第73話

 その言葉に応じて―――海が割れた。


 波打際だった場所に、いくつもの光る魔法陣が出現した。その内側に、乱舞する稲妻とともに、おびただしい数のおぞましい怪異が地の底からせり上がってきた。魔界、地獄、闇、悪の組織、彼女が魔王であったすべての異世界から、ありとあらゆる邪悪で醜い怪異どもがいっせいに姿を現し、てんでに振りかざして、浜からおかへと行進を始めたのだ。


 とりわけ巨大な魔法陣からは、クリスタデルタで見たゴーレムがのっそりと姿を現した。辺りをしばし睥睨した後、かぱ、と口を開くと、喉の奥が白熱を始め―――南から北方向へとぐるりと首を回しながら、極太ビーム砲を、放った。


 威力は言わずもがなだ。柔らかい砂礫層の三浦半島西岸が綺麗に円弧を描いて消え失せ、その分相模灘が広がった。葉山の市街地はその円弧を境に火の海と荒れ狂う渦の海に両断され、住まう人々は声をあげる間もなく蒸発するか海に沈んだ。北は逗子や鎌倉に至るまで原形とどめるところはなく、鶴岡八幡宮も大仏も消し飛んだだろう。魔王同士の戦いに、神仏など無力だ。


 一瞬、飛鳥さんが目を覆ったのを見た。本当は、壊したくないのだ。自分の世界が毀損するのを見たくないのだ。


 ためらう間など与えない。彼女は残酷と絶望の魔王だ。僕の頭は冷えていた。なすべきことをするだけだ。


 「迎え撃て」


 指示を下すと、今や僕の配下の精鋭である元勇者たちは、いっせいに―――それはもう嬉しそうに、躍りかかった。その強さたるや鬼神のごとく、まさに一騎当千、現れた怪異どもをたちまちのうちに屠り、薙ぎ払い、魔法陣へ押し戻していった。


 ことにゴーレムのようなデカブツは、格好の餌といえる。空飛ぶ射水さんが顔面に貼りついて大量の矢を撃ち込むと同時に、竜崎先輩がやはり漢字でどう書くかわからない技名を叫びながら強力なアッパーカットを食らわせ、ゴーレムのまたぐらから胸元まで粉砕した。ゴーレムは岩塊と化し、海面へダボダボと落ちていく。


 サイレンが聞こえてきた。三浦半島が崩壊したのだから、山に住宅地が貼りついている東岸の横須賀市も無事ではないだろう。横須賀米軍基地に駐留している空母ロナルド・レーガンからFA-18Eスーパーホーネットが緊急発進し、こちらの視界にも入ってきた。


 日本領内で、こんなに早く行動できるものかな。まぁいいや、どうせここも異世界だ。そして勇者がいなくとも、魔王に抵抗する住民は必ずいる。魔王はそれを、すべてねじ伏せなくてはならない。


 空にも飛鳥さんの作った魔法陣が浮かび上がり、ゴルマデス四天王や超・秘密組織の超・戦闘機が召喚された。現代科学にあらざる魔法や技術による攻撃を浴びせられては、最新鋭戦闘機も紙飛行機同然で、たちまち撃墜され煙を上げて相模灘へ落ちていく。


 けれどただ一機、常人ならざる跳躍力で跳ね上がった大宅が、その背面に飛び乗った。キャノピーを悪魔の腕がもたらす怪力で破壊し、パイロットの頚動脈から悪魔を送り込んで支配する。人間には不可能なマニューバで空を舞うあらゆる異形の攻撃をかわし、飛鳥さんに接近すると、装備していたミサイルを全弾撃ち込んだ。


 彼女の体は一瞬爆炎に包まれたが、


 「ふっざけるなぁーーーーーーっ!」


 絶叫とともに、半球状の青いバリアが発生し、爆発も残ったミサイルもすべて光の粒子に変えてかき消してしまった。バリアはそのまま弧を広げ、戦闘機をも飲み込んだ。大宅の気配が消えた。彼はここで脱落のようだ。「セイクリッド・マジックバリア!」他の勇者たちは、とっさに和尚が構築した魔法防壁に守られた。


 魔王の作る青いバリアの拡散はやまない。あっという間に、その半径はキロ単位に達した。バリアに触れたものはすべて粒子となって消えていく。もはや葉山どころではない、都市がまとめて消えうせていく。


