エピローグ:一日の終わり
ラヴィアとフラーウスが館長室を退室した直後、小柄なツインテールのシルエットが二人を待ち構えていた。ちっこい司書のネルメルだ。
「ちっこい言うな!」
「いきなりなんですか。私たちは何も言っていませんよ」
「あーいえ、誰かが私のことをちっこいって云ったような気がしたから。気のせいかしら? それよりもお疲れ様フラーウス、話はラヴィア司書長から聞いてるわ。"あの"館長相手によく頑張ったわね…………ちょっと頭を下げなさい」
「頭を?こ。こうですか………」
「もっと下げて!」
頭を下げろと言われたフラーウスは、ネルメルがいいというくらいまで頭を深々と下げる(角度にして120°くらい)と、ネルメルはまるで母親がわが子を褒めるように、その頭を撫でてやった。フラーウス自身はそこまで背が高い方ではないのだが、ネルメルがあまりにもちっこいので、こうしないと頭を撫でることが出来ないのである。
「またちっこい言ったな!!」
「はひっ!? い、いえ……言っていませんよ!?」
「さっきからどうしたんですかネルメルさん。それはそうとしてフラーウスさん、今度こそお疲れ様でした。ああ見えても師匠は人見知りする性格ですから、少しはいい刺激になったと思います」
「人見知りですか? とてもそうは見えませんでしたが」
「あの方は少しでも自分が不利になりたくないからって、無意識に相手をやり込めたくなるらしいのよね。はっきり言って迷惑だわ………、話すたびにこっちは寿命が削られる思いよ、まったく……」
ナデナデをやめたネルメルは、フラーウスに頭を起こさせながらも、ヒュパティアへの愚痴は続く。
「司書長からフラーウスを館長のところに預けたって聞いたときには、可愛い部下を生贄にすんなって思ったけど、無事に戻ってきてくれて何よりだったわ。………というより、気のせいかしら? フラーウス…ちょっと大人っぽくなった? 何か変な術かけられたとかないよね?」
「いえ、そんなことはないですよ。ただ………土着神様――いえ、館長とのお話はとても楽しかったですから」
「楽しかった!? あんた意外と大物ねぇ、あんな古ルーム(※古代文明の名前)彫刻の寝言みたいな喋り方のどこが楽しいのかしら?」
「ネルメルさん………………ここはその古ルーム彫刻みたいな方の部屋の前ですから、少し声のトーンを落とした方が……」
「あ……」
ラヴィアに言われて、ようやく自分が当人がいる部屋の前で愚痴を放っていたことに気付いたようだ。心なしか、扉の向こうから無言の圧力が漏れてきているように感じ、ネルメルの身体のところどころから冷や汗が流れおちた。
「いゃぁ……あ~っははははは………。ご、ごめんねフラーウス! そろそろ夕飯の時間なのに、足止めしちゃって!」
「そうでした! もうすぐでお夕飯の時間じゃないですか! い、急いで帰りますね!」
フラーウスもまた、もうすぐ夕飯の時間だと気が付いたようだ。慌てて駆け出そうとしたが……
「フラーウスさん、図書館内では絶対に走ってはいけませんよ。早歩きまでは許可しますから、慌てないように」
「とっとととっ!? す、すみません!!」
これで、フラーウスはようやく今日の仕事を終えることが出来た。早足で大図書館の本棚の間を抜け、夜の受付交代の引継ぎをしていたプリシラのわきを通って、跪きの広間から外に出る。ここからは駆け足だ、玄関から正門までの少し長い道を必死に走り抜ける。そして、正門を守る衛兵に一言挨拶を交わして、その場を駆け抜けると………
「あ、すごい………!」
フラーウスの目の前にとてつもない光景が広がった。
高い丘の上から見える、家や店や神殿などに灯る、術道具による人工の光。赤と黄色が混ざったような暖かみのある光が、古都アルカナポリスを夜の闇に浮かび上がらせ、夜空にも負けない『地上の
フラーウスはこの地に来てからわずか8日。日々の仕事は夕方には終わり、寮に戻った後は同僚たちと夕食を食べて、お風呂に入った後にお気に入りの本を読んで寝るだけだった。それゆえに、夜にしか見ることが出来ない古都の輝きは、彼女の目に深く焼きついた。
「『
術式灯の歴史は、共和国の学問所に通っている人間なら誰でも習うことだ。だが、そのことについて当時はそれほど重要には思っていなかった。今になってようやく………習ったことの価値を見出したような気がした。
