第10話
「この体は、ここまでか」
飛鳥さんは、僕にだけ聞こえる声でつぶやいた後、武器を構え直した四人の勇者に向かって、再び魔王ゴルマデスの声を発し、こう言った。
「たいしたものだ、貴様ら。我をここまで苦しめるとは、見事だ。気に入ったぞ」
魔王の口はもう動いていなかった。声だけが、どこからか響いていた。奇怪な状況に、勇者たちの緊張が高まる。
中の飛鳥さんのニヤニヤ笑いは、これまでにないほど悪意に満ちていた。
「ものは相談だ。なあ、世界の半分をくれてやるから仲間になれ、と言ったら、どうする?」
「そのザマでいうセリフか」警戒しつつ、重戦士が言下に答えた。「断る! 貴様と取引するつもりはない」
他の三人も、その通りだと大きく頷いた。すると、飛鳥さんはふふふと笑った。
「思った通りの答えだ。だが、気づいているか? これで勝利の可能性を失ったことに。貴様らは、取引に応じるそぶりだけでも見せるべきだったのだよ。言っている意味が、わかるか?」
「……何?」
「約束が履行されなければ、貴様らはまた戦いを挑めばいい。履行されたなら、貴様らは魔王の力を半分そぎ落とした。どちらに転んでも損はなかった。唯一損をするのは、この取引が時間稼ぎに過ぎなかった場合くらいだが、貴様らは魔王がそんな姑息な真似をすると思うのか?」
「くれる世界が闇の世界で、受け入れれば俺たちは闇に包まれてしまうとか、そんなだろうよ」神官が言った。
「それの何がいけない? 魔王が光だけの世界でどうやって生きていく? 持てるものの半分を失って君臨し続けるなど、魔王はおろか神とて難しかろうよ。例え貴様らが闇の世界に落ちようと、半身の魔王など、貴様らでない誰かの剣の錆に成り果てるが落ちだ。……貴様らが本当に、残してきた世界の人々とやらを信じているのならば、な」
一瞬、勇者たちは、言葉を失った。
「ふ、ふは、ふははははは、ふぃ、ひ、いーひひひひひ!」
とたんに、飛鳥さんは笑い出した。その声が、響いていたゴルマデスのものから、次第に、飛鳥さん本人のものに変わっていく。本人の声は今まで僕にしか伝わっていなかったけれど、今度のは、勇者たちにも聞こえているようだ。
「いま、魂が揺らいだな? それでいい、それでいいんだよ」
声とともに、黒紫色の炎が再び燃え上がり、ゴルマデスの体を包んでいった。燃え落ちるように、巨体が静かに姿を消していく。代わりに、幽霊のような姿だった飛鳥さんが、確かな実体をともない始める。制服姿の、まま───。
「さぁ、続けよう! ありがちだろ、これが魔王の真の姿って奴さ!」
飛鳥さんは、戸惑う勇者たちに向けて、ひひ、と歪んだ笑みを見せた。
「あんたらが死んでくれないと、あたしの仕事は終わらないんだ!」
飛鳥さんは、一歩足を踏み込むと、野球のアンダースローのように腕を振り上げた。すると、その腕のしなりに合わせて、しゃれこうべの人魂が、再び列をなして現れ───ゴルマデスの触手はもうないにもかかわらず! ───一気に四人に襲いかかった。
四人は、それぞれの武器で人魂を弾き返したが、明らかに後れを取った。魔王の提示した取り引きに心揺らいだ己を恥じ、奇天烈な格好をした、自分たちと歳に大差なさそうな白髪の少女が、魔王の正体という事実に新たな衝撃を受けて、動きがわずかに鈍っていた。
だが、そのわずかな隙の間に、飛鳥さんは魔法使いの目の前まで、ほぼ一瞬で走り込んでいた。
「この世界は、魔法が使えるからいいよね。魔王のあたしは、実はどんな魔法も思いのままなんだよ」
飛鳥さんの体がかすかに輝いている。その光は、さっき魔法使いが使った行動速度を上げる魔法のものに似ていた。
「あの稲妻を生身に食らったら、さすがにヤバいんでね。先に片付けさせてもらう」
不意を突かれた魔法使いがのけぞるところ、一閃の回し蹴りが飛んだ。その足の先は、赤く輝いていた。聖なるルビーの力も魔法の一種に過ぎず、それさえ今の飛鳥さんは取り込めるのだ。
蹴りの爪先がわずかにかすめただけで、魔法使いは深々と喉を斬り裂かれた。頸動脈から激しい血しぶきがほとばしる。飛鳥さんは、返り血を浴びてにんまりと笑った。他の三人が声をあげる間もなく、魔法使いの体はあえなく崩れ落ち、体の周りに血だまりが広がっていく。
