乱入者

 珈琲を飲んでいるラヴィアとフラーウスのところにやってきたのは、藍色に染まった鉄製の鎧を着た妙齢の女性兵士だった。

 年頃は20代後半ぐらい、すらっとした長身で桃色の長髪を後でポニテールに結んでいる。東方の血が入っているのか、肌はやや黄色い飴色で、若干日に焼けていた。全体的に軽装備で、胸部と腰、それに脚部だけがしっかりと鋼鉄によって守られ、これまた藍色に染色されたマントを羽織っている。


「誰かと思えばセネカさんではありませんか。裏通りで会うとは珍しいですね、お仕事はお休みですか?」

「生憎仕事中だ……というか"お休みですか"とはむしろこっちが聞きたいくらいだ!」

「私は仕事が一段落したので、今はこの子と二人きりで休憩中です」

「そうか……。それよりもお前ら、周りをよく見てみろ………」


 セネカと呼ばれた女兵士は、そう云って親指だけを起こす形(いわゆるグッジョブの形)で自分の後ろを指差した。そこには、いつの間にかそこそこの人数の人が集まってきており、なぜかしきりに二人のいる席に視線を送っている。


「し、司書長! なんかみんなで私たちのことを見てますよ!? わ、私何かしちゃいましたか!?」

「どうしたのですかあの人だかりは? 気が付かないうちにずいぶん集まっているようですが」

「ラヴィア……お前、本当にわかってないのか? あれはな、お前たち二人が公共の場でいちゃついているから、つい足を止めて魅入ってしまっているミーハーどもだ!」

「いちゃついてるだなんてそんな……」

「いやですねぇ。私たちは普通にお話していただけですのに」

「普通にお話しているだけでそんなに甘々な空間作り出せるわけないだろうがっ!!」


 群衆たちは皆、男も女も頬を赤く染めながらラヴィアとフラーウスが無自覚で作っていた甘々空間に魅かれていた。それが原因かどうか定かではないが、セネカも顔を真っ赤にしてラヴィアに対し怒鳴ってきている。


「とにかくっ! このままだと往来の邪魔だ、早く何とかしろっ!」

「何とかしろと言われましても、それはセネカさんの仕事ではないでしょうか。その腰につけている長ものをもって優しく諭せば、皆さんも分かってくれるはずですよ」

「司書長、さすがにそれは如何なものかと思いますが……」

「お前らがさっさと休憩を切り上げれば済む話なんだ! そう簡単に私に剣を抜かせるな! 市民を脅したらそれこそ私の責任問題だろうが!」

「だからと言って私たちにどいてほしいというのはいささか暴論だとも思いますが……仕方ありませんね、私が何とか対処いたしましょう」


 やれやれとラヴィアはやや困ったような微笑みを浮かべて席から立ちあがると、自分たちを取り囲んでいる群衆たちのほうに歩いてゆく。



「おお巫女様がこちらにいらっしゃるぞ!!」

「なんという神々しいお姿……、まるで心が洗われるようですわ」

「ありがたやありがたや…………」


 興奮する群衆に対しラヴィアはやんわりとした言葉で説得をはじめる。


「お集まりの皆様、見守っていただけるのは結構ですが、そこに集まってしまいますと往来の妨げになってしまいます。共和国市民(レス・プブリカ)たるもの公共の迷惑になることをしてはなりません。不本意であるとは思われますが、ただちに解散なさってください。どうしてもという方は………見物料として1銀貨(セスティウス)支払ってくださいね♪」

「おいこら、そんな説得の仕方があるか! 見物料とるとか市民たちに嫌われるぞ!」


 ラヴィアを見ただけで1銀貨(セスティウス)というのはあまりにも暴利であるが、それはあくまで冗談のつもり。彼としては一応「これ以上見ると罰金取るよ」と遠まわしに脅しているにすぎないのだが……


