第9話 存在証明のアポストロフィー

「いやー面白いですね。クリスティーナ、そんな名前でしたね。僕も呼びますよ、クリスティーナ」

椿が笑いながら言った。

「違う、貴方じゃない。この名前を好きにさせてくれたのは、貴方じゃない。好きにさせてくれたのは柊 京介よ」

「だから、言ってるでしょ。僕も柊 京介だったんですよ。いや、僕が柊 京介なんだ。そいつはただのコピーだ」

「違う、コピーなんかじゃない。私にとっての柊 京介は貴方じゃない」


「そうですか、わかりました。じゃあ、ゲームをしましょうか」

「ゲームだと、この状況でお前はふざけてるのか」

何を言っているんだこいつは、わけがわからなくて、つい聞き返してしまった。

「いえ、真剣ですよ。ふざけるわけがないでしょう。僕は今、ムカついているんですよ。僕の席にお前が座っていることが。許せない。だからゲームをするんだよ。僕かお前か、どっちが柊 京介かを決めるゲームを」

その声は俺が聞いてきた中で一番真剣で、一番怒りがこもった声だった。


「ちょうどいいことに、今、僕と貴方の格好は一緒です。制服のワイシャツもズボンも僕達のは完全に同じだ。だから七瀬さんに決めてもらいましょう。どっちが柊 京介か」

「どうやって?」

椿が何をしたいのかがわからなかった。


「簡単なことですよ。今から五回連続、七瀬さんにはどっちが貴方かを当ててもらいます。もちろん一言も喋らずに、見た目だけで。できますよね、こいつが柊 京介だと言うのなら」

そんなのできるわけがない。俺達の見た目は完全に一緒だ。それを見分けるなんて不可能だ。

「いいよ」

七瀬は涼しそうにそう言った。


「なっ……」

「じゃあ始めましょうか」

「待て! できるわけがないだろう、そんなこと。無理に決まってる」

「柊、信じて私を。私はわかる、絶対に」

七瀬は俺の目を真っ直ぐ見て、そう言った。

そんな目で見られたら、言い返すことはできない。


でも……それでも七瀬にそんなことをさせたくはなかった。だから俺は止めるように声を出した。

「でも……」

「大丈夫だから、ね」

七瀬にそんな顔をされたら、了承するしかなかった。

「わかった」

「決まりですね、じゃあ、少し後ろを向いていてください」

そう言われて、七瀬は後ろを向いた。


「じゃあ始めましょうか」

俺達は横並びになった。どっからどう見ても、同じ人間が二人いるようにしか見えないだろう。これを見分けるなんて……

「右」

七瀬は振り向いてすぐにそう言った。正解だった。


「当たりですね。まぁ、一回目ですからね。じゃあ、もう一度後ろを向いてください」

椿は飄々とした顔でそう言った。

そうだ、まだ一回目だ。でも今ので俺の心はもう決まっていた。七瀬が俺に信じてと言ったんだ。それなら俺はただ七瀬を信じるだけだ。たとえ結果がどうなろうと。


「じゃあ二回目、どうぞ」

「右」

また即答だった。正解だ。

「当たりです。偶然ってすごいですね。それでは、また後ろを向いてください」

椿の顔にはまだ余裕が感じられた。


「三回目、どうぞ」

「左」

「なっ……」

椿の顔に焦りが見え始めていた。

「その反応ってことは、正解みたいね。じゃあ次やりましょう」

七瀬はいつも通りの表情で余裕を持っていた。

「くっ……」

反面、椿にはもう余裕はなさそうだった。


「四回目、どうぞ」

「右」

また正解だ。七瀬は本当に俺がどっちだかわかるのか?どうして?

