二人の研究者
正午を少し過ぎたころ。
早めに昼食を終えたラヴィアの執務室では、部屋の主が机の上に書類を山積みにし、それら一枚一枚を確認しているところであった。
山積みと言っても、よくあるモーレツ社会人のように、机の上に山脈が形成されていて、崩れたら窒息死しそう――――というほど大げさではないのだが、何しろ書類の内容が内容なので、普通の人が見たら思わずげんなりしてしまうことは確実だろう。
「さて、プリシラさんはまだかな」
どうやらラヴィアは、司書プリシラを待っているようだった。これから行う仕事は、彼女がいないと成り立たない重要な仕事だ。しかも師匠ヒュパティアからまだやっていないのかと催促されているので、早めに終わらせたいところ。
わずかに焦りを抱いてはいるが、自分が急いでも仕方がないことは分かっている。なので、彼はこうして、書類を再確認して心を落ち着けているのだ。
しばらくすると、部屋の扉がドンドンと音を立ててノックされた。
「…………あれ? どうぞ、お入りください?」
ノックの音を聞いたラヴィアだったが……なぜか、待っていたと喜ぶことはなく、逆に訝いぶかしがるような返事をする。それもそのはず、扉をノックする音が、プリシラの発する音ではなかったからだ。
プリシラがノックするときは、もっと控えめにコンコンッと軽く小突くような音がするのだが、今のノックは握りこぶしで若干急ぐように叩かれたような音がした。
では誰が? ラヴィアはこのノックの仕方に心当たりがある。いや、心当たりがある音だからこそ、訝しがっているのだが……
「ラヴィア! 大変だ!!」
「……どうしたのですか?」
ラヴィアの予想は的中した。訪問者は、またしても慌てた様子のサビヌス……何度も仕事を中断されて、やや不満のラヴィアではあったが、表情には出さず……あくまで頼れる司書長として対応するよう心掛ける。
「今度は何事ですか」と問いかけようと、書類から顔をあげたところ、サビヌスの後ろに控えていた二人の男たちから、即座に説明が始まった。
「司書長! 中庭の薬草園にある、我らのチームが所有する地区について相談があるのです!」
「サビヌス司書では話になりませんので、司書長の裁可を頂きたい!」
「おいこら、どさくさに紛れてなんつーこと言いやがる……俺じゃ話にならんってのはお前らのせいだろうが」
「ええと……あなたたちは確か、フロド薬学研究所に所属の……カトーさんとポリオさんでしたね」
「おお、我らのことを」
「ご存知でしたとは」
「お二方は、薬草学……特に回復薬の研究における第一人者として有名ですからね」
ノッポ体型とダルマ体型という対照的なシルエットの二人、そのうちノッポの方がカトーで、もう一方のダルマがポリオという名である。
ラヴィアが言っているように、彼らは薬草を用いて作る回復薬を長年研究しており、すでに数々の市販回復薬の開発実績を持つ。
冒険や狩りの必需品である『回復薬』……その発展の歴史こそが、人類の開拓の歴史といっても過言ではない。傷口に当てると見る見るうちに傷が治り、煎じて飲めば病気が治る――――薬草の発見は、地上を我が物顔で歩き回る魔獣に対する何よりも強力な防具となった。継戦能力の向上、致死率の低下、それによって人類は今まで以上に経験を多く積めるようになり、最終的には地上の大部分を我が物とするまでとなったのである。
ただ、一時は戦闘の激化に伴って薬草の回復力は物足りないものとなり、
同時に神性の啓蒙が進んだことで治療術を使う『聖術士ヒーラー』がメジャーになっていたこともあって、回復薬産業は斜陽となってしまう。しかし、道具屋を営む人々の努力は失われておらず、何度かの技術革新を経て、今ではかなり安価にそこそこの性能の回復薬が作られるようになったのだ。
その証拠に、昔はコストパフォーマンスが悪いとしておすすめされなかった、
回復を完全に薬に頼る冒険者パーティーも、現在では十分実用的となっている。