 今回ばかりはそれが裏目に出てしまった。


「申し訳ありませんでした巫女様! 今すぐにお布施をお渡しいたします、お許しください!」

「巫女様のご尊顔を拝めるのでしたら、金貨でもお支払いいたしますわ!」

「ありがたやありがたや…………」


 冗談で云ったつもりが、なぜかどんどん銀貨を渡されるはめになった。

 しかも、道をふさがれて迷惑なはずの荷馬車の運転手までが見物料を投げ入れてくる始末。どうやら、彼らにとって渋滞して通れないというのは建前にすぎず、通れないことをいいことに群集と同じようにラヴィアの容姿を見たかったのだろう。


「完全に逆効果じゃないか! どーすんだよこのお金!」

「……おかしいですね、今回は割と本気でどうにかなると思ったのですが」

「お前、少しは自分の影響力を考えたらどうだ……」

「仕方ありませんね、あまりこの手は使いたくなかったのですが」


 どうやら、今度こそ本気で困ってしまったらしいラヴィアは奥の手を使うことにした。ラヴィアは大図書館の司書長であると同時に、そこそこの実力を持った術士でもある。使える術は攻撃魔法から回復、補助までいろいろと覚えているが、その中でも彼が特に得意としているのは――



『皆さん、本日はこれにて終了です。またの機会によろしくおねがいします』


 それはまるで、脳内に直接響くような不思議な声だった。

 その声が群衆に届くと同時に、熱狂していた場が急激に鎮静。

人々の顔から興奮の表情がみるみると引いていき、あっという間に普通の顔に戻ってゆく。


「巫女様、ありがとうございました」

「私たちはお仕事に戻ります」

「ありがたや……」


 どういうわけか、ラヴィアがたった一言発しただけであれだけいた群衆が全員、その場から徐々に離れていくのだった。



「え……えと、いったい何があったのでしょうか……? 市民の皆さんが、まるで何事もなかったかのように普通の顔に戻っていくのですが……」

「そうか、君はまだラヴィアのことをあまり知らないのか」

「はい、恥ずかしながら。8日前に配属になったばかりでして」

「あいつはな、洗脳・催眠呪術にかけては共和国はおろか世界でも右に出る者はいないほどの達人なんだ」

「洗脳!? 催眠!?」

「ああ、しかも性質が悪いことに、そのことを知っている人間は少ない。今のはほんのちょっと気分を落ち着かせる程度の効果だろうが、ラヴィアがその気になれば古都の市民の9割を操り人形にすることだってできるだろうな」

「そ………そんな………………」


 セネカの話を聞いていたフラーウスの顔は、徐々にうつむきがちになり、体が震え始めている。


「恐ろしいだろう? 美しいモノには必ず棘があるものさ。近くにいたらいつ洗脳されて、あいつの良いようにされるかわかったもんじゃない。これを機にあいつとの距離をだな――」

「凄いですっ!!」

「なにっ!?」

「司書長ってやっぱり頭がいいだけじゃなかったんですね! 私、ますます憧れてしまいますっ! ああ、しかも催眠術だなんて……もし私が催眠術をかけられてあんなことやこんなことされたらと思うと、身震いが止まりませんっ!」

「おいおい、もしかしてお前もうすでに洗脳済みか!?あいつは一見優しそうに見えるがお腹の中は真っ黒だし、手折ってきた花はおそらく一本や二本じゃないぞ!」


「なに人聞きの悪いことを言っているのですかセネカさん……。それでは私がまるで悪い魔術使いみたいではありませんか」

「げっ、ラヴィア!? いつの間に戻ってきたんだよ!」

「『あいつはな、洗脳・催眠呪術にかけては共和国はおろか世界でも右に出る者はいないほどの達人なんだ』と言っていたあたりでしょうか」

「割と最初の方じゃないか! っていうか私の声真似までするなよ! まったく、またしても恥をかかせやがって! とっととこの場を立ち去れ」

「そうですか。せっかくセネカさんのために珈琲を一杯買ってきたのですが、いらないようですね」

「待った、頂こうじゃないか」

「素直でよろしい。存在感を抑える結界を張っておきますから、しばらくは大丈夫ですよ」

「…………それで司書長が近づいてきたことに気が付かなかったんですね私たち」

「そういうことです」


 いつの間にか戻ってきていたラヴィアは、セネカの分の珈琲を持って来たついでに椅子も用意してきた。用意してもらった椅子に腰かけるところを見ると、彼女もどうやら休憩するらしい。

