第13話

 僕らはついに魔王城……じゃなかった、飛鳥さんの家に上がり込んだ。


 内装は特に豪華というわけではなく、普通のマンションや公団住宅とかと大差なかった。天井が低く、狭苦しい感じがするのも同じだ。


 玄関を入ると、まっすぐ先に廊下が通じていて、左右に個室があった。左は扉が閉まっていたが、右手の扉は開いていて、その扉と廊下にまたがるように掃除機が置き去りになっていた。


 扉の中がちらりと覗けた。ツインベッドがあるから、両親の寝室だろう。花柄模様の布団が少し派手だ。飛鳥さんの母親はここで着替えていたらしく、ウォークインクローゼットとみえる引き戸が開けっ放しで、ベッドの上にも服が脱ぎ散らかされていた。壁には品のいい風景画がかかっており、隅にはPCや本棚も並んでいる。どこに芳香剤があるのか、部屋全体からかすかなラベンダーの香りがした。


 「ったく!」飛鳥さんは毒づいて、掃除機を持ち上げると、すぐにぴしゃりとその扉を閉めた。


 廊下を奥へ進むと、また左右に扉があった。左の扉は換気窓がついているからサニタリースペースとみえる。飛鳥さんは右手の扉を開けて掃除機を放り込んだ。そこは物置らしい。


 それから僕らは、その奥、十畳以上ある広いリビングに通された。食卓と対面式のシステムキッチンまで通じている、いわゆるLDK。この部屋全体で、居住域の南面すべてを占めているようだ。とすれば、全部で2LDKか。思ったよりも、つつましい。


 そりゃマンションなんだから、各戸のグレードはピンキリだろうが、この建物を外から見たときや、ロビーを見たときに感じたものと比べると、魔王城の最終到達点がこれでいいんだろうかと、むしろ不安すら覚えた。


 窓の外にベランダがあり、やはり二一階の高さの風景が見えたが、別のオフィスビルが並んで見えるせいか、あまり高さを感じなかった。ビルとビルの隙間から、南高のグラウンドがかすかに見える。


 リビングのローテーブルを囲むように僕らは座った。壁際に大型のテレビと、クラシックのCDが並んだローチェスト、その上にやたらスピーカーがごついオーディオコンポ。さらにその上の空間に作り付けの棚があって、トロフィーや盾がいくつか自慢げに置いてあった。飛鳥さくらの名義かと思ったら、ドライバーを振り上げるゴルファーの装飾がついている。


 「そこらへんは親の趣味だ。触るなよ」


 飛鳥さんが、五人分のグラスと麦茶の入ったポットをローテーブルに持ってきた。


 「とりあえずそれすすってろ。着替えだけしてくる」


 そう言って飛鳥さんは、制服のリボンをほどきながら、僕らが通った廊下の方へ引っ込んでいった。部屋の位置取りを考えると、玄関を入ってすぐ左の、閉じていた扉の向こうが、彼女に与えられた個室なのだろう。



 着替えという単語に、よろしくない想像を───する間もなく、一分せずして彼女は戻ってきた。女子の着替えってこんなに速いもの?! と少し驚いて見てみれば、薄青い無地のトレーナーと、デニム……に見える色のジャージの下をはいただけの姿だった。


 甲斐甲斐しくグラスに麦茶を注いでいた桐原さんの手が、ぴたり、と止まる。


 「それはないっ! それはないよ、さくらちゃん」


 飛鳥さんの背をぐいぐいと押して、廊下に戻そうとする。


 「なんでさ?!」


 「そういうのは男子に見せちゃダメ。ダメよぉ」


 「なんでこいつらの前で飾らなきゃいけないんだっ」飛鳥さんが桐原さんを振り払った。「あたしんちなんだからあたしの好きにさせろ!」


 「だって、だってこれはないよねぇ、みんな?」


 男子としての回答を振られ、僕と和尚は顔を見合わせて、返事に窮した。……と、もう飲み干した麦茶のグラスを握りしめ、勇が飛鳥さんをじぃっと見据えて、「飛鳥」そして言った。「腹が減った。何か食うものは出て来んのか」


 桐原さんがこうべを垂れた。飛鳥さんは、な? と肩をすくめて、キッチンに入った。


 「それなんだけどさぁ、あんたら、メシ食ってく?」


 「メシ?」


 「これ消費しろって言われちゃったからさ」冷蔵庫から、まだ黄色い値引札がついたままの二分の一サイズの白菜を取り出して、調理台に置いた。「おつとめで百円は確かに安いが、三人家族で買ってくる代物じゃねぇよ」


