその裁判の担当がマクシミヌス判事だったため……


「どちらもいらないと言うなら、国が預かります――――――と云って結局金貨3枚を没収してしまった、という話でしたね」


 そんなわけで、あまりにも強引かつ救いようのない判決は、当時の市民たちから一斉に非難された。

 没収した金貨3枚にしても、マクシミヌス自身は「国庫に納めた」と云っていたが、彼の性格と今までの所業を考えれば、自身の懐に入れたと判断するのが妥当だろうと思われている。


 これが、マクシミヌス悪徳裁きの一つ『判事三貨の得』の顛末である。



「この話を持ち出すということは…………フロド研究所の騒動についてのご意見でしょうか」

「さすがは小生の弟子……察しがいいわね」

「何か問題があるというのでしたら、遠慮なく仰ってください」

「ふふふ……なに、問題というほどではないわ。聞くところによると、なかなかうまく事が運んでいるみたいね」

「今のところは……ですが」


 ラヴィアはヒュパティアと会話しながら作業を続けているが、内心は「『判事三貨の得』という話を知っているかしら」と云われた時点で、かなり嫌な予感を覚えていた。


 というのも、ヒュパティアは普段ラヴィアに仕事のほとんどを丸投げする代わりに、仕事に対して口をはさむことは殆どしない。

 それは彼女なりのラヴィアへの信頼の証でもあるのだが、逆にラヴィアの仕事に口出しするときには、必ずと言っていいほどやっかいな展開になるのであった。ラヴィア自身も、フロド研究所の騒動は寸分の狂いもなく完遂したい仕事であるだけに、ヒュパティアからの口出しは波乱の予兆以外の何でもない。



「ラヴィアは、この騒動を両成敗で手打ちにするつもりでいいのかしら?」

「はい。そもそも今回の事件は双方に等しく責任がありますが、今のままではどちらも納得しないと思います。なので、私が裁くというよりも、自分自身で反省していただくのが一番いいと考えました」

「…………ラヴィアはやさしいのね。しかし、残酷でもあるわ」

「残酷ですか。そうかもしれませんね」


 何が残酷とは言わないが、ラヴィアも何となくわかっているらしい。彼らはあくまで自分は正しいと思い込んでいる。それを両方とも否定するのだから……



「そんなわけで、この機会に『ラヴィア司書長の悪徳政談』という本を書いてみようと思うの。あのマクシミヌスも真っ青な、ラヴィアの非情な裁判の数々が後世にまで伝わって、裁判官の模範となるのよ」

「師匠……なぜ私が駄目な判決を出す前提で、裁判記録を纏めようとしているのですか……」


 嫌な予感は早速現実のものとなった。


「だって、ラヴィアは美人で頭もいいんだもの、その上名奉行なんて言う肩書が付いたら、完璧超人すぎて逆につまらないでしょう? むしろダーティーな一面があった方が、面白いじゃない」

「つ、つまるつまらないの問題ではありません! 裁判記録は正確であるべきです、虚飾はいけません!」



 意地悪そうな笑みを浮かべるヒュパティアに対して、本気で困った顔をするラヴィア。彼にこのような顔をさせられるのは世界でもわずか数人であろう。

 ヒュパティアは偶に冗談とも本気とも分からないことをするが、ラヴィアの反応が鈍いと本気で彼を困らせようとしてくるため非常にたちが悪い。ラヴィアの裁判記録を脚色して、悪徳政談に仕立て上げるくらい平気でしてのけるだろう。



「そう。だったらラヴィア自身で面白い裁判記録を作ってみなさい。小生が話を盛る必要がないくらいにね」

「師匠、それはいくらなんでもあんまりです…………。こう見えても私は真面目に裁決をしているのですから、外野である師匠は余計な口出しをしないでいただけませんか」

「ええ、だからこそ中途半端に終わらせちゃダメよ。小生を唸らせるほどのオチをつけなきゃ」

「ですから――――」

「お黙り《クラースス》!! 小生の仕事はラヴィアの仕事、つまりラヴィアの仕事もまた小生の仕事なの! だから小生には口出しする権利があるわ! 師匠の言うことが聞けない悪い弟子には、久々にお仕置きが必要なようね! うりうりうりうりうり!」

