1.4 孤高

 天空の庭園から見下ろせば、今日はどうやら雲一つないようだ。それはつまり、地表で蠢く忌々しい腐敗の色を直に瞳に焼き付ける事にもつながってしまうのだが。


 珍しくどうでも良い事を考えていたウトゥピアは、直近にある円形のテーブルから、彼女の纏う衣服と同色の白く輝くカップを丁寧に掴んで、半分だけ注がれた黄金色の茶をほんの少しばかりすすり、再びそこに置いた。

 今日は彼女の休日だ。と言っても、休むつもりが彼女にある訳ではない。イリオスの民が、自分達が休みなのだから女王も休め、と半ば強引に勧めてきたのだ。

 現状もそうであるが、当時のイリオスは既に、ウトゥピアの知恵によって平和が保たれていた。だから彼女は、断る理由が見当たらず、民の勧めを受ける事にしたという経緯だ。

 要するに、取り急ぎやるべき事があるのならば、すぐに仕事を始める心構えは出来ているし、心の底から、休日などは無駄が極まると、彼女は評価しているのだった。


 緩やかに、そして静かに時間が流れてゆく。差し迫った仕事が見当たらないので、ウトゥピアは何度も何度も、カップを手にとっては中身をすすり、再びテーブルに置くという作業を繰り返していた。しかし穏やかな時は、わずかに聞こえてくる、塔に設置された昇降機が稼働する無粋な音と共に終わりの兆候を見せる。もっとも、無粋とはいえ、気に留める程でもない。民が願えば、それを叶える。自分に与えられた使命を、履行するだけだ。


 やがて昇降機は沈黙し、人が近づいてくる足音に変わる。徐々に大きくなってゆく高い音は、カツカツと、テンポよく刻まれ、ついにウトゥピアのいる部屋の、出入口辺りでピタリと収まった。


「ウトゥピア、異常が発生したのだが」

 想像通り、ウトゥピアの休日は終了する。

 左右にスライドして開く扉の奥から、男性の声がウトゥピアの耳に侵入してきた。彼女は、声の主を見ずとも、その正体がわかる。それは、自分に付き従う男性のものだった。残念ながら、相変わらず名前は思い出せなかったが。

 ウトゥピアは黙って椅子から立ち上がり、素早く扉の前に立つ。すると、彼女の意志通り扉は左右に大きく、そして静かに開かれて、すぐ近くに従者の男性がいる事を理解した。

 喋る事は、無駄な事だ。ウトゥピアは行動で示す。だから彼女は閉口し、男性を無視して昇降機へスタスタと歩みを進めて、それに乗る。振り向けばいつも通り、男性は慌てて自分に追従してきたらしかった。

 二人が乗った途端に、昇降機内部に光が満ちる。彼女が作った訳ではないので、どういった仕組みで稼働を開始するのかは不明だが、そのように出来ているからそうなったのだろう。やがて昇降機は、少しも揺れずに降下を開始した。


 しばらく降下していた昇降機の中は、沈黙一色に染まっていた。だが、その沈黙は男性がとうとう口を動かしたので、破られる。

「休日なのにすまない。だが、先日投下した装置から力が吸収されていないらしくてな」

 彼は勿体つけずに、重大な事を口にした。

 先日地上に投下した、腐敗を吸収し、太古の力に還元する装置は、イリオスにとってかなり重要な仕組みだと言える。なぜなら、それを用いる事でイリオスは衰退から持ち直したのだ。そんな重大な装置は彼曰く、機能していないらしい。加えて、今まで彼の言う様な事態が発生した事は一度もなかった。故に今回の件は、明らかに重大な異常事態であると認識するのが妥当だろう。

 とは言え、あれこれ考えても始まらないと知っているウトゥピアは、一度自分の目で確かめてから判断しようと、原因についての考察をやめた。イリオスの民をたった一人で満たし続ける彼女は、どんな事でも成してきたのだ、今回だって何の問題もなく、すぐに解決する事が出来るだろうと思ったのだ。

