悪魔の植物
きっかけは、サビヌスが中庭の薬草園の視察をしていた時だった。
「いよう、やってるな」
「あっ、おはようございますサビヌス司書」
「今朝もはりきってるな。いい色は出そうか?」
「そりゃもう、今までにない
アルカナ大図書館の薬草園は、新種の実験栽培や品種改良などを行うために、各研究機関ごとに一定の面積が割り振られている。
限られた面積は、様々な案件(研究の重要性や説得力など)を考慮してサビヌスが割り振っているのだが、時折作付面積を巡って、研究機関同士が研究そっちのけで争い始めることがある。
そのためサビヌスは、全員なかよく薬草園を使っているかどうかチェックするために、毎日足を運んでいるのである。
彼は気さくな性格なので、薬草園にいる研究者たちの大半と仲良くなっており、頻繁に声をかけることで彼らの気持ちを自然と安定させていた。
先ほどの研究員は、この国でよく使われる藍色の染料を抽出する植物の、品種改良をしているところであった。毎日足を運ぶことで、研究成果を間近で見ることができるため、彼らの研究に親身になり、それがまた彼の信頼を高めていた。
今では、サビヌスは司書というよりも、学問所の先生のような扱いを受けており、知識面で頼られることは殆どなくとも、メンタル面で大いに頼られているのである。
さて、そんな彼が視察を続けていたとき、ふと違和感を感じ、その場に立ち止った。
「あいつ……あんなところで何やってんだ?」
サビヌスが向けた視線の先では、一人の女性が庭いじりをしていた。
女性は、見た目は十代後半頃だろうか、麻色の長髪に、やや幼く見える顔立ち。藍色のラインが入った白を基調とした神官服を纏っている。
汗をかきながら、木製の小さなスコップを手に、除草作業をしているのだが、その光景自体は特段珍しいものではない。この薬草園では純粋な研究者だけでなく、医者や神官を兼業する者も少なくはなく、年齢にしても、学問所での学業の延長として未成年が研究に従事することも日常茶飯事である。(現にラヴィアと、その女性は年齢は一つしか違わないのだが)
ではなぜ違和感を感じたのか…………?
サビヌスが知る限り、その女性は名前をフィリスといい、今弄っている花壇を使用している研究機関の一員ではあるのだが、病弱なため激しい運動が出来ず、室内で勉強するのが精いっぱいのはずだった。
何しろ華奢という言葉すら生ぬるいほどの虚弱体質故、風が吹けばふらつき、雨が降れば熱が出て、夏の暑さで倒れ、冬の寒さで寝込むというありさま。
そんな滅多に外に出ないフィリスが、太陽が輝く青空の下で汗をかきながら労働をしているというのは、サビヌスにとって驚きであった。
「どうしたのですか、サビヌス司書」
「ああ、いやちょっと珍しいものを見たなって」
「フィリスさんのことですね。最近ちょくちょくここに顔を見せますよ、心配ではありますけど、元気そうじゃないですか。少しは具合がよくなったんでしょうかね。それよりも…………新型の散水機が故障してしまったのですが、修理をお願いしたいと思いまして」
「散水機が故障? またかよ、やっぱあれは失敗かねぇ」
「故障さえしなければ効率はいいのですが…………」
気になってはいたが、すぐ後に別の用事が入ってしまい、その時は彼女に声をかけることが出来なかった。
そして、今日も薬草園の視察が終わり、自分の部屋に戻る途中の廊下で、たまたま図書館に戻るフィリスと遭遇した。いつもだったら「おう、生きてるか?」「うん、生きてる」とあいさつを交わすだけで済むのだが、先ほどの一件を思い出したサビヌスは、思わず彼女を呼び止めてしまった。
「ようフィリス、どうしたんだバケツなんか持って。珍しく外で庭いじりか?」
「うん…………今ね、お花を育ててるの」
フィリスは、サビヌスに呼び止められると、輝かんばかりの笑顔で答えた。
彼女は平民出身――――というよりも神殿に預けられた孤児であり、病弱な体が精神に影響して、思考や言動がやや幼く感じる。しかしながら、感受性が強く、その上記憶力にも優れており、身体さえ健康ならば一流の学者になれただろうと言われている。
そんなフィリスは、思考がやや幼い分、純粋な心の持ち主であり、その笑顔を見るとどんな悪人でも思わず和んでしまうのだとか。
輝かんばかりの笑顔を向けられたサビヌスも、無意識に顔をデレっとさせてしまう。誰かに見られたら、告発待ったなしだろう。
「そうか~花を育ててるのか~、にひひ……おっといかん、顔がゆるんでたな。花を育てるのは楽しいかい?」
「うん、楽しい。珍しいお花だから、育てるのは大変だけど、ちゃんと勉強したから」
「珍しい花? へぇ、この大図書館では珍しい花ばかり植えられてるが、その中でもさらに珍しいものか。いったいなんなんだその花は?」
「マンドラゴラ」
サビヌスの表情が一瞬固まった。
フィリスは嘘をつく女ではない。だが……今何と云った?
