第12話

 「新しい部活を作る?!」


 僕の提案に、勇たちは一様に目を丸くした。


 「そう。全員取り立ててしたいことがなくて困ったわけだから、この際、みんなで何か、他の誰もやってない、新しいことをやろうよ。みんな初心者でいいから」僕はたたみかけた。「……まぁ、実のところそれは建前で、本当は飛鳥さんがうだうだできる部室を確保できればいいって話なんだけどね」


 「……まぁ、そういうことだ。こいつがそれで勝手にまとめやがった」飛鳥さんが不承不承言った。


 「いいよそれ。うだうだできる部室、さんせー!」和尚が諸手を挙げた。「そういうの待ってました」


 「そんなの、いいのかなぁ……」まじめな桐原さんは、困り顔だ。「それに、新しいことを決めるって、この部活希望届を埋めるより難しくない?」


 「やりたくないことであれこれ悩むより、やりたいと思うことを探す方が、有意義には違いない。俺は賛成だ」勇が腕を組んで言った。「だが、決めるのに時間はかかりそうだな。どこで話す? もう五時だ、このままここで話していると、最終下校時刻が来て教師に追い出される」


 「いい場所があるよ」僕は言った。


 「どこだよ?」飛鳥さんが訊いてきた。


 僕は飛鳥さんの顔をじっと見た。「きみんち。家近いって言ってたじゃん」


 「……はぁぁぁ?!」


 飛鳥さんが絶句した。



 校門を出て、駅前までの道すがら。


 「あんたさ、もの凄い勢いで性格悪くなってない?」


 飛鳥さんが愚痴ったが、僕は聞かないことにした。


 彼女について、ひとつわかったことがある。彼女は嘘がつけない。取り繕うだけの品のないごまかしなど、魔王のプライドが許さないのだ。


 だから、あの後桐原さんがぱぁっと顔を明るくし、〝友達のこともっと知りたい! 光線〟を目からきらきら発して、家どこなの? あのタワーマンションなの? 親は? 兄弟は? 一度行ってみたい、いいよね?! と繰り出した矢継ぎ早の質問に、徒歩五分、そう駅前の、共働き、いない一人っ子、別に都合は悪くないけど……、と一気に押し切られるまでに、二分とかからなかったのも、無理からぬ話なのだ。


 そして僕らは、飛鳥さんの住むマンションまで移動したのである。


 「ふはぁ……」


 マンションの前まで来て、絶句したのは、今度は僕らだった。


 やはり立派なマンションだ。傾いた西日を受けての窓の輝きまでもが、僕らを圧倒してくる。光の宮殿? 魔王城としてふさわしいのかふさわしくないのか。


 「すごいな、どうも」勇がうなった。「入るのに勇気がいる」


 「うちもマンションだけど、これほどじゃないな……」桐原さんも口を開けたままだ。


 「……うちはこれくらいのを持ってると思うが。不動産投資で」和尚が言った。「いっぺん、自分で住んでみてぇよな」


 「この生臭坊主め」勇がツッコんだ。


 「うるせぇよ! 毎日抹香臭い築百年で生活するこっちの身にもなってみろよ!」


 「うるせぇのはてめぇだコラ! 入るんならさっさとしろ!」


 和尚のケツを蹴り、飛鳥さんはみなを先へと追いやった。


 エントランスの自動ドアは二重になっていた。最初の自動ドアは、前に立つとすぅっとほぼ無音で開いたが、次のドアは岩戸のごとく、固く閉ざされたままだ。


 「ぬうぅ、怪しい者は通さぬてか」勇が扉の前で、身の証を立てるとでもいうように堂々仁王立ちになったり、


 「合言葉なんじゃねぇの? 開け……護摩壇!」和尚が深々と拝んだりしたが、むろんそれで開くわけもなく。


 「いつ密教に宗旨替えしたんだよ?! ただのセキュリティだよ!」飛鳥さんがすぐそばの機械に向かって何やら操作すると、扉はやはり音もなく開いた。


 エントランスゲートを抜け、先へおそるおそる進むと、初見の僕らにとってはさらに緊張感漂う世界に広がっていた。旅館かホテルのような、広いロビーを通るのである。奥にはカウンターがあって、目を向けると小綺麗な制服を着た人が、おかえりなさいませ、とにっこりと会釈してお辞儀してくる。


 「コンシェルジュがいるよ! すごい!」桐原さんが目を丸くした。ああいうのをコンシェルジュというのか。


 「黙れ! 恥ずかしいだろうが!」飛鳥さんが、物珍しそうに辺りを見回す僕らの背を押すようにして、その先のエレベーターホールへと急がせた。「ホントにもう、どいつもこいつも……だから人を呼ぶのはいやだったんだ」


