フロド研究所の憂鬱

騒動があった翌日、ラヴィアは大図書館の西側にある研究棟に足を運んだ。

 三階建ての研究棟には、大小さまざまな研究機関が部屋を間借りしていて、毎日実験を行っている。時には危険な研究も行うので、壁のつくりは大図書館の本館以上に頑丈になっており、ちょっとやそっとの衝撃ではビクともしないのだが、その分風通しが悪く、窓が小さい。なので、有毒物質が部屋に籠りやすくなってしまうのを防ぐために、窓の傍に換気用の術式器具が埋め込まれている。

 そんな感じで、いろいろ取り付けていくうちに見た目が不気味になってしまったが、科学者たちにとっては世界最高の実験施設であることは確かだ。



 研究棟は科学者や研究者たちによって、図書館とはまた別の秩序を形成しており、ラヴィアをはじめとした司書たちが来ることは滅多にない。昔は、実験中に原本を誤って破損してしまうなどして、管理局が殴り込みに来ることがしょっちゅうあったようだが、今では「研究棟に本を持ってくるときには必ず写本にして持ってくること」という暗黙のルールがあるために、そういった接点さえも失われてしまった。


 それゆえ、ラヴィアが研究棟に来ると聞いた研究者たちは、いい意味でも悪い意味でも大いに慌てたのだった。



「大図書館の巫女様が研究棟にくるって!? は、はやく掃除をしないと!!」

「あちゃ~、こういう日に限って実験用のボロボロの服を着てきちゃった……」

「み、見られて不味い物は…………ないよな!?」


 何しろ研究棟の住人たちにとって、大図書館の巫女様ラヴィアさまはまさに憧れの人であり、同時に機嫌を損ねたら研究棟の補助金を削られるかもしれない恐怖の存在でもある。


 トーガだけを身にまとった研究一筋の老科学者も……

 徹夜明けで寝癖がヒドイ女性研究員リケジョも……

 生物解剖のし過ぎで白衣が血で染まった探究者マッドも……


 ラヴィアに失礼がないようにと、大慌てで清掃や身だしなみのチェックをし始めたのだった。彼がどれだけ影響力があるのかがよくわかる一面である。




「この建物に入るのは何年振りでしょうか。相変わらず独特な雰囲気がありますね」

「そりゃそーだ、ここの住人達はラヴィアのことを現人神か何かだと思ってやがるからな」

「現人神は師匠だけで十分です。私は別にこれと云ったことはしていないはずですが」

「自分の影響力を考えろっつーの……」


 サビヌスと共に、研究棟の廊下を歩むラヴィア。ラヴィアは独特な雰囲気だとは言っているが、これでも住人達はものすごくキチっとしているほうであり、普段は独特というより、それはもう混沌としている。今回用事があるのは一階なので、まじめな研究員が多いのだが、上の階の住人ほど変人が多くなる傾向があり、特に三階は術研究チームが多いせいで、しょっちゅう事故を起こしている。


「だいたいここの住人は管理局が視察に来ると聞いただけで大慌てする癖に、

俺に対しては全然気を使わないんだぜ」

「サビヌスさんはよく研究棟に顔を出すのでしょう? いいではありませんか、

仲間だと思ってもらえているのですから。親しまれている証拠ですよ♪」

「ちっ……やっぱ俺は他の三人に比べて甘いのか?」

「甘いとは思いますが、それがサビヌスさんのいいところだと私は思ってます。おっと、フロド研究所のお部屋はここのようですね」



 目的地であるフロド研究所は、一階のやや奥まった位置にある、研究棟で二番目に広い部屋にあった。ラヴィアとサビヌスが部屋に入ると、花畑の様ないい匂いが彼らをつつむ。あらかじめ来ること告知されていたからか、部屋にいた研究員が総出で二人を迎えてくれた。



「これはラヴィア司書長……このようなところまでご足労いただきありがとうございます。某それがしは、研究所長のドッセンヌスと申します。これ、司書長とサビヌスさんにお茶をお出しするのだ」

