第38話

パーシヴァルの話




「……うあああああああ……」

 パーシヴァル・ヴァラントは長々と、深いため息をついた。

「どーしたんスかマスター、こんなサワヤカな朝に、ため息なんかついたりして?」

 エリック・レントは、ヘラヘラと問いかけた。パーシヴァルは、ジロリとエリックをねめつけ、再び深くため息をついた。

「き――謹慎がとけたら、わ、私はいったい、どの面下げてはてみの君の御前に参上すればいいというんだ――!?」

「…………ヴェッ!?」

 エリックは、のどがつまったような声でうめいた。

「マ、マスター、オ、オタク、このまま夢守りの仕事を続けるつもりなんスか!?」

「……どの面下げて拝謁すればいいんだ……?」

「……えーっと」

 エリックは天を仰いだ。

「あー、でも、あのほら、マスターは、仕事の時はずーっとお面つけてるわけッスし――」

「あのかたに見わけがつかないとでも思うのか?」

「……えーっと……ま、ま、ま、あの、ほら、ねえ、こーゆうことって、こっちが気にするほど、あっちは気にしてなかったりするもんスよ――ねえ?」

「その意見の根拠は?」

「こ、根拠!? こ、根拠は……あー……そらまあ、根拠は特にないんスけどね」

「……だろうな」

 パーシヴァルは、三度、深々とため息をついた。

「……し……仕事に、行きたくない……」

「えー……辞表でも出したらどーッスか?」

「ふざけるな」

「ありゃあん、その選択肢はなしッスか。そんじゃあその、長期休暇でもとったらどうッスか?」

「……いやまあ、そんな事をするまでもなく、私は今現在、謹慎中の身なわけなんだが」

「あー、だったら、これからのことは、謹慎がとけてから考えたらどうッスか?」

「……まあ、それもそうかもしれん」

 パーシヴァルは、フッと、ため息ではない吐息をもらした。

「エリック」

「アイアイ」

「飯でも食いに行くか?」

「おごってくれるんスか?」

「私がおごるのか? だっておまえ、悪魔なんだろう? 金ぐらい、自分でなんとかできんのか?」

「ああン、もう、マスター、オレの話ちゃんと聞いてなかったでしょー? オレは、零を一にすることは出来ないんス。まず元手がないと、増やすもんも増やせないッス。元手さえありゃ、それを増幅できるんスけど」

「なるほどな。なら、これでいいのか?」

 パーシヴァルは、エリックに向かって銀貨を一枚放った。エリックは器用にそれを受けとめ、ピンッと空中にはね上げた。

「アッハ、どーもッス。さっすがマスター、太っ腹ぁ❤」

「おまえがそれをどのくらいまで増やせるんだか知らんが、当分はそれで間にあわせろ。金がないわけじゃないが、無駄な出費は嫌いだ」

「了解リョーカイ。わかってるッスよん♪」

 エリックは、手の中の銀貨を繰り返し繰り返し空中にはね上げた。放りあげるたびに銀貨の枚数が増えていく。

「おい、エリック、おまえ、ここの金の相場を知ってるのか? そんなに増やさなくても大丈夫だぞ?」

「え? でも、たくさんあったほうが景気がよくっていいっしょ?」

「景気が……なるほど、おまえの増幅の力も、それなりに強力なんだな」

 パーシヴァルは、大きくうなずいた。

「便利でやんしょ❤」

 エリックは、両手に余るほどに数を増やした銀貨を、無造作にポケットに突っ込んだ。

「おいおい、そんなむき出しでそんなところに突っ込んだりして、落とすなよ」

「落としてもへーきッスよお。一枚でも残ってりゃ、またいっくらでも増やせるんスから」

「こら」

 パーシヴァルは真顔でエリックを叱りつけた。

「金を粗末に扱うんじゃない」

「へーいへいへい。んじゃお財布に――あ」

 エリックは、ポリポリと頭をかいた。

「そーいやオレ、お財布持ってなかったッス」

「おいおい、財布も持ってないのか?」

「いやあ、だって、支払いはみーんな、カードかお財布ケータイですましてたッスからねえ」

「は? な、何を言ってるんだおまえは?」

「あー、オタクにはまだわかんないッスよねー、カード決算とか電子マネーとかは。えー、とにかく、オレ達の世界では、こーいうおカネは使わないんスよ」

「なるほどなあ」

 パーシヴァルは、感心したようにうなずいた。

「金がないのなら、それをいれておく財布も、ないというのは道理だな」

「そゆことッスね」

 エリックは、ジャラジャラと手の中の銀貨をならした。

「お財布買わなくっちゃいけないッスねえ」

「悪魔も買い物なんかするんだな」

「そらそーッスよ。もともと持ってるもののバージョンを変えるのは簡単ッスけど、もともと持ってないもんは、ヤッパふつーの方法で手に入れるのが、一番ラクで手っ取り早いッスからねえ」

