第40話

パーシヴァルの話




「オー・マイ・マスター、こんな朝っぱらから家飲み宅飲みッスか。いやいや、悪魔のマスターとして、大変正しい姿勢ッスね❤」

「なんだ、おまえ、もう帰ってきたのか」

 アンツは、ところもあろうに天井からまるでキノコのようにニュッと上半身を突き出させ、そこから無遠慮にしてやたらと軽薄な声をふらせてきたエリックを見上げながら、げんなりしたようにそううめいた。

「金なら渡したんだから、適当に、勝手に楽しんでくればいいのに」

「なーんてこと言いながら、マスターだって速攻でおうちに引き上げてきちゃったくせにぃ」

「うるさい、私の勝手だ」

 パーシヴァルは不機嫌にそうこたえながら、目の前の杯の中身を乱暴にのどの奥へと放りこんだ。

「アッハハ~ン」

 エリックは首をすくめ、おどけたように、同時にどこか小馬鹿にしたように笑った。

「うちのマスターご機嫌ナナメ。なぜなぜどーしてわっかんな~い♪」

「私にだってわからん」

 パーシヴァルは半ば反射的にそうこたえ、そのせいでより一層険悪さの度合いを増した。

「ねえねえマスター、いったいなーにがあったんスか? オタクどーしてそんなにご機嫌ナナメなんスか?」

「うるさい。おまえに関係ない」

「いやあ、バリバリあるッスよ」

 エリックは、ヒョイと天井から自分の体を引っこ抜き、とんぼ返りをうって逆さまになった体勢から正しい向きへと体の位置を直すと、ミラーの巨大なサングラスをペカペカと光らせながら、大仰な身振りでパーシヴァルの顔をのぞきこんだ。

「だってオタクはオレのマスター、つまりはご主人様なんスから、オタクの機嫌やら体調やら性格やら実力やら夢やら希望やらは、こりゃもうみーんな、エリちゃんに関係があるに決まってるでしょー?」

「……なるほど」

 パーシヴァルは一瞬、眉間に深々としわを寄せ、エリックのことを怒鳴りつけたさそうな顔をしたが、その次の瞬間、フッと吐息をついて表情を変え、眉間によったしわを消して小さく苦笑した。

「なるほど、な。悪魔には悪魔なりの、理由も動機も都合もあるということか」

「ま、そーいうことッスねw」

 ケタケタと笑うエリックを見て、パーシヴァルは再び苦笑しながら自分の手元にある杯に、その傍らにある瓶からなみなみと果実酒リュリュを満たし、それをエリックへと差し出した。

「ほら、エリック」

「ホヘ? なんスかマスター?」

「おまえもつきあえ。まあ、おまえが私の口をつけた杯はいやだ、というのなら、それはそれで別にかまわん。もしそうなら、おまえの悪魔の力だかなんだかで適当に新しい杯を自分で調達しろ」

「いやいや、そんなもったいねーことはしねーッス。にゃはは、どもども、こりゃ、あれッスね、光栄の行ったり来たりってやつッスねマスター❤」

「おまえ、わざと間違えてるのか? それとも本当に間違えて覚えているのか?」

「にゃはははは、オタクのそういう天然なマジレスって、エリちゃんけっこー好きッスよ❤」

「いつもながら、おまえの言うことはさっぱり意味がわからん」

 パーシヴァルは再び苦笑した。

「まあいい。とにかく飲め」

「おお、サンキューマスター♪」

 エリックは嬉々として、パーシヴァルに手渡された杯の中身を飲み干した。

「まあ、あれッスね」

 杯の中身を一気飲みしたエリックは、お行儀の悪いげっぷの音を響かせながらニヤニヤと言った。

「いっつも思うんスけど、マスターってやっぱ、根がすっげーいい人なんスね、うん」

「……いい人?」

 パーシヴァルの顔を、深い憂愁が覆った。

「馬鹿を言うな、エリック。私のどこが、何がいい人だ」

「って、いい人って大抵そういうふうに言うんスよね、なんでだか」

「……苦しくて苦しくてたまらない」

 パーシヴァルは単純な、だからこそ痛切な心情を吐き出した。

「それはね、マスター」

 エリックは、訳知り顔でうなずいた。

「オタクがね、恋の病にかかっちゃったからッスよ❤」

「ふざけたことをぬかすな!」

 真っ赤になって怒鳴ったパーシヴァルは、次の瞬間、深々とため息をつきながらぐったりと椅子にもたれかかった。

「……今までずっと、それが当然だと思って、疑うことすら一度もなかった」

 パーシヴァルは弱々しい、だが、どこか熱っぽい声でそうつぶやいた。

「はてみの君があれほどの凄まじい――そうだ、ほとんど人間として扱われることがない、などという、あまりにも凄まじい、あまりにも悲惨な犠牲をあのか弱い玉体に一身に背負っていらっしゃるということを百も承知の上で、私はそれを、ずっとずっと、当然のことだと、いや、当然のこと、というか、はてみの君ははてみの君なのだから、そういった存在なのだから、だからなにも、おかしなことなどない、と――」