「ちょ、ちょと……!? 師匠、わ……わかりましたから! 胸部を揉みしだくのはやめてください!」

「ふっふっふっ! ラヴィアはおっぱいが性感帯でしょう? すごく感じるんじゃない?」

「私は男ですので、胸を触られても感じませんから………………」



 この二人の関係は、ラヴィアが弟子入りした当時からこんな感じだった……。

 ラヴィアにとってヒュパティアは、付きっきりで多くのことを教えてくれた大恩師なのだが、それと同時に理不尽で我儘な上司でもある。

 師匠に頭が上がらない弟子の関係は、これから長きにわたって変わることはないだろう。




 コンコンッ  コンコンコンッ



「師匠、呼び出しの合図のようです」

「いってらっしゃい」


 二人がいちゃついていると、扉がリズミカルにノックされる音が聞こえた。

 初めに二回、次に三回のノックは、誰かがラヴィアを呼んでいる合図だ。

 二人はノックの音を聞いた瞬間に真顔に戻り、ヒュパティアは自分の席に、ラヴィアは扉へと向かう。




 ラヴィアが扉から部屋の外に出ると、そこにはプリシラ配下の受付係の男性が待っていた。


「失礼いたします司書長。大神殿からの使いがお見えになっております」

「大神殿の使いですか……………どのような方ですか?」

「初老の男性神官です」

「……そうでしたか、それなら安心ですね。早速お会いしましょう」

「?」


 どうやら用件は、ラヴィアへの来客の様だった。大神殿からの使者だと聞いたときに、彼は思わずどんな人が来たのか確認してしまったが、男性だとわかった瞬間になぜかホッとした表情を見せた。


 ラヴィアは受付係の男性に、カトーとポリオ、それとサビヌス司書を呼んでくるように指示すると、

自身は一足先に来客のいる部屋へと向かっていった。



×××××××××××××××××××××××××××××



「お待たせいたしました」

「これは司書長殿、お忙しいところ申し訳ない」


 受付近くの応接間にやってきたラヴィア。客人である初老の男性神官は、すでに椅子に腰かけて、出された茶を飲んでいるところだった。

 男性神官は立ち上がって挨拶しようとしたが、ラヴィアは「座ったままで結構です」と制止する。


「ラウリン司祭直々にお越しくださいますとは、こちらこそ恐縮です」

「いえいえ、本来であればユリナ司祭にお願いしたかったのですが、あいにくユリナ様は東側神官の集まりの為に東都イシスに行っておりまして」

「…………お気遣いは結構ですよ。それよりも、そちらの箱があるということは」

「はい。高司祭様から、こちらが『結果』だとお伝えするように申しつけられております」


 ラウリンと呼ばれた男性司祭は、持ってきた箱をテーブルの上に乗せ、ふたを開けて見せた。


「確かに予想通りです。そう……予想通り、ですね…………」

「……? どうかなさいましたか?」

「いえ、何でもありません」


(中途半端に終わらせちゃダメよ。小生を唸らせるほどのオチをつけなきゃ)


 ラヴィアの頭の中に、ふと先ほどのヒュパティアの言葉が横切る。

 箱の中身を見たラヴィアは、すべてが自分の予定通りに進んでいることを改めて知ったが、ヒュパティアの言葉が頭から離れないせいか、素直に喜べなかった。


(師匠の言う通り……このままだとあまり面白くありませんね。いえ、面白くなくて当然ですが)


 ここまで来たら、あとはいくつか段階を踏んで彼ら二人に反省させて終わりにしようと考えていたラヴィアだったが、ヒュパティアが余計なことを言ってくれたせいで、いささか物足りなく感じてしまったのである。




『失礼いたします!!』


 そこに、ノックもなしに二人の男性が転がり込むように入室してきた。

ノッポとダルマという対照的な体……カトーとポリオだ。



「司書長! 我らをお呼びということは……!」

「もう大神殿からの評価が届いたのですな!」

「おい二人とも、客の前なんだから、もう少し静かにしろよ」


 詰め寄らんばかりに近づいてきた二人を、後から入ってきたサビヌス司書が落ち着かせる。彼らが揃ったのを確認したラヴィアは、二人の前で改めて箱の中身を空けて見せた。



 入っていたのは1ダースほどある薬瓶で、すべて黄色い液体……つまりポリオが作った回復薬『ラゴーナ』だけだ。



「ふ、ははははっ! 勝った! この勝負は私の勝ちのようだな!」

「な……なんと…………。自分の薬ばかりが……」


 箱の中身を見た瞬間、カトーは勝ち誇ったようにガッツポーズをし、ポリオは負けたショックでその場にへたり込んでしまった。

 大神殿という場所による有利不利の差はあったが、ポリオの薬はわずか四日で半分以上返品されてしまったのだから、勝敗は誰の目から見ても明らかだ。



「し、司祭殿! 自分の回復薬は確かにカトーに比べて回復力は落ちるかもしれませんが、傷を治すことはできますし、ちょっとした病気も直すことが出来ます! その上量産可能ですので、必要になったらすぐに手に入るのですから! 

