第42話

ロディナの話




「いけーいけーいけーいけー!」

「やめろーやめろー、いくなーッ!」

「ロディナさん、しっかりー!」

「ばっか、静かにしろよ、集中できねえだろ!?」

「そういうあんたが一番うるさい!」

 翡翠宮のはずれで、かしましい歓声が響いていた。ここはもう、翡翠宮の本宮、玉座のそば近くに侍り、住まい、仕える者達からすれば、翡翠宮というも烏滸がましいくらいのはずれもはずれ、どんづまりである。

 そこに集った一団は、まったくもって見事なまでに、種々雑多な人々の混合であった。色とりどりの服。色とりどりの髪、色とりどりの瞳、色とりどりの肌。その多くは年端もいかぬ若者達だが、老人もいくらか、さらには、もっと数は少ないが、中年や壮年の者達も混ざり込んでいる。

 彼ら彼女らの多くは、半ば平民のような下級貴族達だが、その中には平民もいくらか、さらにはわずかに上位の貴族たちまでもが紛れ込んでいる。

 人々がひしめきあう輪の中には、まるでこの集団の象徴としてわざわざ選んで据えつけたかのような、少女と男が立っていた。

 若葉色のソルレンカの榊神。ほとんど銀色に見えるほどに美しく輝く、灰色をしたリセルティンの玉眼。ギザインの雪肌とうたわれる、抜けるような白い肌を身にまとい、だが、その顔立ちはのっぺりとして、この地の先住民族、地の民達の特徴を色濃く表している。

 そんな、一歩間違えばまるでできそこないのつぎはぎ細工のようになりかねない、種々雑多な人種や民族の身体的特徴を一身にその身に集め、見事に融和させている少女は、ソルレンカ大使、タニア・トゥカ・ベクトゥカ女史の一人娘、ロディナ・トゥカ・ベクトゥカだった。

 それに対する男は、地の民の黒髪を風になびかせ、琥珀に限りなく近い薄茶色の見事な玉眼を爛々と輝かせている。玉眼の持ち主にはよくある、彫りの深い、目鼻立ちのくっきりとした顔立ちを包むのは、地の民達が持つどこか黄色味がかった肌だ。

 長身で、無駄なく鍛えられた体をなめらかに操るこの壮年の男の名は、ヤトク・ディン・ジュリキア。琥珀宮の辻守りだ。

 若葉色の髪を風になぶらせ、銀の瞳をひたと的に据えて、ロディナは手の内にすっぽりと収まる大きさの白球を構えた。その脇では、ヤトクが軽く腕を組み、面白そうにその様子を見守っている。


 風が、割れた。


 一瞬の空白の後、ロディナの白球はヤトクの黒球を見事に弾き飛ばし、地面に丁寧に描かれた的のど真ん中に着地した。間髪入れず、周囲の人垣からどっと歓声が上がる。

「やったぜロディナさん!」

「あああああああッ! 信じてたのにヤトクさん!!」

「すっごーい! 見た見た見た!? あの球ってばまるで生きてるみたい!」

「やっりぃ! 儲け儲け儲け! ほら金寄こせ! おまえ、もうこれで、かれこれ1リセリア分の負け越しだぜぇ?」

「ちょっと待って頼むお願い! 今金ねーんだよ! 次の御給金もらうまで待って!」

「ロディナさんカッコいーい! こっち向いてー!」

「…………」

 ロディナは無言のまま、飄々と目をしばたたいた。ヤトクはロディナと同じくらい飄々と、ヒョイと軽く肩をすくめた。

「やられたな」

「ああ」

 ロディナは表情を動かすこともなく、淡々と片手を差し出した。

「負け分」

「ああ」

 ヤトクもまた、表情を変えずにロディナの手の上に軽やかな音をたてながら数枚の銀貨を落とした。

「おまえは、でかい賭けに強いな」

 ヤトクはなんとなく楽しげに言った。

「別にそうでもない。いつもと同じだ」

 ロディナはやはり淡々とこたえた。ヤトクは楽しげに小さく笑った。

「また、やるか?」

「ああ、いいな。あなたは強いから面白い」

 二人の勝敗の結果に――というか、その勝敗の結果で賭けをしていたがために、ギャアギャアとやかましく騒ぎ立てる周囲をよそに、ロディナとヤトクは片や淡々と、片や飄々と会話を進めた。

