第9話

 飛鳥さんがそこまで話して、言葉を切ったときだった。


 「サンシャイン・レイ!」


 突然、地上の方向からまばゆく輝く光の矢が飛んできて、大地を睥睨する魔王の体に突き刺さった。とたんに矢は爆発的に弾け、巨大な光球に変じて体全体を包み込んだ。


 矢の出所を見ると、四体の飛龍が突っ込んできていた。先ほど四天王をあたらせた勇者たちだ。飛龍どもの爪や口には、四天王の体の一部らしき肉片がこびりついている。彼らは四天王を倒したのだ。


 そのうちの一人、神官の手が前方に突き出されている。先ほどの光の矢は、彼が放った攻撃魔法のようだ。


 魔王を包んだ光が消えた。傷ついた様子はないが、魔王の体はわずかに怯むそぶりを見せ、その中の飛鳥さんはかすかに表情を曇らせていた。


 「効いたの?!」魔法使いが尋ねると、


 「少しはな! だが期待ほどじゃない、聖属性の攻撃なら効くってわけじゃなさそうだ!」神官が答えた。


 「やっぱり、魔王に弱点なんてないのよ!」魔晶鏡の使い手であるヴァルキリーが叫んだ。


 「弱点がないなら、真っ向から叩き伏せるまで! 行け、これ以上、好きにさせるな!」


 四体の飛龍が、重戦士の号令一下突っ込んできて、そろって魔王の体に食らいついた。牙を立てたまま体を翻し、急降下を始める。抵抗しきれず、引きずられるように魔王の体も降下し、そのまま、地下の大聖堂まで引き戻された。


 飛龍は、魔法使いの魔法で作られた、一定時間しか存在できないかりそめの存在だったらしく、仕事を終えるとその場からかき消えた。




 いよいよ、最終決戦のときが来た。


 舞台は再び、マーガス地下大聖堂。先ほどとは違い、破られた天井から陽光が差し込めている。だが、辺りは暗かった。天井が崩れたときに壁から落ちたろうそくの炎が、どこに可燃物質があるかよくわからないけれどともかく何かに燃え移って、地下の空洞全体が炎と煙に包まれているのだ。もともと聖堂の広間があったこの場所だけが、バトルフィールドとして取り残されたかたちだ。


 燃え盛る炎の中、四人の勇者と魔王ゴルマデスは、構えて対峙した。


 「ついに来たか……」飛鳥さんの顔は、むしろ嬉しそうだった。「勇者は大事なんだよ、友納。魔王に恐れず戦いを挑むような勇敢で力強い魂は、現実世界を変える可能性を、最も強く秘める存在だからね」


 飛鳥さんが大きく息を吐く。すると魔王ゴルマデスも息を吐く。鮫の歯が生えそろう口から硫黄色混じりの煙が吐き出され、辺りに立ちこめる。


 「なあ友納。あんたさっき、ここがゲームみたいな世界だと言ったろ」


 「うん……言った」


 「あたしも同感だよ。まったく同感だ。でも、ゲームとは決定的に異なる点がひとつある。あたしが、魔王が勝つってことさ。あいつらを殺さなきゃ、魂は現実世界にやってこない。だから絶対に殺す。こちらも全力で戦って、叩きつぶす」


 飛鳥さんがぐっと両手の拳を握る。すると魔王ゴルマデスも拳を握る。と同時に、体中の筋肉がぼごんぼごんと音を立てて盛り上がり、ただでさえ威容の巨体が、さらに厳つく変化する。


 飛鳥さんが───魔王ゴルマデスが吼えた。


 「こしゃくなこわっぱどもめ、逃げるなら今のうちだぞ。さもなくば、貴様らに残された運命は、死、死、死、それだけだ!」


 勇者たちのリーダー、重戦士が怯まず吼え返す。


 「逃げる? ふざけるな! 我らの双肩には、これまで我らを導いてくれた、アルガレイム中の人々の想いが託されている! 魔の眷属どもの暴悪にいくらうちひしがれようとも、助け合い、慈しむ気持ちを決して捨てなかった人々のな! 彼らの期待を、祈りを背負った我らの魂は、決して折れることはない!」


