アルカナ大神殿
アルカナポリスには、宗教の拠点になる『大神殿』がある。
アルカナ大神殿と呼ばれる総大理石造りの建物は、東端の丘の上に聳える大図書館から市街地を挟んで、西側のやや小高い丘に建っている。
この建物もまた、大図書館と同じころの時代に出来たもので、レス・プブリカ西の拠点『聖都ヘクサポリス』が擁する『世界神殿』に次いで、この国で二番目に古い歴史を持つ神殿でもある。
日々、各地から大勢の参拝者が足を運び、神官の数も1000人は下らないと言われており、大図書館と共にアルカナポリスの文化の礎を担っているのである。
「ごめんください。大図書館のラヴィエヌス司書長です」
「……こ、こんにちわ」
「あらまあ!! ラヴィア様にフィリスちゃんではありませんか!」
この日ラヴィアは、フィリスと二人だけでアルカナ大神殿にやってきた。
ここまで来るのに馬車を使ってきたようで、二人の後ろには二頭立ての馬車が止まっている。
普段はよほど遠くに行かない限りは徒歩のラヴィアが、大神殿まで来るだけで馬車を使うのは珍しいが、実はこの日は大図書館からたくさんの荷物を運んできたのに加えて、長い距離を歩けないフィリスを一緒に連れてきたからである。
箒で道を掃除していた顔なじみの女性神官に声をかけると、ラヴィアは早速荷物を降ろし始めた。
「本日は大図書館から渡すものがありまして、そのついでと言ってはなんですが、フィリスさんが孤児院の院長先生に、自分が育てたお花をプレゼントしたいそうなので、一緒に来てもらいました」
「まあまあ、フィリスちゃんがお花を! きっとデゼルギウス院長も喜んで下さるわ!」
「うん……わたしも、院長先生にお花を見せるの楽しみだったー」
(ですが、フィリスさんが持ってきたお花がマンドラゴラと聞いたら、デゼルギウスさんもさぞかし腰を抜かすでしょうね。ふふふ♪)
フィリスは、持ってきた
「しかし……せっかくラヴィア様に来ていただいたというのに、本日ユリナ様は外出しておりまして……」
「いえいえ、いいのですよ。大した用事でもありませんし……今日は、この荷物だけお渡しして、お祈りだけ済ませて帰ろうと思っていますので。フィリスさん、私は神殿の中に用がありますので、先に孤児院に行っていてください」
「うん」
入り口でフィリスと別れたラヴィアは、近くにあった台車に持ってきた箱四つを載せて神殿の中へと歩いてゆく。
ちなみに、ラヴィアが入ってきたのは本来神殿関係者しか使わない裏口だった。彼が表から入ると、いろいろと目立って問題が起きてしまうため、ここに来るときはいつも裏口を使っているのである。
「ラヴィア様をはじめ大図書館の方々のおかげで、フィリスちゃんも随分と元気がよくなりましたわ」
「そうですね。フィリスさんはもともと好奇心がとても旺盛ですから、学者に向いているかもしれませんね。
素直で笑顔が絶えない方ですので、周りの人からもずいぶんと気に入られているようです」
「昔から体が弱くて、外の世界にあこがれていたものですから、うれしいのでしょう。それに、あんなにきれいなお花を咲かせることが出来るんですもの。もうあの子は子供ではありませんわ。…………あ、そういえば、この箱の中身は一体なんですの?」
箱を運搬している最中、女性神官が箱の中身が気になったようで、ラヴィアに尋ねてきた。
「これですか? 中に入っているのはお薬です」
「まぁ、お薬だったんですね~。しかし、神殿に常備しているお薬はまだ一杯在庫があったような気がしますが」
「いえいえ、このお薬は試作品でして、安全確認が終わってあとは実際に使ってみて感想を聞こうと思っているのです」
「なるほど……私たちにモニターをやってほしいのですね! 最新の発明品を使うことができるとは光栄です! では、本日は高司祭様にそのことを?」
「事前に了解は得ておりますので、後は渡すだけですが」
そう、先ほどからラヴィアが運んでいる荷物の箱の中には、たくさんの薬瓶が入っているのである。
実はこれこそが、ラヴィアがカトー・ポリオ両研究員に出した課題であり、その内容は、実際に回復薬を一般の人に使ってもらって、その評判で優越をつけようというものだ。
…
この日より五日前、ラヴィアは執務室にカトーとポリオを呼び出し、課題の内容を告げた。
「お二人が研究されている薬は、もうサンプルが用意できる段階に来ていると、ドッセンヌス所長から伺っております。間違いありませんか?」
