第39話
ノアの話
「聞いていらっしゃるんですかな、姫?」
レグル・グラント――ザレスの婿入りに従ってリセルティンにやって来た、もとソルレンカ貴族、レグル・トゥカ・グラントゥカ――は、ギロリと、ノア・ディ・イェリアーニアをにらみつけた。
「はーい、聞いてまーす」
ノアは、すました顔で答えた。
「自分の言うことを、半分、いえ、十分の一でもお気にとめて下さっていらっしゃられたのなら、あのような目にはあわずにすんだはずなのですぞ」
レグルは、嘆かわしげな顔でそうぼやいた。
「あのような目って?」
ノアは、小鳥のように小首を傾げた。
「そこらへんのつまらん小童扱いされて、危うく身分卑しき下郎に折檻されかかる、などという目には、あわずにすんだはずなのですぞ!!」
レグルは、憤懣やるかたないという顔で息まいた。
「大げさですねえ」
ノアは、かわいらしく肩をすくめた。
「いつも思うんですけど、レグルさんは大げさすぎるんですよ。別に、何もありませんでした。なんにもひどい目にあったりなんてしてません。それに、ボク思うんですけど、みんないいかげん、ボクがお忍び用の服を着て、あちこち散歩するのに慣れたほうがいいですよ」
「なにをおっしゃられますか!」
レグルは、盛大に鼻息を吹きあらした。
「姫に万一のことがあった日には、このレグル・トゥカ・グラントゥカ――」
「『あの世でザレス様にあわせる顔がございません!』」
「……姫」
レグルはむっつりとノアをにらみつけた。
「おからかいにならないで下さい」
「ごめんなさい。でも、レグルさんいっつもおんなじこと言うんですもん。いいかげん、覚えちゃいますよ」
「つまり、それだけの回数、姫が自分に説教をされた、ということですぞ」
「レグルさんも、よくあきませんねえ」
「姫!」
「はあい。――ごめんなさい」
「姫、もっと御自覚をお持ち下さい」
レグルは、悲しげにため息をついた。
「世が世なら、姫は――」
「『ソルレンカの玉座につくこともお出来になられる御身なのですぞ』」
「――姫」
再び決め台詞をとられたレグルは、ギロリとノアをにらみつけた。
「それがおわかりなら――」
「でも、そうはならないんでしょ?」
ノアは顔をしかめた。
「だって、ソルレンカにはちゃんと、エメト様がいらっしゃいますもん」
「逆に言えば、エメト王子殿下しかいらっしゃいません」
「ええ? そんな事ないでしょう? きっと他にも、たくさんいらっしゃいますよ」
「いることはいるでしょうが」
レグルは眉をひそめた。
「血が、大分遠くなりますな」
「――ねえ、レグルさん」
ノアは、少し泣き出しそうな顔になった。
「ボクは――リセルティンの人間ですよ?」
「ええ、半分は」
レグルは真顔で言った。ノアの唇が震えた。
「ボク――ソルレンカなんて、行ったこともありませんよ」
「しかし」
レグルは、あくまでも真面目にノアに詰め寄った。
「その御髪は、まぎれもなく、ソルレンカの榊髪(さかきがみ)」
「ボ――ボクの、目は」
ノアは、怯えたように後ずさった。
「リセルティンの、玉眼です」
「しかしですな――」
「そぉのとおーりーいー」
不意に、鼻にかかった甲高い声が響いた。
「ちい姫様の、いーうとーおりー! レグルさんったら、抜け駆けは、だめよぉ。ちい姫様は、リセルティンの、大事な大事なお姫様なんだから。ソルレンカなんかにさらわれるわけには、いーかなーいわーあ!」
「――シェイか」
レグルは顔をしかめた。
「おけ、シェイ。自分は何も、そんなつもりで言ったわけでは――」
「じゃあ、どういうつもりだったのよ?」
「む――」
レグルは、むっつりとシェイをにらみつけた。
「あげ足をとるな。――それとな、シェイ」
「あら、なあに?」
「その、女のようなしゃべりかたはよせ。どうにもこうにも落ちつかん」
「あら、あたしが男だなんて、誰が言ったの?」
「何!?」
レグルは目を向いてシェイを――イェリアーニア家に、というか、ノアに仕える拒絶の結界師、シェイ・トゥッカのヒョロリとやせた体を見つめた。灰色の、結界師のローブをまとったそのやせた体のどこにも、女のような丸みや膨らみはないが――。
「お、おまえ、お、女だったのか!?」
「あのね、レグルさん、あなた何回おんなじことで驚けば気がすむの?」
シェイは大きく肩をすくめた。
「あたしが男だって女だって、そんなのどうでもいいじゃない」
「い、いや、よ、よくはないだろう」
「あら、レグルさん、あたしと結婚でもしたいの?」
「な!? ななな、なんでそんな話になるんだ!?」
「だったらどうでもいいじゃない、あたしが男でも女でも」
シェイは再び、大きく肩をすくめた。
