大図書館の土着神
夕方になり、ラヴィアたち二人は護衛のセネカと共に、丘の上にある大図書館に戻ってきた。
敷地面積は他の王国の宮殿に匹敵し、何百年も前の文化模様がそのまま残るアルカナ大図書館。中央に鎮座する5階建ての本館を中心に、科学者たちが集う研究所や実験場、古今東西の貴重品を収蔵する宝物殿、それに日夜学問や研究に勤いそしむ人々のために、図書館の敷地を囲むように寮が併設されており、休憩所を兼ねた正面玄関前の広場や中庭の薬草園など、敷地内ではあらゆるものが揃っている。
初めてここを訪ねる者は、誰もがその威容に度肝を抜かれると言われている。
「この場所は………何回来ても慣れないな。武器を持っている者はほとんどいないというのに、下手なことはできないと思ってしまう」
「中に入ってしまえばそれほどでもありませんよ。セネカさん、ここまでわざわざ送っていただいてありがとうございました。お仕事中にもかかわらず、暇人二人を隊長自ら送っていただけて恐縮です」
「いいんだいいんだ、むしろ他の奴らが聞けば羨ましがるだろうよ。それこそ、金を出してでも護衛したいなんて言い出す輩もいたからな、役得ってもんだ」
「そうでしたか。嬉しいですね、フラーウス。いつかは君も、相手の方から守ってあげたいって思ってもらえるようになるといいですね」
「そんな………私なんかとてもとても…」
「そういうなって新入り! ラヴィアだって初めはお前のようなどこの馬の骨とも知らないペーペーだったんだ。要はこれからの頑張り次第ってことさ」
「私も新入りのころはよくセネカさんに馬鹿にされていましたからね、それに比べれば君の前途は有望ですから」
「お……おいこら! 私は別にバカにしてなんか………!」
「さあそれはどうでしょうね。ではセネカさん、護衛はここまでで大丈夫です。本日はありがとう御座いました」
「ああ、こちらこそ久しぶりにたくさん話せてよかった。今度会った時には一緒に飲み明かそうな、覚えとけよ」
「分かっていますとも。帰り道もお気をつけて」
「言われなくともわかってら。お前こそ体に気をつけろよ!」
ラヴィアとセネカは正門の前で一言二言別れのあいさつを交わして別れた。ラヴィアとフラーウスは律儀にもセネカの姿が見えなくなるまで彼女を見送り、セネカもまた途中で丘の上の二人を何度も振り返ってその姿を見た。
「さ、私たちも戻りましょうか」
「はい」
セネカを見送ったのち、図書館の中へと戻る二人。彼らの後に続いて、見える範囲を解説していこう。
まず、図書館に用がある者の大半は勾配の緩い坂を上った先にある正門から敷地内に入る。正確には正門の外にある寮が立ち並んでいる一帯からすでに図書館の敷地なのだが、正門とそこから続く煉瓦で出来た低い城壁の内側は、大図書館内の厳しい規律が適用されることになる。
「お帰りなさいませ司書長」
「お疲れ様でございます」
「ええ、警備ご苦労様」
門の左右に控える大盾と長槍を持った衛兵とあいさつを交わして門をくぐる。
青銅で出来た重厚な門扉は常に開いていて、よほどのことがない限り閉じることはない。これは、来る者を拒まないという大図書館の精神を体現しているためであるが、術による高度な防犯システムがあるため、閉じる必要は殆どない。
門の右支柱には『アルカナ大図書館』と刻まれた金属板が掲げられ、左右の支柱の上に配置されているアーチには『この門をくぐりし者、等しく探究者なり』と書かれた木の看板が打ち付けられていた。
正門をくぐった探究者たちは、大図書館の本館に至るまで少し道を歩くことになる。道の左右は芝が生えた庭園になっていて、あちらこちらにベンチが配置されている。
「あ、ラヴィア様! どこかへお出かけでしたか、珍しいですね!」
「そちらの方とお散歩ですか………羨ましいです」
「ふふふ、遊びに行って来たのではありませんよ。仕事帰りですから」
ちょうど道端で掛け算について議論していた二人の女性技術者に声をかけられる。ここは、大図書館の中で長時間缶詰になっていた人々が羽を伸ばせる数少ない場所であり、夕方になった現在では球蹴りをして遊ぶ集団や演習盤(チェスや将棋のようなボードゲーム)に興じる年配者たち、それにパンを頬張りながら野鳥にパンくずを放る者や、夜の研究に備えて昼に寝だめする者など、その過ごし方は千差万別。建物の中でなければそれほど騒いでも怒られない、皆思い思いのことをして過ごしているが、その割にはそれほど騒がしくないのは、普段から静かな環境に慣れてしまっているため、こういった場所ですら無意識に静かにしようという心理が働いてしまっているからだろう。
ただし、正門前広場で絶対にやってはいけないことがある。それは………図書館の本を読むこと! 自分の持ち物なら御咎めなしだが、大図書館に収蔵されている本は建物の外に持ち出すことは原則として禁止されている。昔は敷地内であれば大丈夫だったのだが、外で長時間読んだ結果、本が日光に晒されて傷んでしまったため、それ以来ダメということになった。まぁ………図書館内で本とにらめっこした後に、外で気晴らしに本を読むような人間はそうそういないが………
