4.3.2 人的資源

 冷たい夜空の下に降り注ぐ光は、冷えた大気と同じく寒々しく、よそよそしい。一定の照度でもって天空の庭園を照らす星々は、白いウトゥピアを、暗澹の中で余計に目立たせた。彼女は、自らの衣を僅かに持ち上げて輝くさまを一瞥し、かけがえのない空の庭を、永久に守らねばならないと、再三自分に言い聞かせる。そんな事をせずとも、世界はいつもと変わりなく、全てを無視して、回り続けるというのに。

 そうだ。全てを無視するのだ。

 それでは困るからこそ、ウトゥピアは急ぎ足で目的地まで、やって来た。

 遠目で見れば、白い塔の近くに建っている四角い建物の、行儀よく整列したそれぞれの部屋を照らす明かりが、たった一つを残して、消えている。彼女は、孤独に自己主張をする一室に焦点を定めて、一直線に、そこへと向かった。

 並んだ部屋の、一室。鉄製の扉を、躊躇なく、しかし静かに、叩く。しばらく待つと、白い扉が開いて、中から女性が半身を出した。

「あら、あなたは――」

 ウトゥピアは、ゆっくりと移動する風に、自身の髪を好き勝手にさせたまま、しかし表情を変えずに、女性へと言う。

「大事な話があります。あなたにしか、お話出来ない事なのです」

 女性が、僅かに身を引いた。顔には、困惑の色が浮かんでいる。

 すかさず、ウトゥピアは継ぐ。

「とにかく、私についてきて下さい」

 一歩後ずさったまま固まった女性の左手を、比較的強い力で掴んで、ウトゥピアは彼女の瞳を、強いまなざしで捉えた。挙動までもが困惑した女性に、強固な意思が伝わったのだろうか、彼女はウトゥピアに引かれるままに、温かい部屋から、冷たい夜闇へと、共に溶け込んだ。




 大人しく導かれてくれた女性を、ウトゥピアは、塔の研究施設から二階ほど上にある、研究用の部屋――別室へと招き入れた。部屋に入るなり、女性は頭を低くして、周囲を見回しつつ、遅緩した歩みで進む。

 無理もないと、ウトゥピアは思う。この別室は、本来なら研究施設の中にあって良いのだ。しかし、巨大すぎて階下に収まらなかった数々の装置の為にこそ、研究施設よりも遥かに高くて広い、この研究用の別室が、追加で作られたのだから。目を丸くした女性は、どうやら、この巨大な部屋に鎮座している、あらゆる実験用の道具や装置に釘付けとなっている。

 部屋の中央辺りまで先に来たウトゥピアは、児戯な動作で進んでくる女性へと振り返り、大仰な声をかける。

「突飛な話で申し訳ありません。ですが、聞いてください。あなたには、世界を救う力が宿っています」

 遠目に見てもわかる位に驚いて、肩を激しく震わせた女性に向かって、ウトゥピアは両腕を広げる。女性は一時固まった後に首を傾げ、緩慢な動作で、自分の足元を確かめるかのように、一歩一歩、ウトゥピアの前へと出てきた。

 ある程度まで進んできた所で、ウトゥピアは、女性の両手を掴んで、真正面から顔を見つめる。相変わらず、女性は首を傾げたままに、驚いた表情を崩さない。この調子では、待望の瞬間は、まだまだ長い。

 ウトゥピアは、焦らずに、彼女を装置へと、導いた。




 女性は、頑なである。故に、作業へと移れずに、ウトゥピアは苛立っていた。

「実験に協力していただければ、この世界の全てが救われるのです」

「そんな事、できる訳ないでしょう!」

 地上から招いた、姉妹の一番上の姉が、叫んだ。いつも名前を忘れてしまうが、すんでのところで、完全に忘却してしまうところだった。確か、名前はスィルと言ったはずである。

 円筒形の巨大な強化ガラスの中で、手首と足首、それから首に固定用の器具を装着されたスィルが、長い土色の髪の毛を振り乱して、叫び続ける。

「私は地上に帰ります! 姉妹も全部! 早くこれを外しなさい!」

 お断りである。ただ、頷いてくれれば、それで良いのだから。

 ウトゥピアは、事実を飾る必要などないと、表情を少しも崩さずに、無色透明の声で言う。

「あなたには、世界の法則から外れた力が、宿っています。私に協力して、その命を差し出して頂ければ、腐敗の泉に汚染された地上も、天空の庭園も、救う事が出来るのです」

「誰か、早く来て!」

 大したものだと、ウトゥピアは感心した。

 対象を固定する器具は、非常に強力であり、対象が少しでも動く為には、膨大な力が必要な筈だ。装置の計器を確認すれば、適正な値で機能しているから、ガラス越しに暴れるスィルは、相当な力持ちらしい。頑なな態度を一切崩さない根拠が、この怪力であったとすれば、頷けるというものである。

 ウトゥピアは、スィルの引きつった顔を見て、嘆息を漏らした。彼女は、先ほどからこの調子であるから、ウトゥピアには、どうやら彼女の意思を無視して、研究開発を強硬する手段しか、残されていないらしい。

「申し訳ありませんが、ここには誰も来ません。私には、全てを救う義務があるのです。それでは」

 言って、内部の音を遮断した。機器のコントローラを弄ったら、遅延なく、円筒形のガラスは、液体に満たされてゆく。

 液体が、スィルの足首まで持ち上がった。彼女は、足を乱暴に、回転させるようにした。

 液体が、スィルの腰辺りを、浸した。彼女は、全身の力を使って、暴れまわっているようだ。

 液体が、彼女の肩を埋没させた。目が、見開かれた。叫んでいるのだろうか、首筋の血管が、遠目で見てもわかる位に、クッキリと浮き上がっている。

 液体が、彼女の全てを包み込んだ。準備が出来た。

 ウトゥピアは、もう一度、機器を操作する。すると、機器は唸り音を響かせて、目的を達成した。あっという間である。

 非人的資源は、利用者の要求通り、一定の労働を提供する。人的資源は、利用者の変化する要求をのんで、労働を提供する。しかし、利用者の利益だけでなく、不利益を生ずる場合もある。

 だから、ウトゥピアは、人という形を失わせた。仮に、非人的資源が、利用者の変化する要求を叶えられたとすれば、人であるデメリットを解消しつつ、一定の労働をさせる事ができるからだ。尤も、生命を宿していては、彼女がこれから行う研究上、不都合である。故に、人であるデメリットを解消するという意味合いの方に、比重を置いていた訳であるが。


 スィルは、重要なパーツを残して、ウトゥピアの視界から消失する。階下の研究施設へと落下したのだ。うっかりしていたウトゥピアは、本来ならば遺棄する予定だった、無駄な部分を残してしまったらしい。次回に同じ間違いがあると、掃除が厄介である。だから彼女は、二度と間違いのないように、機器の設定を調整してから、残ったパーツを取り出し、早速実験施設へと向かった。




 力の宿ったパーツには、足りない部分があった。端から想像出来ていたとはいえ、こんな事ならば、いっぺんに持ってくるべきであったと、ウトゥピアは若干後悔する。とは言え、大きな問題は、ない。何しろ、持って来られれば、それで十分なのだから。

 ウトゥピアは、回収したパーツの調整をしつつ、全てのパーツを揃えなければならないと、決心を固めた。

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