聞き間違いかと思ったサビヌスはもう一度確認してみる。
「ま、マンドラゴラ……だよな?」
「そう、マンドラゴラ!」
どうやら聞き間違いではないらしい。
(まてまてまてまて! マンドラゴラって言やぁ……あの伝説の……アレだよな?)
マンドラゴラ――――それは、伝説に伝わる根菜の化物である。
根が人間の形をしており、魔法薬、錬金術、不死の薬の材料から媚薬、精力剤までありとあらゆる成分の効能が詰まっているらしい。しかし、引き抜くと世にも恐ろしい悲鳴を上げて、その悲鳴を聞いた人間は死んでしまうと言われる。噂では、成長しきると自ら地中を抜け出して歩行する個体もいるのだとか。
「そ……そうか。だが、なんでまた、そんな花を……」
「うんとね、院長先生(※彼女の育て親、孤児院の院長)にあげるのー!」
「なにいぃぃぃぃぃ!!??」
(バカな!? フィリスは、デゼルギウス院長を本当の親の様に慕っているはずだ! な、何か恨みに思うことがあったのか? いやしかし……)
フィリスの育て親である、大神殿の神官デゼルギウスは今年で70歳になる穏やかな老人だ。昔は乱暴者として名高い傭兵だったが、あまりにもその手を血に染めてしまったことを悔いて、神官になった人物で、その後はまるで人が変わったように、敬虔な信者となったようである。
特に子供が大好きで、孤児院で生活する子供たちを、自分の子供同然に可愛がっている。フィリスも、そんな院長先生が大好きで、大図書館の寮に入った今も定期的に彼の元を訪ねているほどだ。
だが、フィリスが言うには大好きな院長先生に、根菜の化物をプレゼントするというのだ! 一体彼女に何があったのだろうか? じつは、裏で何か嫌なことをされたのだろうか?
いや、もしそうだったとしたら、とっくに表ざたになっているだろう。それに、フィリスは性格的に人を恨んだりすることは殆どないし、仮にあったとしても、ここまで陰湿な復讐を考えたりしないはずだ。
ならばなぜ?
サビヌスにはどうしても、フィリスが自分の意思で、マンドラゴラのような恐ろしい植物を植えることが納得できなかった。一応、彼女は植物学の研究機関に所属しているのだ。その気になればどんな植物でも育てられるだろう……。
それなのになぜ、わざわざマンドラゴラを…………と、考えているうちに、別の結論にたどり着いた。
(もしや……フィリスはマンドラゴラに精神を操られ、自分の意思に反して栽培させられているんじゃないか!? おお、神よ……! なんということだ!このままじゃフィリスが危ない!)
