想いの複製品
「こっちの束終わったわ。次っ!」
ここは港の一角にある大図書館の詰め所。
建物の大きさは、一般的な商店よりも若干広いくらいで、室内には十数人くらいの仕分け要員がいる。ここでは、臨検で持ち出された書籍が一度に集められ、司書であるネルメルの術検査を受けることになっている。
ラヴィアが詰所についたとき、ちょうど前の順番が終わったところだった。
「ほら、つぎは君の番ですよ」
「お願いしますっ! 6番埠頭、商船メリール号臨検員フラーウスです!」
「あらお疲れ、フラーウス。どうだった、初めての臨検は?」
「初めは緊張しましたけど、船にいた方がいい人でしたので、スムーズにできました」
「司書長もありがとうございます。新人教育に付き合ってもらって」
「いえ、お安い御用です」
船から戻ってきたラヴィアと新入りの女の子――フラーウスは、臨検で持ってきた本を、詰め所に運んできた。その数全部で23冊。そのうちの15冊ほどは航海に必要不可欠な情報が記載されている、いわゆる常備書籍であり、実際に趣味や学習で読む書籍は8冊程度であった。
「とりあえず帳簿や航海日誌みたいな個人書類はこっちにおいて置いてね。後はまとめて『術』をかけるから、適当に積んじゃって」
「は、はいっ……」
フラーウスは持っていた本の中から、帳簿と航海日誌、商品リストなどの書類、それと例の冊子をわきに寄せ、持ってきていた本を一塊にしてテーブルに乗せた。ネルメルは、書物の山に向かって手をかざす。すると、積まれた書物の山がほんのりと白い光に包まれる。
「これくらいならすぐ終わるわね………………っと、はい終わり」
「あの……それだけですか?」
「うん、これだけ。この術はね、本にかざすだけで大図書館の館長が持ってるデータベースみたいなのを勝手に参照して、大図書館にない本だけに反応するようになってるのよ。まぁ……使ってる私も館長に教えてもらっただけで、原理までは知らないんだけどね」
「すごいですね! そんな術があったなんて、私初めて知りました! データーベースにない本があったらどうなるんですか?」
「えーっとね……ちょっとこれ借りるわね」
実例を見せるために、ネルメルはわきに寄せてあったものの中から、例の薄い冊子を手に取って、術の光をかざしてみる。
すると、白い光に包まれた冊子が、強烈な光を纏い始めた。しかも、他の書物の山に混ぜてかざしても、やはりそれだけが光り輝いている。
「どう? こうやって、一瞬で大図書館にある本かそうじゃないかが分かるから、私一人でも十分早く終わるのよ」
「なるほどー。私も習ってみたいですね」
「ま、使いたかったらこれから仕事頑張って、もう少し偉くなれればね」
「はいっ、がんばりますっ!」
やりがいのある目標が出来て、頑張る気持ちになったフラーウスだったが……
「そうですね。一生懸命頑張って司書を目指しましょう」
「え゛!? 司書!?」
「ええ、この術は機密保持の関係上、司書以上じゃないとだめなのです」
「そ……そんなぁ…………」
「司書長……ピカピカの一年生相手に、よく厳しい現実を突き付けてやれますね……」
「そうですか? むしろ中途半端な努力をさせるよりも、しっかり目標への道のりを示すことが大切ですよ」
ラヴィアの振るう容赦ない正論に、ネルメルは唖然としてしまった。まるで女神のように慈愛に満ちたようなラヴィアだが、こういったことを平然と言いのけるため、そのギャップも相まって、云われた方は例外なくショックを受けてしまう。
「うぅ……やはり私には…」
「大丈夫ですよ。私だって6年で司書長になれたのですから、君でも十分可能だと思います。あきらめたらそこで出世終了ですよ」
「……もうツッコミませんからね。ところで司書長、ちょっとこの本、少し気になったのですが……まさかこれも写本に出すのですか? こういってはなんですが、写すのはいささか難しいんじゃないかなと」
「写しはブルータスにやらせますから、問題ないかと」
「上官命令って素敵ですよねぇ」
ネルメルは、手に持った冊子を開く。そこに描かれていたのは――――
「すごいでしょう? 娘さんのお手製だそうですよ。ネルメルさんは持ち主の方に会っていませんから分からないと思いますが、しっかり顔の特徴をとらえていて、とてもうまくかけています。こっちはお父さんだそうですよ。私が行ったときには、酒場に繰り出していていたため会うことはありませんでしたが、おそらく豪快な海の男といった感じなのでしょうね」
それは、絵本だった。
顔が大きめに書かれた男女と、その周りを囲むように書かれた太陽や雲に草木。 書き手はおそらくまだ10歳にもなっていないであろう。拙いが、大きく力強い文字で『だいすきなおとおさんとおかあさん』と書かれている。たった数ページしか書かれていないが、読んだ限り内容はお父さんとお母さんがいろんなところを旅している話のようだ。そして最後のページには、男女の真ん中に、小さな可愛らしい女の子が書かれ、さらにその周りにもたくさんの人物が描かれていた。