 「でもさ、友達の家に行くのがこんな冒険みたくなるなんて、すごい、なんかすごいよ!」


 「幼稚園児じゃねぇんだから……」


 しかし、桐原さんの感想はさもありなん。魔王城の冒険は続く。


 マンションだのにエレベーターが四基もある。どれを使えばいいのか一瞬悩んでしまう。実際、低層階行きと高層階行きで分けられているから、乗り間違えるとたいへんだ。


 乗ったら乗ったで、音もなく動き出してほぼ一瞬で二一階に着いていた。どんなワープゾーンだ。降りれば降りたで、そこにはもう別世界が広がっていた。


 「うひゃぁ~、高ぇ~」和尚が臆面もなく、やっぱり幼稚園児並みの感想を漏らした。だけど彼が言っていなかったら、僕が言っていたと思う。一分前まで地上にいたのに、今は共用廊下の柵の向こうに、遠く広く関東平野が見渡せるのだ。人の営みが米粒みたいに見えるし、おまけに、新幹線の高架も見下ろせると来たものだ。高速で駆け抜けていく日本の大動脈が、おもちゃのように見えるのは、なんだか妙な気分だった。


 共用廊下もものすごく広く取られていて、普通のマンションとは比べものにならない。しかも、各戸に玄関とは別に門扉があり、その間に庭代わりのポーチがある構造で、その分の幅もあって、とても開けて見える。……マンションだのに、こんなにスペースをふんだんに使う構造が許される、というのが驚きだ。


 「うわぁ、なんかうちと全然違うー」桐原さんが感嘆し、そして、みな気になってはいたけど訊きづらく思っていたことを、屈託なく飛鳥さんに尋ねた。「やっぱ、さくらちゃんちてお金持ち? 親、何してる人?」


 「知らない」飛鳥さんは、あんまり感情の乗っていない声で答えた。「ふたりともバリバリ稼いでるのは確かだから、平均より上にはいると思うよ。暮らしに不自由してないってとこは、親にいつも感謝してる」


 共用廊下を進み、飛鳥さんはある一戸の前で足を止めた。白地に丸ゴシックで「HITORI」と刻まれた、アクリル板のネームプレートが掲げられている。そこが飛鳥さんの家だった。



 何も言わず、飛鳥さんは門扉を開けて入っていった。


 ポケットから鍵を取り出し、玄関の鍵穴にあてがおうとしたところで、突然扉が中から開いて、スーツを着た中年の女性が姿を現した。


 「……母さん、いたんだ」


 「あらお帰り」


 飛鳥さんの母親らしい。人のよさそうなおばさん、という印象で、娘とはあまり似ていない。小太りなむっちりした体型は年相応のものだろうが、まんまるな目におちょぼ口がまるで違う。それに、髪の色が普通というだけで、かけ離れた別人に見える。


 「今日、休みだったっけ?」


 「資料取りにきただけよぉ。本当はちょっと休憩して、掃除もしたかったんだけど、会社から早く戻れって電話来ちゃって。悪いけど、後よろしくね」


 「いつものことでしょ」


 「ご飯は適当に作って食べて。火だけは気をつけてね。そうそう、お母さん白菜大きいの買っちゃったのよ思わず、半額になってたから。使っといてくれる?」


 「この時期に白菜?」


 「そぉなのよぉ、頼むわね」


 飛鳥さんの母親は、ブーツを履きながら早口にぺらぺらとまくしたてた。ジッパーがうまく上がらないらしく、ほとんど下を向いたままだった。飛鳥さんとまともに目を合わせず、むろん、門扉の外の僕らにも気づいていなかった。


 「それより、さ」飛鳥さんが、僕らに指を向けた。「友達連れてきた」


 「おじゃましまぁす」僕らはそろって頭を下げた。


 「あら珍しい」飛鳥さんの母親はそう驚きの声をあげたが、それ以上の感情は見せなかった。驚いたことさえ、社交辞令であるかのようだった。


 「学校に近いからね。これからもたまり場になるかも」


 「あんまり散らかさないでよ」


 ひとつ愚痴が入ったが、それでもやはり社交辞令の微笑みを僕らに向かってにっこりと見せると、飛鳥さんの母親はぱたぱたとエレベーターホールに向かって駆けていった。


 「……あれは、親だけど、親じゃないんだ」


 飛鳥さんが僕にささやいた。


 「え? 後妻とか義母とかそういうの?」


 「違うよ、血はつながってる。顔が似てないのは、父親似なだけだ」飛鳥さんは言った。「わかるだろ、魂が混ざったんだ。……親が今までと違う別の何かになったときは、さすがにちょっとショックだった。それに比べりゃ、クラスメートがまとめて入れ替わるくらい、どうってことはない……はずなんだけどね」

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