「はっ……はい! 数は用意できませんが、その効果はすでに実証済みですとも!」
「自分はすでに、そのまま店売りできるほどのサンプルを用意しておりますゆえ!」
「そうですか……では、問題ありませんね」
初めてラヴィアの執務室に入った二人は、かなり緊張はしていたが、自分の研究を売り込むとなると、とたんに声が力強くなる。
二人の言葉をきいたラヴィアは、にっこりと微笑むと、課題について説明を始めた。
「五日後の午後、私はフィリスさんと一緒にアルカナ大神殿に行く予定です。そこで、お二人の薬のサンプルを、大神殿の方々に使っていただくために、持って行こうと思うのです」
「司書長……! それではもしや、神官らにモニターをやってもらうということですか!」
「その通りです。やはり、効果は実際に使い勝手を見ないとわからない部分が多いですから」
「しかし…………神殿ですか。もう少し適正な場所があると思うのですが……」
神殿にモニターをやってもらうと聞いて、あまり乗り気ではないのがポリオの方だった。
なぜなら、彼の開発した回復薬の本当の商売敵とは、カトーの開発したような高級回復薬ではなく、お金を使わずに回復の術を使える神官たちの存在なのだ。そのため、神殿という場所ではどうしても彼の発明のほうが不利であることは否めない。
逆に、神官ですらなかなか癒すことができないダメージを、たやすく回復できるカトーの回復薬ならば、普段薬にたよらなそうな神官たちでも、効果を実感せずに入られないだろう。
弱気になるポリオを横目に見ながら、カトーは勝ち誇ったような顔をする。
「はっはっは! ポリオ君、どうやら今回の勝負はやるまでもなく結果は見えているようだな!」
「な、何を言うか! 司書長、このような勝負では中立性が損なわれます! 内容の変更をお願いいたします!」
「ふん……勝てないと見て見苦しい足掻きを。君は司書長を侮辱する気かね?」
「だまれ! 自分は正々堂々と白黒つけなければ納得がいかんのだ!」
「………………」
『あ……』
勝負内容の正当性をめぐって口論を始めた二人だったが、ラヴィアのほうから殺気が感じられたため、あわてて喧嘩を止めた。
ラヴィアの表情は先ほどから引き続いてニコニコ笑顔なのだが、よく見ると目が笑っていない……
「ふふふ、言いたいことは言い終えましたか? 大切な話なので、聞き逃さないでくださいね♪」
二人が黙ったのを確認すると、ラヴィアは説明を再開する。
「神殿にモニターをやってもらうとは言いましたが、神殿の評価を持って決着ではありません。最終的に判断を下すのは、私です。なので、終わったからといって、くれぐれも勘違いしないようにしてください。場合によっては、神殿の評判がよくても…………ということもありますからね」
「はっ……わかりました」
「仕方ありません。司書長の判断に従います」
「…………いえ、お二方はおそらく完全には理解していないでしょうね」
「いえ、ですから――」
「司書長の判断で――」
「ま、いずれわかるでしょうから、心配は無用ですよ。では、お二人は五日後の午前中までに、できるだけのサンプルの用意をお願いしますね」
ラヴィアの意味深な言葉が気にはなったが、課題が決まったとなればそれにむけて最善の準備をしなければならない。二人は、その日から寝る間も惜しんで最終調整に没頭し、最終的にはカトーの薬が箱半分ほど、ポリオの薬が三箱と半分ほど用意された。
××××××××××××××××××××××××××××××
「なるほど、やはり科学者という人間は愚かですねぇ」
「ちょ……ちょっと高司祭様! ラヴィア様の前で失礼ですよ!」
「いえ、愚かであればこそ、人は道の領域を歩めるのです。私もまた然りです」
「ラヴィア様まで……もう」
大神殿奥の、来賓室に招かれたラヴィアは、神殿の人々を束ねる『高司祭』と話をしていた。
アルカナ大神殿高司祭は、名をダウンといい、歳はすでに80近くになる。真っ白な白髪がまるで捻じれるように伸び、薄い眉毛に彫りの深いしわくちゃな顔というなかなかの悪人面であり、「一目見て悪者ワルモノだと思った」という理由で成敗されても仕方なさそうな容貌である。
一応、高司祭になれるくらい徳を積んでおり、根はやさしく温厚な人柄ではあるのだが、ラヴィア以上に口が悪いのも特徴で、思ったことをまったく躊躇することなく云い放つ難儀な人物でもある。
