第29話

 ある日の四限目、例によって飛鳥さんは授業中に教室を出ていき(彼女の奇行は知れ渡っており、もう教師陣も何も言わなくなっている)、チャイムが鳴り昼休みが始まっても、戻ってこなかった。


 彼女はあの性格だから、本人も周囲もぼっち飯を気にしない。気が向けば桐原さんや他のクラスメートと昼食をとるが、不在だからといって捜す者はない。けれど僕は、飛鳥さんを捜し始めた。広まり始めたある噂話について、彼女に伝えておきたかったのだ。


 どこにいるだろう。ちょっと考えて、奪い取ったばかりの部室―――ウダウダするための彼女の城、すなわち視聴覚準備室横の小会議室に行ってみると、果たしてそこにいた。こないだまでオークキングがふんぞりかえっていた、窓を背にした議長席に腰掛け、スマホと向き合っていた。


 窓は閉め切られていた。ひどく蒸す日で、廊下を歩くだけで汗ばむほどだったが、部屋に入ったとたんにすっと汗が引いた。さっそくエアコンを使って除湿しているらしい。


 「よぅ、友納」飛鳥さんがスマホから目を離さずに言った。「おまえもサボり?」


 「もうお昼だよ」


 「そっか。チャイム鳴ったっけ」


 「今日の魔王様は、時間が経つのに気づかないほど長く、異世界にいたの?」


 現実世界で姿が消えてしまう時間は、異世界での滞在時間の長さに比例するらしい。といっても、一〇秒を超えることはまずない、と聞いている。


 「いぃや、いつもより短いくらいだったよ。呼び出されたけど、たいしたことはやってない。変な女にガチャガチャ言われただけで終わっちゃったよ。本番は次だね」


 呼び出されても、必ず戦うわけではないらしい。ステージつなぎのイベントシーンってとこか。


 「じゃあ、そのままサボってたんだ」


 「まぁね。まったく部室様々でさ、のんびりサボれる。ここらは人気ひとけもまるでないし、オークキングが根城にするわけだわ、こりゃ」


 「ここ、昼休みに使ってていいの?」


 「知らん。でもこいつがあるからな」


 飛鳥さんは、鍵をちゃりちゃりと鳴らした。職員室で管理している鍵なら、共通のタグがついているはずだが、その鍵にはついていなかった。オークキングが作った合い鍵の方だ。―――複製はそれひとつしかないらしく、連中があれからこの部屋に入った形跡はない。城市先生を通じて鍵の管理を厳重にしてもらったから、これ以上作られることもないはずだが……。


 「それって、勝手に使っていいもの?」


 「まぁ、見つかったら見つかったときさ」


 「オークキングとおんなじことするのはどうかと……」


 「あたしゃ悪人だったら。いいかげんわかれ」


 答えながらも、飛鳥さんはスマホの画面から目を離さなかった。


 「何してんの?」


 尋ねると、飛鳥さんは僕に画面を見せた。オンラインポーカーだった。ネットを介して、世界中から有象無象のプレイヤーが多数集まる本格的なサイトで(とはいえ日本では賭博は禁止なので、そこで扱われる仮想チップは無償のものだが)、飛鳥さんは以前からそこに登録していたそうだ。ポーカー部の面々も、彼女に命じられるまま登録し、初心者向けのテーブルで腕を磨いている。


 画面上の飛鳥さんは、一〇人が参加するそのテーブルのチップリーダー、つまり最も多くのチップを持つプレイヤーだった。ポーカーのテーブルは、チップを持ち込める最大量が決まっているが、その制限を大きく上回っている。つまり、世界のどこかの顔も知らない誰かから奪い取って、持ち込んだ量よりも多く増やしたわけだ。


 そして、彼女の名前の上に並ぶ、二つの大きなAの文字―――♠A♡A。


 「今ちょうど、BBビッグブラインドでロケットが入ったとこ」


 大チャンスである。ロケットとは手札がエース二枚になることで、エースのワンペアが確定している。プリフロップでは最強、こちらから退く理由はまずない。まして、BBはプリフロップでのベットが最後になるポジションだから、ただ待ち構えて、誰かが攻めてきたら喰らいつけばいい状況だ。


 画面上では、ミドルポジションのプレイヤーがレイズしたところへ、ディーラーポジションのプレイヤーがリレイズをかぶせていた。


 (単語通りの意味だが、ミドルポジションとは、たとえば一〇人参加なら、四~六番目くらいにベットする席順のことだ。それより前ならアーリーポジション、後ならレイトポジションという。ここでは、ふたりのプレイヤーのみがベットし、他のプレイヤーはフォールドしたことも読み取っていただきたい。)


 「リレイズ来たよ」


 「マジ?」


 飛鳥さんが画面を自分の方に戻し、よっしゃあ、と拳を握り込んだ。獲物が飛び込んできたのだ。画面を軽やかにタップして、更なる高値でレイズした。


 僕も横から覗き込んだ。ミドルポジションはすぐにあきらめてフォールドしたが、リレイズしたディーラーポジションのプレイヤーはしばらく考えた後、手持ちのチップをすべてポットに放り込んだ。


 「オールイン、キタァー!」


 飛鳥さんは、奇声を挙げて喜んだ。


 「あたしのロケットに突っかかってくるとは生意気な! オールインコール!」


 牙を剥いて踊りかかるがごとくに指が画面をタップし、そのオールインに応じて同額をポットに放り込む。


 二人のプレイヤーによる、オールインで直接対決だ。場に残る全員がオールインした場合、その時点で手札はオープンになる。「何持ってんだこんにゃろー!」飛鳥さんの声とともに、ディーラーポジションのプレイヤーのカードが開かれた。


 ♡J♢J だった。


 エースのワンペアとジャックのワンペアでは、当然エースが上回る。共通札で何事も起きず、お互いの手が進展しなければ飛鳥さんの勝ち、だが―――。


 フロップが画面上に並んだ。♠9♣5、そして ♣J だった。


 「んにゃあぁぁぁぁーーーっ!」


 飛鳥さんが、今度は悲鳴をあげた。


 ロケットはプリフロップ最強だが、フロップが出てからはそうではない。共通札の出方によっては、それでも二割の確率で負けてしまうのが、ポーカーの難しさだ。


 ポケットペアを持っているとき、同値のカードがボードに出てスリーカードに発展することを「セット」という。フロップで相手プレイヤーのセットが決まり、逆に飛鳥さんのロケットはターンとリバーでもそれ以上手が伸びず、結局彼女は負けてしまった。

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