「いえいえ、お気遣いなく」



 所長のドッセンヌスは、そろそろ初老になろうかという年配の男性。短く刈り込まれた白髪にやや縦長の顔で、見た目頑固そうだが、実は比較的穏やかな性格の人物である。

 ドッセンヌス所長が研究員に命じて、茶を持ってこさせると、すぐに若い男性研究員が応じて運んできた。


「あら、とてもスーッとするいい匂いですね。花茶でしょうか」

「おお…ご明察! ミント草にドライフルーツで味を調節いたしました。簡単な材料で作れる上に、神経系状態異常にも効果があります」

「なるほど、嗜好品と回復薬……どちらにも使えるのですね」



 ミントの爽やかな匂いと、果実の甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐり、香りを堪能するだけでも回復するような気がする。味も非常に工夫されており、ドライフルーツのまろやかな味によって、刺激が苦手な人でも口当たり良く飲めるようになっている。


 ラヴィアがお茶を一口すすり、味をじっくり堪能すると、さっそく本題を切り出した。



「本日、私がここまで赴いた理由……ドッセンヌスさんは承知していますね」

「はっ……お恥ずかしい限りです。監督責任は某にあります……」

「ええ、ですが今はここまでに至った経緯について説明していただけますでしょうか」

「かしこまりました」



 ドッセンヌス所長は、ふぅと一息つくと、やや長くなる話を始めた。ちなみに、件の二人――――カトー・ポリオ両研究員は、課題の準備のためか今ここにはいない。





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 さて、この問題を語るにあたっては、まず二人が研究員になるに至った経緯について、簡単に知っておく必要がある。



 ノッポの研究員……カトーは地方の小貴族の生まれで、実家は代々レス・プブリカの重騎兵を輩出してきた家柄である。彼もまた、本来であれば重騎兵をめざし、いずれは戦場で活躍するはずであったが、その人生はかなり早い段階で転換期を迎えることになる。


 それはまだ20歳にもならない、訓練兵時代……彼の親友である同僚の兵士が、ある日消息を絶った。カトーをはじめ同期の兵士たちが必死になって探したが、一か月たっても見つからない。

 そして、ようやく友人が発見されたのは北方の未開拓の森林地帯……彼はすでに完全に白骨化する寸前であったという。

 調べたところ、死因は魔獣の襲撃。その場所は、珍しい植物が群生していたことと、その植物がいくつか入っている袋が発見されたことから、おそらく採取中に背後から襲われたのだろうと結論付けられた。


 親友を失い、悲しみに暮れるカトー。だが、彼が採取した植物を見て彼は驚いた。亡くなった親友には、重病で苦しむ妹がいたのだが、その植物は親友の妹の病気を治すための特効薬になるというのだ!

 カトーは早速、名医にその植物を持っていき、特効薬を作ってもらうことに成功。親友の遺志を継ぐことが出来て、ようやく安心して見送ることが出来る…………はずだった。


 ところが……特効薬は、病気に対して全く効果がなかった。


 薬効が嘘だったのか、はたまた調合法が違ったのか……今となっては分からないが、命を落とした親友がどうしても助けたかった彼の妹は、回復することなく兄の後を追いこの世を去ったのだった。


「神よ! なんという仕打ちを!」


 知らせを聞いたカトーは、あまりのショックに打ちひしがれた。

 自らの力不足を嘆き、このような残酷な運命を与えた神々を憎んだカトーは、

町の神殿に赴くと、祭壇の前で一日中……涙が枯れるまで泣いた。

 泣いて……泣いて…………泣きまくった彼の耳に、どこからともなく声が聞こえた。


『私は花と薬の神……ノバルティス。青年よ、顔を上げるのです。あなたが、新たな命の護り手になりなさい』


 はっと顔を上げ、あたりを見回したが誰もいない。本当に……神の声だったのだろうか。


 ――――あなたが、新たな命の護り手になりなさい


 カトーは思った。これは、自分が新薬を研究せよという神のお告げに違いないと。それを信じたカトーは、間もなく訓練所を辞し、猛勉強の末、首都の中央学問所に入学することとなった。


