ブルーコートにおまかせ

古都アルカナポリス―――


 二つの海を繋ぐ狭い海峡を臨む様にして造られた大都市で、国の最重要拠点の一つである。


 かつてこの地に赴任した初代総督は、交易の中心地である古の町に、学問と文化の振興を志し、十数年という途方もない歳月をかけて、町全体が見渡せる高い丘の上に大図書館を建設した。

 大図書館はこの町のシンボルとなり、建設されてから800年以上たった今も、世界各地の知識を集め続けている。


 人口こそそれほど多くはないが、そこに住む人々の生活水準は世界的に見てもかなり高いレベルにある。その上、三方向を海に囲まれた天然の要塞でもあるため、生半可な力ではこの都市を陥落させることはかなわない。


 実際にこの町が占領されたのは大昔のこと、今この都市を支配している国が漁港に過ぎなかったこの地を征服した時だけ。500年前には東方から押し寄せた『覇王』の軍勢を何年にも渡る籠城戦の末押し返し、その強大な野望を砕いたこともあったという。



 大図書館の管理部門に勤務する司書長のラヴィアは、仕事のために東地区にある港に向かって歩いている。


「見ろよあれ…………」

「"巫女さん"じゃないか! この目で見られるなんて、今日は何かいいことありそうだぜ!」

「ありがたやありがたや……」


 普段からあまり大図書館から出歩かない彼が通りを歩くと、誰もが物珍しげに彼に目線を向けてくる。しかも、中には両腕を胸の前でクロスして、祈りをささげてくる者までいる始末。

 だが、彼はそんなこと気にしないとばかりに堂々と道の真ん中を歩いて行った。……若干葡萄酒の香りを漂わせつつ。



 そんな彼を待っていた者たちが、港の一角に集まっていた。人数は男女合わせて200名ほど。年齢層もバラバラだったが、藍色のローブを羽織っているところだけは共通している。

 その中から、やや背の小さい、小麦色のツインテールの女性がラヴィアを見つけて駆け寄ってきた。


「あーっ、司書長! どこ行ってたんですか、もう臨検はじまってますよ!」

「ふふふ、申し訳ありません。つい昔話に花が咲いてしまいましてね」

「司書長と外で昔話が出来そうな人なんて心当たりがないのですが」

「心当たりがないからと言っても、いない可能性はゼロではありませんよ。さぁさぁ、みなさん私を待つ必要はありませんから、準備が出来た人からはじめてください。私もすぐに始めますから。」

『ははっ!』


 ラヴィアが手をパンパンと叩いて仕事に移るよう促すと、彼らはさっそく肩掛け鞄を抱えて、いそいそとどこかへ足早に向かっていった。

 一分もしないうちに、残っているのはラヴィアと、先ほどの背が低い女性と、もう一人の女性だけになった。


「君は今日が初めての臨検ですから、私が一緒についていきましょう。」

「は、はいっ! よろしくお願いいたします!」


 恐縮そうにぺこぺこ頭を下げる女性―――ふわふわとした金髪に色白の肌、どこか育ちがよさそうに見える彼女は、どうやら新入りの臨検員らしい。今回の仕事が初日というわけではないのだが、まだ着任して日が浅いらしく常に緊張しっぱなしだ。


「硬くならなくてもいいんですよ。初めてですから辛いかもしれませんが、慣れればどうってことありません。今日は私が付いて、手取り足取り優しく教えて差し上げますから、安心してくださいね」

「はうっ!? はわわ、そ……その! よろしくお願いしまひゅっ……!!」


 ラヴィアは、硬くなっている新入りを安心させようと、笑顔で優しく語りかけるが、なぜか彼女は赤面して余計に強張ってしまう。


「あのですね司書長、その言い方だと(私まで)勘違いしちゃいそうなのでやめていただけませんでしょうか……」

「ほほう、どう勘違いするというのですか? ネルメルさん?」

「言わせんな恥ずかしい!」


 小柄な女性――ネルメルは、怒りで顔を赤くしながら、わざとらしい大股で埠頭の方に行ってしまった。それを見て新入りの子は「いいんですか?」という視線を向けてきたが、ラヴィアは全く気にしていない様である。


「あとで甘いもの食べさせれば、機嫌はコロリと治るでしょう。さぁ、私たちもこれ以上遅れるわけにはいきませんから、仕事をしに行きましょう」


 こうして二人ものんびりと埠頭の方に歩いて行った。





 アルカナポリス大図書館には様々なチームがある。

 それは学問を志す学者の集まりだったり、実験と発明に没頭する技術研究者の組織だったりと、数えればきりがない。

 総勢5000人とも1万人とも言われており、とにかく頭がいい人がやたら沢山いるというのが大方の認識である。



 では、大図書館は誰が管理しているのだろうか。例えば雨漏りを直してほしいときには誰に言えばいい?一番偉い学者の先生?それとも体力のある人たちに頼んで直してもらう?