―――より快適で! 便利で! 幸福な! まだ見ぬ未来は私たちが作り出すのよ!―――
「………………よしっ!」
坂道を下り、走るスピードを上げていくフラーウス。その顔に、臨検を終えた直後のような不安の色は一切なかった。
××××××××××××××××××××××××××××××
「司書長ってすごいですよね~」
「何がでしょうか?」
あの後ヒュパティアからちょこっと小言を食らったラヴィアとネルメルは、フラーウスが帰った一時間後に、二人そろって玄関から外に出てきた。
彼らは、居住区が例の館長室周辺の部屋が執務室兼私室なので、寮に帰ることはないのだが、ヒュパティアから小言を食らった後は、建物内が若干窮屈に感じられるので、外の空気を吸おうというのである。
「ほら、フラーウスのことですよ。ついさっきまでは学問所生徒の気分が抜けきっていないような、典型的な深窓の令嬢ちゃんだったのが、すっかり大人の目になっているですから、驚きましたよ。あれならもう、たぶん私が何も言わなくても、そこそこやっていけると思うんですけど」
「私は何もしていませんよ。それに、フラーウスさんの意識が変わったのは師匠のおかげかと」
「司書長は精神操作の術が得意なんですよね。だったら、それを使えばまどろっこしいことしなくても、いっぱつで人格まで変えられちゃうんじゃないですか?私だったら、部下に片っ端から暗示をかけて、超優秀人材チームを作りたいですよ」
「ダメですよネルメルさん。催眠や洗脳術の使用は、法律で規制されていますし、なにより相手の人間性を破壊することになります。その人の心はその人のモノなのですから、他の人の都合で弄ぶのは絶対にあってはならないことです」
最もなことを言っているように聞こえるが、彼は昼に喫茶店で群衆に対して弱めの洗脳術を放ったことを棚に上げている。一応、ラヴィアには特別な権限が持たされているので、強い精神作用の術でなければ使用は許可されているのだが。
「それに、フラーウスさんなら今日のことが無くても、きっと立派な臨検員になれたと思います。例え今は頼りなくても、彼女なりに答えを見つけてくれるでしょう」
「……………あの子から何か感じるところがあったのですか?」
「特別何があるといったわけではありません。しかし、彼女は自分たちのことだけではなく、きちんと相手のことまで考えてあげられるのですから。根っこの部分はすでに十分大人になっているのでしょう。それに………私は信じていますから」
「信じている……? あの子をですか?」
「いいえ、採用したあなたの目を信じているのですよ」
「……………っ!! ま、またいきなりそーゆーこと言うんですからっ! もうっ!」
ラヴィアが突然、フラーウスではなく自分の方を褒めてくるものだから、ネルメルは見る見るうちに赤面してしまい、ぷいと明後日の方向を向いてしまう。しかし、そのままだと余計恥になると思ったのか、あわてて話題を変えてきた。
「と、ところで、司書長はこの後何するんですか? また館長の部屋のお掃除ですか?」
「いえ、今日は一日ゆっくり過ごす予定でしたから、最後までゆっくりしていくことにします。昼間の臨検の前に、街中でおいしい酒場を見つけましたので、今夜はそこで心行くまま飲み明かそうかなと思っています」
「司書長飲み明かす!? めずらしい………っていうかぜひ私もご一緒させてください!! 昼間の約束、忘れたとは言わせませんよ!」
「ええ、いいですとも。一人で食べるよりも二人の方が、美味しさも楽しさも二倍になるでしょうから」
「いよっしゃぁっ!」
いつもなら、ラヴィアはこの後はヒュパティアの身の回りの世話だったり、本来館長がやるべき事務作業をこなしたりするのだが(※ラヴィアの業務の半分ほどはヒュパティア絡み)、どうやら今日はもう仕事を終わりにするようだ。またあとでヒュパティアに何言われるかわからないが、彼にだって休む権利はある。ラヴィアとネルメルは図書館に戻らず、そのまま正門の方へ向かって歩きはじめる。
「えっへへ~、司書長と二人っきりで食事できるなんて夢みたいです~~♪」
ここぞとばかりにラヴィアと腕を組もうとするネルメル。傍から見るとかなりの身長差があるため、恋人同士というより、仲のいい