せめてそのまま手元においていただければ……!」

「ポリオ殿……でしたか。貴方の薬は神殿のどの薬よりも効果が低く、使いにくい。応急処置程度には使えるかと思われますが、完全に回復するには結局大量に使わねばなりません。このままでは、神殿で使うことはもとより、市販になったとしても売り物になるかどうか……」


 ポリオは、せめて返品だけは撤回させようと、ラウリン司祭に必死の弁解を行った。しかし司祭の口から出た言葉は容赦のないものだった。


 ポリオの開発する薬は安かろう悪かろうの面があったが、新開発の薬は今まで以上にそれが顕著であった。コストパフォーマンスは高くても、質があまりにも悪すぎては、消費者は見放してしまうことだろう。



「で、では司祭様! 私の薬は……!」

「カトー殿でしたな。貴方の薬は素晴らしい性能だ。我々にはもったいないほどです」

「そうでしょうとも! 新開発の回復薬『アゾット』なら、たとえ四肢が欠損していようと全回復できるでしょう!」


 一方で、カトーの開発した薬は神殿内でも好評の様だった。高司祭の治療術で治せない患者でも、『アゾット』があればたちどころに回復するというのだから、その性能はかなりの物だろう。


「ただ、それだけに少量しかなかったのが残念でした。できれば、もう10本ほど頂きたいのですが」

「もう10本、ですか。生憎ですが、今手元に5本しかありませんでしてな…………あと1か月ほど待っていただければ用意いたしましょう!」

「左様ですか……。しかし、次はさすがに無償というわけにはまいりますまい。一本いくらいたしますか?」

「うむ、今回は特別に、一本につき金貨アウレウス100枚でお譲りしましょう」

「………………金貨アウレウス100枚、ですと?」

「ちょっとまて、あれ一本で100アウレウスもするのかよ!」


 ラウリン司祭とサビヌス司書は、アゾット一本の値段を聞いて驚愕した。

 金貨100枚は日本円に直すと大体250万円くらいの価値があり、この時代ならそこそこいい家を買えるほどの額になる。

 研究費を湯水のように使う研究機関だと聞いてはいたが、自分の年俸より高い価格に、サビヌスはあいた口がふさがらない。また、ダウン高司祭から知らされてなかったとはいえ、ラウリン司祭は実際にこの薬を二本ばかり使用してしまったのだ。


 ちなみに、ポリオの回復薬は一本につき銅貨アス2枚……これは珈琲2杯分の値段である。


「恐れながら、さすがに100アウレウスはいくらなんでも高すぎるかと」

「高すぎる? 冗談ではありません、これでもほぼ原価に近い値段です」

「ってことは、まさか…………あそこの薬草園にあるお前の育てている植物は……」

「すべて冒険者の方々に、難路を越えてとってきていただいた貴重なものです」

『………………』



 一瞬、部屋の中を静寂が支配した。誰もが、なにを言ったらいいかわからず戸惑っている。


「…………申し訳ありませんが、この話はなかったことにいたしましょう」


 沈黙を破ったのはラウリン司祭の、取引中止の言葉だった。


「な、なぜです! あれほどお褒め下さったばかりでしたのに!」

「高価な薬だとは思っていましたが、まさかここまでとは思いませんでした。いくら強力な効果があるといえども、回復薬に住宅一個分の値段というのは、さすがにやり過ぎでしょう。裕福な商人や貴族ならまだしも……一般の方が重病になってもまず手が出せないでしょうね」

「くっ……」


 結局、カトーの作った薬も神殿に受け入れられなかった。

 万能薬には違いないが、あまりにも効果が高すぎてよほどのことがないと使えないのである。更には費用対効果も最悪で、とても店売りできるものではない。



「カトーもポリオもダメってことは、つまり引き分けか」

「そうですな、あえて勝ち負けをつけるといたしますと…………両方負けですかな」

『!!』


(両方負け……ですか。ラウリン司祭がアゾットの値段に驚いたのは素でしょうけど、あらかじめダウン高司祭様から言葉を指示されてきたのでしょうね)


 ラヴィアは確かに、この結末を臨んだはずだった。しかし、やはりどこか物足りない……



「どうやらお二方は、研究熱心になるあまり肝心の使い手のことを考えていなかったと見えますな。このままでは、お二方が守りたかったものは何一つ守れませんぞ。肝に銘じておくのですな」


 ラウリン司祭の言葉に、ただ打ちひしがれる二人の研究者。


 それを見ていたラヴィアは、やはり自分は残酷だ……と感じていた。

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