第72話

 僕がそれ以上何か言うより早く、筆頭格の、勝呂勇の顔をした重戦士が、―――いや、めんどくさい、勇と呼ぼう。勇は大剣の切っ先を飛鳥さんに突きつけて、憎悪の念を剥き出しにして叫んだ。


 「さぁ、覚悟はいいか」


 「あんた、前の世界の記憶が―――」


 「知らん! だが魂が知っている、吼えている。決して折れてはならぬと、叫び続けている。我らは、自分がかつていた世界の人々の憎悪や期待を背負っているのだ! 貴様を倒し、滅ぼすことによってのみ、我らの魂は安息を迎える。報いを受けよ、魔王め!」


 「あたしは、そんな……」


 「他の世界を傷つけておいて、自分の世界が傷つくと、その面か。問答無用!」


 大剣を振り回し、勇は斬りかかった。命の危機を感じて、とっさに前に出した飛鳥さんの腕に小さな光の盾が生まれ、その斬撃を受け止めた。涙に濡れた目を見開く飛鳥さん―――自然に盾が現れたことが、信じられない様子だった。


 そうしている間にも、和尚と城市先生は補助呪文の詠唱を続けている。攻撃力アップ、防御力アップ、敏捷度アップ、さまざまな光が、勇者たちを包み、輝かせ、彼らの力を高めていく。


 続いて桐原さんが突っ込んでいった。細身の剣を振りかざし、低い姿勢からの連撃を繰り出す。


 「さくらちゃん! 死んで! そうしないと、あたしたちの使命は終わらない!」


 「同じ顔してるだけなんだろ、そうなんだろ、……」


 「そう思いたければ思っていて。あたしたちの魂はずっと、この日を待ってた。あなたを知って、探って、何に弱くて、何を怖れるのか、突き止めたかった。その努力が実る日が来たの。あぁ、なんて喜び!」


 飛鳥さんの表情はこわばったままだ。勇と桐原さんの連撃は、光の盾が閃く刃先の随所に生まれて受け止めてはいるが、身のこなしはよたよたしたままで、いつだって堂々と魔王たらんと戦ってきたはずの彼女の姿は、見る陰もない。


 補助魔法が終わり、いよいよ和尚も前衛に参加する。城市先生はまた、長い別の呪文の詠唱を始めていた。


 「もう交渉の余地などないんだ、飛鳥さくら。せめて顔を上げて俺たちと戦え! 戦い、傲岸に振る舞い、破壊と殺戮の限りを尽くせ! 善き者どもを屠ることは、魔王の矜持なのだろうが! ……それすらできぬ哀れな者と成り果てたなら、それはそれで好都合。ただちに滅するがいい、エンジェル・バインド!」


 和尚が錫杖をぐるり振り回すと、その軌跡が光る輪となった。輪はそのままフラフープほどの大きさまで広がると、尾を引いて空へ飛んでいき、輪投げの要領で、飛鳥さんの体にするりとはまった。とたんに輪は急速に縮まり、飛鳥さんの体を拘束し締め付ける。さしもの魔王の魔力でもすぐには外せず、手こずっているようだ。


 身動きできない飛鳥さんの前に、僕は歩み出た。


 「まだためらってるみたいだから、とりあえずきっかけは作ってみようか」


 手の中に、魔法の光弾を作り上げる。


 「戦いは醜いものだ、なんてきれいごとでは決して解決しないよ。わかってるだろ? ずっと魔王やってきたんならさ。魔王のいる異世界は、破壊されて、殺されて、人々の感情が励起されて、初めて現実世界の役に立つ。そうだろ、飛鳥さん?」


 光弾を、浜に近いファミレスに向けてぶっ放した。オーシャンビューで有名なところだ。たぶんまだ人がいる。おそらく、食事客が、何が起きたのか不思議に思って、こちらの様子を見ていたはずだ。


 それが吹っ飛んだ。複数の悲鳴、絶叫が響き渡り、もうもうと土煙が立ち上り、そして灯りが消える。電線も吹っ飛ばしたらしく、窓明かりが並び始めていた町並みが、いっせいに暗黒と化した。