「貴重な新薬を頂けるのはありがたいですが、神聖なる神殿を俗物の喧嘩に巻き込むのは感心しませんなぁ」
「私は別に神殿でなくてもよかったのですよ? ですが、こちらにはいろいろご恩もありますし、借りを返すのにはいい機会かと存じまして」
「おやおやぁ、それでしたらご心配なく。 今回の件で、私的にはまた貸し一つと思っておりますがねぇ」
「そうですか。ちなみに二種類ある薬ですが、数日後にはどちらかいらない方を返してもらいたいのですが、大丈夫でしょうか」
「なんと、返す必要があるというのは初耳ですねぇ……」
このような感じで、ダウン高司祭とラヴィアが剣呑な言葉で会話するものだから、そばに控えている女性神官は気が気ではなかった。
「まあ、事前のお約束ですし……喜んでお引き受けいたしましょう。薬の方も遠慮なく使わせていただきます」
「ありがとうございます。いくら私が公正中立だと思われていても、一人で判決を出してしまうと、とたんに不正だと言われてしまいますからね。そこで必要なのが第三者の意見なのですから」
「やれやれ、人間というのは自分が気に入らなければ、神様にすら文句をつけますからねぇ……どうしようもない生き物ですなぁ」
と、二人が話している間に、ダウンがラヴィアのコップのお茶が、すべて飲み干されているのに気が付く。そこでダウンは意外な方向に話を変えた。
「しかしですなぁ、司書長殿。話は変わりますが、なぜ今日来られたのです? 先日、わざわざこちらの予定を送ったはずですが……よりにもよってユリナ君のいない日に見えられるとは」
「…………フィリスさんの都合がありましたから、今日にせざるを得なかったのです」
「嘘は良くないですねぇ、ユリナ君は毎月司書長殿に会えるのを、それはもう何よりも楽しみにしているのですから。それともぉ……婚約者に会うのが嫌だとおしゃると?」
「ふふふ………………何と仰るウサギさん、私はユリナさんとは婚約はしておりません」
「おや? 私はすでに司書長殿と婚約したと、ユリナ君から聞いておりますがねぇ」
ちなみに、先ほどから名前が挙がっているユリナという女性は、この神殿に仕える女性司祭であり、神殿一の術使いと云われている。
ラヴィア相手に並々ならぬ好意を抱いており、お互い職業柄会う機会が少ないのも相まって、一度顔を合わせるとなかなか離してくれない。そのためラヴィアにとって彼女は、ヒュパティア館長と並んで数少ない苦手な相手なのである。
ラヴィアがわざわざ神殿の予定を調べさせて、彼女のいない日を狙ってきたのにはそういったわけがあるからなのだ。
「まったく、実にもったいない。ユリナ君がいれば、司書長殿をもてなすために自費で高いお茶を買ってきて、入れてくれるでしょうねぇ」
「…………高司祭様、私にそこまでやれと?」
「いえ、そんなことはありませんよぉ。彼女は機嫌が悪いと、わざわざ客用と私様に分けて淹れてきますからねぇ」
ダウンの言葉を、自分への皮肉だと感じた女性神官だったが、ダウンは別にそこまでは求めていなかった。しかし……
「ただ、ユリナ君は気がききますからねぇ。司書長殿のティーカップが空になったら、即座にお代わりを注ぐなどできたのですが」
「あ……ぁぅ…………今すぐにお持ち致します」
ようやくダウンの言いたいことに気が付いた女性神官は、あわててお茶のお代わりを取に行ってしまった。
上から目線で直接「紅茶もってこい」とか「使えない」と云われるよりも精神的ダメージは少ないが、後々までじわじわと効いてくる、なんとも厭らしい注意の仕方である。
「目的は達しましたので、先ほどの話の続きと参りましょうか」
女性神官がお代りの紅茶を取に行っている間に、話題は再び二つの試作品についてに戻る。
「司書長殿は、この問題を最終的にどう解決するおつもりなのでしょう?」
「簡単に言えば両成敗ですね。あのお二人は、これからの薬学分野になくてはならない人材ですが、長年のしがらみが二人を蝕んでいて、目指すべき場所を見失っております」
「増上慢というのはよほどの痛みが無ければ自覚できませんからねぇ。知識は神からの贈り物…………傲慢な者には神は知を授けないのです。それゆえ、自らの無知を自覚せぬ者は、知識が曇り……無知同然となり果てるでしょう」
「ただ、両成敗で終わりにするのもいけません。失意のうちに学者を辞められたら本末転倒ですし、何より私の責任問題ですからね。最後には、両名の力がこれからも必要だということを理解していただく必要があるでしょう」
