第32話

 すとんと腰を落とした飛鳥さんに、桐原さんが歩み寄った。


 「さくらちゃん、ものすごい啖呵切ったけど、大丈夫?」


 「平気だよ、あんな奴」


 飛鳥さんは答えた。気を張っているが声は弱々しく聞こえるし、顔色もものすごく悪く見えるのは、血を流したからだろうか。


 桐原さんは、飛鳥さんの前に跪いて、その手を包み込むように握った。


 「心配ないよ、さくらちゃんはあたしが守ったげるからね! あたし、これでも剣道有段なんだから!」今度は、教室全体を示すように大きく手を広げた。「ほら、みんなだっているし! あんなヤな先輩に、絶対負けるもんか!」


 ただ友達を力づけようとするその行動に、「……ありがと」飛鳥さんは歯がみして、居住まい悪そうに答えた。魔王が励まされてちゃ世話はないから、彼女は今の言葉を喜びはしないだろう。けど、この現実ではやっぱり桐原さんは大切な友達で、突き放したり拒否ったりはできぬものらしかった。


 それにしても―――さっき飛鳥さんは、クラスメートの前でも魔王を自称してしまった。普段から魔女だの何だの呼ばれているんだし、芝居がかった言動の一つや二つどうってことないだろうが、怒りにまかせてやらかすのを慎むよう諫めるのも、参謀の仕事かな。


 比喩で通るよう、言葉に気を遣いながら僕は言った。


 「無茶はしないことだよ、飛鳥さん。いくら魔王を称したところで、魔法が使えるわけじゃなし。そんなんじゃ、いつか勇者に倒されてしまうよ」


 飛鳥さんより前に反駁したのは、意外にも、勇だった。


 「豚に倒される魔王などいてたまるものか。俺の知る飛鳥さくらという女は、あんな下郎に屈するようなヤワではないはずだ」


 「そうよ、勇者っていうならもっとイケメンじゃなきゃ!」桐原さんのツッコミは少しズレてる気がするが、そうか、元勇者的には、ここで魔王が負けるような展開はプライドに障るのか。


 飛鳥さんは、ふぅ~~~~~、と、ひとつ大きく深呼吸をして。


 ぱん、と両の手のひらで頬を叩いた。


 元の顔色と、挑発的なニヤニヤ笑いが戻ってくる。騒がしくなってきた教室を、血のにじむ包帯の巻かれた手を軽く差し上げて制した。


 「あぁもちろん、負けやしないさ。できもしない強がりを言ったつもりはない。あいつが堕ちる地獄のその先を、さっさと準備するぞ」


 飛鳥さんらしいセリフに、桐原さんの顔がほころんだ。―――僕には、無理に自分を鼓舞しているようにも見えたけれど。



 かくして怒れる魔王の宣旨がくだり、魔王軍によるオークキング討伐の方針が決定した。追放では足らぬ、驕れるオークキングにもっと過酷な罰を!


 ……とはいえここは現実世界だ。ことはそう簡単ではない。僕は首を傾げた。


 「ならどうする? また葵の御紋を作るってわけにもいかないし、直接殴りに行くのはルール違反だ」竜崎先輩はあの性格だから、正攻法でしか対応できない。搦め手から飛鳥さんへの攻撃をしかけてきた今のオークキングには、あてがいづらい。「それに、もし体育倉庫から追っ払えたとしても、別の根城を見つけてまたネチネチやられたら意味ないんだ。自発的におとなしくしてくれるような、穏便な方法を見つけなきゃいけないんだよ」


 「穏便に……か。穏便に……な。そうだな」飛鳥さんは、しばらく天井を仰いで考えていたが、やがて、ひひ、と気味の悪い笑みを漏らした。「―――じゃあ、そりゃあもう穏便にやろうじゃないか」


