1.2 女王ウトゥピア

 天空の庭園のほぼ中央に位置する塔は、限りなく透明度の高い白色であり、今日もあらゆる光を反射する事で純白をまき散らす。

 塔の頂上。そこに、女王は座していた。彼女は塔の純白に負けない位に美しくあり、日々、イリオスの民を見守っている。


 彼女は、恐らく人類の中で誰よりも高いであろう位置から、天空の庭園越しに腐敗した大地を見下ろす。

 天空の庭園は、いつもの様に緑色に輝き、大地は、いつもの様にピンクに近い紫色に淡く輝いていた。

 その色は、この世界で最も不浄とされる色で、誰もが忌み嫌う。実際に腐敗した大地の象徴であるそれが人体に入り込めば、体はまるで空虚になってしまう様に跡形も無く崩れ落ちてしまう。それを知っている女王は、自分が住む地の緑色をみて、天空の庭園の清浄な部分が強調されている様にすら思えてしまった。


 女王は、清浄な天空の庭園の上に成り立つイリオスで、『全て』を司っている。民達にとっての全てとは即ち、揺るぎなき恒久の平和を指す。彼女は純白の塔の頂上から、恒久の平和を保全する為に今日までの人生を捧げて来た。彼女がいる以上は、イリオスの衰退は有り得ない。




 女王は生まれながらにして、その存在自体が別格として扱われてきた。理由を紐解けば、彼女の誕生の起源だ。

 イリオスの衰退を目前として民達は、国中で最も優秀な母に王となる様に頼んだ。しかし母はそれを拒み、救世主となる子を授かった。母は救世主にウトゥピアと名付け、彼女をイリオスに与えて姿を消した。

 その救世主が、紛れもなく現在の女王ウトゥピアなのだ。

 イリオスの民は、ウトゥピアを大事に育てた。塔も彼女の誕生に合わせて、彼女の為だけに作られた。イリオスの民は衰退から救われたいと思い、ウトゥピアに全てをかけた。そうやって、イリオスの期待を一身に受けてウトゥピアは育ったのだ。だから彼女は別格として扱われてきたと言える。勿論現在でも、それは継続している。


 ウトゥピアは、実に関しても別格である。今までに、期待に釣り合う成果をイリオスにもたらし続けてきた。

 彼女は生まれながらにして、非常に強力な太古の力を体に宿しており、知能は誰よりも柔軟であった。彼女が自我に目覚める頃には既に、それらを用いて民達を救いへと導く様に指導していたのだ。現在も、女王としてイリオスに君臨し、彼女は民を満たし続けている。

 この様に、イリオスに恵みをもたらし続けるウトゥピアが別格として扱われる事は、必然であった。


「…………」

 別格として扱われるウトゥピアの心は、常に空虚だ。彼女の顔付や動作には、それが顕著に表れている。何の起伏も存在しない表情で、彼女は孤独を噛み締める。

 生まれながらにして特別でも、自分が誰より優れていても、孤独である事実は転ばないのだ。

 ウトゥピアは民を満たす使命を担っている。そして昔から、思った事はなんでも出来た。だから彼女は文句一つ言わずに、今まで通り使命を継続する積もりである。

 その恩恵を受け続ける彼らは、ウトゥピアの力や技能に比重を置いていて、彼女自身を見ていない。つまりイリオスの民は、自分達が満たされればそれで良いと考えているのだろう。

 だから永遠に、この空虚な心が満たされる事はない。ウトゥピアは誰よりも賢いので、それを遥か昔から知っていた。


 ウトゥピアは、たっぷりの時間をかけて大地と庭園を交互に見比べた。やがて飽きて、立ち上がる。ウトゥピアには先の通り、やるべき事があるのだ。誰よりも多く、それこそ、毎日の様に。

 従って、こうしていられる時間は極めて限られている。




「ウトゥピア。装置のポイントの変更を」

 部屋から出る前に、誰かが入ってきて言った。彼は側近の男性だが、ウトゥピアは名前まで知らない。勿論彼女は、彼の名前を聞いた事があっただろう。しかし、興味がないので忘れたのだ。


