第41話

ライルの話




「でよ、でよ、聞いてくれよモル」

 翡翠宮の使用人宿舎、談話室の片隅で、ライルは子供のように弾んだ声を上げた。

「俺、ついに包丁持たせてもらえるようになったんだ! つっても、まだ芋の皮むきとかしかさせてもらえねえんだけどな」

「へ、へえ、す、すげえじゃんライル」

 モルディニウス・ルーモ、通称モルは、ポチャポチャとした丸顔に人の好さげな笑みを浮かべた。

「い、いいなあ。お、俺も早く、人が描けるようになりてえなあ。あ、でも、それより先に、色が使えるようになりてえなあ」

「へ? 色?」

 ライルはきょとんと首をかしげた。

「え、だって、絵って色を使わなきゃ描けねえんじゃねえの?」

「あ、ああ、そ、そりゃ、仕事で描く絵には色を使うけど、自分で勝手に描く絵に色を使うなんて、よっぽどの大物じゃなきゃ出来ねえよぉ。が、顔料は高いし、絵の具作るのには手間がかかるし。あ――そ、そうだ」

 不意に、モルはがっくりと肩を落とした。

「お、俺、明日、に、にかわ煮なきゃいけねえんだよな。と、当番なんだよ、明日」

「にかわかあ。あれってくっせーよな」

 ライルは顔をしかめた。

「で、でも、し、仕方ねえよ」

 モルはあきらめ顔で苦笑した。

「だ、だって、に、にかわがなきゃ、絵が描けねえんだもん」

「そっかー、頑張れよ、モル。あ、そうだ」

 ライルは服のかくしからゴソゴソと、小さな布袋を取り出した。

「これ、タシャの葉。おまえにやるよ。タシャの葉はスーッとするにおいがするから、においがきつい時にちょっと口に入れると、少しは楽になると思うぜ」

「あ、あ、ありがとう、ライル」

 モルは頬を火照らせながら、うれしそうにタシャの葉が詰まった袋を受け取った。

「どこでも下っ端は下ごしらえばっかやらされるんだよなー」

 ライルは嘆息した。モルはクスンと笑った。

「そ、そりゃ仕方ねえよぉ。そ、それに、俺、ほんというと、し、下ごしらえ、結構好きだったりするんだよな」

「あ、実は、俺も結構好きだったりする。なんつーか、手を動かしてさえいりゃどんどん仕事が片付いていくのって気持ちがいいよな」

「う、うんうん」

「でもさー、やっぱゆくゆくは、一番包丁任されたり味付け決めたり出来るようになりてえなー」

「ラ、ライルなら絶対になれるって。で、でもさ、し、下ごしらえじゃなくて仕上げなんか任されちゃったりしたら、き、きっと、めっちゃくちゃ緊張するんだろうなあ。だ、だって、し、し、失敗出来ねえもんなあ」

「だよなー。芋の皮をデコボコにむいちまっても料理はつくれるけど、味付けの仕上げで塩と砂糖を間違えたりなんかした日にゃ、それこそ食えたもんじゃなくなっちまうもんな。俺、明日からおまえが味付けやれ、なんて言われたらぜってえ寿命が縮む。っていうか無理。今の俺じゃ出来ない!」

「だ、だ、だよなだよな。お、俺も、明日からおまえが絵の仕上げやれ、なんて言われたら絶対気絶する」

 モルはコクコクとうなずきながらそう言った。ライルもうんうんとうなずき返した。

「それによ、偉くなったら下っ端の面倒とかも見なきゃいけなくなるだろ。それも大変だよな。あとよー、苦情っつーかいちゃもんっつーか、とにかくそういうのもさ、下っ端でさばききれなかったら全部上にあがっちまうもんなー。たまにいるんだよ、『おまえみたいな下っ端じゃわからん! 責任者を出せ!』とか言って怒鳴り込んでくるようなやつが」

「へ、へ、へぇ。お、俺達の工房に怒鳴り込んでくるようなやつはまだ見たことねえけど、厨房にはそういうやつが来たりするのか。ま、まあ、そりゃ、絵の具の出来が悪かったりしたら、親方に思いっきりどやしつけられたりするけど、そ、そういうんじゃねえんだろライルの言ってるのは?」