「ばあじょん?」

「あー、えっとー、なんて言えばいいんかな――」

「……なあ、エリック」

 不意に、エリックは真面目な顔でエリックを見つめた。

「なんスか?」

「頼みがあるんだが」

「へ? なんスか?」

「その、だな」

 パーシヴァルは、背筋をのばして姿勢をただした。

「おまえ、よく、私にはわからない言葉を喋るよな」

「あ、すんません。以後気をつけるッス」

「あ、いや、別にとがめだてする気はないんだ」

 パーシヴァルは、あわてて片手をパタパタとふった。

「私が言いたかったのはだな、その――その、おまえの喋る、私にはよくわからない、悪魔の世界の言葉をだな――私に教えてくれないか?」

「……へ?」

「考えたんだがな」

 パーシヴァルは真顔で言った。

「その言葉がわからないのは、私だけではなくて、他の人達もそうなんだろう? この世界の人間には、わからない言葉なんだろう?」

「そらそーッスよ。マスターにだってわかんないんスから、他の連中にはよけいにわっかんねーッス」

「うむ。と、いうことはだ」

 パーシヴァルは真面目な顔で、しかし、どこか楽しげに瞳をきらめかせながら言った。

「私がその言葉を覚えれば、いざという時、他人に話の内容を知られる事なく、おまえと話をすることが出来るようになる、というわけだ」

「おっとぉ、マスター、それって、ナーイスアイディア! スパイみたいでかーっこいいッスねえ♪」

「なあいすあいであ? すぱい?」

「ナイスはいい。アイディアは考え。スパイは、えーっと……間者、とか言っとけばいいんスかねえ?」

「なるほど。それっていい考え。間者みたいでかっこいい……ん?」

 パーシヴァルは顔をしかめた。

「『間者』って、かっこいいか?」

「えーっ、スパイ、ダメッスか? かっこいいじゃないッスか」

「間者がか?」

「えーっと、『間者』っつーと、フンイキ変わるッスねえ」

「おまえの価値観は、どうもいささかずれているな」

「お互い様ッスよ」

「――なるほど。それもそうだ」

 パーシヴァルは苦笑した。

「ところで、食事の後はどうする? 少しぐらいなら、街を案内してやってもいいぞ」

「あ、ダイジョーブッス。街のマップは、もうダウンロードしといたッスから」

「まっぷ? だうんろおど? ……つまり、何がどうなっているんだ?」

「オレ、もう街の地図持ってるッスから」

「いつの間に手に入れたんだ?」

「それは、悪魔の企業秘密❤」

「ん? 秘密、というのはわかるが、きぎょう、というのはなんだ?」

「へ? 企業がわかんないって――ああ!」

 エリックは、はたと手を打ちあわせた。

「この世界には、まだ、『企業』そのものがないんスね!」

「この世界にはない?」

「そーッス。この世界には、まだ存在しない概念ッス」

「それでは、説明されてもわからんだろうな」

 パーシヴァルは、遠くを見るような目をした。

「おまえの世界の話も――聞きたいな、いろいろと。その――聞いてもいいものなら、だが」

「聞いても信じらんないかも」

 エリックは肩をすくめた。

「こことは、大分違うんだろう?」

「ゼンゼン違うッスねえ。マスターがオレらの世界に来たら、目エまわしてぶっ倒れるかも」

「かもしれんな。――妙なものだな」

「何がッスか?」

「おまえ達悪魔にも、自分の世界があるんだ、なんてこと、考えたこともなかった」

「それがフツーッスよ」

 エリックは、訳知り顔でうなずいた。

「べっつに考えなくっても、なーんも困らねえッスし」

「困らない――のは、確かにそのとおりだが」

 パーシヴァルは、生真面目な顔で言った。

「しかし、知ったからには考えずにはおられん性分でな」

「そうッスか」

 エリックは一瞬だけ、ひどく真面目な顔でパーシヴァルのことを見つめた。

「――どうした?」

「――なんでもねッス」

「そうか」

 パーシヴァルは、ジロリとエリックをにらんだ。

「街に出ても、騒ぎなんか起こすんじゃないぞ、頼むから」

「やっだなーマスター、この、品行方正、成績優秀のエリちゃんが、どーしてそんな騒ぎなんかを」

「いかにも起こしそうだ。そんな事になったら、私じゃたぶんかばいきれんからな」

「だいじょぶだいじょぶダイジョーブ。いざとなったら悪魔の力でチョチョイのチョイ❤」

「たいした力もないくせに」

「あーっ、そーいうこと言っちゃうッスか? ヒッドーイ! エリりん、泣いちゃう!」

「やめんか気色悪い。ああもう、下らんことで時間をつぶしてしまった。行くぞエリック」

「アイアイ、マスター」

 こうして。

 主従二人は、朝の街へと足を踏み出した。

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