 そして、くいくいっと指先を上に曲げて勇を呼んだ。


 「まず、勝呂」


 「何だ」


 「あんた、監視カメラ持ってないか」


 飛鳥さんは意外なことを頼んだ。―――答えはもっと意外だった。


 「あるぞ。父に頼めば借りられる」


 「勇、そんなの持ってたの?!」僕は驚いて尋ねた。


 「父が法曹関係なのでな」……そういえばそうだった気もする。これも、世界が書き換えられた結果だろうか。「証拠集めの鍵となるツールだ。熟知しておかねば務まらん」


 「でもなんか、勇と監視カメラって言葉とが、噛み合わないって感じが……」


 「俺は正義漢を自負しているし、血のたぎりに任せて腕力に頼る傾向があるのも認めるが、悪を殴り倒せばすなわち正義、とは考えとらん。悪はひとえに裁かれるべきものだ」


 なるほど。元勇者のリーダーだけに、まずは理で動くのはなんとなくわかる。―――でも今のセリフは、さりげに竜崎先輩をディスってる気がしなくもない。


 「どこにどうしかける? あの体育倉庫か? 設置が許されるのは、犯罪が予想される場所だけだ。さもないと、プライバシーの侵害になってしまうぞ」


 「そこは考えがある。追って指示するから準備だけしておけ。―――次」


 「俺の出番だな?」


 飛鳥さんが名を呼ぶ前に、和尚がスマホ片手に前に出てきた。何を言われるか、もうわかっているらしい。


 「あぁ。宗教野郎に説法テクを駆使してもらいたい」


 「もう始めてる」言いながら右手の指がさくさくと動いている。


 「何を?」僕が尋ねると、


 「特別なことは何も―――ただ、あったことをSNSの校内コミュにバラ撒くだけさ。『オークキングが、一年女子にやり込められた』ってな」


 飛鳥さんは満足げに頷いた。


 「あたしの名は出さなくていい。逆に、『オークキング』の呼び名は学校中に広めてしまえ。三年にまで伝わって、奴がキレるくらいまでいかなきゃ意味がない」


 「委細承知だ。ダミーのアカウントで自演乙ってな。まかしとき」


 言いながらも和尚は指を動かし続けていたが、いったんぴたりと手を止めた。―――そして、煽り立てるように、腕を広げながらクラスメートに呼びかけた。


 「ほぅら、みんなも協力してくれよ! こんなおもしれぇ話ねぇじゃんかよ! そうさ、今やろうとしてるのは、単に『陰口をたたく』それだけかもしれない。でもそれで世界が変わるってんならどうよ? 目の前がぱぁっときれいになる光景を、自分の手で作れるんなら? 我らが勇敢なる魔王様が、あの無法者のクソ豚野郎をやりこめるってんだ、指くわえて見てるのはもったいないぜ!」


 アジる和尚に応えて、クラスメートたちがのろのろと、それぞれのスマホやら携帯やらを取り出した。動く指が、少しずつ速くなっていく。



 と―――突然教室のスピーカーが、ざざっ……とノイズを立てた。こんこん、と、マイクが通じているかを確かめる音。本来なら放送開始を知らせる効果音がぴんぽんぱんと鳴るはずだが、それをすっとばして、城市先生の声が聞こえてきた。


 「一―B聞こえますかー、城市ですー、今日の授業は自習にするから、静かにやっててね」


 放送らしからぬラフな口調―――そうだ、昼休み後の五時間目は城市先生の英語だったのだ。オークキングが去った後、教室に姿を現していなかった。


 「教科書の三五ページまで自分で訳しといて下さい。時間余ったら、えと、青い参考書の二〇ページの問二問三をやっといてね。以上っ!」


 やけにとげとげしい、怒りを含んだ声だな―――と思ったら、続けての言葉がこうだ。


 「私これから、陸上部の先生とケンカするからっ!」


 ―――やめなさいと制止する声。その背後で、先生同士の議論の声。何やらバタバタしている音。職員室で何か起きているのが伝わってくる。


 「なんであの子たちが悪いことになるんですかぁー!」


 少し遠い声で城市先生のそんな声が聞こえて、直後にぷつんと放送は切れた。


 職員室からの放送は緊急用で、放送室からと違って、狙った場所だけに音を流すことができない。全校放送をほとんど私物化した内容に、校舎のあちこちから笑い声が聞こえてきた。


 僕らにとっては、いい意味で笑い事ではなかった。先生からの心強い援護だった。


 その時点で十分予測できたし、後から事実とわかったことだが、昼休み中の職員室、陸上部の顧問が、体育倉庫の件やボイコットの件で、城市先生をなじったのだ。あんたらがよけいなことをしてくれたせいで、とか言って。自分の弱腰を棚に上げて一方的に言うお門違いに、いつもは柔和なまほちゃんもさすがにかちんと来たらしい。


 オークキングの特別扱いに不満を持つ教師は少なくなかった。そのせいで魔法チャーム使いの城市先生が不利益を被るとなれば、議論も起きようものだ。つまりは、職員室も一枚岩ではない。


 魔王によるオークキング包囲網が、完成されつつある、というところか。



 飛鳥さんが、つと立ち上がった。


 表情が微妙だった。ことがすらすら運んでうれしそうでもあり、戸惑っているようでもあり。間違いないのは、目に決意が宿っていることだった。


 「じゃ、あたしも準備するかな」


 「何を?」


 「魔王の呪いをかけてやるのさ」


 「呪い?」


 「もともと、自分ひとりでも何とかするつもりだったんだ。手下にだけいろいろ画策させといて、自分はただ見てるなんて、できないからさ。だから、あいつがより深くドツボにはまるように、恐ろしい呪いをかけてやるんだ」


 「呪いって―――だからいったい、何なのさ?」


 現実世界で呪いとか言われても、いまいちピンとこない。けど飛鳥さんは、ひひひ、と悪意のこもった笑みを見せた。


 「証拠がなけりゃいいって、あいつも自分で言ってたろ? なら、証拠が残らないように、遠くからじわじわと責め立てる策ってのをね、講じてみようかと」


 うーむ。それって、「……単に『イヤガラセ』なんじゃないの? ブロック投げ込んできたオークキングと同じじゃない?」


 「そんな生易しくすませてなるものか」飛鳥さんの笑顔がいっそう悪意を増した。「魔王に無礼を働いたことを、恐怖で歪んだ顔が凍りついて元に戻らなくなるほどに後悔させてやる」


 「でも、どうやって……」


 「友納、ちょっと来い!」


 飛鳥さんは僕の手をぎゅっと握って廊下に引っ張り出した。他のクラスは授業中の、静かな校内をともに走って、行く先は―――例の階段下、倉庫前。

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