第11話
飛鳥さんは手を下ろし、その場で立ち尽くした。
崩れ落ちた聖堂。燃えさかる炎。そして、倒れ伏した四つの骸。その真ん中で。
彼女は、天を仰いだ。それから───笑い出した。
「あたしTUEEEEEEE! うひぃーっゃはっはっはっはっはぁ!」
火がついたように。笑いやまない。
「うひ、うひ、ひ、ひぃっひっひっひ、あひゃ、ひゃ、ひ、ひ、くひひひひひひ、ひ」
ひとしきり笑い終えた後、飛鳥さんはふっと黙り込んでうなだれて、それから、傍らですべてを見ていた僕のもとに戻ってきた。髪も制服も朱に染まり、血が地に滴る、近寄りがたい姿だった。
「これが魔王の仕事だよ」表情を固めたまま、彼女はぼそりと言った。「さ、帰ろう」
……魔王ではない普通の人間として、この顛末を見届けた僕は、どんな感想を漏らせばいいんだろう。
飛鳥さんは、目の前に手を突き出した。するとその指先で、空間が扉のように矩形に切り取られた。その内側だけ、光が奇妙に屈折してひどく揺らめいている。
ワープゲート、そう表現するのが妥当だろう。どうやらこれをくぐれば、階段下で見たときと同じように、元の場所、元の時間、数秒消えた後の状態に戻れるらしい。召喚が必要な行きと違って、帰るときは、これだけでいいのか。
「友納」
飛鳥さんがぼそりと言った。表情は、さっきから冴えないままだ。いつものニヤニヤが、戻ってこない。
「何?」
「あんたは、いつも通りの生活に戻るんだ。今日のことは忘れな、忘れるのが無理でも口に出しちゃダメだ。あたしを気にしたり、つけ回したりすんのもやめなよ。ワケわからんままでいるのも辛いだろうからいろいろ話したけど、無関係な奴がしゃしゃり出たって、どうにもならない領域だから」
飛鳥さんは、そこで話は終わり、というふうに口をつぐみ、ワープゲートに入っていこうとした。
僕は、―――そこで話を終えてはいけないと思った。
「待って、飛鳥さん」
「何?」
「顔も体も、返り血でどろどろだよ」
「あぁ───そうか。いつもは自分の体で戦うことないから、忘れてたよ」
飛鳥さんは、うなだれたままで、さっと手を横に振った。すると、何かきらきらした光の粒が飛鳥さんを包んで、制服はクリーニングしたみたいに綺麗になった。
「魔法でなんとでもなる世界だからね。楽だよ」
「前戻ってきたときは、血の匂いもした」
「匂い消しの魔法なんて、あったかな。魔物を近づけない魔法で代用になればいいが」
また手を振り、きらきらした光に包まれる。
「現実世界には、魔法も超能力もないからね。できることはこっちにいるうちにやっとかなきゃいけない」
───そう、こっちにいるうちに……この風景が、この感覚が、まざまざと残っているうちに、言っておきたいこと。
「飛鳥さん」
「まだ、何かあるのか」
煩わしそうに答える、飛鳥さんに。
僕は尋ねた。「痛くないの?」
「……はぁ?」やや間があった後、飛鳥さんは頓狂な声をあげた。「あたしは魔王だって言ってるだろ。か弱い女じゃないんだ。鉄の皮膚を持つ邪悪な魔王だぞ」
「でも、傷つけられれば痛いんでしょ?」
「…………」
飛鳥さんは虚を突かれた様子だった。目を丸く見開いて、口を半開きにして、一時呆然としていた。なぜそんな質問がなされるのか、本当に理解できないようだった。