 ウトゥピアが無言を貫き通す中、昇降機はようやく動きを鈍くし、やがて停止した。すぐにドアが開けば、そこには純白のエントランスが横たわっている。彼女は相変わらず無言で、無駄な広さを誇るエントランス越しに外を見据えつつ使命を再確認し、男性を置き去りにする位に素早く昇降機から踏み出すのだった。




 水色の機械が立ち並ぶ一角に到達したウトゥピアは、珍しく口を動かして「問題の装置は、どれですか」と男性に問う。すると男性は、こちらも珍しく無言で、該当するであろう装置の下に向かっていった。と言っても、該当する装置は地上に射出しているので、装置の根っこ部分に当たる、庭園の表面に残されたケーブルの下へと、彼は案内しているのだろう。


 水色の装置があった場所は、ウトゥピアが見た限りでは、何の問題も発見できない。最も優秀な彼女がそう判断したのだから、どうして男性の言う通りの事態になっているのか考察した所で、彼女自身も想像がつかなかった。しかし、男性が嘘をついている様子はなさそうである。

 吸収された腐敗の力は、水色の装置を一括で管理している中央制御部分のモニタ上で、確かに欠落がある。つまり男性の案内した場所から、腐敗の力が吸い上げられていないのだ。

 考えられる事は、地上に降ろした装置の故障か、ケーブルの故障、あるいは、制御部分の故障程度か。ウトゥピアは美しい眉間に皺を寄せて、解決策を考える。


 やがてウトゥピアは、男性の顔を見て静かに呟いた。

「これは前例のない事態なので、慎重に対応しなければなりません。装置の修復は、私が終わらせておきます。ご苦労様でした」

 声を受けた男性は、女王の決定に不平不満があるのだろうか、どこかしら納得のいかない調子でじーっとこちらを見つめていたので、ウトゥピアは彼を置き去りにして、そのまま塔へと引き返す事にした。勿論、問題をこのまま放置する積もりはない。装置の修復を民に見られる訳にはいかないので、彼女は一人の時にそれを実行するのだ。

 ウトゥピアの直感は、中央制御部と、ケーブルには問題がないと言っている。そもそも直感などという曖昧なものに頼る様な彼女ではないのだが、修復過程を見られる訳にいかないウトゥピアにとって、地上に降ろした装置の点検を初めに行う事は、都合が良い。要するに、地上に降ろした装置に問題が見つかれば、誰にも見られずに仕事を完遂できると考えたのだ。だからウトゥピアは、まず初めに地上の装置から点検する事を決定した。その為、一旦塔に戻って着替えてから、地上への転送に使う装置に向かい、降り立つのだ。


 事が決まれば、行動は早い。

 ウトゥピアは迅速に着替えを済ませると、転送装置が設置された庭園の外れに向かう為、都市部へと踏み込むのだった。




 人々が集う都市部は、今日も騒々しい。ウトゥピアは滅多な事でここに来ないから、どうして人々がこうも活発に生活する必要があるのか、少しも理解出来ない。活発な人々はカラフルな衣装で周辺を行き交い、店の様なものを出店しては通貨を使用して売買を行い、時には盛り上がり、時には盛り下がっている。

 ウトゥピアはそんな様子を眺めてちょっぴり首を傾げ、いつものように、民達はどうして無駄を好むものなのか、と不思議に思う。

 ウトゥピアの製造した水色の装置のお蔭で、誰もが無尽蔵の利益を獲得する事が出来るようになったので、彼らが権利を主張し、それの譲渡を行う為に通貨を受け取ったり渡したりする必要は、根本から無意味な筈だ。にも関わらずそうしているのは、満たされすぎた彼らの、無いものねだりなのだろうか。


 無言で周辺を見回しつつそんな事を考えていたウトゥピアは、足だけを動かす事で、颯爽と風を切って歩む。すると、都市部の人々が誰一人として、自分の存在に気が付いていないと知った。