そして、正面玄関からいよいよ大図書館の館内に入る。正面玄関は常に大勢の人間が出入りできるように広く作られていて、温度調整と術システムの都合で二重玄関構造になっている。外側の扉は正門と同じく青銅製で基本的に開けっ放し。内側の扉は軽い素材で出来た木製で、こちらは人が通るたびに開け閉めしている。
大図書館に入ると、そこには小さな家一軒に相当するほどの広さがある空間があり、その少し奥に大図書館の受付がある。これだけ広いと普通は空間の中央に銅像があったり、何かしらオブジェクトが飾られているのが定番だが、そういった類は一切置いていない。
通称『跪きの広間』………。この開けた空間から見えるのは、視認できないほど奥まで並ぶ巨大な本棚をはじめ、受付のやや後ろに開いた最上階まで見渡せる吹き抜け、上の階にも当然のように本棚がびっしりと並んでいる。術による明かりはあるが、全体的に窓が少ないので薄暗く、本をめくる音や筆を動かす音、そしてたまに誰かが咳き込む声以外一切聞こえない重苦しい静寂。それらが作り出す空気は重く冷ややかで、まるで人間が本に監視されているかのような錯覚を作り出す。
かつて、極東からこの地にやってきた偉大な賢者は自分が世界の誰よりも博識であると自負していたのだが、大図書館の大広間に入った瞬間、自分の無知を悟ってその場で跪いたことから『跪きの広場』と名付けられたという伝承がある。
それほどの威容を誇るものだから、初めて来た人はおろか何度か足を運ぶ者も入り口付近で思わず足を止めてしまう。しかしながら、広く作られた入口のおかげで人の流れが滞ることは殆どない。果たして設計者がそこまで考えたのかどうかは定かではないが、どれだけ増改築が行われようともこの広間にだけは図書館の中でトイレなどを除いて唯一本棚が設置されることはなかった。
「外の世界も行くたびに変化があって楽しいですけど、やはり図書館の中が一番落ち着きますね」
「そうですね………私もついこの前までは、ここから入るたびに何だか怖いなって思ったのですが、今ではなんだか家に帰ってきたような心安らぐ感じがします」
大半をこの中で過ごすラヴィアはともかくとして、フラーウスも大図書館の雰囲気には慣れてきたようだ。人を威圧するが、決して拒むような空気ではないので、毎日のように通い詰めているとそのうち重苦しい雰囲気はやさしく包み込むような落ち着いた雰囲気の様に感じる。それはまるで、頑固一徹だが情に厚く本当は面倒見がいい寡黙なオヤジに似ている。決して甘くはないが、帰ったときにそこにいる安心感があった。
「フラーウスさんはこの後仕事は残っていますか?」
「ええっと………ネルメル様からは特に何も言われていませんが…」
「そうでしたか。では、せっかくの機会ですので『図書館の土着神様』に会いに行ってみませんか」
「土着神様に………!? わ、私なんかが会って大丈夫なのですか!?」
「問題ありませんよ。土着神様……もとい、館長は必要な時以外は部屋から出ないだけで、別に人と会うのが嫌いなわけではないのですから」
「はぁ………」
と、ここでラヴィアの提案によりなぜか土着神様に会ってみようということになった。今まで色々な話を聞かされてきただけに、若干不安がぬぐえない。ラヴィアはとりあえず報告をするために受付まで出向く。
「あらラヴィアさん、帰ってきたのですね。今日は珍しくお泊りかと思いましたが」
「ただいま戻りましたプリシラさん。少し寄り道をしてきただけですからご心配なく」
「フラーウスちゃんと二人で? あらまぁ、よかったじゃありませんか、可愛い女の子と二人きりでデートなんて」
「ええ、お陰様で楽しくお話しできましたよ」
受付でラヴィアを迎えたのは、『大図書館の門番』こと、司書プリシラ。茶髪のポニーテルがトレードマークで、顔には若干しわが刻まれている。
彼女はもともと西方にある別の国の貴族出身であるが、生まれつき足が悪く、一族内で白眼視され虐待を受けていたのだが、それでもめげずに学問で身を立てようと努力した甲斐あって、大図書館に雇われることになったという経緯を持つ。
歩くことはできないが、術で浮遊することはできる。ただし夜に動き回ると幽霊と勘違いされることがよくあるため、基本的に夜は滅多に活動しないのだという。
なお、プリシラが担当するのはブルータスと同じく『書物の保管』だが、こちらは基本的に窓口業務全般を司っている。恐ろしいことに、書物の貸借記録に関することをすべて頭で記憶しており、誰が何を何冊借りていつまでに返せばいいのかを、完全に把握しているのである。一応、記録用紙に記録はするのだが、むしろ記録用紙の間違いを彼女の方が指摘することがほとんどだったりする。
「冗談はさておきまして、お仕事はもう終わりですの?」
「いえ、これからフラーウスさんを師匠に合わせようかなと思いまして」
「………………………本気で?」
「ええ、本気ですとも」
「悪いことは言いませんからおやめなさいな。世の中には知らなくていいこともたくさんあるのですよ」