 そのような経緯があり、カトーは研究所に入ってからひたすら、効果が高い回復薬の開発に力を注ぐことになった。カトーが開発する回復薬はその回復量の高さと、体力だけにとどまらない多彩な追加効果を誇り、どんなに傷ついても、一口飲めばたちまち全回復するほどだという。

 ただし、希少な材料を惜しみなく使うため、価格は天井知らず。初級の冒険者や一般人などでは、とても手を出せる価格ではないのが大きな欠点だろう。




 対するダルマ体型の研究員……ポリオは平民の、それもどちらかというと貧困層の出身である。幼いころから、神殿の下働きだった彼は、カトーよりもさらに早くそのきっかけは訪れた。



 彼の町の神殿は病院も兼ねていたので、よく怪我人が運び込まれることがあった。そのためポリオも子供であるにもかかわらず、怪我人の手当てを手伝わされていた。

 怪我人の中でも特に多かったのは、魔獣に襲われた交易商や冒険者たちで、

彼らはボロボロになりながらも神殿までたどり着き、そこで術による手当てを受けるのである。


 だが、その中には当然手遅れの患者も少なくない。傷口が腐り、そこから毒が入ることがあるのだ。そういった患者を何人も見たポリオ少年は、ある日神殿の神官にこう尋ねたという。


「どうして冒険者さんたちは、早くけがを治さないの? 傷薬を使えばいいのに」


 これに対して神官は、こう答えた。


「それはね、傷薬はお金がかかるから多く持てないんだよ」


 そう、この時代の傷薬は、まだ費用対効果が悪かったのだ。それでも昔よりかは大分ましになってきたものの、回復を傷薬に頼り切るのは難しいのである。


 ポリオは思った…………傷薬をもっと安く作れないのかと。そうすれば、怪我で命を落とす人がもっと少なくなるのに……。

 そこで彼は、ひたすら神々に祈った――――傷薬が安くなりますように――と。


 祈りが通じたのか、彼が願掛けを始めてから二か月後に、どこからともなく声が聞こえた。



『私は小さき生命の神……ロシュである。少年よ、あらゆる薬学を学び、多くの命を救うのだ』



 この声を聴いたポリオは、ただちに神殿の神官にそのことを報告すると、神官は「少年が神のお告げを聞いた」と大いに喜び、ただちにポリオを聖都ヘクサポリスへ向かわせ、大神殿の援助を受けながら学問に精を出すことになる。彼は大変な努力家で、寝る間も惜しんで勉強を続けた結果、史上最年少で学問所を卒業するという偉業を成し遂げたのだった。



 ポリオが開発した回復薬は、世界の道具屋に価格革命をもたらした。

 薬草の栽培法や、製薬の手順を大幅に工夫することで、それまでの傷薬の五分の一という超低コストを実現したのだ。

 傷薬が身近に手に入ることで、レス・プブリカの平民の死傷者数は大幅に改善し、冒険者や狩人たちもより安心して魔獣と戦えるようになり、さらには、その圧倒的な生産性の高さから、軍隊の標準装備としても採用されることになった。

 だが、その分回復効果が犠牲になっており、ここぞというときに頼りにならないという不満も多く寄せられているのも事実である。





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「なるほど、お互いにきっかけは神のお告げだったのですか。私も、今の職に就くきっかけが、ビナイマ神様のお告げでしたので、なんだか親近感が持てますね。ですが、お互いの境遇がほとんど対照的なのですね…………これでは対立が起るのも分かる気が致します」

「なにしろ、二人ともわが研究所の大黒柱です。その分、自分の研究に対するプライドがとても高いのですよ。その上、我々のスポンサーであるフロド家は、お互いに争わせた方が成果が上がると思っているらしく、何度も火に油を注ぐようなことをするものですから……」