「マスター、それってトートロジーッスよ」

「は? な、何がなんだって?」

「あー、だからぁ、おんなじことを違う言いかたで繰り返してるだけじゃないッスかそれって」

「ああ――そうか、おまえが聞くとそういうふうに聞こえるのか。……そうだな、確かにそうなのかもしれない」

 パーシヴァルは、深々とため息をついた。

「私は、ずっと、はてみの君を『人間』だとは思っていなかったんだ」

 パーシヴァルは驚愕に大きく目を見開きながらそうつぶやき、次の瞬間蒼白になり、悲鳴のように音高く息を吸い込んだ。

「けど、そうじゃない――そうじゃないんだ――もったいなくもはてみの君に拝し奉り、その御言葉をいただいて、私はもう、わかってしまった。あのかたは――人間、だ。この上なく高貴で、この上なく気高く、この世の他の誰にもない『力』をその玉体に御持ちではあるが、あのかたは――人間、だ。私は、いや、私達は――」

 パーシヴァルの両眼から、煮えたぎる涙がふきこぼれた。

「どうしてそんな簡単で大切なことから、こんなにも長い間、誰もかれもが目をそらし続けていることが出来ていたんだ!? いや、どうしてそんな恐ろしいことを続けてしまっていたんだ、私達は――!?」

「そのほうが、楽だからでやんしょ」

 エリックは、どこか乾いた声でそう言った。

「人間なんてそんなもんス。はてみの君を人間だと思うより、人間じゃない何か、それこそ『はてみの君』っていう、はてみの塔に据えつけの、装置だかなんだかの歯車の一つ、みたいに思ってたほうが人間だと思ってるより楽だったからそうしたんでやんしょ、みんな。マスター、オタクだって本当は、そこんところがとっくの昔に、わかっちゃってるんじゃないッスかぁ?」

「……まいったな、悪魔に己の欺瞞をとがめられるとは」

 パーシヴァルは小さく苦笑した。

「確かに、おまえの言うとおりだ」

「おりょ? けっこーあっさり認めちゃうんスねえマスター」

「この上見苦しくあれこれと言い訳をしてなんになる」

 パーシヴァルは、再び苦笑しながらそうこたえた。

「やれやれ、まったく、悪魔のほうが人間より誠実では、人間としてこっちの立つ瀬がないじゃないか」

「いやあ、別に、誠実とかそーいうんじゃないッス。オレはただ、無責任な部外者として、気楽な正論を振りかざしまくっちゃってるだけッス、にゃはははは」

「まあ、そうなのかもしれんがな。しかしそれでも、私はやっぱりおまえにはきちんと誠実さがあると思うよ」

「マスターマスター、オタク、『誠実』っていうのが悪魔に対する褒め言葉になると思ってるんスか?」

「え? あ、す、すまん、そのつもりはなかったんだが、もしかしたらおまえを侮辱してしまったのか?」

「いや、別に、そういうわけでもないッスけど」

 エリックは楽しげにケラケラと笑った。

「ああマスター、オタクってばほんとーに、おっもしろい人ッスねえ♪」

「私が『面白い人』というのでは、悪魔の世界は相当に、面白い性格の者というのが払底しているのだな」

 パーシヴァルはクスリと笑ってそう言った。

「まあ、オタクみたいな性格の人はあんまりいねーッスよ」

 エリックは肩をすくめながらそう言った。

「それはある意味、光栄な言葉なのかもしれないな」

 パーシヴァルは涙のあとが残る顔で、肩を震わせながらしばらく笑った。

「おお、マスターの御機嫌がなおってきたなおってきた♪ さささ、マスター、もーっともっと、はいはいはい、飲んで飲んで飲んで。ここはお互い、腹を割って話しあいましょーよ。そのほうが絶対に、これからのエリちゃんの仕事にもマスターとの関係にも、いいに決まっているんスから❤」

「どうも、おまえの言うことを手放しで喜んだり受け入れたりする気にはなれんのだがな」

 パーシヴァルは肩をすくめながら、エリックが差し出してくる、果実酒リュリュをなみなみと満たした返杯を受け取った。

「しかし、まあ、確かにお互いに腹を割って話す必要があるということは認める。悪魔の腹がどれだけ割れるものかは知らんがな」

「まあ、そこんところは適当に、あれをそれしてなにしてうまいことなんとかw」

 エリックはおどけた調子でそう言いながらニヤニヤと、パーシヴァルが杯の中身を干すのを見守った。

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