───やがて飛鳥さんは、きっと顔を上げ、金切り声で叫んだ。
「傷つけられようが、痛かろうが! こうして最後に勝って、立って、それが魔王なんだよ! あたしのこの魔王の誇りは誰も砕けない。傷や痛みを嘆くのは、きっとあたしが倒されたときだけだ。けどあたしを、あたしという魔王を倒せる者などどこにもいないんだ!」
「現実世界に戻っても? 現実には魔法や超能力はないんでしょう?」
「現実ならなおさらさ。魔法や超能力がないから、確かに魔王のあたしでも、ろくに悪意を振るえないただの女子高生に過ぎない。けど、倒そうっていう勇者も現れやしないのさ。必要ないんだ、現実は魂を迎え入れるだけで、誰が死んでも魂の移動は起きない。魔王が暴れても、勇者と戦っても、世界が変わることはないんだから」
飛鳥さんは、投げ捨てるように言った。
「それでも、あたしは魔王だよ。勇者がいなくてもそれは変わらない。永遠に、変わらないんだ」
きまり悪そうに、目をそらしながら。
「……もう、いいだろ。今日は少し疲れた。帰るよ」
目の前のワープゲートに、飛鳥さんは入っていく。僕も後を追う。
そして。
僕らは、元の世界に戻ってきた。
茜色に染まった、夕暮れの教室。
学校のそばを宗教の街宣カーが駆け抜け、わけのわからない文句を素っ頓狂な奇声でがなり立てていった。
窓際の席の飛鳥さんと、その隣にいる僕と、それぞれの目の前の入部希望届と。
そして───。
「それで───どうする、部活?」
僕は目の前の飛鳥さんに尋ねた。
すると、
「そうだよなぁ」僕の右隣の席で、椅子をギイギイと鳴らしながら、勇が言った。
「そうよねぇ」僕の前の席から響いた、鈴を振るような声は、
「まったくだねぇ」飛鳥さんの前の席で、椅子に逆向きに腰掛けて大股を開いているのは、和尚だ。本名は
僕らは、勇と僕以外は、入学してこの一年B組で知り合った。なんだか妙に気が合って、いつも五人でつるんでいる。この一ヶ月、友達づきあいしてきた記憶が、ちゃんとある。唯我独尊の変人飛鳥さんを、何とかクラスに溶け込ませねばと、それぞれにちょっかいをかけ始めたのがきっかけで、……。
───僕は、激しい違和感に襲われた。それは、隣にいた飛鳥さんも同じようだった。
「ちょ、ちょっと、席外すね」
飛鳥さんは立ち上がると、僕の手を引っ張って、教室の外に飛び出した。
すると、
「あなたたち、どこへ行くの? ちゃんと、希望届は書いた?」
廊下をちょうど、一―B教室に向かって、ふわふわと歩いてくる影があった。あの足下が覚束ない感じは、城市先生だ。
頭の中の違和感がいや増し、頭痛にも近い何かになった。
ほんの少し前、あの異世界に飛ぶ前、僕らはどうしていた?
どの部活に入るか決められなかった僕らは、SHR後に城市先生に五人まとめて呼び止められて、早く入部希望届を書けと、そう言われて、残ってたんだ。
そうだったろうか。違うような気がする。僕と飛鳥さんのふたりしか、いなかったような、そんな感覚が、かすかにある。
そして、異世界で、飛鳥さんは何をした? 殺したのだ。勇者パーティご一行を全滅させたのだ。その結果が───これ?