「ああ、俺達もへましたら先輩やら料理長やらに生皮ひんむかれそうになるけど、そうじゃねえんだ。いるんだよたまに。肉が生だとか料理が薬臭いとか言って怒鳴り込んでくるやつ。ったく、生なんじゃねえっつの。肉汁をたっぷり残して、それでいて全体にきちんと火を通すために俺達がどんだけ神経使ってるかわかってねえんだ全然! いやまあ、俺は下っ端だから実際に火の番とかするわけじゃねえんだけどな。それはそれとして。ったくよぉ、薬臭いって、そりゃ薬じゃなくって香辛料だっつーの! この田舎者め! ――つってもまあ、もちろんきちんと説明はするよ? でもさぁ、説明したからって、それで納得してくれるやつばかりじゃないし、それに、ほら、お貴族様が相手だったりすると、こっちとしてもあんまり強く出られないじゃん。っていうか、ひたすら平謝りしたりするしかねえじゃん。だーもうほんと、お貴族様の中でもよ、下っ端の連中は俺達みたいなやつらにしか威張れねえもんだから、ここぞとばかりにキャンキャンキャンキャンもううるせえのなんの!」

「へ、へ、へえ。た、大変なんだな厨房も」

「それでもよぉ、料理についての苦情やらなんやらなら、こっちとしてもまだ、なんつーか、やりがいがあるっつーか相手してて張合いがあるんだよ。今日なんかひどかったぜ。どういうわけだかお貴族様のお姫様が、何をトチ狂ったのか厨房の裏口なんかに迷い込みなさりやがってよぉ――」

「へ、へえ、ラ、ライル、見たのか、その姫様?」

「あー、見た、っつーかバッチリ鉢合わせした。いやー、最初はどっかの新入りの下働きのガキが迷い込んだのかと思ったぜ。つんつるてんの服着て、ほこりまみれの泥まみれでよ。ったく、なーにやってやがったんだかな。もちろんすぐに追い出し――もとい、お引き取り願ったんだけどよ。そのすぐ後で、やたらめったらうるせえじいさんが乗り込んできやがってよ、姫を出せ姫を出せって言ってきかねえの。もうここにはいない、って本当のこと言ったら、どこかに隠してるんだろうとかなんとかいちゃもんつけやがってよ。ったく、なんで俺達が自分から厄介事抱え込むようなことしなくちゃいけねえんだよ。ほんとにまったく、あのじいさんのせいで危うく料理を出し遅れるところだったんだからな!」

「へ、へえ、ほ、ほんとに大変だったんだな。な、なあライル」

「ん?」

「そ、その、ひ、姫様ってさあ、や、やっぱ、き、綺麗だった?」

「あはは、姫様っつっても、まだこーんなチビっこいガキンチョだったんだぜ? 綺麗も何も――あ、でも」

 ライルはふと、遠くを見るような目つきになった。

「あの髪は――すげえ綺麗だったなあ――それに、あの、目――やっぱ綺麗だよなあ、玉眼は」

「で、で、でも、ぎょ、玉眼って画家泣かせなんだぜ?」

 モルはちょっと口をとがらせた。

「ど、ど、どんなに工夫しても、う、上手く出せねえんだよな、あの色は。に、似たような感じになら、なんとか出来ることもあるけど、ど、どうしても、ほ、本物とはどっか違うって絶対わかっちまうんだよなあ」

「ああ――そうかもな」

 ライルは、不思議なほど素直にうなずいた。

「あれはなあ――なんであんなに綺麗なんだろうな。だってよ、色で言ったら、あれは俺の目とおんなじ茶色だったんだぜ? なのに――なのに、全然違うんだよな――」

「だ、だって、ゆ、有名だもんな。リセルティンの玉眼、ソルレンカの榊髪――」

「メレディスの恋唄」

 ライルはなぜか、どこか苦しげにそうつぶやいた。

「メ、メ、メレディスってさ、お、お、王様や、貴族様達みんな、こ、殺しちまったんだろ? お、お、おっかねえよな。そ、そ、そんなことして、た、祟られたりしねえのかな?」

「さあな」

 ライルは、なぜだか大きく顔を歪めた。

「これから祟られるのかもな」

「う、うへえ」

 モルは怯えたように、その短い首をすくめた。

「な、な、なんでそんなおっかねえことしちまったんだろうな?」

「さあな。わっかんねえよそんなの。俺らが産まれる前の話だし」

「ああ、だ、だよなあ」

 モルは素直にうなずいた。

 ライルは口の中で、声を出さずにつぶやいた。

「それに――それに――あの時のことは、親父も、詳しくは話してくれなかったし――」

 ――と。

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