第71話
僕はひとつパチンと指を鳴らした。魔法で作り上げられた光るナイフは、そのとたんに光の粒にばらけて消えた。
実体なき光の武器だったからといって、刺さらなかったわけではない。裂けたパーカーと、裂け目から除く乳房の地肌には、確かに鮮血の跡がある。だがもう出血は止まり、傷は塞がりつつある。痛みも薄れているようだった。
「さすがに、心臓を突くくらいでは殺せないね」
「何、これ……なんだ、これ……」
「予想通りではあるけどね。魔王が一撃で死ぬなんてありえない。死力を尽くして戦うのでなきゃ」
膝を折ったままの飛鳥さんが、呆然と僕を見上げる。
たった今まで楽しく語らっていた相手が、突然牙を剥く。信じられないことだと思う。僕もあまり信じたくはない。
それでも、僕は事実を突きつけなくてはならない。必要な終止符を、打つために。
「ここは───いま僕らが立っているこの日本という国は、君のいう
これまでにも、彼女は無意識のうちに魔法を使い、奇跡を起こしていた。召喚に応じて別の異世界に行くだけでなく。
さっき傷がたちどころに癒えたのもそう、この場がふたりきりになったのも、彼女が心の奥でそうあれかしと望んだからだ。彼女がオークキングに自らを攻撃させたとき、勇と桐原さんが反撃したことさえ、おそらく、本当は怖かった彼女が呼び寄せてしまったに違いない。
彼女が使ってしまった魔法の、最たるものはあのポーカー対決のとき。彼女には全く手が入らなかった。本心では負けたかったから、そうなったのだ。
あれだけの啖呵を切ったのだ、校長の権力に屈したかったのではないだろう。そうじゃない。
友達がいること。仲間が、ともに戦ってくれること。それが怖かったんだ。忌避したくなったんだ。ひとりの邪悪な魔王でいた方が───部を潰して嫌われ者に戻った方がラクだと、心のどこかで望んでいたんだ。
自分が無敵であるために創造した異世界の中でさえ、自分を恐怖で縛り上げ、孤独に逃げ込まずにはいられなかった。それが、本当はとてつもなく弱い彼女の哀しい本性だ。
だけど結局、元勇者たちがよってたかって、その恐怖と彼女を戦わせた。彼女は戦い、そして勝った。だから、あの
彼女にはもう、こんないびつな異世界は必要ないはずだ。そこまでたどりついたんだ。さっきの楽しそうな飛鳥さんの笑顔。まだ、目に焼き付いている。
「いつか言っていたね。僕が赤ん坊のような目をしているって。……自分でもわかっているんだろう。それは、君も同じなんだよ。僕らは、ともに魔王だ」
そしてあの第三七ハンドのとき、僕の手の中にあった手札を思い出す。もちろん、♠K♠Q だ。彼女を上回る奇跡が、僕の手の内にあった。僕は、彼女に勝る力を持っている。その力は、何のためのものか? 世界を創り出した魔王に勝る力は、何のためにあるのか?
「君が僕の心に入り込み、僕が君に近づいていくたびに、大好きな君のために何ができるのか、何をしてあげられるのかって、考えたよ。これが結論だ」
飛鳥さんは、まだ目を見開いて呆けた顔をしている。僕はその肩をとんと突いて、距離を取った。
「こうしなきゃいけないんだ。君を現実に送り返すために、君という魔王を倒し、君が創造神でもあるこの世界を終わらせなくちゃいけない。魔王を倒す魔王、それが僕の役割だ。弱点のない君の弱点だ」
僕はさらに何歩か後退して、距離を取る。僕と君の間を、夕陽が満たしていく。
「君も僕も魔王だ。だが、大きく違う点がひとつある。なぜ、僕が一緒に行ったときだけ、倒した勇者が君の身近に現れるのか。そしてなぜ、それが
僕はさっと僕は手を横に振った。
「出でよ、全軍、前へ!」
いつからその場に控えていただろう、七人の部下が現れて僕の前に立ち、てんでに武器を構えた。鎧兜の重戦士、魔晶鏡で見通すヴァルキリー、錫杖を持った神官、三角帽子の魔法使い、ハチマキ格闘家、飛翔する巫女、悪魔の手を持つ探偵。
ずらりと居並ぶ、いずれ劣らぬ屈強な者ども。対峙するは、血にまみれた水着とパーカー姿の、飛鳥さん。本当は、本当の現実世界では、ちょっと想像力が豊かなだけの普通の女の子に違いない、僕の大好きな人。
「なんでだよ」
その目から、とうとう、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
魔王の目にも涙、か。
正直、僕が泣きたい。けど、僕はこらえて言った。
「僕が、君に幸せであってほしいと願っているからだ。そして、君が幸せになるのは、ここではない。この世界では、ないからだ! さあ戦おう、これが、魔王対魔王の真の最終決戦だ!」
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