「さて、それはどうでしょうか。二人きりとは限らないかもしれませんよ」
「は? ………もしかして他の人も誘ってるの!?」
「いいえ、外に食べに行こうと思ったのは今さっきですから誰にも声はかけていませんよ。ですが…………」
「あら、司書長とネルメルさんではありませんか。お二人でどこかへお出かけですか?」
二人きりとは限らないといった傍から、背後から聞きなれた声がした。
振り向いてみると、そこにいたのは車輪付きの椅子に腰かけた年配の女性――司書プリシラだった。どうやら引き継ぎを終えて、あらかた仕事を片づけた帰りだろうと思われる。
「夜だというのに、お二人でどちらに向かわれるのでしょう? ………もしや?」
「な、なんだプリシラか~! あっはっはっはっは~……べ、別にこれには特に深い事情はないんだけど」
「分かってますとも、臨時臨検でしょう。寮住まいの男性の方々の部屋を抜き打ち調査して、艶本(※スケベ本のこと)の回収を……」
「ちゃうわボケ!! 町に食事に行くだけよ!!」
「ネルメルさん、語るに落ちてますよ………」
からかわれたせいで、つい本当の目的を放してしまったネルメル。慌てて、口を両手で塞ぐも手遅れだ。
「メシ喰いに行くだぁ? 当然俺も誘うつもりだったんだよなっ。そうだろ?」
「なんでアンタまで来んのよ!?」
プリシラだけではなかった。同じく司書であるブルータスも、どこからともなくひょっこりとあらわれた。しかもブルータスは、本当ならまだ仕事が残っているはずだ。他の三人とは違って明らかにサボりである。
「ふふふ、結局はこうなりますよね。残念でしたねネルメルさん」
「ちくしょう!! あなたたちは私より年下の分際で遠慮という物を…………!」
せっかく二人きりで過ごせると思ったのに、同僚二人の乱入で台無しだ。
「まあまあ。いつか機会はあるかもしれませんから、今回は皆で行きましょう。ところで、三人いるのはいいですが、あと一人……サビヌスさんはどうしましょうか」
「心配スンナ! あいつは今頃一人で、部屋に隠してある酒を飲んでるだろうさ。連れてってやんなくても、インガオーホーってやつじゃね」
「それにこれ以上人がいても、司書長のお財布の負担が増えて私たちの取り分が失われてしまいますから」
「でしたら仕方がありませんね。この四人で行きましょう」
『おーっ!』
こうして、ラヴィアと三人の司書たちは、日ごろの疲れを吹き飛ばすために、意気揚々と夜のアルカナポリスへと向かう。今頃フラーウスは、寮の仲間たちと夕食を食べながら、今日の出来事をめいいっぱいしゃべるのだろうか。そう思いながら、ラヴィアは道の両側に建つ寮を眺めながら、坂道を下りて行った。
××××××××××××××××××××××××××××××
「こんばんわ~。四人ですけど空いていますか?」
「おう、らっしゃ………い?」
夜、酒場『真銀の風竜亭』にまたしてもラヴィアが出現した。
それも一人だけではなく、部下と思わしき三人を連れて。
昼と違って、席の大半は仕事帰りの労働者たちで埋まり、席で飲み食いする客たちの喧騒が支配する店内は、誰が入ってこようと呑み込んでしまうブラックホールのような空間を作り出していたが、ラヴィアが来たとたん、場の雰囲気は一瞬のうちに緊張感で上書きされてしまった。
「おう、ずいぶんとギトッとした店じゃねぇかよぅ! こーゆーところ、俺は好きだぜっ!」
「司書長ーっ! ここの席空いてますよーっ!」
「あらまあ、ラヴィア様はいつの間にこのようなお店を開拓されて。ふふふ、もしかして道に迷ったらたまたま見つけたのでしょうかね」
「すみません皆様、ご迷惑はお掛けしませんので、どうか御席ご一緒させてくださいね」
「おいおい………まさかまた来るとは思ってなかったぜ。いっとくけどよ、うちは確かにうまいものはたくさんあるが、お貴族様が食べるような高級料理は作れねぇからな。下品だとか見た目が悪いだとか言わないでくれよな」
酒場のマスターが、呆れた顔をしつつも、どこか嬉しそうな顔で、ラヴィアの席まで注文を取りに来た。店の雰囲気が乱されたのは、あまりいい気がしなかったが、時間がたてばまたすぐにいつもの光景に戻るだろう。彼らもしばらくすれば、酒場の雰囲気にのまれて、ただのお客になり果てるだろう。庶民が長年かけて形成してきた下町文化は、そう簡単にはお上かみに屈服することはないのだ。