 「そんな魂がいくら束になったところで、魔王たる我には通用せぬわ!」


 「そんなことはない! 人の想いの力、見せてやる! 貴様を倒し、このアルガレイムに平和をもたらし、未来を取り戻してみせる!」


 「ならばかかってくるがいい! この世の地獄とは何か、教えてやる!」


 呼ばわっている間に、要領のよいことに、魔法使いが何やらさっさと呪文の詠唱を始めていた。


 どうやら行動速度を上げる呪文らしい。四人の体の真下に、緑色の輝きを放つ円形の紋様が生まれ、その緑光を浴びて、彼らには何か湧き上がる力があるようだった。


 そして───戦端が開かれた。


 「テヤァァァァ!」


 まず先手を取ったのは、いかにも素早そうなヴァルキリーだ。魔法の力を借り、人知を超えた速さで突っ込んできた。一足跳びで数メートルはあろうかという間合いを詰め、ゴルマデスに斬りかかる。


 応じて飛鳥さんが手を前に突き出すと、魔王の手首の触手が、先ほども帝城内で放った、しゃれこうべの人魂を次々と放ち始めた。人魂が迫りヴァルキリーに食らいつく……かに見えて、聖なるルビーの力を得て刃が赤く輝く剣は、人魂を易々とみな切り捨ててしまった。


 ならばと、魔王は手首の触手を蛇のように伸ばし、意のままに操って襲いかかった。その速い動きを、絡め取りにかかったのだ。ヴァルキリーは、目にも留まらぬ剣さばきでめったやたらに切り裂いて防いだが、魔王の足首から伸びた別の触手がヴァルキリーの死角から忍び寄り、彼女の足をとらえて空中に引きずり上げた。自由が利かなくなったところへ、他の触手がいっせいに伸び、ヴァルキリーの肢体を締め上げ、先端のしゃれこうべが噛みつこうとする。


 あわやというところ、神官が錫杖を振った。すると錫杖の輝きもいや増し───聖なるルビーの力は、その武器を通じて繰り出される魔法の威力も上げるのだ───その先端から巻き起こった激しい竜巻が、ヴァルキリーを包み込んだ。風が吹きすぎた後には、あやまたず触手のみが、かまいたちのごとくに斬り裂かれて地に落ちていた。


 最初に足に絡みついた触手だけが残っていた。触手はヴァルキリーを振り回し、薙ぎ払うように投げ捨てた。ヴァルキリーは聖堂の壁まで吹っ飛ばされた、が、くるりと身を翻し、うまく壁を使って屈伸する格好で衝撃を抑えると、反動をつけて再び攻撃に転じてきた。ここに重戦士も合わせて突っ込んでくる。


 魔王は鋼の鱗を持つ腕で受け止めようとした。本来なら、どんな盾をも上回り、何ものをも弾き返す硬度があるはずだったが、聖なるルビーによって赤い光をまとった武器の、それもふたりがかりでの斬撃は、想像以上の威力だった。腕はいともたやすくずっぱりと斬り落とされ、緑色の体液がそこらじゅうに飛び散った。


 「おのれぇぇぇ!」


 中にいる飛鳥さんが叫んだ。ひどく顔を歪めていた。吠えるように、悲鳴のように、「あああああぁぁぁぁぁ!」張り裂けんばかりの声を上げると、魔王の喉元が急激にふくらんだかと思うや、口をくわっと大きく開き、喉の奥から猛烈な火炎を吐きだした。


 重戦士が避けきれず、まともに受けて金属鎧が赤熱するところ、ワルキューレが前に飛び出して、腕に取り付けた盾をかざす。マンホールの蓋くらいのサイズしかないのに、一面を焼き払わんかという勢いの炎の放射を完全に防いだ。