「何もそこまで面倒を見る必要はないと思いますけどねぇ……。名奉行の真似事も結構ですが、このような事案が起るたびにいちいち対応しては身が持ちませんよ」
「ええ、ですから…………今回は神様のお力も借りたいと思いましてね」
「やれやれ、あなたは神様にも借りを作る気ですか。仕方ありませんから、私もご期待に添えるよう頑張らなくてはいけませんねぇ」
そんなことを話しながら、ダウンはラヴィアが持ってきた箱の一つを手に取り、中から二種類の薬瓶を取り出してみた。
一方はフラスコのような三角錐の形をした瓶に青い液体が入った物で、もう一方は、丸っこい瓶に黄緑の液体が入った物。
「あらかじめ聞いて予想はしていましたが、ずいぶんと数が違うようですねぇ。青色の薬はたったのこれだけ……と」
「青い方は、カトーさんが作った高級回復薬『アゾット』と云います。
さまざまな薬草を煎じているため効果は絶大ですが、一度に作れる量が少ないのが難点です」
「こっちの黄色い薬はこんなにたくさんあるのですかぁ」
「ポリオさんの作った量産回復薬『ラゴーナ』ですね。回復量は低いですが、市販のどんな傷薬より安く買えるのが特徴です」
「ふむふむ……まさに効果は対極ですなぁ。なるほどなるほどぉ」
ダウンは何やら感心したように、薬を交互に見比べる。そして、何やら合点がいったような顔をすると、持っていた薬を箱の中にしまう。
「いいでしょう。司書長殿が求める結果は5日以内に用意でそうです」
「そうですか……やはり」
「神様は何でも御見通しです。しかしご安心を、すぐ後にもう一方にもトドメを刺しますからねぇ」
にやりと不敵に笑うダウンの顔は、やはりどこからどう見ても、悪巧みをする悪役そのものであった。
「では、誰かが怪我したら早速使ってみましょうか。誰か都合よくダメージを受ける人はいませんかねぇ」
「高司祭ともあろうお方から、そのような言葉が聞けるとはビックリです」
ところが、ダウンが冗談半分に物騒なことを口走ったせいか、早速神様がしょうもない願いをかなえてしまうことになる
「失礼します、高司祭様!」
ノックもそこそこに入ってきたのは、先ほどとは別の女性神官だった。他の神官とは違い、エプロン姿の服装を見る限りどうも孤児院の関係者の様だ。
それを見たラヴィアは、なんとなく嫌な予感がするのを感じた。
「おやぁ、そんなに慌ててどうかなさったのですか? 都合よく誰かが大けがしてしまいましたか?」
「そ……その通りです! 都合は良くありませんが、孤児院でけが人が出ました!」
「なんと…………よりにもよって孤児院とは。おお神よ……お許しください」
「孤児院で怪我人ですか……。ええと、まさかとは思いますが…………」
服装からなんとなく察しがついたが、孤児院での事故と聞いてラヴィアはさらに嫌な予感を感じる。
「それで、どなたが怪我をしたのです?」
「デゼルギウス院長です! フィリスちゃんが持ってきたお花を見て、突然ぎっくり腰になってしまったのです! なんでも、あのお花は伝説の……マンドラゴラなのだとか……!」
「マンドラゴラですって!? どういうことですか司書長殿!」
「ああ、やっぱり…………。安心してください、あのマンドラゴラは叫んで人を殺したりはしませんから」
どうやらラヴィアの予想通り、マンドラゴラと知ったデゼルギウス院長は腰を抜かしてしまったらしい。おかげでラヴィアは、また一からマンドラゴラの正体について説明しなければならなかった。
「マンドラゴラは普通の植物だったのですかぁ…………この歳になるまで全く知りませんでしたねぇ」
「で、では院長先生は助かるのですね! よかった!」
「ぎっくり腰ですからね、しばらく安静にしていた方がいいでしょう」
「そうだ、せっかく怪我をしたというのですからこちらを持って行ってください」
ダウンは、女性神官に先ほどの回復薬を両方一個ずつ持たせた。
「いいですか、こちらの黄色い薬を先に使ってみてください。おそらく腰に塗れば大丈夫です。もし、それでも治らなかったらこちらの青い薬を飲ませてあげてください」
「ありがとうございます。早速渡して参ります」
こうして、この日から神殿で回復薬の実地実験が開始された。
果たして結果は如何に…………
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