「司書であるあなたがそれを言いますか。大丈夫ですよ、私が付いていますから」
フラーウスを館長に合わせると話したところ、なぜかプリシラまで考え直せと迫ってきた。フラーウスにとってその言葉こそむしろ恐怖を助長するものに過ぎない。彼女はちらっと受付の横にある木製の台へと目をやった。そこには相変わらず果物やらお布施やらが山のように積まれている。それが『土着神様』への捧げものだと今日初めて知った。これほどまでの献上品が自然に集まるほどの存在とはいったい……
「いいですことフラーウス、館長の部屋に行く前に替えのパンツを用意しておきなさい。もし用意できなかったら、今はいているなけなしの一枚は脱いでいきなさい
そうすればたぶん被害は床だけで済みますから………」
「なっ……!? どうして、そんなっ……」
「要りませんよ。大体それでは私は替えの下着が大量に必要になってしまうではありませんか。ではフラーウス、行きましょうか。大丈夫、食べられることはありませんから」
顔に似合わず、案外下品なことを言う中年司書であった。
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アルカナ大図書館の館長の部屋は、一階の一番奥に存在する。書架のあるフロアをさらに北へと進む通路があり、その突き当りの扉が入り口となっている。このあたりはいくつもの個室があり、許可を得た者だけが自由に使うことが出来る。その中には、ラヴィアが寝起きしている私室もあり、代々図書館に身も心も捧げた司書たちは、仕事場に居を構えるという生活を送ってきていたそうだ。このエリアは別に関係者以外立ち入り禁止の制限は設けられていないが、正直よほどの用事が無ければ堅苦しくて近づきにくい。
「失礼いたします、ラヴィアただ今戻りました」
ラヴィアはノックをしながら入室を告げたが、中からは返事は帰ってこない。
「ご……ご不在なのでしょうか?」
「いいえ、いつも返事なんて帰ってきませんから、入室しても大丈夫でしょう」
「えぇ~……」
返事がないにもかかわらず、ラヴィアは慣れた手つきでドアノブを回して入室する。フラーウスも恐る恐る彼の後に続き「お邪魔致します」と一言告げて入っていった。
扉を開けた先の部屋―――まず目に付くのが左右の壁にびっしり並ぶ天井まで届く本棚。家具類はあまりおかれておらず、扉のある面の壁に箪笥と棚がいくつか置かれているだけ。扉の向かいの壁には大きな窓があり、おそらくその先にはバルコニーがあって海を一望できるだろう。残念ながら、その窓は閉め切ったカーテンで覆われていて、薄い光しか入ってこない。この部屋の主な光源は太陽ではなく、部屋全体にかかっている明りの術によって賄われており、昼夜問わず一定の光を部屋全体にいきわたらせていた。
そして――――窓に隣接するように周囲より二段ほど高くなった場所で、窓を背にイスと机を並べて、まるで裁判所の判事のように読書にふける人物が一人。
深い緑色の髪の毛は、床にまで垂れるほど長く無造作に伸び放題。本を持つ手は色白で殆ど日に当たっていないことが分かる。臙脂色えんじゅいろに染まったドレスのような服には、所々金色の刺繍が施され、見た者を無意識に緊張させるような威容を誇ると同時に、どこか神秘的な雰囲気も醸し出している。ただし、本を読んでいるせいで、顔は良くわからない。
(この方が……土着神様!)
フラーウスは緊張のあまり、思わず息をのんだ。彼女もまた貴族出身であり、
幼いころから様々な要人と会う機会があった。しかしながら、目の前にいる人物は別格だ。もし、目の前の人物が本当に神様だと言われても、無条件で信じてしまうだろう。
「師匠、ただ今戻りました」
「おかえりラヴィア。隣にいる女の子は誰………?」
目の前の人物から、女性の声が聞こえた。20代前半のまだ若い女性の様な声だ。
「彼女はフラーウスさん、最近ネルメルさんの下に付いた臨検員の卵です」
「そう………ネルメルの」
「は、初めましてっ……! こ……このたび大図書館にはいじょく、じゃなかった…配属になりましたっ! フラーウスと申しますっ!」
「元気のいい声ね」
女性はゆっくりと、読んでいる本を閉じた。―――――が、次の瞬間にはすでに椅子には女性の姿はなかった!どこに行ったのかとあたりを見回そうとしたフラーウスだったが………
「何年ぶりかしら、知らない人間に会うのは」
「わぁっ!?」
突然、目の前に影が現れたかと思うと、一瞬で先ほどの女性の姿となった。ようやく見えた顔は、意外にも美人というより可愛らしい顔をしており、まるでおとぎの国のお姫様のような愛くるしい瞳をしていた。
「はじめまして。小生こそ大図書館の館長、ヒュパティアであるっ!」
悪戯っぽい顔で笑う大図書館の館長にして、土着神と呼ばれる女性ヒュパティア。その正体は、女性なのに自分のことを小生と呼ぶ、大図書館一の変人であった。
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