第67話
この一ハンドで大勢は決した。スタックは、飛鳥さんが約二四〇〇〇$、校長が六〇〇〇$となった。ここまで大差がついてヘッズアップになったのでは、オールインのないフィックスリミットでは、逆転は困難だ。
むろん、チップをすべて失った僕は退場だ。静かに席を立ち、テーブルを離れた。去り際に飛鳥さんの脇を通ると、彼女がグッジョブと親指を突き上げた拳を差し出してきた。僕はその拳に自分の拳を合わせた。
……単に、互いのアクションを称え合っただけだが、それを見た校長が突然噛みついてきた。
「貴様ら……示し合わせたな?! どうやった?! ルール違反だ!」
飛鳥さんはその反応を予期していたようで、今まで見た中でも最高にキレのあるニヤリ笑いを見せた。邪悪さだけでない、喜びも苦しみもみんな混ざった、今までの彼女のすべてが詰まったニヤリだった。
「まさか。あれは友納のファインプレーだよ。サンキューな、友納」
僕の背をぽぅんと叩いた後、校長に向かって淡々と説明を始めた。
「あんたはプリフロップで、あたしのレイズにコールしている。なのにフロップでは、あたしとレイズ合戦をやらかした。それでだいたい手札は読めた。和尚が命を張って突き止めてくれたからな。あんたはプリフロップでレイズされたとき、
プリフロップでコールして、あのフロップで強気に転じられる手札は、AJ、AT、JT、あとはKQでフロップストレート、これくらいだ」
「そうだ、おまえはあのフロップのリレイズにコールした。ストレートまで見越して抑えたのか。だからターンでもチェックから……」校長はそこまで言ってはっと顔を上げ、なお食ってかかった。「なら、なおさら、なぜだ! フロップでストレートを怖れたなら、あのターンのスペードのテンを見たとき、おまえはもっと恐ろしい可能性に気づいたはずだ。エースのフルハウスでも勝てない奇跡の可能性に、目の前を闇が覆ったはずだ! ……ポーカープレイヤーは、『ありえない』などと決めつけてはならない。全ての可能性を消してはならないのだ。なぜおまえは、頭の隅に巣食ったはずのその恐ろしい奇跡の可能性を消したのだ?!」
「……ひとりじゃ、消せなかった」飛鳥さんは言った。その口調には、ほんの少しだけ寂しさが混ざっていた。「恐かったよ。とても恐かった。もしこれがヘッズアップだったら、ランダムハンドなら〇・〇〇三パーセントというわずかな確率を恐れて、この最強のフルハウスを投げ出していたかもしれない。
でも、考えてみろよ。その恐怖は、友納も同じだったはずなんだ。まして友納はあたしよりスタックが少ない。もし負けたら、お前を肥え太らせた末に退場する最悪の結果となる。……でも、友納はレイズしたんだ。
友納のレイズは、明らかにフラッシュの完成を主張してた。あのプリフロップでフロップまで参加でき、そしてこの、誰かが奇跡を起こしているかもしれないボードを見て、攻める判断を下せたフラッシュって、どんなだ。友納は、望みうる最高の手としてそのフラッシュが完成したから、レイズした。
下りちまった以上、もう真実はわからない。が、友納は
もちろん一〇〇%の確率じゃない。けど、友納ならそういうアクションをするって、あたしが信じただけだよ。友納も、そこでコールしたあたしを信じてくれたんだろ? フラッシュに下りる必要のない手を、あたしが持ってるんだ、って。フォールドまでするとは思わなかったけどさ。
あんたは、あたしが友納のフラッシュ
飛鳥さんは、魔王の笑みを浮かべたままで、ゆらりと立ち上がった。
「あんたに奇跡は起こせない。あんたは魔王なんかじゃない。ただの人間、ただの根性ねじ曲がってるだけの小悪党だ!」
指を突きつけて言い放ち───校長は、がっくりと肩を落とした。
一発逆転がないフィックスリミットで、比にして一対四のスタック差がついた今、校長が飛鳥さんを逆転するには、気の遠くなるくらい大きな運と集中力の持続が必要だったろう。しかし校長は、運はともかく集中力を完全に失ってしまった。一方、飛鳥さんの集中はより高まって、すくみ上がるほどの厳しい視線と、見下げ果てたニヤニヤ笑いを、校長に投げかけ続けた。
校長はたちまちじり貧になり、最後はあっけなく終わった。
第四二ハンド。校長SB、飛鳥さんBB。校長のスタックは三〇〇〇を切っていた。
プリフロップにて、校長がレイズ、飛鳥さんがリレイズして、校長はコールした。
フロップは ♠A♡9♡4 だった。校長がチェック。飛鳥さんがベットすると校長はレイズした。飛鳥さんがリレイズし、校長はそれにオールインで応じざるを得なかった。
ふたり手札を開いた。……正直、開かなくても結果は見えていた。双方とも、エースを持っている。
飛鳥さんは ♡A♣K、校長は ♢A♢3 だった。ヘッズアップで、ふたりのカードのうち一枚が同じ数字である場合、
ターンでキングがボードに落ちた。飛鳥さんがツーペアとなり、校長の逆転の目は消えた。察したディーラーは手早くリバーを置いてハンドを終わらせ、チップを飛鳥さんの手元に移動した。
飛鳥さんの目の前に今、三〇〇〇$×一〇人分、三〇〇〇〇$のチップがすべて集まった。
「勝者……飛鳥さくら!」
大宅の裏返った声が、講堂内に響き渡った。
割れんばかりの歓声があがった。その場にいた観衆のみならず、校内からいっせいに湧き上がって、雨音を掻き消した。
勇と和尚が、そろって腕を天高く突き上げ、ハイタッチした。先生と桐原さんが抱き合って飛び跳ねている。どこに用意していたのか、射水さんが巨大なかばんを持ち込んでいて、中から何か巨大な砲のようなものを取り出して、竜崎先輩に渡した。先輩はわっはっはと哄笑しながら、天井に向けてためらいなく引き金を引く。すわどんな危険物かと思ったら、紙吹雪を降らせるパーティグッズだった。
降り注ぐ紙吹雪の中、校長はうなだれ、微動だにしなかった。ふぅふぅと、荒い呼吸だけが聞こえてきた。しばらくして、胸をかきむしるようなしぐさをはじめた、ショックのあまり体に変調でも来したのか、と思ったら、胸ポケットから煙草を引っ張り出していた。震える手でくわえて、ライターまで取り出して、何度もカチカチやって火をつけかけて、……むろん、校長室ならともかく、多数の生徒が環視する講堂で吸っていいわけはない。くしゃりと煙草のボックスを握りつぶし、再びうなだれた。周囲から浴びせかけられた冷たい視線を、これから受ける社会的制裁に重ね合わせ、暗澹たる思いを巡らせていることだろう。
ここで飛鳥さんが、もういっちょ何か校長にトドメのひとことを投げ落とせば、サマになったのだろうが……彼女は疲労の限界に達していたようで、糸が切れたようにぐったりと崩れ落ちた。
「何か甘いものが食べたいよ」
「うん、うん、そうだね、さくらちゃん!」
桐原さんの肩を借りながら、よろよろとテーブルを離れる飛鳥さんに、惜しみない拍手が贈られ、いつまでも鳴り止まなかった。
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