 実は、大図書館の管理を専門とする組織がある。

 『管理局』と称される彼らは、云わば家主的な存在だ。蔵書のチェックから屋根の修理依頼まで一手に担っており、大図書館が無事に建っていられるのは彼らのおかげなのである。

 図書館で一番偉い『館長』も、この管理部門の一人。いやむしろ、館長は管理部門のリーダーゆえに一番偉いのだ。たとえどんなに偉い学者の先生だろうと、天才科学者だろうと、この人たちの云うことは聞かなければならない。


 『司書長』のラヴィアは、館長の次に偉い地位にある。

 しかし、当の館長がほとんど自室にこもったまま出てこないため、実質的に図書館の管理運営を一手に担っているのはラヴィアである。

 更に、ラヴィアの下には『司書』が4人おり、この4人が複数ある管理部門を統括することになっている。先ほど出てきたネルメルも司書の一人だ。

 規模の割に少なすぎると思うかもしれないが、この4人の下にはそれこそ何百人もの職員がいるわけで、彼らを統括するには並大抵の実力では務まらない。その上、館長自身が選り好みの激しい人物なので、ただでさえ司書になれるような人間が少ないのにさらに選別した結果、ラヴィアを含め5人しか残らなかったのである。




 小さな司書ネルメルの役目は「書物の収集」である。大図書館に所蔵する本を、とにかくたくさん集めるのが彼女の使命だ。

 その方法は様々で、とりあえず新作の書物が出たと聞けば大急ぎで部下を飛ばし、どんな内容の本であろうとも、大図書館にない本であれば手段を問わず手に入れてくる。

 大金を積んでまで譲り受けるのはまだ優しい方で、敵国に講和の条件として敵王室の秘史を要求するだとか、原本を借りたら返す約束をしておいて、写本を返すといったことを平気でやってのける。

 極めつけに、この国では公に出す書物は必ず一冊大図書館に収めなければならないという冗談みたいな法律まである。


 そんな彼女の重要な仕事の一つが、先ほどから何回も出てくる『臨検』と称される活動である。



「こんにちわー! ブルコートでーす! 臨検に伺いましたので、すべての書物の提示をお願いしまーす!」

「えぇ、お待ちいたしておりました。ささ、どうぞ」


「今日は暑いですからね、お互いのために早く終わらせてしまいましょう」

「全くですわ! わたくしの気が変わらないうちにとっとと終わらせてしまいなさいな」


「聞きましたよ、ラーマまで行ってきたんですよね。珍しい書物があったら高く買い取りますので」

「いやー……それが今回はさっぱりでさー……」



 その内容はズバリ、交易船の書物の物色である! これはひどい!

 ブルーコートと呼ばれる、藍色ローブのを纏った管理員たちは、兵士たちに護衛されながら船内の書物の検査を行う。積まれている書籍は例外なくすべていったん船外に持ち出され、一旦ネルメルの下に集積する。そこで図書館に収蔵してあるかそうでないかをチェックされ、すでに収蔵してあると判断された本については船内に戻すことを許可されるが、収蔵されていないと判断された場合には、彼らがいったんあずかることになっている。

 される方にとっては面白くないのだが、残念ながら『臨検』は国の法律により義務化されてしまっているため、もし妨害しようものなら罰則を食らってしまう。


 古都アルカナポリスは、先述の通りこの国のみならず世界の交易における最重要拠点の一つである。特に船舶は東の海と西の海を行き来するためには、必ずここアルカナポリスを通過しなければならないため、それをいいことに、昔から大図書館の管理員たちは交易船で運ばれる知識を強引に掬い取っているのである。


 当然各国からは毎年のように非難されているが、何しろこの国は世界有数の強国であり、何を言っても聞く耳を持たない。

 どうしても臨検を避けたいのであれば、できないことはない。ただし交易ルートをいったん南にそれて、南方海域につながる運河のある東都イシスを経由して、そこから陸路で延々と運んだ後に、再び海路で南から北に向かうという凄まじい遠回りを強いられるが……


 そんな悪名高い『臨検』だが、決して悪い事ばかりではない。大図書館に気に入られた本は気前よく高値で買い取ってくれるため、原本にそこまで思い入れが無ければ市場に卸すよりもはるかに利益率は高い。

 さらに、個人の日誌や自前の詩集など、そのままでは何の価値もないような本すらも結構な値段で買い取ってくれる。ちなみに買い取った原本は、ちゃんと写本として帰ってくるので、行ったっきりになるということはないので安心してほしい。