 理由はわかっている。

 いつも純白の衣を纏っている彼女は現在、紅茶色のワンピースを着用している。それは都市部の女性達が着る、一般的な服装だ。ウトゥピアは行きかう人々に紛れ込む為にこの様な格好をしている。要するに人々は、彼女に”気が付けない”のだ。

 彼らは、底なしの欲を満たしてくれる女王の存在を察知できずに、ひたすら歓楽に興じ続ける。大きな声で集客をする者もあれば、その声に引きつけられてフラリフラリと近寄る者もある。

 そんな様子を見ていれば、彼らがたった一人の女性に自らの平和を任せきりにしていられる程楽観的な思考を持っているのかと、ことさらに呆れてしまう。

 少なくともウトゥピアは、自らの生活基盤を他人に投げやってのうのうと遊ぶ事が最善だと思えないので、自分に与えられた使命を必死で全うする。そうしなければイリオスはすぐさま朽ちると、彼らを見ていれば何となくわかる事だった。


「もし……」

 掠れる様な音が、ウトゥピアのすぐ近くで聞こえた気がした。その声は、都市部全域から放たれる雑音よりも遥かに小さい筈なのに、しっかりと耳に届いた。だから彼女は振り返り、掠れた声を出した人物を見る。すると、路肩の隅っこの陰になる場所で、皺くちゃの小さな老人がちょこんと座って、こちらに手招きをしている。

 あんまり皺くちゃだったので、男性か女性かわからなかったのだが、手招きに誘われて近づいてみれば、どうやら老人は男性だったらしい。

 ウトゥピアが十分に近づいた所で、彼は再び掠れた声を、一生懸命といった感じで絞り出した。

「お嬢さん、どちらへ行かれるのかね……」

 割合丁寧な物言いだったが、だからと言ってウトゥピアが彼に行く先を教える必要はない。それに、こうしている時間も勿体ないので、さっさとその場を立ち去ろうと背を向ける。

 ところが――。


「そう急くこともない、『時間が勿体ない』などとは考えない事ですな。イリオスは永遠に平和だ、時間など無限に等しい……」

 語る老人は、なんと、ウトゥピアの考えを代弁していた。だからウトゥピアは、本当に久方ぶりに一驚を喫し、再び老人の座る方に目を向ける。彼女の視界に入ってきた老人の瞳は、どこまでも深い黒色で、誰かの作ったおとぎ話の類に記述されていた、全てを見通す千里眼のようだった。

 どうやら、彼を無視して通り過ぎる訳にはいかないらしい。そう考えたウトゥピアは、彼と話をする事にした。とは言え彼女は、たいした事を言う積もりなど、毛頭ない。

「あなたが何者かは知りませんが、私はこれより別の場所に向かいます。使命があるのです。それでは」

 彼の知りたがっているであろう情報を端的に伝えたので、ここで立ち往生する訳にも行かないウトゥピアは、再び老人に背を向けようとした。しかしすぐに、そんな事がとても出来ない事だと知る。

 なぜなら老人は、「使命とは、恒久の平和を維持する事かね?」と問うのだ、到底無視できるものではない。


 老人は、彼女の正体を知っている――。


 とうとう呆気にとられてしまったウトゥピアに、老人はにやりと、柔らかいとも不敵とも取れる笑いを投げかけると、ゆっくりと立ち上がってから彼女の瞳をじーっと覗き込み、静かに口を動かした。

「どうしたのかね、ウトゥピア。そう驚く事もない。ただ一つ、老いぼれの願いを聞いて欲しいだけだ。もし地上に向かわれるならば、私も連れて行ってはくれんかね……?」

 閉口し、ピクリとも動けなくなってしまったウトゥピアに、老人は驚くべき事を頼んでくる。彼女が地上に降りる事を知っていた事からもわかるが、どうやら老人は、心の中を見透かしているらしい。自分の驚愕も、老人にはお見通しだったのだろう。そうでなければ、ここぞとばかりにとんでもない願い出をしてくる筈もない。彼は狡猾な面も併せ持っているようだ。