「聞いた話によりますと、あの方の娘さんは故郷の港町で父方のおじいさんとおばあさんに預けてあるそうです。船旅は危険ですからね、いつ命を落としてもおかしくない海上貿易には娘さんを連れて行くことはできない……。そこで娘さんが出航前に手渡してくれたのが、この絵本なんだそうです。見てください、どのページにもいっぱい花が描かれていますでしょう。あの船の持ち主のご夫妻は、行った先に咲いている花を持って帰って庭に植えて楽しむのが趣味なんだそうです。本国の家の庭には、たくさんの花が植えられていて、一年中風景の移り変わりを楽しめるのだとか。あの女性は旦那さんの趣味とおっしゃっていましたが、本心はきっと娘さんへの精一杯のプレゼントなのでしょうね」
「………こんな薄い本なのに、開いているだけで"心"がぎっしり詰まっているのを感じます。術がこれほど激しく反応するのも頷けますね」
「激しく反応、ですか?」
「そうなの。やっぱり詳しくは分かんないんだけど、この術は本によってあまり光らなかったり、逆に強烈に光ったり、反応が偶に変わることがあるの。例えば、図書館に収蔵してない本だとしても、それが原本じゃなくて写本だったりすると、反応が若干いまいちなのよね。逆に、字がぐちゃぐちゃで読めないようなものだとしても、凄く反応するときもあるし。………なんでですか司書長?」
「一応原理はあるんですけど、ちょっと複雑なので説明はまた今度にしましょうか。そろそろ後ろも詰まってきていることですし」
「あ、やばっ……」
ラヴィアの後ろには、次の順番を待つ臨検員が数組、重たそうな書籍を持って立っていた。彼らにしてみれば、ただでさえ急がなくてはならない工程なのに、新入りが雑談しているというのは許しがたい光景ではあったが、ラヴィアが傍にいていろいろ教えているせいで、文句を言うことが出来なかった。
ラヴィアは、順番待ちしている組に時間を取らせてしまったことを謝ると、いっしょに連れてきた兵士たちに検査の終わった本を持ち主に戻すように命じ、自分はフラーウスと共に次の場所へと向かう。
「ネルメルさん、お時間取らせてしまって申し訳ありませんでした。お礼に、今度何か御馳走しますよ」
「ごちそう!? 本当に!? 司書長嘘つかない?」
「ええ、司書長は嘘をつきませんよ」
「いよっしゃーっ! ほら次の組、さっさと本持ってきなさい! ぐずぐずしてんじゃないわよーーっ!!」
「くれぐれも仕事は丁寧にしてくださいね」
「もー、司書長……勘弁してくださいよぉ。ネルメル司書は食べ物には目がないんですから」
「ネルメル様、くれぐれも本に涎をつけぬよう……」
長時間待たされた上に、なぜか変にテンションアップしたネルメルを相手にすることになり、やるせない気持ちになる次の組の臨検員たちであった。
××××××××××××××××××××××××××××××
二人が次に向かったのは、同じ詰所の二階だった。
二階はフロア全体が一つの作業場となっており、たくさん並べられた長机に大勢の人間が着席している。その数およそ80名……フロア全体にぎっしりと詰め込まれており、誰もが鉛筆と羽ペンを片手に書き物に没頭していた。
彼らの役目は『写本』の作成。本来、大図書館の写生(※写本を書く人たちの事)たちは、大図書館の一室で作業しており、人員も総勢500人近くいるのだが、ここにいるのは臨検が終わってすぐに戻さなくてはいけない書類の写しを、その場で行うために設けている臨時の仕事場なのである。
ここに詰めている写生たちは誰もがその道のプロであり、長時間腕を動かしても一切疲れを見せず筆を動かし続ける。速さも尋常ではなく、写すだけとはいえ一分間に二ページという驚異的な速度で仕上げる者もいるという。なお、特に急ぐ必要のないものはここでいったん預かった後に大図書館まで運び、そこでゆっくりと写本を仕上げることになる。
この日は、臨検する船の数が少なく、全体的に上がってくる書物の量もさほどではなかったため、全体的に若干暇そうな雰囲気が漂っていた。やることがない者は、大図書館に運び出される前の書籍を写し始めていたり、鉛筆で下書きしたものにインクで清書したりして過ごしている。
「6番埠頭、商船メリール号臨検員フラーウスですっ。こちらの写しをお願いします」
「はい、承りました。これと、これと、これですね。すぐに終わると思いますので、しばらく待っててください」
「ああそれと、ブルータスさんを呼んできてくれませんか。司書長が、用があると伝えてください」
「ブルータス様ですか? ええっと…………」