 「やめ……」ろ! と叫びそうになった飛鳥さんがぐっとその言葉を飲み込む。それはこれまでずっと己がしてきたことだ。異世界で。そう、異世界で。幾多の悲鳴を、君は聞いてきた。それと同じこと。


 「……たとえ、そうでも」やがて彼女は声を絞り出した。「ここはさっきまで、あたしにとって現実世界だった。この世界が良くなると思って、戦ってきたんだ。この世界は、―――この世界は守りたいんだよ。魔王とて王だ、王ならば守るべき秩序がある、そうだろ?」


 「ですから、これが」城市先生が言い放った。「あなたが待ち望んでいた、勇者の魂がもたらす世界の変化です。あなたの死と世界の破壊こそが、導かれるべき変化なのです。秩序の維持が最良と思い込んだのは、あなたの勝手。いえ―――傲慢」


 「嘘だ……」


 呆然とつぶやいた飛鳥さんが、はっと気づく―――長い呪文詠唱がすでに終わっている。先生が、輝く杖を空へ高々と差し上げた。とすれば、凄絶な稲妻、トール・インパクトが、来る……飛鳥さんは思わず上方に目を向けた。


 だが、上に注意が向いたその隙に、低い位置に大宅が潜り込んでいた。爪で腹をえぐり、エンジェル・バインドの呪縛ごと上へ持ち上げたところへ、竜崎先輩の跳び蹴りがクリーンヒット。着地モーションをキャンセルしてほうこうけん、光る狼のあぎとに捉えられて、浜から浅瀬へ、しぶきを上げて吹っ飛んだ。


 そこへ射水さんが打ち込む大量の光の矢と、今度こそ降ってきたトール・インパクトが重なり、電撃をまとう矢の雨が、濡れそぼった水着姿の飛鳥さんに降り注ぐ。海面が放電で真っ白に染まった。魔王であってさえ怖れたあの電撃を受けて、生身の人間が生きていられるはずはない……。


 しかし、飛鳥さんは無傷だった。エンジェル・バインドによる拘束の方が耐えきれず、ぴきりと割れて砕け散る。


 ふわり立ち上がって、ふらふらとよろめいているのは、体に異常をきたしたからではない。精神が、平衡を失ったのだ。


 「そうか」


 今までとは異質な、ニヤニヤ笑い。今までは、彼女が、他を見下そうとして見せていた。これは、何かが、彼女を引きずり上げて作り出した笑い。


 「おかしいと、思ってたんだ。全部、かりそめで、偽りなのか」


 彼女の奥底から漏れ出す悪意、その源泉。


 「やっぱり、あたしに友達なんていなかったんだ。いらなかったんだ」


 そうだ―――絶望を―――さらけ出せ。


 「あたしはずっとひとりだった。誰もあたしに届く言葉をくれなかった。誰もそんなもの持ってない、って知ったんだ。それが永劫に変わるはずのない、この世界の真実だ。そうでなきゃいけない、そうに決まってる!」


 もっと、濃く、―――奥深く!


 「誰もがおんなじところをぐるぐる回ってさ。誰も最後まで、たどり着かない。最後の壁を、壊すどころか、見つけようともしなくなった。それが世界だろ? そのはずだろ? 間違ったのはあたしか? それとも時代のせい? はは、はは、おかしいじゃないか。笑えるよ、ホント。はは、ははは、うひゃ、ひ、ふひ、ひは、ひ、ふひゃひゃひゃひゃひゃ……」


 飛鳥さんは、ひとしきり狂ったように笑い続けて。


 突然笑いやめて、そして、ぞっ、と地の底から這い出るような冷え切った声で、言った。


 「誰が魔王あたしを産んだ」


 もう、何も見ていない。どこともわからぬ方向を指差して、号令を下した。


 「出でよ、闇の軍勢。すべてを―――滅ぼせ。この世界には魔王あたし以外何も要らぬ!」

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