 この世界に住まう大勢の人々が、突然の災厄に驚き、逃げ惑っていることだろう、パニックに陥っていることだろう、けれど、もう、悲鳴など―――聞こえない。


 空高く飛んで、影響を確かめてみた。西は江ノ島が海に沈み、南は三浦半島全体が更地となり、東を見ると、ロナルド・レーガンは無論、東京湾を超えて千葉まで達したようだ。それでもなお青い半球はその範囲を増していく。北を見ると、横浜のランドマークタワーはもうなく、新横浜のプリンスホテルがちょうど飲まれて灰燼に帰すところで、いったんバリアの拡散は止まった。障害物がなくなって、僕らの住む辺り―――武蔵小杉の高層ビル群が、かすかに見えた。




 飛鳥さんの体もまた、ふわりと宙に舞い上がった。その姿はもう水着ではなかった。何か黒いネバネバしたタール状のものが、体にまとわりついていた。それは、我が精鋭たちが闇の軍勢を一体また一体倒すごとに、べとりべとりと少しずつ彼女にこびりついていくのだった。


 彼女はもうそれを拭いもせず、黒衣のようにまとい、どろどろと海面に垂らしながら宙を漂った。


 背後から、アルガレイムでも見た、鞭状に連なるしゃれこうべの人魂が青白い炎を伴って現れて、振り回しているわけでもないのに縦横無尽に飛び回り始めた。感応式のトラップといおうか、近づく者は誰であれ容赦なく襲いかかってしわくちゃの骨皮に変える。しかし僕の部下にそれに捕まるようなうかつ者はいないから、犠牲になるのは自分が呼び出した闇の軍勢ばかりだ。そうして人魂が共食いを繰り返すにつれ、またべとりべとりと彼女のタールの黒衣は厚みを増し、裾が広がっていく。


 その黒衣が、彼女を浮遊させている。彼女自身の力ではない。彼女はもう、らんらんと冷たく輝く瞳以外、手足も動かしていない。


 さて―――どうするか。


 飛鳥さん本体を叩くには、空中戦ができなければならないようだ。自由に飛べる翼が必要だ。


 魔王たる僕は自分自身でどうにもなるけれど、元勇者の部下どもにはアイテムなりスキルなりがいる。アルガレイムで乗ってた飛竜を創造するか、それとも―――。


 「射水さん、君の力をもらうよ」


 「仰せのままに」


 射水さんは僕に背を向けて立った。そこにある翼を、僕はもぎとった。翼自体は飾りでも、おおもとの飛翔能力は、クリスタデルタの住人の魂にとっては生命力に等しい。彼女は命尽きて、その場に倒れ伏した。力を奪う一瞬は苦悶の表情を浮かべたが、その死に顔は安らかに微笑んでいた。


 奪った飛翔能力を、精鋭たちにコピーしようと試みたが、どうやら四つに分割するのが限界のようだ。……地上にも一人配置しておくか。狙うは魔王飛鳥さくらのみだが、魔法陣からの魔物の供給は止まっていない。


 「竜崎先輩、ザコは任せます。空に攻撃できるやつを優先でカタしちゃってください」


 「承知!」


 指示を与えると、先輩はハチマキを揺らしてその場を駆け去って……の前に、一瞬だけ立ち止まり、勇に拳を突き出した。勇も応じて、拳と拳を打ち合わせた。そうして最後の会話を終えると、竜崎先輩は背を向けて去り、あらゆる秘技を尽くして、砂浜を埋め尽くす魔物どもの駆逐を開始した。


 後に残った元アルガレイムの勇者四人、すなわち、飛鳥さんの最初の友人たちに、射水さんの力を分け与えた。それぞれの背中に、空を自在に飛び回れる、美しい天使の羽が浮かび上がる。


 さぁ、―――終わりにしよう。


 「桐原さん、どう見る?」僕は魔晶鏡を持つ桐原さんに尋ねた。「あれ、どうやって倒そうか。弱点わかる?」


 「弱点も何も、魔力による回復や魔法防御は強力だけど、中身は普通の人間よ」彼女は目を細めて、飛鳥さんの姿を見つめながら言った。「痛覚からの反射が起ると回復してしまうから、痛みすら感じない物理大ダメージを直接与えれば……」


 「そう。じゃ、それで。そこまでが大変だとは思うけど、頼むね」


 彼らは、待ち受ける運命をどこまで理解しているだろうか。世界の消滅は、彼らの消滅でもある。魂自体は滅びないだろう、けど、彼らが求める平穏に、いつかたどり着くことはあるだろうか。


 「みんな」飛び立とうとした彼らに、そっと声をかける。「ありがとう」


 「いいってことよ」


 「さくらちゃんのためだもの」


 「楽しかったぜ、この世界」


 「それでは、ごきげんよう」


 短い言葉を残し、それから顔を合わせて強く頷き、彼らは飛び立っていった。

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