 凄まじい筆跡で書かれているため見向きもされなかった論文が、綺麗な字の写本として帰ってきてから急に価値が上がったなんていう与太話もあるとか。



「し、失礼しまーすっ!」

「ごめんください、臨検に伺いました」

「ああ、どうも……こんな早くにわざわざこのような小さな船へお越しくださいましてありがとうございます」


 ラヴィアと新入りが、兵士を5人ほど引き連れて、埠頭の一角に停泊する小型の帆船の前までやってくると、船の所有者らしき商人の女性が、愛想よく出迎えてくれた。


「それにまぁ……今まで何回か臨検は通りましたが、このような美しい方がいらっしゃるとは思いませんでした」

「いえいえ、私は先生みたいなものですので、本命はこの子ですから。では、拝見させていただきますね。ほら、合図合図」

「え、は……はいっ! ど、同意が得られましたのでっ、り……りんけんを始めますっ!」

『応!』


 臨検開始の合図とともに、兵士と臨検員ブルーコート合わせて6人がそれぞれ二人一組となり、船内の調査を開始した。

 兵士二人の組2つはそのまま船蔵や木箱などをチェックしていき、新人臨検員ともう一人の兵士の組が、商人に案内されて船室へと案内される。船室の机にはすでに、十数冊の書籍が積まれていて、いつでも運び出せるように用意されていた。

 このように、臨検に協力的であれば比較的早く終わるので、古都を通るベテラン貿易商は余計なことをせず、粛々と受け入れてくれる。………まあ、中には意地になって毎回何かしら挑戦的な態度をとる者もいるのだが、大抵ロクでもない結末が待っている。



「航海日誌と……星座の見方の本と、帳簿と……」


 余談だが、当然帳簿も提出する必要がある。後で国が、統計調査のために使う為だ。もちろん拒むことはできない。

 まっとうな商人なら、国に帳簿を見られても痛くもかゆくもないはずだ、という無茶苦茶な言いがかりをつけられかねない。


「へぇ、植物図鑑が三冊もあるんですね。花がお好きなんですか?」


 新入りが必死に臨検している横で、ラヴィアは挿絵入りの植物図鑑を手に取ってみた。


「好きと言えば好きですが……どちらかというと主人の趣味なんですの」

「旦那様の趣味でしたか! ということは、家で園芸などしていらっしゃるんですか」

「そうなんです。私たちは行商をしながら世界各地の植物を集めていまして、家には私たちの自慢の大きな花壇があるんです。いまでは、近所の方々から『花屋敷』って言われてちょっとした評判ですの。まぁ……そのせいで使用人を雇うお金がなかなかできないのが悩みですけどね」


 困ったものですと、云いながらもその顔は心の底からの笑顔だった。

 きっと夫婦で共通の趣味があるから、長い間根気よく商売できるんだなと、ラヴィアは思った。世界各地から集められた花が植えられた花壇は、春夏秋冬と違った顔を見せ、見る人を飽きさせないだろう。


(今度植物学者さんたちに話してみましょうか。そろそろ薬草園だけではなく、新しい花壇が欲しくなってきたことですし)


 想像する素晴らしい人工の花畑に思いを馳せつつ、目はきちんと新入りの方を見ていた。

 ちょうど彼女は、着なれないローブの裾を踏んづけて、本を持ったまま前のめりに崩れ落ちるところだった。ラヴィアは、慌てることなく瞬間移動したかのような速度で、前のめりになる彼女の前に回り込むと、転倒エネルギーのすべてを受け止めることに成功した。



「あわひゃっ!?」

「おっと、大丈夫ですか。ちょっとローブの裾が長いようですね、戻ったら詰めてもらいましょうか」

「司書長っ…! そ、そのっ、私……ごめんなさいっ!」

「気にすることはありませんよ。でも、転んだら(本が)大変ですから、次は気を付けましょうね」

「はいっ!」


 転びそうになった自分を素早く支えてくれたラヴィアの優しさに、彼女は猛烈に感動した。この瞬間、彼女はラヴィアの為なら命も投げ出せると、極端な思想に染まり始めてゆくのだが、助けたラヴィア当人は、どちらかというと本が痛んでは困るからという理由で助けたのだった。知らぬが仏とはこの事である。



「あの、ところで司書長……」

「どうしました?」

「このような本があったのですが…………持ち出さないとダメですか?」

「あっ! そ……それはっ!」


 新入りがラヴィアに見せたのは、数ページしかない、本というよりも紙の束だった。しかし、それを見た女性商人は急に慌てたような顔をする。


「ま、まさかそれも本のうちに入るのですか!?」

「内容が内容ですから、書籍に該当するかは微妙ですが、念のため押収します」

「でしたらお願いです! どうかそれだけは、原本のままお返しください! たとえ金貨千枚積まれようとも、それだけはどうしても………!」

「分かりました……。悪いようには致しませんから、しばらくお借りしますね」


 どうしても渡したくないという商人を、何とかなだめつつラヴィアは冊子を預かることにした。ただ、新入りは若干困った顔をしていた。


「司書長……なんだかあのお母さん、かわいそうです……」

「そうですね。ですが、これも仕事です。あなたも、これからこういったことを何回も経験するかもしれませんが、大図書館の誇りにかけて決して妥協してはいけませんよ」



 こうして、一通りの作業が終わると二人は船を下りて、本を集積する場所へと向かった。


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