第3話 磯崎さん
それから五日間、特に問題は起きなかった。
俺も椿として学校に馴染めていたと思うし、何より桐島達といるのは楽しかった。
椿も話を聞く限りでは、うまくやっているようだ。
そして、入れ替わってから七日目、学校が終わり、今俺は、椿の家からも俺の家からも離れた公園に向かっていた。俺の家と椿の家は三駅離れているが、そこからさらに二駅超えたところにある寂れた公園だ。
ここで椿と会う約束になっている。同じ顔が二人いると目立つので、人気のない公園にしたと椿は言っていた。
まぁ、最悪人がいても、双子ってことにすればいいわけだが。
公園に着くと椿はブランコの周りの柵に腰掛けていた。
「こんにちは。久しぶりですね」
俺も隣に腰をかけて返事をした。
「ああ、いつ見てもやっぱりそっくりだな」
「そうですね」
ここ何日かで俺の、椿に対する敵対心はなりを潜めていた。
それは椿になってみて、椿が今までどんな人間関係を築いてきたかで、椿の人柄の良さがわかったからだろうか。
とにかく椿に対する嫌悪感はほぼなくなっていた。
「それでどうですか、僕の生活は」
「ああ、電話でも話したと思うが正直、楽しいよ。クラスメイトはいい奴ばっかで、あいつらと遊ぶのも楽しい」
「それは良かった」
「お前の方はどうなんだ」
俺になるのが楽しいとは、とても思えないが。
「僕も楽しいですよ。段々みんなからの好感度も上がってきています。後一週間で必ず成功させてみせますよ」
「それは楽しみだ」
俺の心は段々、椿に肯定的になっていた。
こいつにだったら、すべてを任せられるという気持ちがあった。
「それで提案なんですけど、七瀬さんに告白しませんか」
突然でできた名前に、俺の心はまたざわついた。
「どうして」
つい反射的に、強い口調で聞き返す。
「どうしてって、彼女を作っておいた方が、より幸福な人生に近づくのではないかなと思いまして」
「それはダメだ」
「どうしてですか?」
「とにかくダメだ」
「わかりました。不利益になることはしないって約束ですしね」
「ああ、悪いな」
それから少し話をして、俺たちは別れた。
帰り道、さっきのことがずっと引っかかっていた。
どうして俺は七瀬のことであんなにムキになったんだ。
入れ替わっているとはいえ、椿に七瀬を取られたくなかったのか。
いや、そんなはずはない。そもそも、取られるとか、元々俺のものってわけでもないのに。
ダメだこれ以上考えても、自分が嫌になるだけだな。やっぱり七瀬だけが俺を、どうしようもなく特別にさせるんだ。一度考え出すともう止まらない。俺は自分の燻んだ感情をおさえることがで——
「危ない!」
突然背後から声が聞こえた。立ち止まって振り返ると、今度は前方からとても大きな、ガシャンという音が聞こえた。
「大丈夫ですか」
先ほどの声の主が、俺に慌てて話しかけてきた。
ただ俺はその問いに応えることができなかった。
俺のすぐ目の前には、上から落ちてきた看板があった。あと一歩でも前に進んでいたら、俺はこれに潰されていただろう。
「すっ、すみません。ありがとうございます」
俺は、目の前の男性に、震えた声で礼を言った。
この人がいなかったら俺は看板と一体化するとこだった。
「いえ、大丈夫ですか。怪我は?」
「大丈夫です。貴方の声で立ち止まったので、潰されずに済みました、本当にありがとうございました」
「良かった。看板、老朽化してたんですかね。それとも…… 何か心当たりありますか」
「いえ、特には」
心当たりなんてあるわけない。
そもそも俺は誰かに恨まれるほど、深く人と関わってないんだ。
「そうですか。どうします警察とか呼びますか?」
警察か。もし警察を呼んだら、事情聴取とかがあるだろう。
椿と入れ替わっている身としては、それはさけたい。
幸いここは人気のない、裏通りだ。この人さえ説得すれば何とかなる。
「いえ、あまり警察とか面倒なのは」
「それもそうですね。じゃあ、看板ははじに避けておきましょうか」
「そうしてもらえると助かります」
物分りのいい人で良かった。
看板をはじに避けるとその人は、
「じゃあ私はここら辺で」
と言って去ろうとした。
「あ、待ってください、何かお礼を」
「そんなの大丈夫ですよ」
「しかし」
俺がそう言うと。その人は、
「そうですね、じゃあ、私の名前は磯崎と言います。もし貴方が同じ磯崎という名前の人に会ったら、親切にしてあげてください。その人が、もしかしたら僕の家族かもしれないし、恋人かもしれない。もちろん何の関係もない別人の可能性だってある。どちらにしろ、これって素敵なことだと思うんです。それでどうですか?」
と言った。
「わかりました。貴方、面白い人ですね」
俺はいつの間にかそう返事をしていた。俺の口からこんな言葉がまさか出るとはな。椿になって気が大きくなっているんだろうか。
「はは、よく言われます。それじゃあ」
そう言って今度こそ、磯崎さんは去って行った。
*
変わった人もいるもんだなと思いながら、俺はさっきのことを思い出していた。
よくよく考えると、恨まれる心当たりはないと言ったが、それは俺のことだ。椿がどうかなんてわからない。
一瞬そう思ったが、椿が恨まれるなんてもっと想像がつかないな。
この一週間で椿の人柄はよくわかった。絵に描いたいい奴だ。ちょっと変わってるけどな。それこそ磯崎さんみたいに。
まぁ、逆恨みって線もあるが、考えすぎだろう。そうしてただの老朽化だと結論付けて、俺は帰って眠りについた。
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