 すかさず神官が呪文を唱え、手を振りかざした。辺りに冷気が満ち、赤熱した鎧をみるみる冷ましていく。耐火の効果がある魔法とみえる。


 「すまん! 助かった!」


 「いいから、今のうちに剣技を!」


 ファイアブレスはすぐには収まらなかった。凄まじい攻撃力と引き替えに、大きな隙をさらしていた。重戦士は一気に間合いを詰め、炎を吐く首の真下へと踏み込んだ。剣の柄を握りしめ、構えながら体を低く沈めると、大剣が、赤を通り越え、太陽のごとき黄金色の輝きを帯び始める。


 「ひっさぁつ! ごくはしょうえんざん!」


 どんな漢字をあてるのかよくわからない技の名前を叫んだ刹那、重戦士は、弾けるように高く跳ね上がり、力強く剣を振るった。


 もはや鉄の鱗は紙同然だ。胸から首にかけてがばっさりと斬り裂かれ、また緑色の体液がだくだくと飛び散る。その一部はヴァルキリーの肩甲にこびりつき、煙を上げて溶解を始めた。ヴァルキリーはそれを引きちぎって投げ捨て、彼女の肌の露出がまた少し増えた。


 「ぬあぁぁぁぁぁ!」


 大きな傷をつけられて、魔王の巨体が揺らぎ、飛鳥さんも再び苦悶の表情を見せた。しかしその直後、彼女はいつもよりも数段歪んだニヤニヤ笑いを浮かべた。この戦いに、心から充足して、喜んでいるようにも見え───でも、決まって歪むあの作りつけたような笑い顔は、本当に彼女の「喜び」を示すものだろうか?


 そのとき、


 「みんな離れて! 目と耳を塞いで!」


 先ほどから動きがなかった魔法使いが叫んだ。───どうやらこれまで、長い呪文をもにゃもにゃと詠唱していたらしい。


 「トール・インパクト!」


 赤く輝く杖を天に突きつけ、魔法使いは叫んだ。すると星の杖もまた黄金色に輝きを増したかと思うや───破壊された天井の、はるか上の天空に、にわかに渦を巻く雲が立ちこめ、そして。


 すさまじい稲妻が、魔王の上に降り注いだ。


 「ぐぁっ……っ!」


 さしもの飛鳥さんも顔を引きつらせ、しばし身動きが取れなかった。


 目がくらむ閃光、そして激しい爆音と爆風が巻き起こる。爆風は、魔法使いの三角帽子を吹き飛ばし、アップにまとめた髪型を露わにした。




 光と音が止み、勇者たちがおそるおそる目と耳を開くと、そこには無惨に変わり果てた魔王ゴルマデスの姿があった。


 角は折れていた。手首足首の触手はすべて燃え落ちていた。腕と胸に与えた傷口、そして何カ所も鱗がはげ落ちて、地肌が露出したそれらの場所からは、肉が焼け焦げる匂いが立ちこめていた。……そして、仁王立ちに立ってはいたが、身動き一つしなかった。


 「やった……か? 勝ったのか?」


 重戦士がつぶやいた。


 「意外とあっけない……? 聖なるルビー様々か?」


 神官が構えを解き、大きく息をついた。


 「終わったのなら、帰りましょう。温かいお風呂に入りたいわ」


 魔法使いは、帽子を拾い上げ、かぶり直した。


 だが。


 「待って! 何か……何かおかしい!」


 魔晶鏡を通してゴルマデスの姿を見たヴァルキリーが、引きつった声で叫んだ。


 「さっきゴルマデスを見ても何も情報が得られなかったのは、値が巨大すぎて『表示しきれない』というエラーだったの。ある意味、正常な反応だった。でも今は……動作が明らかに異常だわ」


 「どういうことだ?」重戦士が尋ねた。


 「ゴルマデスじゃない何者かが───この世界にあらざる、切り離された何かがそこにいる!」

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