「エールを四人分下さい。それと…………」
「はいはーい! 『七面ガチョウ丸焼きステーキ』と、『五月雨サラダのゆで卵付き』と、『漢の拳大からあげ』と、『ムルス魚の活造り』と、『古都海鮮パスタ』と、それから……」
「おいおい、どんだけ頼むんだよお前はっ! みんなで分けて食べるにしても、喰うのに時間がかかるじゃねぇか!」
「うるさいわね、これは私が食べる分よ!」
「そうですね、私も考え直した方がいいと思うの。『七面ガチョウ丸焼きステーキ』と『漢の拳大からあげ』で鶏肉がダブっていますわ」
「ちくしょう………こんな大人買いならぬ大人注文する奴は初めてだぜ」
結局、いろいろあって注文を決めるまでに5分も費やした。パーティーが開けそうなくらい大量の注文を受けた店主は、他の店員に手伝ってもらいながら必死に調理を進める。そしてその間に………
「いやっはーーー、アルカナポリスの労働者のみんなっ! もりあがってるかーいっ!!」
「さっきまであんなにドンチャン賑やかだったのに、急におとなしくなっちまったじゃねーの、えぇ? はじけようぜえぇっ!!」
冷え切った空気を、ネルメルとブルータスが無責任に盛り上げる。今度こそ、酒場が大図書館グループに乗っ取られた瞬間であった。
料理が来てからも、飲めや歌えやの大騒ぎ。ラヴィアとプリシラも、騒ぐことはなかったが、ニコニコして見守るだけで一切止めようとしない。つくづくロクでもない客が来たもんだと溜息をつくマスターであったが、お金はたくさん払ってくれているので今更文句は言えない。
「ごめんなさい、煩くしてしまって」
「ああ、まぁ……いいってことよ。酒場ってのはそーゆぅもんだ。………さすがに今回は、少しうるさすぎだけどな。ほい、『ムルス魚の活造り』おまちどう」
「ありがとうございます。マスターの作る魚料理はおいしいですね」
「へっ……まぁな」
店主が持ってきた料理を受け取るラヴィア。青色の四角いお皿の上には、今日獲れたばかりの魚が生のまま刻まれていて、それを付け合せのタレでいただく。海に面する街ならではのぜいたくな料理である。ここで、ラヴィアが料理を受け取るとき、ラヴィアの手がマスターの指に一瞬触れた。マスターは一瞬触っただけで、その繊細な指に思わずどきっとしてしまう。
(むぅ……マジで男だなんて信じられねぇなぁ)
「私の顔に何か付いていますか?」
「ああ、いや……なんでもねぇ。おっとそうだ、実は今日珍しい魚が手に入ったんだがすっかり忘れてたぜ。ちっと値段は張るが、よかったら喰ってみねぇか? この酒場の裏メニューってやつだ」
「いいですね。是非いただきましょう、どんな料理か非常に楽しみです♪」
運がいいことに、あまり入荷しない材料があるというので、特別に普段作らない料理を作ってもらうことになった。店主はさっそく食材倉庫から箱を取出し、中から魚の身の一部と思われる赤い塊を取り出した。ただ、店主にとってもこの料理は結構久々だったらしく、包丁を取り出すもすぐに切らずに、首を傾げるばかり。
「ええっと………待てよ、どうだったかな……。ちと確認してみるか……」
マスターは調理場の隅にある棚から分厚い紙の束を取り出してきた。どうやらそれはレシピ集のようで、何枚かめくって調理法を確認しているようだ。何枚かめくってそれらしい記述を見つけ、しばらく内容を見ながら調理を再開する。
―――その時であった。
「ちょっとよろしいでしょうか」
「うおっ!!?? ビックリしたなぁ!? な、なんだよシショチョーさん! ここは調理場だぜ!」
なぜかラヴィアが調理場にまで入ってきた。まさかお客が、それもラヴィアが入ってくるとは思わなかったので、酒場のマスターは心臓が飛び出さんばかりに驚いた。
「そのレシピ集は店主様がご自身で書いたものなのですか?」
「ああ、そうだが……。それがどうしたってんだい?」
訳が分からないといった風なリアクションを取るマスターに対し、ラヴィアが放った一言は………
「後程そのレシピ集、お借りしますね♪」
「何ィ!!??」
マスターは、今度こそあいた口がふさがらなかったという。
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