 ちなみに、ラヴィアが先ほど群衆から巻き上げた銀貨は迷惑料として喫茶店の店主にあげてしまったそうな。


「すみません、一つ質問しても良いですか?」


 ここで、フラーウスが先ほどから疑問に思っていたことを質問する。


「なぜ市民の皆さんは司書長のことを『巫女さん』と呼ぶのでしょうか」

「ああ、それはだな――――ブフォッ!!??」

「うわぁ、大丈夫ですか!?」


 セネカが質問に答えようとしたところ、なぜか彼女は突然咽た。珈琲の茶色い飛沫があたりにまき散らされてしまったため、ラヴィアは持っていたハンカチでふき取っていく。


「ケホッ…ケホッ、なんじゃこりゃ!? とてつもなく苦いっ!」

「もしかしてセネカ様も、珈琲はじめてなんですか?」

「悪かったな、初めてだよこんちくしょう! 世の中にこんな苦い飲み物があるとは……! 二人とも平気な顔で飲んでいるから、てっきり普通に飲めると思ったんだよ!」


 どうやらセネカも珈琲を飲むのは初めてだったようで、あまりの苦さに驚いてしまったらしい。彼女自身、実は苦いものが苦手なのでよけいに苦痛に感じるのだろう。


「申し訳ありませんセネカさん、フラーウスと違って大人なあなたならおいしく飲めると思ったのですが」

「い、いや……それは…………」


 ラヴィアは一応謝っているのだが、セネカにしてみれば『子供のフラーウスですら平気で飲めるのに、大人のあなたが飲めないなんて』と云っているとしか解釈できない。なんだかんだで、彼女は負けず嫌いなのであった。


「よろしければ牛乳を入れましょうか、こうすれば口当たりがよくなって飲みやすくなりますから」

「…………いや、いらん! 私は大人だからな、これしき苦味などどうってことない! それよりも、だ。どうしてラヴィアが『巫女』と呼ばれているかだったな。新入りのお前は知らないかもしれないが、大図書館には土着の神様が住んでいるんだ」

「え!? そうだったんですか!? 初めて知りました!」

「なんでもあの大図書館が出来てからずーーーーーーーーっと住みついていて、図書館にあるものは何でも知っているらしい。そしてラヴィアはな、その土着神に弟子入りした唯一の人間ってわけだ。それこそ3年くらい前までは、あの土着神と修行するためにずっと図書館にこもりきりで、ちっとも人前に出たことがなかった。だからそのせいでラヴィアは市民たちから『土着神に仕える巫女さん』って思われているんだなこれが」

「司書長……その、どこまでが本当なのですか?」

「半分は本当です。土着神というのは私の師匠のことですよ………。フラーウスさんは大図書館に来てから館長に会ったことがありますか?」

「館長……? そういえば………館長さんがどんな人が、私全然知りません。ネルメル司書からは司書長が一番偉いみたいな話しか聞きませんでしたし」

「セネカさんは館長を見たことは?」

「ないな。そもそも館長という役職があったことすら初耳なのだが」

「では土着神様を見たことは」

「一度だけ見たことあったような気がする。確か結構奥の書庫らへんで、槐エンジュ色に金の装飾が入ったローブを纏った、私より身長が高い女を見たのだが、あまりの威容にその辺で調べものしていた学者たちが思わず土下座していたな。私も見た時は一歩も動けなかった……あれこそまさに神様なんだなと思ったよ」

「ふふふ、実はですね……何を隠そうあの方こそが私の師匠にしてアルカナ大図書館の館長である土着神様なのです。フラーウスさんも、図書館の受付近くに果物や香料などが並べられているのを知っているでしょう?あれは図書館の土着神様への捧げものなんですって」

「そういう意味があったのですねあの贈り物の山は……。てっきり地元の方の寄付かと思っていましたが」



 アルカナ大図書館には現人神がいるというのは、古都で有名な噂である。この世界では、たまに人の寿命よりもはるかに長く生きる者がいるのだが、その中でも大図書館の館長は記録に残っている限りで、最長老の一人だ。何しろ大図書館が開館して以来約800年間一度も館長が変わっていないのである。不気味なのを通り越して、もはやだれも同じ人間だと思っていない。



