第30話
―――それでも。
「すごく楽しそうに見える」
「まぁね」
ふぁ、と息をついて、飛鳥さんはまた幾度かスマホをタップした。今日はここまで、と、ポーカーテーブルを離れてアプリを終了させたようだ。
「親の前じゃできないからね」スマホを机に投げ出して、大きく伸びをした。「女の子がバクチなんて恥ずかしいってさ。娘の数少ないお気に入りを取り上げて、平気なんだよあいつらは」
デコもストラップもない、売られたままの白い端末。飛鳥さんの部屋を思い出す。あれを見て、彼らはなんとも思わないのだろうか。それとも。
「生まれたときは、目に入れても痛くないそりゃあ玉のような娘だったらしいよ。髪も黒かったし。それが、いつ頃かな、小学校入ったくらいからかな、気がついたら魔王で、髪もこんなんなってて、ワケもわからず変なこといっぱいやらかしたから、あの人らが苦労したのはわかるよ。でもさ、そこで『とにかく普通の子供に育って欲しかった』はねぇだろうがよ」
確かに、現代において、「普通」の意味は捻じ曲がりつつあると思う。同調圧力とか「出る杭を打つ」とは少し違う、「普通」自体に理想や純粋を重ねる奇怪な信仰は、魔王でなくとも不快なものだ。
「今あたしが高校生やれてんのは、こっちが苦労して処世を身につけて、あいつらが思う『普通』におもねってやったからだっつーの。誰にも文句言わせないように、隠れて勉強もしたし、体も鍛えたんだ。でもあいつらは、娘がもう人間でないことに気づきもしないで、なんか成し遂げたつもりで、あぁよかったね報われたねとか思ってんだ。たいした馬鹿だろ?」
「恨んでるの?」
「まさか? ていうかさ、そんな馬鹿に対しても、育ててもらった恩をいっぱい感じて、感謝の心は忘れませんってのも、魔王様が立派にこなす大事な仕事のうちなのさ。そう思えるようになれば、人生楽しくてしょうがないよ。魔王ほど素敵な商売はない……ってね」
……なんだか、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。僕は返答に窮した、が、飛鳥さんはハナから答えを求めていなかったようで、机の下に置いてあった鞄をがさごそやって、弁当箱を取り出した。
「さて、メシにすっか」
最初からそのつもりで、鞄ごとこの部屋に来てたのか。
見る間に飛鳥さんは、かちゃりと箸箱を開き、短い女性用の箸を取り出すと、手挟んで小さく「いただきます」と言って、弁当箱の蓋を開いた。
口をつける前に、僕を見て、不思議そうな顔をした。
「……友納、あんたメシは?」
小杉南高校に学食はない。外食は禁止されており(例の気むずかしい店員がいるコンビニでおやつ買うくらいはお目こぼしされているが)、弁当持参が原則だ。他に校内で買える食事といえば、昼に業者が来て、パンや弁当の購買所を開くくらいだ。
……僕の親は、本来の意味で普通な人で、普通に弁当を作ってくれる。けどやっぱり普通の人なので、たまに忘れたりサボったりして、代わりに五〇〇円玉を渡されることがある。今日はそんな日だった。僕は部室に来る途中で、購買所でいくらかパンを買い付けていた。
僕はパイプ椅子をひとつ移動させて、机を挟んで飛鳥さんの向かい側、窓が見える位置に座って包みを開けた。―――中から出てきた菓子パンの類を見て、彼女はため息をついた。
「友納、そりゃいくらなんでも貧相過ぎんだろ。栄養が偏るぞ。―――ほれ、恵んでやる」
自分の弁当箱の蓋に、ひじきの煮物やら菜っ葉のおひたしやらを取り分けた。
「お手製?」
「まぁな」
「いつも自分で?」
「そりゃ、まあ」飛鳥さんは言葉を濁した。僕は空気を読んで、それ以上訊くのをやめた。また親の愚痴がぽろっと出てきそうで、そういうのを聞きたがるのは、なんだか浅ましく思えた。
「いいから、感謝して押し頂いて食え」
飛鳥さんが、おかずの乗った蓋を押しつけてくる。―――けど。
「箸がない―――」
「あ、そうか」
僕は口を大きく開けてみた。あーーん。「調子に乗んな!」さすがに飛鳥さんが箸目つぶしを繰り出してきたので、僕はあわてて避けた。
飛鳥さんは議長机の引き出しを開けて、割り箸を取り出した。ここでいろいろ食い散らかしていた、オークキングたちの置き土産だった。
「ありがたく使わせてもらうさ。あたしらも、いろいろ備品、置いとこうや」
「備品とか言っちゃだめだよ。魔王城なんだから」
「言えてる。じゃ何? 武器? 宝物?」
「呪いの箸」
「なんだそりゃ。にゃっはっは」
僕らはしばらく、二人で向き合って食事した。あんパンに菜っ葉のおひたしは微妙な食い合わせだった。
飛鳥さんの背後、窓の向こうに、オーク一味が根城にしている体育倉庫が見える。部室からの距離は、五〇メートル……もう少し短いだろうか。小窓で何か光った。向こうからも誰か見ているようだ。オークキングかな? カーテンを閉めておこうか?
「そういや、何しに来たん、友納? メシ食いに来ただけ?」
飛鳥さんが何気なく尋ねてきた。……あぁ、そうか。話があったんだっけ。この雰囲気で、あまり話したくないんだけど。
「今日、D組の女子がひとり休んだんだ」
飛鳥さんは怪訝な顔をした。「……何の話?」
「よくない話。―――そいつ、陸上部に入っててさ。けど入ったばかりで、オークキングのことをちゃんと聞かされてなくて。昨日、体育倉庫で、たむろしてたオーク一味に捕まった」
「それで?」
「詳しいことは、本人でないとわからない。でも、服を剥かれるところまでいったのは確実。怯えちまって、もう学校に来れないって言ってるらしい」
飛鳥さんは、ぐ、と唇の端を曲げて、箸を強く握りしめた。
「……そこまでいったら、普通に教師が出張る領域だろ。何やってんだ、あいつら」
「何も」
「マジか」
「陸上部は、対処しない顧問に怒って、今日から練習をボイコットするそうだ」
「それで何が変わるんだよ。あきれたね、オークキングがつけ上がるわけだ」
飛鳥さんは、ふぉう、と大きく息をついた。
「で、何か。それがあたしのせいだとでも言いたいのか」
「別に。ただ噂話をしてるだけ」
「ちっ」彼女ははっきりわかる舌打ちをした。「あたしらにゃ関係ねぇからほっとけ、って言いたいとこだが―――不愉快だ。不愉快だね。追い出すだけじゃダメなのか」
「放置はお奨めしないね。参謀として忠告する」
「ちっとはおとなしくしてりゃいいものを、クズ野郎どもが……」飛鳥さんは、箸の根元を、かん! と机に叩きつけた。「メシがまずくなるから、この話題はここまで!」
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