「…………」

 ウトゥピアは無言と目線で返しつつ、彼の立つ部屋の出入り口に向かって淡々と進む。喋らずとも、行動で示せばそれでよいのだ。実を生み出せば、民達は満たされるのだから。


 側近の男性の横をすり抜けて、ウトゥピアは部屋から出た。これから塔を降りて、庭園の地上に設置してある腐敗の吸収還元を行う為の装置を点検するのである。

 数メートル先に見える昇降機の前には、地上の生物をモチーフにした像が彫り込まれている。四本の脚を器用に使って、地上を歩く生物。名前は知らない。

 いつも彼女はそれを見て、意味のない事が好きなのは人間の性なのかと思う。

 直ぐに昇降機の前に到着したウトゥピアは、じーっとそれが到着するのを待つ。それがやってくるまでは、結構時間がかかるのだ。遅くて遅くてしょうがない昇降機を見ながら彼女は、自分が作ればどんなに素晴らしいものになるのだろうかと思う。つまり昇降機は、イリオスの民が作ったものであり、彼女にとっては不完全なものにしか見えない。


 観察していると、太古の力を動力にする昇降機は、高所に荒ぶ強風の様な音を上げながらようやくやって来た。円形のそれは、塔の色と同じく純白で出来ていて、二〇人位が一斉に乗っても大丈夫な位には広い。だから、こういった所にも無駄を感じてしまう。


 大きな白い円盤にポツリポツリと、側近の男性と共に乗る。いつの間に彼は追従して来たのだろうか。目もくれなかったから、彼女は気付かなかった。

 やがて昇降機は、少しの揺れもなく動き始めた。少し体が軽くなったように感じる程度には、素早く動いている様子である。


「なぜ君は無口なのか」

 比較的大きい音が蔓延する空間で、背後に立つ男性の声ははっきり聞こえた。彼女は、その質問に真意を見いだせなかったので、「…………」と、沈黙を貫き通す事とする。そんな事を聞いて、彼はどうするのだろうか。

 無視し続けていると、男性は一度言葉を口にしたきり黙り込んでしまった。それで良いのだ、無駄口を叩く人物をウトゥピアは好まない。


 ジワジワと体に重さが戻って来たのを感じれば、昇降機は塔の一階に到着したのだろう。しばらくの時間をかけて移動し続けていたそれからさっさと降りると、彼女の目の前には広大な純白のエントランスが広がっていた。


 無駄な大きさだ。

 こんなに大きく作れば、塔から出るのにわざわざ歩かねばならないではないか。やはりイリオスの民は無駄を好むらしい。


 一刻も早く点検を終えて、彼の言う通り『ポイントの変更』を行う必要があった彼女は、スタスタとエントランス内部を進行すると、塔の巨大な開口部に到着する。

 高さも、幅も、圧倒的な規模。このエントランス有りきの大きさを誇る出入り口は、塔の一階部分にぽっかりと穿たれた大穴の様であった。

 無駄と言っても、大きいからこそ見える景色もある。

 塔自体は、天空の庭園の高地に作られている。加えて、塔の一階部分に至るまでに緩やかで長い純白の階段を延々と上る必要がある。即ち彼女の眼前には、一階からとはいえ、十分に開放感溢れる景色が広がっているのだ。


 それは、ウトゥピアの空虚な心を僅かばかり満たしてくれるから、仕事に急ぐ気持ちを塗りつぶしてまで、彼女の脚を停滞させた。


 純白に輝く塔よりも眩しい空の色。

 見下げれば、天空の庭園に席巻する緑一色という、平和の象徴。

 塔の頂上から見下げる景色はまるで、絵の中にある様に感じられる。しかしここで見れば、ウトゥピアの五感は刺激されて、絵画の中の住人になった気分に浸れる。

 彼女は終始無表情のままに、心だけを少しだけ潤して、眼下の横広で緩やかな階段を下り始める。そのまま彼女は、とうとう景色に溶け込むのだった。




 目の前に、滑らかなフォルムの機械がある。機械は水色で、植物の種の様な流線型をしていて、縦に長く、横に細い。上下にすぼんだ形をしているから、この世界に天地の概念がなければ、どちらが上下だかわからない。

 機械は音を発している。その音は、非常にうるさい。まるで獣の悲鳴の様な音を放ち、大地から腐敗の力を吸い上げ、太古の力に還元して庭園中に供給しているのだ。

 吸収還元装置としてウトゥピアに作られた機械は、作り主によく似て、ほぼ完璧である。ただ、ウトゥピアは少々反省している。


 衰退するイリオスが装置によって力を取り戻せたのは、紛れも無い真実だ。それを設計したウトゥピアは褒められて然りとさえ思う。だが、先の音に関して言えば無駄なものである。