「また、賭けるか?」

「どちらでもかまわない。金を賭けても賭けなくても、的玉当(ポイ)は好きだ」

「俺も好きだ」

 ヤトクは少し考え込みながらロディナを見つめた。

「おまえ、弓はやるか?」

「弓? ああ、やらないこともないが、別にあんまりうまくはないぞ。それほど好きでもないしな」

「では、短刀投げ(ドン)は?」

「ああ、そっちのほうが少しましかな」

「なるほど」

 ヤトクはどこか残念そうにうなずいた。

「それでは、的玉当ポイ以外で勝負したら、俺が勝つに決まっているな」

「そうだな」

 ロディナは、怒りもせずにうなずいた。

「それではつまらんな」

「それはそうだろうなあ」

 ロディナは真顔でうなずいた。

「ところで、私のほうからも質問をしてもいいか?」

「ああ。なんだ?」

「あなたは、旅をしたことがあるか?」

「旅?」

 ヤトクは、やや意外そうにロディナを見た。

「そうだな、国の中だったらあちこち歩いたが、外国に行ったことはないな」

「そういう時、地図はどうしていた?」

「地図?」

 ヤトクは興味深げに目を細めた。

「地図がどうかしたか?」

「国内を旅する時、あなたは地図を使っただろう? その地図は、元からある地図を使ったのか?」

「普通はそうだろう?」

「自分で地図をつくったりはしないのか?」

「――おまえ、面白いことを言うな」

 ヤトクの唇が、わずかに上につりあがった。

「だって、地形や地名や街の名は、変わることだってあるだろう? 既存の地図では対応できないことだって起こるだろう?」

 ロディナは真顔でそう言った。

「まあ、そういうことがあったらその場で描きかえるな」

「手持ちの地図を、か?」

「いや」

 ヤトクはキュッと目を細めた。

「俺はいつも、地図はこの中に入れておくんだ」

 そう言いながらヤトクは、自分のこめかみのあたりを指さし、トントンとつついた。

「ああ、あなたはそういうことが出来るのか」

 ロディナは素直にうなずいた。ヤトクはわずかに眉をひそめた。

「なんだ、おまえ、もしかして地図が欲しいのか?」

「正確ではない地図だったらいらない」

 ロディナは不満げに言った。

「この世界には、曖昧で正確ではない地図が多すぎる。地図をつくるならつくるで、みんな、もっとちゃんとつくればいいのに」

「それでおまえは、その『ちゃんとした地図』とやらをソルレンカに持ち帰るつもりか?」

「え?」

 ロディナはきょとんと目を見開き、ヤトクの鋭い眼光を暫く浴びてからようやく、ああ、と大きくうなずいた。

「そうか、私が間者のようなことをするのが心配なのか、もしかしたら? 私は別にそんなことはしないぞ。私はただ、正確な地図が欲しいだけだ。それがなければ自分でつくる。ああ、もちろん、つくった地図を国外に持ち出すなというのなら、別にここに置いていったっていいぞ」

「ここに置いていっていい――って」

 ヤトクはあきれたように、わずかに口を開けた。

「それじゃ、おまえ、いったいなんのために正確な地図なんかつくるんだ?」

「ただ、そうしたいからそうするだけだ」

 ロディナは、当然のことをこたえる口調でそう言い切った。

「……なるほど」

 ヤトクはまじまじとロディナを見つめた。

「おまえ、変わってるな」

「そうか?」

「ああ、すこぶるつきに変わってる。おまえ」

 ヤトクは、ニッと大きく笑った。

「面白いやつだな」

「そうか?」

 ロディナは相変わらず、どこかきょとんとそうこたえた。

「あなたも面白いぞ。とぃうか、あなたと的玉当ポイをやるのはとても面白い」

「そうか」

 ヤトクは機嫌よく笑った。

「じゃあ、またやろう」

「ああ。また、やろう」

 ヤトクとロディナは、どちらからともなく固い握手を交わしあった。







 それから、ややあって。

「――足りないな」

 ロディナは、自室で一人つぶやいた。

「まだ、全然足りない」

 ロディナはカクリと首をかしげた。

「人間は、百五十歳くらいまで生きることが可能だろうか?」

 仮に聞いている者がいたとしたら、まず間違いなく目をむいてのけぞるであろう唐突極まりない発言であるが、当人のロディナはいたって大真面目である。

 傍で聞いている者にとっては全くわけのわからない、ロディナの言葉を丁寧に文章化してみたとすれば、おそらくは以下のようになるだろう。

『自分一人で世界各地を経巡って測量し、正確な世界地図を作成するためには、どう少なく見積もっても百五十歳ほどの寿命というものが必要になりそうなのだが、人間の寿命というものは果たしてそれに耐えうるほどの可能性というものを秘めているのだろうか?』

 と、まあ、だいたいこんなところであろう。

「とにかく、金だな」

 ロディナは力強くうなずいた。

 本気で、自分一人で正確な世界地図を作製してのけるつもりなのだ。

 というか、どうもロディナには、世界地図をつくるために他の誰かと協力しよう、という発想そのものがそもそもないらしい。

「金が、たくさんひつようだな」

 ロディナはフッとため息をついた。

 ロディナは、漠然と待っていた。

 自らが進むべき道が、目の前に現れ出でるのを。

 ロディナは、漠然と知っていた。

 それは、いつも突然、気づいた途端にそこにあるものなのだ、と。

 何を待っているのか。

 何を探しているのか。

 何をしようというのか。

 ロディナには、こたえられなかっただろう。

 ロディナ自身、それを知らないのだから。

『それ』が、自らの目の前に、完璧な姿を持って立ち現れる、その瞬間が来るまでは。

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