考えすぎて混乱したサビヌスは、最終的に斜め上の結論を出してしまう。
「よし、待ってろフィリス! すぐに助けてやるからな!」
「?」
サビヌスは、突然助けてやると言われてポカンとするフィリスを置いて、急いである場所へと向かった。
こういう時に相談できる人物はただ一人!それは――――
××××××××××××××××××××××××××××××
「それで私のところに来たわけですか」
ラヴィアは心の中で若干呆れながらも、表情に出さず真面目に相談に応じている。
「しかしマンドラゴラとは、また珍しいのを育てていますね。種子を手に入れるのは大変だったでしょう」
「それどころじゃないだろう! このままだとフィリスがマンドラゴラになっちまうぞ!」
「あのですね、サビヌスさんはもう少し冷静になるべきです。そもそも、マンドラゴラが叫ぶと人が死ぬというのは、迷信に過ぎません」
この世界では、魔獣と呼ばれる攻撃的な生物が存在する。大抵は、動物が何らかの影響で突然変異をしたものなのだが、極稀に植物の魔獣も存在する。その一つが、アルルーナと呼ばれる魔獣である。
実は、そのアルルーナこそが、マンドラゴラが魔獣と呼ばれる迷信を作った元となっていて、さまざまな伝承や憶測が混じって、混同されてしまったのである。
「まぁ……言っても信じてもらえるかは別問題ですね。でしたら、一緒にマンドラゴラを見に行きましょう」
「マンドラゴラを見に行くだと!? 俺に死ねというのか!?」
「違いますよ。とにかく、真実というのは見てみないとわからないものですから」
こうして、真実を確かめるべく、ラヴィアはサビヌスとフィリスを連れて薬草園にやってきた。
「これがマンドラコラですか。綺麗に咲いていますね」
「うん! そろそろ収穫できそう!」
そこには、主に傷薬に使う薬草類に交じって、見慣れない蒼く小さな花が咲いている。花の直径は数センチほどで、そのかわり葉がやや大きく幅広である。
「ははぁ……これがマンドラゴラねぇ……。もっと禍々しいもんかと思ってたら、案外可愛らしいんだな」
「禍々しいものを植えていたら、サビヌスさんも普通気が付くでしょう。真実というのはえてしてそんなものですよ。
ですが、この植物の面白いのは根の形にありまして……」
ズボッ
「ちょっ!!??」
ラヴィアは何の躊躇もなく、マンドラゴラの花を根っこごと引っこ抜く。それを見たサビヌスは、一瞬飛び上がらんばかりに驚いたが、予想に反して何事も起らなかった。
「見てください、この形。太く頑丈な四本の根が、まるで手足の様ではありませんか。なにしろ茄子なすの一種ですからね、栄養がしっかりと詰まっているのでしょう。ですが、くれぐれもそのままで食べないでくださいね、毒がありますから」
「お、おう……なんか怖がって損したぜ。でもよ、俺も結構植物に関する本を読んだことがあるが、どれもこれもマンドラゴラは引き抜くと死ぬって書いてあったぜ。魔獣の図鑑にだって載ってたような」
「サビヌスさん。知識というのは、それ自体が真理なのではありません。こういった資料が少ない分野では、間違った知識が定着していることが少なくないのです」
「ってことは、俺が読んで知ったマンドラゴラの知識は、殆どでたらめだったってことかよ。まったく……書いたやつらは自分の目で確かめないで、聞きかじりだったわけか」
本は嘘をつかないが、人間は嘘をつく――――館長ヒュパティアはそう云った。
本というのは、あくまで人間が書いたことを正確に後世に残すための物であり、当然著者が間違ったことを書けば、本はそのまま、間違った内容を後世に伝えることとなる。
マンドラゴラに関する知識は、その問題の典型ともいえる。その形状から、気味悪がられ、さまざまな尾鰭が付いた結果、もはや手出しすることも憚られる悪魔とおそれられてしまい、余計に真実を解明しようとする気をなくしてしまうのである。
検証手段が未発達な古い時代ほど、知識は憶測によって作られ、正確さを欠く。よって研究者たるもの、古き知識を温めるばかりでなく、自ら正しい道を求めなければならないのだ。
「この根っこはね! 元気になるためのお守りになるの!」
「…………ラヴィア、それは本当なのか?」
「ふふふ、信じる者には効果はありますよ。「病は気から」ですからね。あながちウソではありませんね。それに花も見ていて綺麗ですし、鉢に植え替えてプレゼントするのも悪くないかもしれません」
「うん! わたし育てるの頑張った!」
「えらいですね、フィリス。きっと一人前のレディになれますよ♪」
「えへへ~」
妙な褒め方をするなと思いつつ、サビヌスは再び引き抜かれたマンドラゴラをじっくりと観察してみた。