 彼の秘密を理解したウトゥピアは、一旦冷静に立ち返り、誰にも分らないように深呼吸をして暇をとると、老人の黒い瞳を見つめて、言う。

「あなたに宿った力は、心を読み解く力ですか。恵まれましたね。ですが、なぜ恵まれぬ民の住む地上へ?」

「女王こそ、人類で最も恵まれて育ったのではないかね? それと、恵まれぬ民と言うが、あなたは地上に住まう民も、天空に住まう民も、平等に見ている。平等に、『とるに足らない』とね。違うかね?」

「……」

 どうやら老人は今思っている事だけでなく、これまで継続的に考えてきた事や、あるいは主義などの、思考的な基盤すらも読み解いてしまうらしい。厄介な力だが、心底感服せざるを得ない。何しろ彼のいう事は、確かに狂いのないものだったのだから。

 沈黙する事で、彼への回答としたウトゥピアだったが、老人の全てを見通す瞳は少しもぶれる事無く、一直線に貫いて来る。だから彼女はその迫力に気おくれして、とうとう目をそらしてしまった。すると老人は、そんな彼女に立て続けに言葉を浴びせてくる。

「悪く思う事はない、本当の事だ。女王の気持ちは、正しい。しかし、女王は気づいているのではないかね? 本当に恵まれていないのは、あなた自身なのだと」

 老人は意味深長な事を言う。しかし、彼は確かに、『女王が恵まれていない』と口にした。


――しばらく、考える。老人は閉口することで、どうやらウトゥピアに考察の猶予を与えてくれているらしい。ところが女王は、いくら考えても、彼の言葉の意味が分からない。仕方なく彼女はそれを問おうとして、老人に再び顔を向けるが、口を動かす事が不要だと知る。

 老人は、心が読めるのだ。


「地上の民は、腐敗した大地でも、辛うじて生きているね。天空の民は、あなたのもたらす恒久の平和に甘んじて生きているね。では、あなたはどうかね? 使命を背負い、それを全うする事で生きている。しかし、それをやめれば、イリオスは腐り果てますな。それはあなたにとって、存在意義を失う事にもつながるのではないかね? ……人は、生きる意味を失えば、ゴミも同然となる。それをあなたもわかっている筈。それにあなたは孤独だ、誰にも努力を認めてもらえず、しかしそれをやめれば、言うまでもない……。本当に恵まれていないのは、果たして誰だと思うのかね?」

 老人は心が読めるが、そこから導き出す回答も、事実と相違ない位に鋭いもので、イリオス中で最も優秀な女王も、どうしてか太刀打ち出来ない。それでも彼に何か言わなければなるまいと、ウトゥピアはか細く、「私は……」と言いかけたのだが、どうしても言葉が浮かんでこないので、それっきり黙り込んでしまった。


 歓楽に興じる人々の声だけが、過ぎる時間をくっきりと浮かび上げた。互いが沈黙する時間は、ウトゥピアにとって重たく感じられたのだ。

 やがて老人は、先程から少しも揺らがない黒の瞳を更に見開いて、口をにんまりと引き裂く。

「言葉は思いつかぬうちから、口にするものではありませんな。それで、どうするのかね。私を連れて行ってくれるのかね?」

 随分楽しそうでもあり、自信満々にも見える老人を前にして、ウトゥピアはどうしても断る事が出来ない。だから彼女は老人の深い黒に引き込まれるように見入ってから、「わかりました」と呟いた。そうするしかなかったのだ。すると老人は楽しそうな調子から、満足したそれにコロリと変わり、「それでいい」と言いつつ彼女の前に背を向けて立った。

 どうやら彼は、地上へ至る装置への道を知っているらしい。


 イリオスで最も優秀な女王は、優れた人物もいるものだと、老人の小さな背中を見て初めて思い知った。




 謎の老人と共に、しばらく活気の中を歩んだ。行く先がわかっているであろう彼は、ウトゥピアの前を歩みつつ、振り返りもせずにあれこれと話を振ってきた。とはいえ、彼の口走る全部が他愛のない事だったので、女王は適当な返事で切り返し続けていた。