 「……」


 四人そろって、いっせいに飛鳥さんを凝視した。いっぺんに見つめられて、さすがに戸惑う様子を見せる飛鳥さん。


 「な、なにさ?」


 「メシって……飛鳥さん、料理できるの?」僕は尋ねた。


 「できるよ?」飛鳥さんが目をぱちくりさせた。


 「いや……飛鳥さんの性格で、料理上手というのはちょっと意外かな、と」


 「俺が、食うものと言ったのは、茶菓子とかそういう類の話で……」勇が歯切れ悪く言った。「……ちゃんと、食えるものが出てくるのか?」


 「紫色で有毒ガスが発生すんじゃねぇの?」和尚が混ぜっ返した。「コンロが爆発するかキッチンが爆発するかそれともオレが爆発するのか」


 「失敬な! あんたらあたしを何だと思ってんだッ!」飛鳥さんが流しの下から包丁を取り出し、くるくると宙に舞わせながら言った。「親がしょっちゅういないからね、料理だけじゃなくて家事一切なんでもやるよ、できなきゃどうにもならん」


 「それなら服もちゃんと着替えようよ。中身の女子力すごくても、外見ちゃんとしなきゃ───あ、エプロン!」桐原さんがここでぱぁっと顔を明るくした。「さくらちゃん、料理するんならエプロンつけるよね?」


 「いや、つけないときの方が多いけど……」


 「つけるよね?」桐原さんが飛鳥さんに迫り、そのメガネ顔をずずいと近づけた。「つけましょう、つけなさい」



 キッチンにエプロン姿が二つ並ぶと、なるほどちょっとサマになっていて、男子的には嬉しい光景になる。魔王とヴァルキリーが仲良く並んでお料理というのもありえない光景だな、と思っているのは、僕だけだ───一時間前には、世界の命運を賭けて殺し合いをしていたというのに。


 「さて」桐原さんが言った。「白菜以外は何があるの、さくらちゃん?」


 「そうだなぁ」飛鳥さんは再度冷蔵庫を開けた。「使っちゃってよさそうなのは……豚こま。ほうれん草。……あぁ、舞茸があるな」


 「どうする? 炒める? コンソメで煮込む?」


 「よし」飛鳥さんは具材を前に腰に手を当てて、ふん、と鼻を鳴らした。「カレーにしよう」


 「えぇっ!?」驚愕の声があがった。常識的に考えて、カレー、と出てくる具材ではなかったからだ。普通はジャガイモ、ニンジン、タマネギだろう。肉だって、牛か豚か鶏かは別として、塊がごろっと入ってるのがカレーじゃないのか。


 「桐原! おまえが頼りだ! オレは爆発したくねぇ!」和尚が桐原さんの手を握って涙ながらにわめいた。


 「……どうせそういう反応するだろうと思ったから、カレーにするって言ってンじゃねぇか!」その喉元に、包丁を一瞬突きつけてギロリにらんだ後、飛鳥さんは、白菜をすかぁんと四分の一に割った。「市販のルーで味つければ、だいたい食えるもんになんだよ! まずいカレーを作る方が難しいんだ!」


 「でも、白菜でカレーなんて聞いたことないよ?」僕が尋ねた。


 「野菜スープができる具材なら、それにカレールー入れればなんでもカレーになるよ。水加減の調整だけ気を遣うけど」


 桐原さんが、なるほど、と頷いた。


 「白菜だったらポトフ風はアリよね。それにカレー粉入れる感じ? カレー鍋みたいな?」


 「そうそう、ダシやコンソメちょっと入れてさ」


 「ヒリヒリ辛くするんじゃなくて、野菜や肉のうまみの方向ね」


 「そう。でもポトフはベーコンやソーセージだろ、塩味がきつくなるから、カレーにするなら普通の肉を使う。豚こまで十分」


 言いながら、飛鳥さんはもう白菜をざくざく切って、芯と葉の部分を分けてざるに放り込んでいる。見惚れるほど手際が良かった。


 「はるこん、米研いでくれる?」


 「わかった。……ほうれん草はどうするの?」


 「ざっと茹でて。レンジでチンでいい」


 ここに至って、飛鳥さんの料理の腕に疑念を差し挟む余地はなくなった。


 「すげぇ……なんかまともな料理が出てきそうだ。うれしーなぁ、女子の手料理!」和尚が感嘆した。


 「料理ができるとわかってりゃ、もう少し豪華な献立を頼むんだったな」勇が勝手なことを言った。


 僕も、率直に驚いていた。あの慣れた手つきは、ずっとやってなきゃできないことだ。異世界の魔王だのに、現実世界では、本当に普通の女子高生、普通の家庭の一人娘で在り続けているのだ。


 普通の女子高生たる現実世界の自分と、魔王として悪行をはたらく異世界の自分、その間を行き来する日常。そのバランスを取るには、あのニヤニヤも、エキセントリックで、人を遠ざける行動ばかりするのも、必要なことなのかもしれない。

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