5.2.1 誉

 女王は、天空の庭園に全てを捧げ、目的達成の為に必死になっていた。そんな彼女を傍で見てきたイヴァルは、徐々に情を失ってゆく彼女を、救いたかった。

 元々、女王は感情の起伏が小さい人間だったと、イヴァルは記憶している。しかし彼女は、日を重ねるごとに、人らしい心が失われて行く様を、イヴァルの瞳に焼き付けた。

 耐えられなかった。だから彼は、あらゆる手を尽くした。

 喋りかけた。不要な休息を取り計らって時間を作らせた。様々な人物に出会わせようとした。だが、どれも効果はなかった。

 そんな中、彼は女王に、愛情を抱くようになる。自分が無力だとわかっているイヴァルだから、女王に抱く尊敬も人一倍大きかったし、だからこそ、彼女の姿を見ていて、何とかしようと尽力してきたのだ。

 自分の想いに気付いた矢先、彼は、水色の装置の真実を知る。いよいよ女王の心を何とかしなければならないと、本気で思った。結果として、無力な彼は、ヴィュールへ相談したのだ。

 しかしそれは、裏目にでる。イヴァルは、愛する女王を危険にさらしてしまった。迂闊な事をしたと、彼は反省した。しかし、そうした所で、人々を止める術など、彼ににはない。故に彼は先ず、女王に危機を伝えた。

 だが、そこにいたのは、人らしい心を失った女王だった。

 もしかしたら、女王には人の心など、最初からなかったのかも知れない。歪んだ庭の女王としてたてられた時点から、彼女の心は成長する術を失っていたのだろうか。

 それでも無力なイヴァルは、常に懸命で、賢明な女王の為に、自らもそうあらねばならないと思いなす。そして、争いが発生した最初期から、白い塔を守らんとしていた。ところが、波のように押し寄せる人々の怒りを受け止めきれず、彼は、女王と共に空の庭を脱出するべく、再び塔へと舞い戻った。

 運が悪かった。

 黒い少女に、出会ってしまった。

 イヴァルの体が既にボロボロであった事実を差し引いたとしても、少女は圧倒的であった。力は無論の事、精神に宿った邪悪さえも、天空の庭園の人々のそれとは、次元が違ったのだ。

 イヴァルは、瞬時に理解した。少女は止められないと。それでも彼は、女王のように、古き友のように、どんなに無力であったとしても、自らの使命を全うしようと考えた。

 結果として、彼は死にゆく。


――イヴァルの視力は完全に機能を失い、呼吸も徐々に弱くなってゆく。生臭い香りと腹部からの鈍い痛みも相まって、彼に、確実な死の実感が迫った。どうしようもない状況であるとわかっていながら、死に抗わんと手を動かしてみたが、彼の右手の先は、一切の感覚がなくなっていた。

 代わりに彼へと伝わったのは、動かした手先から流れ出る血液の、生暖かい感覚。イヴァルは、腰から下が切り離されたと同時に、右手首から先も失ったのだと、理解した。

 やはり、死への抵抗は、無駄であった。だから彼は、動く事を止めた。しかし、満足だった。

 女王も、ヴィュールも、誰しもが、形こそ違えど、天空の庭園の為に命を懸けている。無力だとわかっている自分も、命をかけて使命を全うできたと、誇りを感じたのだ。これ以上誉れ高い事が、他にあるだろうか。


 強欲な暗闇が、迫ってくる。既に光は失われてしまったが、イヴァルに残った全てを奪い取ろうと、徐々に彼を侵食した。

 終焉。その言葉が、彼の脳に張り付いた。

 その淵で。

 紫色の光が、暗黒一色の視界になぜか映り込み、イヴァルから遠ざかってゆく。無くなった筈の視力で捉えた最後の光は、どこへ向かおうというのか。

 イヴァルには、紫色の光の正体を考える力さえ、残されていなかった。だが、遠ざかる紫色の光は、彼の瞳に残滓を残して輝き、消えゆく意識に、妖美だな、と思わせた。

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