なるほど、茶色というよりも若干赤みがかった肌色の根っこは、まるで手足の一部を見ているようであまりいい気分ではない。ラヴィアの話では、根には神経毒が含まれているらしく、時には幻覚作用を引き起こすのだとか。それが巡り巡って魔獣の一種のような扱いをされてしまったのだが、なんとなくその気持ちが分かる気がしてきた。
「すまなかったなラヴィア。今冷静に考えると、しょうもないことで呼び出しちまって」
「いいのですよ。むしろ大した事件ではなかったのですから、私も安心しました」
大図書館の司書の一人である自分が、まさか間違った知識に踊らされて大騒ぎする羽目になるとは……。サビヌスは恥ずかしい気持ちでいっぱいであった。その上、サビヌスとは比べ物にならないほど忙しいラヴィアを、わざわざ引っ張ってきてしまったのだから、余計に面目なく思ってしまう。
だが、ラヴィアは大して気にしていないようで、特にサビヌスの知識不足を指摘することも無く、時間を無駄にしたと怒ることも無かった。むしろ、大事じゃなくてよかったと、逆にサビヌスのことを気遣ってくれるくらいだ。
サビヌスは思わず胸をなでおろすが、今度はなぜか怒りの感情が湧きあがってきた。
「まてよ、よく考えたら…………今まで俺が学んできた植物の本は、間違ったことを書いていたんだよな! だったら間違った知識をしってしまったのは俺だけじゃないはずだ! こいつはまずい、今すぐに間違った情報が書いてある書物を修正せにゃならん!」
「ダメですよサビヌスさん。間違っているとはいえ、本を勝手に弄ったらクビですよ」
「しかしだな……」
「たとえ間違っていたとしても、書物はそれを書いた人の「心」があるのですから、修正は著者だけにしか許されません。もし、正しい知識を啓蒙したいというのならば、自分で本を書くしかありません。もしサビヌスさんが書いた日記が、
他の人の目に留まった末に、あーでもないこーでもないと添削されたらいやでしょう?」
「…………た、たしかに」
「それに、修正したほうが実は間違っていた……なんてこともありますからね。真実は一つでも、知識は人の数だけ……世の中ままなりませんね」
「ぬぅ……」
サビヌスは再び頭を抱えてしまったそうな。
「では、問題はこれにて一件落着ですね。また何かありましたら、遠慮なく言ってくださいね」
そんな彼を尻目に、ラヴィアは意気揚々と執務室に引き上げていった。余裕綽々に装ってはいるが、実は内心……問題が本当に大したことではなくてほっとしている。
時刻はもうすぐで正午を回ろうとしている。早めに食事を済ませて、少し休憩した後で改めて昨日から残っている仕事を、一気に片づけてしまおう。そう考えたラヴィアだったが…………
残念ながら、騒動はこれだけで終わらなかった。
××××××××××××××××××××××××××××××
「しっかしまぁ、こんな狭いスペースで……しかも、重要な研究植物にまじってよく育てたもんだなぁ」
ラヴィアとフィリスが図書館に戻った後も、何か思うところがあったのか、サビヌスはしばらくマンドラゴラの花を観察していた。どうも、彼の中ではまだ解せない点があるようで……
「特にあの二人が、よくこれを植えるのを許可したな。それだけフィリスがあいつらにとって特別な存在だったのか、それとも……」
訝しがるサビヌスは、徐々に嫌な予感がするように思えてならない。
と、そんなときに、彼のところに二人の男性がやってきた。
「サビヌス司書! 聞きましたよ!」
「マンドラゴラは別に抜いてもがいはなかったそうですな!」
「ん? ……あぁ、なんだ君たちか丁度良かった…………うん? どうした、そんな顔をして」
サビヌスの元に駆けつけた二人の男性……一人はブルータス司書ほど極端ではないが、高身長の割には細身で、細長い目つきに左右に広がるように伸びた口髭が特徴的である。もう一人は、打って変わって中肉中背で、ややどっしりとした印象があり、顎がくっきりと割れているうえに、髪の毛がかなり後退してしまっている。
双方とも、さまざまな液体の染みが付いた年季の入った白衣を着用しており、長年薬品を研究してきたせいか、肌にも若干妙な染みが浮き出ていた。
サビヌスは、ちょうどこの二名に、マンドラゴラの栽培について聞きたいことがあったので、都合よく来てくれて助かったと思ったのだが、振り返って彼らの顔を見ると、なぜか二人ともすごい形相をしていたため、驚いてしまう。しかし、それだけではなかった。
『サビヌス司書! 「私」「自分」にこの部分の使用許可を頂きたい!!』
「な……!?」
まさか小さな問題の解決が、より大きな問題を呼び込むことになろうとは、
サビヌスも……そして、ラヴィアも全く思っていなかった。
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