第22話

 雲を突き抜けて自由落下する、迷彩服に身を包んだ筋肉と鋼鉄の塊。裾がばたばたとはためくのに、ベレー帽は微動だにしていない。


 眼下には、ローマのコロセウムを模して作られたとおぼしき、「グレイテスト・マッスル」の巨大な試合会場が見えてきた。慣性に従って落ちていけば、ちょうどその中央に着地するだろう―――だが、このまま落ちて大丈夫なのか? いくらなんでも、高度一五〇〇メートルから地面に叩きつけられたら、鋼鉄の体とて粉々になってしまうんではないのか? 飛び降り自殺の痛みがどんなものか想像もつかないけれど、それに等しい痛みに、飛鳥さんは耐えられるんだろうか―――そう思っていると。


 キャプテン・ブラッドが、落下しながら腕を組んだ。そして、ふぅん! と胸を張る、すると―――キャプテン・ブラッドが分身を放った。


 もう少し的確に述べるなら、彼の体全体が、光に―――オーラというべきか? ともかく、白くゆらゆらと揺れながら輝く何かに包まれたかと思うや、そのオーラの塊が彼の体を離れ、地表に向けて突っ込んでいったのだ。


 オーラ分身の向かう先に、コロセウムの様子が見えてくる。歓喜の声が聞こえてくる。「グレイテスト・マッスル」の優勝者が決まり、表彰式が行われているのだ。笑顔で優勝トロフィーを掲げていた男が、気配を察して、顔をこわばらせむっと空を見上げた。だが、もう遅い。


 アリーナだった広い円形の砂地に、オーラ分身が到達した瞬間、そこに地雷でも埋まっていたかのように凄まじい爆発が生じた。分身発射時の反動と、受けた爆風の勢いが作用して、キャプテン・ブラッドの落下速度が緩む。―――そのまま、爆心地となり深くえぐられたアリーナの底に、ポーズを決めてしゅたりと着地した。体操競技なら高得点だ。


 周囲に、破壊され崩れ落ちたコロセウムのがれきの山が広がっている。観客はどこに消えたのか、あの短い間に避難できたのか? わからない。だが、爆発の轟音が収まると、辺りは静まりかえり、人っ子ひとり見当たらなかった。



 がれきをがらりと押しのけ、ひとりの男が姿を現した。爆心地の中央に歩み出で、キャプテン・ブラッドと対峙する。先ほど優勝トロフィーを掲げ、キャプテンの降下にいち早く気づいたあの男である。白い道着姿で下駄履きで、ハチマキを締め、割れて見える顎に無精髭を生やした格闘家だ。眼光鋭く、白い健康的な歯をぎりぎりと食いしばる。


 キャプテン・ブラッドよりやや背は低いが、胸元から見える筋肉の盛り上がりは引けをとらない。風もないのにハチマキが後方になびくのは、やはり気迫がオーラとなって動かしているのだろうか?


 ハチマキ格闘家は、コロセウム中に響き渡る大音声で呼ばわった。


 「貴様、何者だ!」


 拳を握り込み、肩をふるふると振るわせ、それからキャプテンに指をびしりと突きつけた。まなじりにうっすらと涙も浮かんでいるようだ。


 「我らが魂をぶつけ合ったこの神聖な戦いの場を、なぜ踏みにじる!」


 「……暑苦しい奴だなぁ」飛鳥さんが、僕にだけぼそり本音をもらしつつ、片手で顔を覆った。「どこが神聖なんだか……」


 あきれ果ててのしぐさだったけれど、見ようによってはどこか気取ってものを考えているようでもある。そのままキャプテン・ブラッドのバスボイスで、悠然と語り出した。


 「踏みにじりもしよう、ここは蟻の巣穴のごときものだ。弱き者が群れて角突き合わせたところで、戦いとは呼ぶべくもない」そのまま顎を上げ、身を軽くひねって斜に構えてみせると、ジョジョ立―――相手をとても見下しているように見える。「だが蟻の巣穴を壊すのは、この上なく残酷で、支配欲を満たす手頃な遊戯だ。さて君は、私をどれほど楽しませてくれる?」


 キャプテン・ブラッドは、そこでぶわっと例のオーラを身にまとい、頭の先から天にも届かんばかりに立ち上らせた。


 格闘家は、むぅ、とうなり、眉間に皺を寄せた。


 「……言うだけの力は、ありそうだな。真の世界最強の称号は、貴様を倒さねば手に入らぬようだ」


 腰を落とし、ぐっと構えると、格闘家の体からも青白く輝くオーラが放たれ、全身を包み込んだ。


 「お相手願おう。いざ尋常に勝負せぃ!」


 「かまわんよ。どこからでもかかってきたまえ」


 しばし、ゴングが鳴るのを待つかのような、沈黙があった。呼吸によってわずかに肩が上下する様子まではっきりと見える、冷徹な対峙。二人の間を風が吹き抜け、格闘家のハチマキがふるると揺れた。


 「では、参る!」


 先に動いたのは格闘家の方だった。目にも留まらぬ速さで間合いを詰めると、まっすぐに正拳突きを繰り出した。……だがキャプテン・ブラッドは、片手でその突きを受け止めた。柔らかい砂地の上、足跡がわずかにずれただけで、下半身はびくともしなかった。すかさず格闘家は身を沈め、足払いをかけた。その下半身を少しでも揺るがせようという策であったろう、実際その足払いは、当たってもほとんどダメージを与えなかったが、受け止めるべく力を込めたキャプテン・ブラッドは、やや腰を落とした。ここぞと格闘家は高く跳ねた。体を大きくひねり、踵から浴びせかけるような飛び蹴りを放った。


 足の裏がまさに顔面を捉えようとした瞬間―――キャプテン・ブラッドは、先ほども見せたオーラの分身を、いちどきに三体放った。一体は空中にいる格闘家に突っ込み、その足をひっつかんで地面に投げ落とした。一体はキャプテンの前方に飛び出し、地に落ちんとする格闘家に体当たりをかまして、コロシアムの内壁まで吹っ飛ばし、壁が粘土のごとくへこむほど叩きつけた。残るもう一体はキャプテンの頭上に飛び出していて、クールにすましているキャプテン本体とは対照的に、格闘家に指を突きつけ、わっはっはわっはっはと小馬鹿にして笑い飛ばした。

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