 機能だけでなく、環境に対しての配慮も必要だったかと、これを見る度に彼女は反省する。

 尤も、音が発生してしまうのは構造上仕方のない事だと、ウトゥピアだけが知っている。だから、黙っていれば誰も文句を言わない。何も知らないし何も出来ないイリオスの民が、完璧な女王に文句など言える筈もない。


「次のポイントはどこにする?」

「……」

 彼の言うポイントとは、地上の腐敗を吸収還元するポイントだ。

 清浄な地である天空の庭園を手にした民達に、今更大地の腐敗など問題とならない。しかし、現在彼らの生活を支えているのは、吸収還元された太古の力であるので、極めて高濃度の腐敗を発見してはそこをポイントと呼び、装置を可動させるのだ。

 装置の管理運営について、民達への教授をウトゥピアは完了している。こうして彼女が直接装置のある場所に足を運んでくるのは、ポイントの変更を行う時や、装置の分解を行う時だけである。無能な彼らに、複雑な機械の分解は不可能だし、高度な操作も出来ない。


「経度三六・三二七八四五、緯度三三・五一一〇八二」

「ん?」

「強力な腐敗が観測された地帯です。恐らく腐敗の泉でしょう、半年前に突然湧き出した事がわかっています」

 装置から目を逸らせば、彼は見るからに無能と象徴する様な顔でこちらを見ていたので、装置の側面に浮かび上がっていた経度と緯度の情報からわかる事実を、丁寧に伝えてあげた。すると彼は「ああ」などと、わかっているのかいないのか、あいまいな応答を返して来る。

 虚空の心は、大変気まぐれだ。だからウトゥピアが口を開いて会話をするのは、彼にとっては完全な偶然と言えるだろう。


 装置の側面の文字に触れると、水に石を投げ込んだ時の様な波紋を作ってから、文字が赤く光りだす。何度か点いたり消えたりした赤い文字は、とうとう姿をくらます。そして、装置は獣の悲鳴の様な音を目一杯に響かせてから、塗装と同じ水色の光に包まれた。

 それを以て、この件に関するウトゥピアの仕事は終了を迎えた。後は民達が、無数に並んでいる水色の装置を彼女と同じように操作するだけだ。彼女は、お膳立てを済ませた。

 装置は直線的な光を指定した座標に放ち、数時間後にはそこに向かって射出される。つまり、装置は地上に降り立つのだ。

 降り立った装置と庭園は一本の太いケーブルで繋がり、そのケーブルから、腐敗を吸収還元した力、即ち太古の力が戻ってくる。半年程かけて腐敗を吸収した装置は、庭園に自動で帰還する。そうして、またウトゥピアは同じ作業――民達へのお膳立てを行うのだ。

 装置には機械的な技術が組み込まれており、無論太古の力も使用されている。しかし装置は、根本的にはやはり機械という側面に偏ったものである為に、先の通り分解点検が必要となる。こればかりは民達に任せられないので、ウトゥピアは無数の機械の分解点検をも定期的に行っているのだった。


 そんな機械の技術は、遥か昔から確立されていたらしい。

 微弱な力しか持たなかった民はいつの時代も一定数存在しており、それを補う為に、機械技術を彼らが開発したのだ。徐々に普及していった機械技術は、イリオスに豊かさをもたらした。

 そして、機械技術がある程度普及すれば、腐敗した大地と同じように、弱い力を持つ者達は不要となる――。


 ウトゥピアの学んだ歴史によると、天空の庭園が造られた頃、積極的に機械技術を提供していた弱い力を持つ者達は、腐敗した大地に取り残されたらしい。つまり、天空の庭園には強い太古の力を宿した者が住み、腐敗した大地には弱い太古の力を宿した者が住んでいるのだ。

 住み分けの進んだ世界でも、上を見ればきりがないし、下を見ても同様だ。つまりウトゥピアは、天空に住む者と大地に住む者の違いなど、さほど気にしていない。彼女にとって、いずれも取るに足らぬ連中なのだから。




 仕事を終えたウトゥピアは、側近の男性の前から踵を素早く返す。と言っても、塔に戻る訳ではない。人々の期待と感謝を一身に受ける彼女には、まだまだ仕事が残っているのだから。

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