「館長は滅多なことでは部屋の外にすら出ませんからね。図書館から出たことなんて100年近くないのではないのでしょうか」

「ひえぇ~~、そんな方が館長をやってたなんて知りませんでした……」

「しかしだな、そういうお前も大概だと思うぞラヴィア。本気で分かっていないのかは知らないが、お前も図書館からほとんど出てこないから、市民にしてみれば完全にレアキャラ扱いされてるんだからな」

「心外ですね。確かに本格的に修行していた時はほとんど師匠の部屋に籠りきりでしたが、いまではちゃんと用事があれば時々外出していますし」

「その時々がどれくらいの頻度か言ってみろ……」

「ええ、最低一ヶ月に一度ほどは」

「ほらな! お前もなんだかんだであの土着神様と同類になりつつあるんだよ! 少しは自覚しろっての!」

「ふふふ、言われなくても分かってますとも……。私は生活習慣だけは、師匠みたいにはなりたくありませんからね」


 とぼけた言い方をしているが、ラヴィア自身、自分が外出する度に奇異の視線で見られるのは、大図書館から外出することが滅多にない上に、とても目立つ容姿をしているのが原因だとは分かっている。だが、彼は師匠とは違って大図書館に好きで籠っているわけではない。

 毎日やることが多くてなかなか外に出る機会がないだけである。だからこそ、こうして何かと理由をつけて外の空気を吸う時間をなるべく長くとろうとしているのだし、臨検だって彼にとっては未知の発見に真っ先に出会える可能性がある絶好の機会なのである。



「まあいい………好きでやっているのなら止めはしないさ。もっとも、その猫かぶりがいつまで続くかわからんがな」

「猫かぶりも何も、私は私ですから。他の人にはなりようがありません。…………さて、ちょっと長居しすぎましたね。休憩は大切ですけど、ずっとしているわけにはいきません、師匠に怒られてしまいますからね」

「なんだ、もう行くのか。私はもう少し話していたかったのだが、仕方ない。ところでラヴィア……………その、この後予定は空いているか? ここであったのも何かの縁だろう、久々に一杯飲み交わさないか? 先日珍しい酒が入ったんだ……一人で味わうのも、その……味気ないからな、お前さえよければと思うんだが……どうかな?」

「有難いお誘いですが、残念ながら今日はまだやることが残っていますので」

「そっか……残念だ。だが、また近いうちに会うときがあったら、その時にでも飲もうじゃないか。ああそうだ! なんなら私がお前たちを大図書館まで護衛してやるよ! 巡察の最中だが、巫女様の外出の安全を確保する方が大切だからな、あはははは! よし、行こう!」

「そこまでしていただかなくてもいいのですが、言葉に甘えましょうか」


(な、なんだかセネカ様が急に落ち着かなくなってきましたが、大丈夫でしょうか?)



 休憩を終えた二人……いや、三人は改めて大図書館へ向かう道のりを歩く。

先ほどの人払いの結界はすでに解いてあるので、ラヴィアは再び市民たちの注目の的。さらに、寄り添うようにして歩くセネカの勇姿も加わって、むしろさっきよりも人々の気分は盛り上がっていた。



「いつ見ても巫女様はお美しい……。あの銀の髪はまさに神の恩寵がもたらしたもの……」

「隣を歩くのはハザーエ隊のセネカ隊長だ!」

「あの御二方が並んで歩くと、絵になりますなぁ」

「まるで絵本に出てくる王子様とお姫様みたいです」


(ふふふ、見たか新入り。ラヴィアの隣を歩くのにふさわしいのはこの私だ。………王子様扱いされるのは癪だが)


 有名人二人が並んで歩く中、緊張しながら少し後ろをすごすごと歩くフラーウス。それを見たセネカは内心でほくそえんでいた。



「…………私も、あんな風に司書長の隣を自然に歩けるようになれたらいいな」


 ラヴィアの背中が、フラーウスから遠く離れていくように感じた。

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