そんな回復薬は、今でも改良を重ねる日々が続いている。回復薬は全国各地にある道具屋にとっては売り上げの主力……そのため、道具の売買で財を成した富豪たちは、研究機関に資金援助したり、独自の研究機関を作るなどして、より良い製品の開発に力を注いでいるのである。
で、この二人は後者のパターンであり、レス・プブリカ各地に支店を持つ『冒険道具のフロド商店』お抱えの研究員として、他の研究機関がうらやむような潤沢な研究資金の元、大勢の研究員と共に商品開発に勤しんでいるのだ。
「では、どのような相談なのか、話していただけますか」
『それはですね――』
「ストップ……やっぱりお二人は興奮しているようですので、代わりにサビヌスさんにお願いしてもよろしいでしょうか」
「え、ああ……それがだな…………」
理由を聞こうとしたところ、二人は前のめりになるように、同時にまくしたてようとしてきてしまう。これでは、正確な状況判断が難しいと直感したラヴィアは、代わりにサビヌスに説明を求めた。
サビヌスが言うには、二人は現在フロド研究所が所有する薬草園の土地を、ほぼ半分ずつ占有している状態なのだが、どちらとも自分の研究の方が重要だから、相手よりも多くの作付面積が欲しいと思っているそうな。表に裏に根回しを進めて、殆ど二人の物となってしまったフロド研究所の土地だったが、唯一……フィリスが育てているマンドラゴラだけは、手出しができないでいたらしい。
ところが、午前中の一件でマンドラゴラを抜いても害がないことが分かったので、彼女を何とか説得して別の場所に移させて、その分空いた土地を二人のどちらかが使うのだという。
なんとも強引な話である。
「なるほど、事情は分かりました。……本来でしたら、管理局は研究機関内の問題には、他のグループへの被害がない限り不干渉なのですが、今回は特別に私が裁可しましょう。ただし、私がどのような決定を出そうとも、不服を訴えないと誓えるのでしたら……ですが」
「もちろんですとも! 司書長の判決でしたら、どのような決定も受け入れますぞ!」
「大図書館で最も公正なのは司書長ですからな、不服などありますまい!」
「いいでしょう、今の言葉はしっかりと覚えていてくださいね」
(おいおい、ラヴィアに言質を取られるのは危険だぞ。大丈夫かよ)
大図書館で働く人たちにとって、ラヴィアは雲の上の存在であり、出来ないことはない完璧超人だと認識されている。カトーとポリオも、ラヴィアなら絶対納得できるような問題解決をしてくれるはずだと期待しているが、ラヴィアのことをよく知るサビヌスにとっては、容赦のない判断が下らないか不安に思っている。
ラヴィアのことだ、「少し痛い目にあった方が反省するでしょう」などと言いかねない。
「しかし……今の段階では判断材料が少なすぎて公正な判断が出来ません。それに、フィリスさんはまだその土地を使っているのですから、即急に結論を出す必要はなさそうですね。なのでお二人には、後日どちらの研究が重要であるか証明していただこうと思いますが、よろしいでしょうか?」
「おお! それでしたら問題はございませぬ!」
「ぜひその目で判断していただきたい! ……そうすれば、自分の方がカトー君の発明より優れていると、司書長からお墨付きがもらえますからな」
「何を言うかねポリオ君! 自分が勝つことが前提とは聞いてあきれる! そなたのセコい研究ではとても司書長の目には
「おいお前ら、司書長の前で口喧嘩をするな。今この瞬間にも『減点』されるぞ」
「う……見苦しいところをお見せしました司書長」
「ぐっ……も、申し訳ありませぬ」
「ふふふ、お二人とも私に判断を委ねたからには、覚悟していただきますよ」
そんなわけで、二人はラヴィアに自分の研究課題の重要性について、後日証明する手はずとなった。この日は、それを決めるだけで解散となったため、カトーとポリオはそれ以上文句は言わず執務室から退席し、残ったのはサビヌスとラヴィアだけとなった。
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