受付で、先ほど術検査しなかった航海日誌や帳簿などを渡す。そのついでに、ラヴィアは司書の一人であるブルータスを呼んでもらおうとした。
「えっへっへぇ~、俺をお呼びかねラヴィア君」
「わひゃああぁぁっ!?」
「おや、いたのですか。気が付きませんでした」
二人の背後に、いきなり一人の男が姿を現した。あまりにも突然すぎて、フラーウスは飛び上がらんばかりに驚いたが、ラヴィアは平然とした顔で首だけを後ろに向けていた。
ブルータスと呼ばれた男は、身長180㎝以上ありそうな長身だが、体は細くまるで軟体動物の様。長髪……というよりも面倒だから切っていないらしい黒い髪の毛に、濃い無精髭。灰色の服の上に黒い革製のコートというこのあたりではあまり見ないファッションが、彼の異様さを更に強調している。ただ、目元は意外に整っているし鼻も高いので、きちんと顔の手入れをしていれば、渋いイケメンに見えるかもしれない。
そんな彼は、こう見えても4人いる司書の一人であり、主に『書籍の保存』を担当している。写本の作成の指揮はすべてブルータスが行っており、それ以外にも盗難対策や虫害対策などを一手に担っている。
「今忙しいですか」
「冗談きついぜ、俺が忙しくなったらこの職場は限界だぜ?」
「ふふ、確かにそうですね。これは失礼しました。ところでブルータスさん、手が空いているのでしたらやっていただきたいことがありまして」
「あん? 俺にやってほしいこと……?」
「こちらの写本を作成してほしいのですが」
ラヴィアがブルータスに手渡したのは、先ほどのお手製絵本だ。
「おう、どれどれ……、あ~……こーゆのか、たまに来るんだよな。当然写本の方を"しまう"んだろ、もったいねぇ~よなぁ~。まあいいや、すぐに終わらしてやる」
「あの、その……、本当に…………絵本を写本できるんですか?」
「ああん? 誰に向かって言ってやがるんだぁ~? なるほど、お前は新入りだな。しかも、よくみたら激マブ(※死語)じゃんかよぉ! ネルメルの奴こんなのをどっから掘り当ててきやがったんだ」
「はいはい、その辺にしてあげてください。この子は貴族のご令嬢なのですから、あんまりきついこと言わないでくださいな」
「いいとこのお嬢ちゃんかよ、通りで純粋培養っぽい匂いがすると思った。だがよ新入り、大図書館では貴族も浮浪者も関係ねぇ、必要なのは教養と根性だ。そのうちお前も垢抜けて阿婆擦れしてくるさなぁ。俺だってなぁ、元々お貴族様だったんだぜ!」
ブルータスの元貴族という話を聞いて『ねーよ』と、フロアにいる人間のほとんどが心の中でツッコミを入れた。
「まあいいや、ちゃっちゃとやっちまうか。『完全複製』がいいか、それとも『整形複製』がいいか」
「わざわざあなたに頼むのですから、もう答えは決まっているのではないでしょうか」
「おっと、確かにその通りだ!『完全複製』なんて芸当ができるのは俺しかいねぇしな! よっしゃ、よ~~~く見ておけよ新入り、これが達人プロの技術だぜぇ! 瞬まばたきなんてしてみろ、何が起こってるかわかんなくなっちまうぜぃ!」
ブルータスは、立ったまま受付の台に向かい、真っ白な紙と手製の絵本をぴったり並べた。彼が真っ白な紙に色蝋クレヨンと鉛筆を使い分けて走らせていくと、
驚くことに元の絵本と全く同じ絵が描かれてゆく。その精巧さは完全にコピーそのもので、幼い子供が書いた独特の画法をまるで印刷機のように写していった。そして、三分もしないうちに一冊丸々写し終えてしまった。
「ほれ、完成だ」
「はあぁぁ……す、すごいです! とても人間業とは思えません!」
「な、すげぇだろ。改めて俺の実力が分かったところで新入り、やっぱお前写生に転向しねぇか? あ~んな強盗まがいの臨検員よりよぉ、うちのチームの方が楽しくて楽だぜぇ」
「い、いえ……それはちょっと……でも本当にすごい技術です。一見見ただけじゃどっちが本物かわかりません」
「そうですね。ですが、きっと持ち主が見ればすぐにどちらかが本物か見分けがつくでしょうね。特にこういった書籍は……」
「仕方ねぇだろぉ、完全複製ってのは"絶対に完全になりゃしない"んだ、それくらい承知だったろう」
「ええまぁ、こういったこともできるというのを学んでほしいと思いましてね。さて、ではそろそろあちらで頼んだ作業も終わったみたいですし、この本たちを早く持ち主に返しに行きましょう。写本はそちらで保管を一任しますから、よろしくお願いしますね」
「あいよ、お疲れさん。こんだけやってやったんだから、たまにはメシでも奢ってくれよぅ!」
「ええ、善処しましょう」
二人は、預けていた本を受け取ると、持ち主の待つ船へと戻ることにした。しかし……フラーウスは詰め所を出てから何か深刻そうな顔で、黙々と考え込んでいた。
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