 結論から言えば、お互い悪意があって対立しているわけではなかった。ただ純粋に、果てしない目標に向かって走り続けているだけなのに、お互いに出会ってしまったことで、より先鋭化してしまったのだろう。


 確かに、ライバル関係というのは、切磋琢磨してお互いに能力を伸ばせる間柄ではあるが、仲が悪すぎると逆にいかに相手を貶めるかということになり、目的と手段が逆転してしまうのである。



「でもよ、『あれ』を設置するってことは、なんだかんだで心の奥は理性的なのかもしれんな」


 ランバルスが目を向けた方向を見ると、そこには部屋を二分するように衝立が置かれていた。


「あのどっちかがどっちかの領土で、もう一方がもう一方のなんだろう?」

「ええ……まぁ、向かって右側がカトー研究員のテリトリーで、左側がポリオ研究員のテリトリーとなっております。某をはじめとした数少ない中立の立場の人間以外は、どちらかの傘下に入っておるのです」

「……予想はしていましたが派閥争いも深刻になっているようですね」


 よく見ると、ラヴィア、サビヌスとドッセンヌスのやり取りを見ている研究員たちは、ちょうど衝立を挟むようにして二分されている。今でこそ、ラヴィアが来ているので表立った対立は見られないが、おそらく水面下では所々で対立が起きているだろうと思われる。

 カトーもポリオも、国を代表する一流の研究者だけあって、研究所内では一流の権力者でもあるのだ。自然と派閥が形成されるのは当然といってよい。幸いなことに研究者たちは本来対立を好まないので、表面上大きな問題を起こすことがなかったのだが、その分裏では陰湿なやり取りがされている可能性が高い。



「それで問題が表面化してしまったのが…………ご存じのとおり、薬草畑の境界騒動であります。元々わが研究所の所有地の配分は、某が決定権を持っていたのですが、お互いの派閥の研究者が、あの二人に土地の使用許可を譲るという形で、某の知らぬところで領土争いをしておりました。幸い、フィリスはどっちにもつかなかったため、あの子の分の土地が境界となって、均衡したのですが……」

「思わぬところで、マンドラゴラが平和に一役買ったわけか」


 世の中何が役立つかわからないものである。




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 その後も、何人かに話を聞いたラヴィアは、改めてドッセンヌス所長と会談し、二人の争いへの裁可を下す前にちょっとした課題をやってもらう旨を伝えた。



「課題……ですか?」

「はい、こうなった以上は中途半端な決断では後々まで禍根を残すでしょう。

普段はこのようなことまではしないのですが、今回は特別徹底して行いたいと思います。詳細はまた後日お伝えしますので、それまで二人には妙な真似をしないように言い含めてくださいね」



 どうやら、わざわざ研究所まで足を運んだ甲斐があったようで、ラヴィアの表情からは、若干険しさが抜け始めていた。


(これで、課題の内容は決まりました。あとは、予想通りに事が運ぶかだけです)



「では、私たちはこれで失礼いたします。研究員の皆様も、大変かとは思いますが自分の研究をしっかり進めてくださいね」

『はいっ!!』

「おう、ドッセンヌス。司書長さまがきちっと解決してくれるんだ、お前もあまり悩むなよ、禿げるぜ」

「よ……余計なお世話で御座います!! ……………………あ、そうだ司書長に一つ言い忘れていたことが!」

「?」



 ちょうどラヴィアが、帰りの扉を開けようとしたときにドッセンヌスが待ったをかけてきた。


「実は……あの二人は今回の裁可によっては、負けた一方が研究所を去るという、とんでもない賭けをしていると聞きました。下手をすれば……わが研究所は分裂してしまいます。そこのところを、どうか…………」

「…………そういったことは、もっと早めに言ってほしかったのですが」


 ドッセンヌスの一言で、ラヴィアはまたしても余計な責任を負うことになってしまいましたとさ。

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