「何だ、これ……」
飛鳥さんも、頭痛に耐えるように、頭を押さえている。
「いや、わかってる。何が起きたかなんて、わかりきってる。友納、あんたも感じてる違和感の通りだよ。あいつらはさっきまでこの教室にいなかった。新たな魂が入り込んで、世界が変化したんだ。上書きされた新しい記憶の方が現実であり真実だ、受け入れるしかない。これもまた、あたしの望むカオスには違いないんだが……っ!」
「だからって、何で全員クラスメートとか教師なのさ!?」
「しらねーよ! あたしだって、こんなのは初めてだ。異世界で殺した魂が、現実世界の生きる魂とどう重なり合うかは、ランダムだ。これまでに一億以上殺してるんだ、知っている人間が変わってしまうこともある、こういう記憶の混濁自体は初めてじゃない。だけど、殺した全員が、そろって目の前に現れるだと? ありえない! あたしも、記憶混濁が激しくてちょっと気分が悪い」
「……ちょっと、大丈夫? 頭痛いの?」
城市先生が歩み寄ってきて、赤子をあやすような調子で話しかけてきた。
飛鳥さんはかまわずつぶやき続ける。
「これは……たまたまか? 何かがおかしくなってるのか? まさか、勇者どもが世界を超えてあたしを倒しに来た? そんなはずはない。異世界の魂の記憶が継承されるなんて、そんなの、世界のしくみに反する。じゃあいったい何なんだ? くそっ、なんかこう、常識がぶっ壊れてくみたいで、背筋がぞわぞわする」
「寒気がするの? 保健室行く、飛鳥さん?」
状況のわかっていない城市先生が、見当違いの心配をしている。
一方で飛鳥さんは、想定していなかった事態にぐるぐると頭を巡らせていた。
「とにかく、放置しておいたらダメだ。魔王であるあたしは、すべてを見通せる状態にしておかなくちゃ。あの勇者どもの動向を、可能な限り監視する方法───あぁ、でも、あいつら今はクラスメートなわけだし、現実世界じゃ人権侵害みたいな手段はやばいし……だったらせめて、手下みたいに目の前に置いておけるような、呼び出せば連中がははぁって馳せ参じて、伏し従うような、そんな方法は───」
「そんな、都合よく───」そう言いかけたとたんに、僕の頭の中で突然ぴしりと歯車が噛み合った。何かが脳内に溢れた感覚がして、頭痛も違和感も飛んでしまった。「あぁ、そうか……」
「さっきから、何をぶつぶつ話してるの?」
不思議そうに様子をうかがおうとする城市先生を押しとどめ、僕は尋ねた。
「先生」
「えぇ、何?」
「部活の件なんですけど。───僕ら五人で、新しい部活を立ち上げるって、アリですか。それで城市先生、顧問になって下さい」
「はい?」
何を言い出すのかと、城市先生は指を頬に当てて首を傾げた。
「な……」
飛鳥さんも口をぱくぱくさせて、僕の言葉を理解できないでいる。
「はぁ……五人いれば部活の新設は可能だし……あなたたちにやる気があるなら、先生もできるだけの協力はしますけど……」
何とも頼りない返事だが、ノーと言われるよりはいい。
「そうしよう、飛鳥さん。───先生、明日までにどんな部活にするかまとめますから、あと一日、時間いただけませんか」
「え、えぇ……それより、体の具合は大丈夫なの?」
「全然平気です! ね、飛鳥さん」
「あ、……あぁ……」
「それならいいけど、あんまり根を詰めないでね? 部活決めるだけで、体を壊すほど気に病むなんて、元も子もないですからね?」
天然というか何というか、城市先生は大いに勘違いしているようだが、この際それが助かる。
「それじゃ、心配して様子を見に来て下さったのに申し訳ないですけど、今日は希望届は出ません。明日、その新しい部を第一希望にするって内容にして提出します。……てことで、先生はお仕事にお戻り下さい、僕らもいったん帰ります」
「えぇ……わかりました」
城市先生は狐につままれたような顔をしつつも、すらすらまくし立てた僕の言葉に背中を押されるように、職員室に引き返していった。
そうして、夕暮れ近く朱に満たされ始めた学校の廊下に、僕らはふたり残された。
狐につままれた顔をしているのは、飛鳥さんも同じだった。
「……ずいぶん、思い切ったことを考えついたもんだ」
「でもこれで、飛鳥さんの言ったとおりにできるよ」教室の中では、勇者だった三人、今では僕らの友人である三人が、談笑に興じている。「彼らは、部長たる飛鳥さんの命令に忠実に、ははぁって馳せ参じて、伏し従ってくれる」
「あたしが部長?」
「そりゃそうだよ」
「……っつか、命令とか伏し従うとか、部活ってそういうものか?」
「飛鳥さんが、そういうものにすればいいんだよ。───副部長は僕がやるからさ。めんどくさいことは全部僕に押しつけて、部長はふんぞり返っててくれればいいよ」
飛鳥さんは唖然として僕を見た。
「……順応早ェな、友納。おかげで、うまくことが回っているようではあるが……正直、何が何やら、だ」
「僕はだいぶわかってきたよ。飛鳥さんとどう向き合えばいいか、とかね。……これが、君がわからないと言った、僕の役割なのかもね」
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