第37話

イズとティリカの話




「――言うてみい」

 ティリカは静かにうながした。

「――もしも」

 イズは、チロリと唇をなめた。

「はてみの君が、地の民と駆け落ちをして、ソルレンカに逃れてきたら――ティリカ女王陛下――あなたはいったい――どう、なさいますか――?」

「――」

 ティリカは、ゆっくりと椅子にもたれかかり、深い吐息をついた。

「――あれの――ガートルードの、瞳も、髪も」

 ティリカは低くつぶやいた。

「リセルティンのものじゃ。――兄者とは、違う。肌まで、違う。なのに――おかしなものじゃの」

 ティリカは、激しく目をしばたたいた。

「やはりあやつには、兄者の面影がある。そう――おうたことなど、数えるほどしかないが――それでもわしゃ、あやつのことがかわいい。――じゃから」

 ティリカは小さく笑った。

「もしもあやつが、そんなとんでもないことをしでかして、わしの国に逃げてきたりしたら――わしゃきっと、かくまってしまうじゃろう、のう。ましてやあやつは、リセルティンの王姉にしてはてみの君」

 ティリカは、おかしそうに、鋭い笑い声をあげた。

「種はどうあれ、その腹から生まれてくる子は、翡翠の玉座を望むことも、出来るわけじゃからのう、理屈の上では」

「そう――理屈では」

 イズは、笑みを消さずにティリカを見つめた。

「わたしは、ナルガと結婚します。もう、決めました。ただ――わたし達には、敵が多い。――もっとはっきり言いましょう。絶対的に、味方だと信じることが出来るのは、ナルガだけ。味方と言っても差しつかえないのは、後ろの二人――ナタリーと、カンナだけ。この二人は、お察しの通り、人間ではありません。悪魔、まろうど、狂い咲きです。そう、だから――わたしとナルガは、結婚出来る。――してみせますよ、必ず。けど、いくらわたし達でも、まわりすべてが敵、では、さすがに居心地がよくない。――だから」

 イズは、凶悪な笑みを浮かべた。

「少しでも、居心地がよくなるようにしないと」

「――なるほどの」

 ティリカは、鋭くイズをにらみつけた。

「ガートルードを、自分のかわりに生け贄にする気じゃな? 身分卑しい平民なんぞと駆け落ちし、ところもあろうにソルレンカなんぞに身を寄せ、自分ら夫婦と生まれてくる子供、そう――リセルティンの王族の血をひく者達に、ソルレンカの糸をつける、とはの。――ハッ! たいした恥さらしじゃのう。なるほどの、そりゃあ、よりにもよってディンの新月なんぞを嫁に娶ったという事よりほかは、品行方正、頭脳明晰、剣をとっても一級品の、馬鹿とも無能とも、どう頑張ったって言えっこない翡翠の王を、どやしつけとるひまなんぞ、なくなってしまうじゃろうのう。――のう、イズよ」

「御明察」

 イズは、優雅に一礼した。

「それに、そうすれば、やつらはいやでもわたし達と、わたし達の子供を、生かし続けていくよりほかなくなる。そう――大国ソルレンカにいる王の血族達に、しゃしゃり出てこられるような隙をどうしてもつくりたい、とでもいうならば、話は別ですがね」