 幸いウトゥピアは、老人以外に気付かれる事なく、地上へ人を転送する石造りの装置に到達出来た。だから今彼女の目の前には、小さな階段の付いた、高さ一メートル程度の真っ白い六角柱がある。その中央に立って、地上へと向かうのだ。

 六角柱は、地上にも設置されている。そして、太古の力を受ける事で、中央に乗った人間を、六角柱間で転送する。従って、地上から戻る際も、同じようにすれば良い。

 この装置は、イリオスの民が用いていた技術をウトゥピアが応用したものであるが、優秀な女王が手をかけたからと言って、誰にでも扱える訳ではない。太古の力を物体に対して作用させる事が出来る人間のみ、地上へと降りられるのだ。

 即ち老人は、他人の心を見透かす事こそ出来るが、六角柱は使用出来ないらしい。だから彼は、ウトゥピアに頼んできたのだろう。尤も、楽園から腐敗した地上に降りたい人間などいないのだから、どうしても降りる必要のある人間に頼むなど、当たり前の話である。


「地上に降りて、どうするつもりですか」

 市街地で上手にはぐらかされてしまったので、ウトゥピアは今になって再び、無機質に、老人へ問う。それに、もし老人が天空の庭園へと戻る際には、再び自分に頼らねばならない筈だ。

 ある意味心配しているのだが、彼にとってはどうでも良いのか、顔をくしゃりと歪ませて、掴みどころのない笑いを投げかけてくる。

「なに、地上でやり残した事がありましてな。人探しといった所ですな」


 地上の民は元々、イリオスの民である。従って、老人の言葉を信じるならば、天空の庭園が出来た際に『選り分けられた』人物が、彼の言う探し人であると考えるのが妥当であろう。

 ウトゥピアは察し、これ以上の質問をする事を中止した。老人の笑いに含まれる、あらゆる陰りが、まるで心を切り裂いてくる様な気がしたからだ。

 おそらく彼の探し人は、天空に住まう『資格』がなかった人物なのだろう。つまり、内に宿す太古の力が弱かったが故に選り分けられた、悪い方の人物という事だ。

 それがわかっていれば、これ以上老人に質問をする事など、誰が出来よう。更に悪い事に、ウトゥピアはイリオスの風潮――つまり、弱い力しか持たない者達への過激な差別意識を根絶する事は、不可能だとわかっている。


「そう険しい顔をなさるべきではないですな。綺麗なお顔が歪んでしまう」

 老人は、笑う。巨大な影を抱いているであろう彼は、この期に及んで笑う。

 きっと、ウトゥピアの心を見ただろう。

 彼女が同情していると、わかっているだろう。

 それでも彼は、笑うのだ。相変わらず掴みどころがないとはいえ、顔をくしゃりとさせて、女王に微笑みかけるのだ――。


「行きましょう」

 そう告げると、老人は、どこか感じるものがある笑いを湛えたままに、六角柱の中心へと立った。ウトゥピアは、老人が庭園に戻る際は、その時に考えればよいと、至極いい加減な結論に達して、自分も老人と肩を並べる。

 ゆっくりと、六角柱に、太古の力を流し込んだ。幾瞬も待たずに、従順な装置は、操作に対して愚直に応じ、発光を強める。その際に生み出された、四方へと飛び散る光の断片が、ウトゥピアの目に侵入した。

 眩しくて、些か頭を動かしたら、低い位置にある老人の顔が映った。得もいえぬ彼の表情を盗み見ていれば、どうしても、彼について取り留めなく考えてしまう。だからウトゥピアは、心に陰りをもたらす”何か”を払拭するつもりで、頭を軽く振った。


 彼女は、直観的なものには、総じて価値がないとわかっていながらにして、転送される瞬間まで気持ちに渦巻いた、老人に対する曖昧な感覚を、まるで地を覆い隠す紫色の靄のようだと評した。

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