神官がはっと我に返って、錫杖を高く掲げようとしたそのとき、
「回復はさせないよ」
魔法により人間の限界を超えた脚力で、飛鳥さんは既に神官の前まで移動していた。たんっと小気味よく跳ねて人の頭より高い位置まで飛び上がり、そのまま、太股で顔面を挟み込むような格好で神官の肩に乗る。そこで飛鳥さんは腰に一回ひねりを入れ───神官の首がごきりとへし折れる音がした───後方へバック宙の要領で回転し、神官を頭から床へ叩きつけた。いわゆるフランケンシュタイナーだ。
飛鳥さんが体勢を立て直し立ち上がっても、神官は二度と起き上がってこなかった。硬い床に容赦なく打ちつけられた神官の頭部は砕け、やはり血だまりが広がっていった。
「ヌォォォォ!」
瞬く間に仲間をふたり地に沈められ、重戦士が猛り狂う。全身の筋肉を極限まで使って一跳びで飛鳥さんに躍りかかり、渾身の力をこめて大剣を振り下ろした。───が、飛鳥さんが片手をかざすと、そこに円形の光の盾が生まれた。ぎン! と金属音がして、全力の斬撃をいとも簡単に弾き返す。
「イャァァァァ!」
そこへヴァルキリーが、がら空きになっていると見えた足下を狙って、襲いかかった。低い姿勢から放たれる神速の横薙ぎ。───が、これも飛鳥さんは、数歩後方へステップするだけでかわしてしまった。
繰り返される、ふたりの戦士の猛攻。しかしその斬撃のすべてを、飛鳥さんは、光の盾で受け止め、体さばきでよけてかわし、あるいは懐に潜り込んで、手刀や蹴りで彼らの体ごと突き放した。
その軽やかな動きは、まるで踊っているかのようだった───僕は率直に、その姿が、とても綺麗だ、と思ったのだ。
飛鳥さんのダンスは、やがて静かに幕を閉じる。重戦士とヴァルキリーがアイコンタクトして仕掛けた左右からの同時攻撃を、飛鳥さんは両手を差し上げ、二つの光の盾を作り出して軽々受け止めた。それでもなお、雄叫びを上げながら押し込もうとするふたりの剣を、光の盾をまるでティッシュペーパーのように折り曲げながら、指でつまみ上げたのだ。
その両手を、振り下ろし───また振り上げる。ふたりの戦士は、まるで風船玉のように天高く放り投げられた。
飛鳥さんはそこで、両手を天に振りかざしたまま、フィニッシュポーズを決めるかのようにしばし動きを止めた。
そして叫んだ。
「トール・インパクト!」
天から降り注いだ稲妻が、ふたりまとめて容赦なく貫いた。支えのない空中では何の抵抗もできず、自然の脅威の前に盾も鎧も無意味だった。
ふたりが重力に引かれて地に落ちたとき、ヴァルキリーは落雷のショックで既に事切れていた。体力のある重戦士だけは、体中に激しいやけどを負いながらも、再び剣を構えて立ち上がったが、もう気力で立っているのみだった。ぎりぎりと、悔しそうに、唇を噛み───その傷から流れ落ちる血にさえ、まだ残っていたしゃれこうべの人魂が寄り集まり、最後の生気を奪い尽くしにかかった。
「き……貴様……」
「死ぬ前に、ひとついいことを教えといてやる」
飛鳥さんは、こらえる重戦士に向かって冷たく言い放った。
「あんたらの見事な働きによって、魔王ゴルマデスはとりあえず死んだ。呼び出した黒司祭も死んだ。だからアルガレイムは、またぞろ力を欲して、異界の魔王の復活を祈る者が現れるまで、しばしの平和を取り戻すだろう。四人の勇者が命を賭して世界を守ってくれたのだと、後世まで語り継がれるんだ。ほとんどハッピーエンドさ。よかったな、嬉しいか? 安心したか?」
「う……ぐ……」
人魂は容赦なく重戦士の命の炎を吸い続ける。彼はもう、ほとんど意識を失っていた。それでも倒れることなく、剣で攻撃しようとする。
「見上げた根性だね。ここまであたしを追い詰めた勇者は、久しぶりだよ。たいしたもんだ。だけど───おしまいだ」
飛鳥さんが、手をさっと横に払うと、重戦士の首が飛んだ。兜とともに、からりと地に落ちる。人魂に吸い尽くされた首からは血もほとんど出ず、あとはただ、胴体が地にどうと倒れ伏すのみだった。
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