「…………」

椿はもう何も言えないようだった。

「正解みたいね。じゃあ最後やりましょうか」

そう言って七瀬は後ろを向いた。


「五回目、どうぞ」

椿の声は震えていた。

七瀬は振り向くと、少しの間、黙って動かなかった。やっぱり、わからないのだろうか。

俺がそんな風に思っていると、七瀬は前に進んできた。


そして、俺達の目の前までくると、少し止まって、そのあと、俺にキスをした。

時間が止まっているようだった。一秒が無限に感じられた。


「なっ、どうして、なんでわかった」

椿が焦りを隠さない声で、叫んでいるのが聞こえた。

「私の勝ちみたいね。だから言ったでしょわかるって」

七瀬は俺から離れると、まるで当然の結果のようにそう言った。


「なんで、わかるはずがない、どっからどう見ても一緒のはずだ」

椿が叫ぶ。

「違う、一緒じゃない。この世に柊 京介は一人しかいない。わからないわけがない。ちょっと顔が似ているくらいで、わからなくなるわけないでしょ。優しくていつも私を助けてくれる、私が大好きな柊 京介はあんたよ」

俺の方を見て、七瀬はしっかりとした声で言った。


「七瀬……」

「ねぇ、柊、あんたはコピーなんかじゃない。私の名前を大切なものにしてくれたのも、私の手を引いてくれたのも、全部あんた。この世で一人だけの、あんたなの。私が大好きなのはあんたなの。それでもまだ不安なら、私が証明する、どこにいても何をしていても、あんたはあんただって、私が証明する。あんたの存在を私が証明し続ける。これでもまだ不満?」

七瀬がここまで言ってくれたんだ、不満なわけがなかった。十分すぎるくらいだ。

「いや、ありがとう……七瀬」

そうだ俺はここにいる。ここにいる俺の、七瀬が好きという気持ちは、俺だけのものだ。七瀬が証明してくれたことを、誰にも否定なんかさせない。


「そんな……どうして……」

椿が枯れたような小さい声で呟いた

「どうして、どうして僕じゃないんだ。なんでお前なんだ。何が違うんだよ。お前と僕の。どうして……」

そう叫んだ椿の体が、徐々に透明になっていた。


「お、おいどうしたんだ、その体」

俺が聞くと、

「なるほど、僕は消えるわけか」

途端、椿は急に落ち着いた声になった。

「消えるって、どういうことだよ」

「さぁ、でもどう見てもそうでしょ、僕は消えるんですよ。まぁ、ドッペルゲンガーに会っちゃいましたからね、この世に同じ人間は二人いらないんじゃないですか。それに、実は今日は一周目の僕が自殺した日なんですよ。だから僕は今日までに、貴方を殺して柊 京介にならなくてはいけなかった。しかし僕は失敗し、貴方が柊 京介だと証明されてしまった。だから消えちゃうんですよ、きっと」


「何か方法はないのか、何かあるだろ、助かる方法が」

「ないんじゃないですか。あったとしてまわかりませんし」

「そんな……」

「それに、なんで貴方がそんな焦るんですか。別にいいでしょ僕が消えたって。そもそも僕は貴方を殺そうとしてたんですよ」

椿がどんな人間だとしても、俺を殺そうとしてたとしても、この一週間椿として過ごした俺は、椿が消えるのを受け入れられなかった。


「それでも、この一週間お前を見てきて、お前として過ごして来た俺には、やっぱりお前が悪い人間には思えない」

「なんですかそれ。やっぱ、僕達似てないですね。僕はそんなお人好しじゃないですから。まぁ、そんな貴方だからヒーローになれるんでしょうね」

椿の体はどんどん薄くなっていた。


「おい、待てよ。まだ何か方法が」

「もういいですよ。僕には柊 京介でいる資格はないみたいですね。そもそも僕は本当だったら、一周目の時点で死んでいる人間ですから、当たり前かもしれませんね。僕は一度、柊 京介を諦めたんですから」

「そんな……」

「それじゃあ、いろいろすみませんでした。頑張ってくださいね、これからいろいろ……柊 京介さん」


そう言った椿の体はもうほとんど消えていた。

俺はなぜかこの顔を、俺と同じ顔をしたやつが消えていく姿を、忘れちゃいけないと思った。

絶対に。


気づくと椿はもういなかった、

「消えちゃったの?」

七瀬の声はとても小さかった。

「みたいだな……」

多分俺の声もそんな感じなんだろう。

「そっか……悲しいね」

「そうだな……」

「行こっか」

そう言うと七瀬は俺の手をひいて、公園の出口へと向かった。


後日調べてみると、椿 圭介という存在は、最初からいなかったことになっており、覚えているのは俺と七瀬だけだった。

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