「ところで、と。話を元に戻すとね、レグルさん、ちい姫様は、れっきとしたリセルティンのお姫様なんだから、あんまり変なことを吹きこまないでちょうだい」
「しかし」
レグルはムッと顔をしかめた。
「半分は、ソルレンカの、しかも王族の血をひいておられるんだからな」
「何言ってるのよレグルさん。御覧なさいな、ちい姫様の、とびきり見事な玉眼を。ちい姫様は、どこからどう見ても、立派なリセルティンの人間よお」
「いや、しかし、姫の御髪は――」
「ですよね!」
レグルのつぶやきを、ノアのほっとしたような声がかき消した。
「ボクは、リセルティンの人間ですよね!」
「――それは、そうですがな」
レグルは、ブツブツとぼやいた。
「しかしながら、姫は、まぎれもなく、ティリカ女王陛下の姪御様――」
「ちい姫様は、翡翠様とはてみの君の妹君よお。忘れたのお、レグルさん?」
「――半分だけ、ですけど」
ノアは、小さな声で言った。
「半分だけの、妹ですけど――」
「なに言ってるの、ちい姫様」
シェイは、優しくノアに微笑みかけた。
「兄弟に、全部も半分もありませんわよ。兄弟は、兄弟ですわ。ちい姫様は――ノア様は、誰も、どこからも文句のつけようのない、立派なリセルティンの人間ですわよ」
「いや、しかし、ザレス様はれっきとしたソルレンカ王族にして、ティリカ女王陛下の兄君にあらせられたのだから――」
「ああ、もう!」
シェイは、いささかうんざりしたようにレグルをにらみつけた。
「それじゃあ、ちい姫さまに決めていただきましょ! ねえ、ちい姫様、ちい姫様は、リセルティンとソルレンカ、どちらの国をお選びになられますか?」
「聞かれるまでもありません」
ノアは、凜と胸をはった。
「ボクは、リセルティンの人間です」
「――と、いうわけ」
シェイは、クスクスと笑った。
「ところでレグルさん、いつものお説教は、もう終わったのお?」
「おお、そうだ、シェイ、おまえにも言っておきたいことがある。おまえは結界師だろう? そのご自慢の結界で、姫のおいたを封じ込めておくわけにはいかんのか?」
「ああ、まったくもう」
シェイは、大仰に肩をすくめた。
「誤解してるのと理解が足りないのと、両方なんだから困っちゃうわよねえ。あのねえ、あたしの結界は、拒絶の結界なの。外部からの『悪意』を、『拒絶』するための結界なの。だからね、あたしの結界が、ちい姫さまに効くわけがないじゃない。あたしの役目は、ちい姫さまをお守りすることなのよ。その守るべきちい姫さまを拒絶しちゃって、どうしようっていうのよ、まったく」
「そ、それならせめて、しっかり、その――」
「見張っとけっての? ああら、それはそれこそ、あなたのほうの仕事なんじゃないのお?」
「うう……」
レグルは、悔しげに唇をひん曲げた。
「――あのう」
ノアは、いかにも無邪気そうな顔で、にらみあうレグルとシェイに声をかけた。
「ボク、もう、行ってもいいですか?」
「姫!」
レグルは、はったとノアをにらみすえた。
「自分と約束していただけますかな? もう二度と、一人で城から抜け出そうなどとはなさらない、と!」
「だって」
ノアは、プッと頬を膨らませた。
「父様がお亡くなりになられてから、誰もボクをお城の外に連れていってくれなくなっちゃったじゃないですか。ボクは、お城の外に出たいんです。また、平民の人達が住んでいる、街まで行ってみたいんです!」
「いけません」
レグルは、思いきり顔をしかめた。
「危のうございます」
「だって、父様は、連れていって下さいましたよ?」
「自分は反対したのですがな。ザレス様は、あれでなかなか、ちょっとしたお戯れがお好きなところがございましたからな」
「――楽しかったのにな」
ノアは、口をとがらせた。
「どうしても、だめですか?」
「いけません」
「レグルさんの、ケチ」
「けちで結構。さ、姫、約束して下さい」
「や・で・す!!」
ノアは、素早く後ろに、つまり、レグルの手の届かないところに飛びすさった。
「ボク、嘘はつきたくありませんから!」
「姫!」
「部屋に帰るだけですよッ! 部屋にいればいいんでしょう!?」
「姫!」
「まあまあまあ」
かけだしたノアを追おうとしたレグルを、シェイは軽く制した。
「ちい姫様は、曖昧に言葉をぼかしたり、何かを言わずにすましたりすることはなさっても、嘘をついたりはなさらないかたよ。今日のところは本当に、部屋にお戻りになられるのよ。駄目よぉレグルさん、女の子の部屋に、土足でドカドカ踏み込んだりしちゃ」
「いっ、いやっ、じ、自分はそんなつもりでは――」
「やあね、冗談よ」
へどもどするレグルを、シェイは軽くいなした。
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