「――面白い話、ではあるのう」

 ティリカは眉をひそめた。

「じゃが――石というものはの、固くても、案外と脆いもんじゃ。わしゃ、かわいい姪を、物狂いにする手伝いなんぞ、しとうはないわ」

「私も、義姉をそのような目にあわせるつもりはありません」

「ほっ、口でそういうのは簡単じゃがの。リセルティンのはてみは、国のためだけに育てられた人形じゃ。国から引き離されたとたん、すぐに壊れてしまうのではないかのう?」

「――そうならない、方法があるとしたら?」

「――あるのか、そんなものが?」

「――賭けですよ、これは」

 イズは、凄絶な笑みを浮かべた。

「わたしは――試してみようと思います」

「ほう、何を?」

「何を、ではなく、誰を、です。わたしは――ある一人の、地の民の男を、試してみようと思います」

「試して――どうする?」

「見極めます。わたしが信ずるに値するか否か――を。試して、そして、信じられる、と思えたなら――思うことが、出来たなら――」

 イズの瞳は、強く、激しく輝いた。

「わたしは――賭けます」

「賭けるとな? ――いったい、なにを?」

「わたしに対する――ナルガの信頼を」

 イズは一瞬、笑みを消した。

「ナルガは、わたしを愛している。そして、はてみの君を――ガートルード様を、愛している。どうしても、どちらかを選べ、と言われたら――わたしかガートルード様か、どちらかを選べ、と言われたら――ナルガはわたしを選ぶでしょう。けれども、そう――それで傷つかないわけがない。義姉上が傷つけば、ナルガもまた、共に傷つくんです。わたしは――わたしは、ナルガを――いえ。わたしは、ナルガだけは、決して傷つけたくない。だから、はてみの君には、絶対に幸せになってもらわなくちゃならない。それがわたしに出来ることなら――わたしがはてみの君を幸せにできるのなら、わたしが自分でそうします。でも――わたしには、無理なんです、それは。わたしは、わたしとナルガの事だけで手一杯。だから、あいつを――地の民の男を、信じるしかない」

「ほう? 信じられるのか、そやつは? 試して、そして、駄目だったら?」

「――」

 イズは微笑んだ。ティリカは、わずかに身をひいた。

「その時は――その時ですね。そうしたら、また別の手を考えるまでです。もし、そうなったら――地の民の男が、信ずるに値しないものだとわかったら、陛下、今までわたしが話していたことはお忘れ下さい。益体もない戯言です」

「――わしゃ、そうは思わんが、の」

 ティリカは低く、そうつぶやいた。イズは、軽く頭を下げた。

「ありがとうございます。では、女王陛下、お選びいただけますか?」

「何をじゃ?」

「事が成るまで、この事を覚えておくか、それとも――忘れているか」

「ほう、選ばせてくれるんかの?」

「ええ。どうぞお選び下さい」

「そうじゃのう」

 ティリカは、のどの奥で笑った。

「覚えておくことにしようかの。ええひまつぶしになりそうじゃわ」

「かしこまりました。では、紹介させていただきます」

 イズは、後ろに控えていたナタリーとカンナを指でさし招いた

「ナタリーと、カンナ。わたしの下僕です。こいつらは、これでなかなか便利な連中でして。何かあった折の連絡には、この二人を使わせていただきます」

「ナタリーと申すはしためにござります。お目汚しではござあましょうが、どうぞよろしく、おん願い申し上げます、女王陛下」

「あたしはカンナ。よろしくね、女王様」

 ナタリーは、地に頭をこすりつけそうなほど深々と頭を下げ、カンナはごく軽く頭を下げる。

「――魚と、鳥、じゃの」

 ティリカは小さくつぶやいた。

「わかった。いつでも訪ねてくるがええ。ただ、あまり城の連中を驚かしてくれるなよ」

「かしこまりましたあ」

「お行儀よくしろってんでしょ? わかってるわよ」

「こらこら、わかってるんなら、お行儀よくしろよ」

 イズは、クスクスと含み笑った。

「では、ティリカ女王陛下、そういうことで、わたし達は、これにて失礼させていただきます」

「――イズよ」

 ティリカはじっと、イズを見つめた。

「はい?」

「――うまくやれよ」

「かしこまりました」

 イズは不敵に、あでやかに微笑んだ。

「では、お見苦しいところをお目にかけますが――カンナ」

「オッケー、ダーリン」

 カンナの鋭い爪が、虚空を切り裂く。イズは、ティリカに向かって深く一礼した。

「では、失礼いたします。再びお目もじ出来る日を、楽しみにしております」

「おお、わしもじゃ。さらばじゃ、イズ」

「では――御免」

 イズは、カンナが切り開いた虚空の裂け目に身を躍らせた。すかさずナタリーが後を追う。

「ほほ、女王陛下、またお会いいたしとうござあますわ。では、失礼いたします。おほほほほ」

「またね、女王様」

 カンナは軽く片手をふり、自らの作った裂け目に姿を消した。とたん、両側から引っ張り、押さえつけていた手を急に離したかのように、パッと裂け目がかき消える。

「――やれやれ」

 ティリカは、大きく肩をすくめた。

「やれやれ、まったく――」

 ティリカは、笑いはじめた。

 とても、楽しげに。

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