第23話
「ぐぬぅ」
格闘家は壁から落ちていったんは地べたに倒れ伏したが、頭を振って立ち上がり、再び構えを取った。
「かくなる上は……」
目を吊り上げ、歯を食いしばり、むん、と気合いを入れると、彼の放つオーラがひときわ青く揺れ上がったかと思うや、一瞬にしてかき消えた―――いや、消えたのではない。彼は、自らがまとうすべてのオーラを、掌中に凝縮したのだ。まるで星が生まれたかのように手の上で光り輝く、バレーボール大のオーラの塊。
「ぬおぉぉぉぉ、くらえ、ほうこうけーん!」
格闘家は、やはり漢字でどう書くかわからない、技の名前なのか中華料理屋なのかわからない言葉を叫ぶと、腕を前に強く突き出し、光の塊を掌底で打ち飛ばした。
次の瞬間、蒼く輝くそれは、まるで狼のごとき形状に変容し、キャプテン・ブラッドの懐に一直線に飛び込んで、今にも噛みつかんと襲いかかった!
……が、その気合のこもった一撃を、キャプテン・ブラッドは指先ひとつで、デコピンかあるいは鼻クソでも飛ばすようなしぐさで弾き飛ばしてしまった。光の狼はきゃうんと腹を見せながら、まだ幾ばくか残っていたコロセウムの石壁にぶち当たり、がれきの山を増やした。
「なんと……」
格闘家の面構えが狼狽にゆがむ。対するキャプテン・ブラッドの言葉は、容赦なかった。
「どうした? 貴様の本気はそんなものか?」
「う、うぬぅ……」
格闘家がたじろいでうなるところ、彼の後方で、再びがれきががらがらと押しのけられて、誰かが現れる気配がした。―――やたら裾丈の短いサテンの服を着た、おだんごヘアのチャイナガールだった。目のやり場に困るほどにあちこち服が破れ、その生肌を隠すようにけがの手当てがなされている。おそらく、グレイテスト・マッスルの、敗退した出場者のひとりだろう。
「あきらめないで! あなたがここで負けたら、失うのは私たちの誇りだけじゃない! きっと、世界のすべてがその男に踏みにじられてしまうわ!」
―――彼女の手の中には、格闘家がこさえたものに似た、しかしピンク色でハートマークの模様が表面に踊っているオーラの塊が、きらきらりんと輝いていた。
バトルに乱入するのか、と思いきや、彼女は腕を上へ差し上げ、そのオーラを天高く打ち上げた。
「すべてをあなたに託します! 私の想いを、受け取って! そして世界を救って!」
ピンク色のオーラは放物線を描いて飛んでいき、格闘家の体を包み込んだ。すると、狼を放った後かき消えていたオーラがよみがえり、彼の体が再び青白く揺らめき立った。
「我らも力を貸すぞ!」
がれきがまた続けざまにがらがらと音を立てた。どこに埋まっていたのか、他の選手たちが次々とズタボロ姿で現れたのだ。黒人のボクサーが、明らかに日本を曲解している金髪忍者が、わけのわからないインド人が、同じように手を高く差し上げて、オーラを格闘家へと送り込む。
格闘家は、感極まった声を挙げた。
「おぉぉぉぉ……ありがたい! みなの思い、受け取ったぞ! みなぎる……力がみなぎってくる! 俺はまだ、戦える!」
再びぐっと腰を落とし、手の中にオーラを凝縮し始めた。今度は、体をまとうオーラが消えることはない。周囲の面妖な者たちからのオーラの供給はいつまでもやまず、固く凝縮してなおオーラの塊は膨れ上がり、バレーボールどころかガスタンク並みに成長していった。
「ちょうぜつ! きゅうきょく! ほうこうけーーー……」
喜びの涙をつるつるとこぼしながら、格闘家が、今まさに、太陽のごとく輝くその巨大オーラ球を打ち放たんとする―――そして僕が、もうマッスルも格闘もサイボーグもカンケーねぇじゃん、と、なぜだか我に返ったそのとき。
キャプテン・ブラッドは、手のひらを上に向けて腕を前に突き出していた。そして、指の根本だけを曲げる欧米式の手招きをして、こう言った。
「そこですか?」
なぜか丁寧語だった。
すると何の前触れもスキもなく、ピンポイントに狙い澄ましたように、格闘家の真下から竜巻が瞬時に巻き起こった! 格闘家はたちまち天高く巻き上げられ、みなの絆が固く結びついて生まれたはずの巨大オーラ球も、あっさり竜巻の中に取り込まれて、四散して消えてしまった。
チャイナガール他面妖な面々のあぜんとする視線が集まる中、なすすべなく格闘家は地面に落ちてくる。キャプテン・ブラッドは、その落下点へ一歩二歩歩みを進め―――かすかな砂煙を残して、その場からひゅっと消えた。
突然、世界は閃光に満たされた。
まぶしくて何も見通せない中で、ドカバキゴスと人間をどつく鈍い音だけが立て続けに響いた―――それは人知の及ばぬほど高速で、ありとあらゆる技をいちどきに叩き込んだかのようだった。
そして閃光が収まり、視界が晴れたとき。
やっぱりクールな佇まいで、腕を組んで背を見せるキャプテン・ブラッドと。
「うおわぅぉゎぅぉゎぁーーーっ!」なぜかエコーのかかる絶叫を残し、なぜかスローモーションで吹っ飛ばされる格闘家がいて、受け身も取れぬまま、顔面から地に落ちた。
どこに隠れていたのか、突然医師が現れた。倒れ伏した格闘家に駆け寄り、しばらく脈をみたり心臓マッサージをしたりしていたが、やがて肩をすくめて首を左右に振った。
……飛鳥さんの完勝である。まったく敵ではなかった。瞬殺とはこのことだ。
「……飛鳥さん」僕は、ひとつため息をついた。
「なーにぃ?」キャプテン・ブラッド―――飛鳥さんは満足げな表情で、腕組みの体勢から僕の方へ振り返った。
「今の戦い方は、よくない」
「は?」
「確実にトラウマになる」
「……死んだ奴に、トラウマも何もあるもんか」
一瞬、怪訝な顔をしつつも。
飛鳥さんは、高く拳を突き上げ、高らかに勝利の雄叫びを上げたのだった。
「アイ・アム・ア・パーフェクト・ソルジャー!」
で、その翌日に、この校庭の大騒ぎである。
どうやらあの格闘家の魂は、竜崎先輩に入り込んだらしいのだ。竜崎先輩といえば、割れた顎に無精髭、いつも締めているハチマキがトレードマークだが、昨日まではそうでなかったかもしれない。
窓を閉めたのでよくわからないが、ともかくグラウンドでは、拳で語らうことにした元熱血勇者同士のどつき合いが続いていた。
……いずれにせよ、僕が一緒に行くと、飛鳥さんに立ち向かって殺された勇者の魂が身近に転移してくる、という法則が成り立つのは、間違いなさそうだ。
「あんたと一緒だとこうなる、てのはわかった。でも、あんたがいるとなぜこうなるか、はさっぱりだ。調べ続けてもいいけどさ、異世界の勇者ってのは、やっぱああいう熱血漢ポジションがいちばん多いわけだよ。謎が解ける頃には、見える範囲の手下どもがみんな暑苦しく吠え立てる、ってことになりかねないぞ」
飛鳥さんは困った表情のまま、カードを何度もしつこくシャッフルするのだった。
「使える手駒が増えるのは歓迎だが、どうしたもんかな?」
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